冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

66 / 83
第66話

だが。

 

 奇跡は、それだけでは終わらなかった。

 

 地下霊脈炉から溢れ続ける光。

 

 壊れた聖杯から放出される純粋神秘は、未だ周囲へ降り注いでいた。

 

 まるで“世界そのもの”が、戦いの代償を清算しているかのように。

 

 最初に異変へ気付いたのは、遠坂時臣だった。

 

「……何?」

 

 自らの手を見る。

 

 黒泥侵食によって焼損していた魔術回路。

 

 酷使で崩壊寸前だった神経。

 

 その全てが、熱を伴いながら修復されていく。

 

 否。

 

 修復ではない。

 

 “再構築”だった。

 

 回路そのものが、より強靭に編み直されていく。

 

 魔力伝達効率。

 回路密度。

 神経耐性。

 

 全てが、本来の限界値を超えていく。

 

「これは……」

 

 時臣ですら、息を呑んだ。

 

 魔術師にとって魔術回路は魂そのもの。

 

 生涯をかけても増やせず、変質させられない領域。

 

 それを、聖杯の残滓は当たり前のように書き換えている。

 

 切嗣もまた異変を感じていた。

 

 長年の固有時制御によって蓄積していた肉体損傷。

 

 軋んでいた神経。

 摩耗した回路。

 寿命すら削る負荷。

 

 それらが、静かに癒えていく。

 

 肺の痛みが消える。

 

 視界が鮮明になる。

 

 身体が、軽い。

 

「……冗談だろ」

 

 彼は自分の手を握る。

 

 若返ったようですらあった。

 

 その横で。

 

 言峰綺礼が、ゆっくり拳を開閉していた。

 

 割れた骨。

 裂けた筋肉。

 黒鍵による自傷。

 

 全てが治癒している。

 

 しかも。

 

 身体能力そのものが、明らかに上昇していた。

 

 綺礼は僅かに目を細める。

 

「聖杯は……人を進化させているのか」

 

 アイリスフィールもまた、静かに息を呑んでいた。

 

 本来ならば聖杯の器として崩壊するはずだった肉体。

 

 失われた生命機能。

 

 その全てが修復されている。

 

 白い肌には、もう黒い侵食痕は無い。

 

 彼女は自分の胸へ手を当てる。

 

 確かな鼓動。

 

 正常な生命活動。

 

 “器”ではない。

 

 一人の女性として、そこに存在していた。

 

 そして。

 

 異変は、更に広がる。

 

 霊脈を通じて放たれる神秘は、地下空洞全体を包み込んでいた。

 

 崩壊しかけていた魔術刻印が安定し。

 

 失われた神経が再生し。

 

 身体機能そのものが強化されていく。

 

 まるで神代の魔力環境へ、一時的に世界が近付いているようだった。

 

 ライダーが豪快に笑う。

 

「ハハハ!! なんだこれは!! 力が溢れてくるぞ!!」

 

 ランサーもまた目を見開く。

 

「霊基ではない肉体で、ここまでの力とは……」

 

 アサシン達ですら気配が以前より鮮明になっている。

 

 肉体。

 魂。

 魔術回路。

 

 全てが、聖杯の最後の神秘によって“最適化”されていた。

 

 ギルガメッシュは腕を組み、静かにそれを見ていた。

 

「……第三魔法の劣化模倣どころではないな」

 

 彼ですら、完全には理解できない現象だった。

 

「壊れたことで、逆に純粋な神秘だけが流出したか」

 

 ブラッドレイは、自らの右眼へ触れる。

 

 “最強の眼”。

 

 本来ならば人間には過剰過ぎる異能。

 

 だが今、その負荷すら消えていた。

 

 肉体が完全に適応している。

 

 いや。

 

 “人間として成立するよう調整された”と言うべきだった。

 

 彼は静かに笑う。

 

「なるほど」

 

 冬木の霊脈を見上げた。

 

 光が流れている。

 

 穏やかで。

 静かで。

 暖かい光。

 

 もう、悪意は無い。

 

「最後の最後で、人類悪が人類へ遺産を残したか」

 

 その言葉に、誰も否定しなかった。

 

 莫大な犠牲。

 終末のような戦い。

 無数の絶望。

 

 その果てに。

 

 彼らは生き残った。

 

 しかも以前より強く。

 より完全な存在として。

 

 それは祝福か。

 あるいは、別の始まりか。

 

 まだ誰にも分からない。

 

 だが少なくとも今は――。

 

誰もが、生きていた。

 

そして。

 

 光は、一人の男にも降り注いでいた。

 

 瓦礫の影。

 

 崩れた柱へ寄りかかるようにして座り込んでいた男――間桐雁夜。

 

 既に限界を超えていた身体。

 

 刻印虫によって侵され続けた神経。

 壊死寸前の血管。

 焼け爛れた魔術回路。

 

 本来なら、とっくに死んでいておかしくない肉体だった。

 

 聖杯戦争へ参加した時点で、彼の命は終わっていたのだ。

 

 それでも。

 

 雁夜は最後まで立っていた。

 

 桜のために。

 

 たった一人の少女を救うためだけに。

 

「……終わった、のか」

 

 掠れた声。

 

 その瞬間。

 

 聖杯から溢れる神秘が、静かに彼へ流れ込む。

 

 雁夜の身体が光に包まれた。

 

「……っ!?」

 

 苦悶のように肩が震える。

 

 だが、それは痛みではない。

 

 長年身体を蝕み続けていた“異物”が、逆流するように排出されていく感覚だった。

 

 皮膚の下が蠢く。

 

 次の瞬間――。

 

 ボトボト、と。

 

 無数の刻印虫が、雁夜の身体から這い出してきた。

 

 黒く濁った虫達は、地面へ落ちた瞬間、光に焼かれて灰になっていく。

 

 一本。

 また一本。

 

 肺に食い込んでいた虫。

 脳へ根を張っていた虫。

 魔術回路へ寄生していた虫。

 

 その全てが排除されていった。

 

 雁夜は目を見開く。

 

「……あ……?」

 

 熱が消えていく。

 

 痛みが消えていく。

 

 ずっと身体を苛んでいた腐敗感覚が、無くなっていく。

 

 皮膚の壊死が再生する。

 

 白髪化していた髪に、僅かに色が戻る。

 

 潰れていた神経が繋がる。

 

 壊れた内臓が、正常な形へ戻っていく。

 

 そして。

 

 最も深く侵されていた魔術回路。

 

 間桐の蟲魔術によって無理矢理こじ開けられ、焼け爛れていた回路すら、静かに修復されていく。

 

 否。

 

 それだけではない。

 

 回路そのものが、以前より遥かに安定し、強固になっていた。

 

 歪な蟲使いの回路ではない。

 

 本来、間桐雁夜という人間が持っていた“素質”そのものへ戻されている。

 

 雁夜は、自分の手を見た。

 

 震えが止まっている。

 

 力が入る。

 

 呼吸が苦しくない。

 

 痛くない。

 

「……なん、だよ……これ」

 

 声が震える。

 

 あまりにも久しく忘れていた。

 

 普通に呼吸できる身体。

 

 普通に立てる感覚。

 

 “生きている”という実感。

 

 その時。

 

 後ろから声がした。

 

「奇跡、というやつだろうな」

 

 振り返る。

 

 そこには軍帽を被った男――キング・ブラッドレイが立っていた。

 

 雁夜は呆然と彼を見る。

 

「……アンタも、生きてんのかよ」

 

「見ての通りだ」

 

 ブラッドレイは肩を竦める。

 

「どうやら、全員まとめて現世へ叩き落されたらしい」

 

 雁夜は乾いた笑いを漏らした。

 

「ハ……滅茶苦茶だな」

 

「ああ」

 

 ブラッドレイは珍しく素直に頷く。

 

「だが悪くない」

 

 沈黙。

 

 崩壊していた地下空洞には、もう悪意の気配は無かった。

 

 雁夜はゆっくり立ち上がる。

 

 驚くほど自然に。

 

 痛みもなく。

 

 足が動いた。

 

 その事実だけで、目頭が熱くなる。

 

「……桜」

 

 その名前を呟く。

 

 まだ終わっていない。

 

 聖杯は壊れた。

 

 だが、間桐家は残っている。

 

 救うべき少女も。

 

 そして。

 

 ブラッドレイは、そんな雁夜を静かに見ていた。

 

「行くのだろう?」

 

「ああ」

 

 雁夜は、迷わず答えた。

 

 もう以前のような死にかけの男ではない。

 

 壊れた英雄でもない。

 

 今の彼には、未来へ歩く力があった。

 

「……今度こそ、間に合わせる」

 

 その言葉には。

 

 確かな生気が宿っていた。

 

、その奇跡は。

 

 地下霊脈炉の内部だけでは終わらなかった。

 

 壊れた聖杯から溢れ出した神秘は、冬木全域へ広がっていた。

 

 巨大な霊脈ネットワークを通じて。

 光の奔流となって。

 

 街全体を包み込んでいたのだ。

 

 ◆

 

 遠坂邸外周。

 

 結界維持のため、最後まで外で戦っていた魔術師達もまた、その異変を感じていた。

 

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは、瓦礫の中で荒い呼吸を繰り返していた。

 

 ロード・エルメロイの天才。

 

 だが聖杯戦争を通して、その誇り高い肉体も精神も限界まで追い詰められていた。

 

 黒泥侵食を防ぐために酷使した魔術回路。

 暴走霊脈の抑制。

 連続戦闘。

 

 既に身体中の神経が焼け付き、指先すらまともに動かなかった。

 

「……っ、ぐ……」

 

 ソラウが支える。

 

「ケイネス!」

 

 だが次の瞬間。

 

 二人を、淡い光が包み込んだ。

 

「……?」

 

 ケイネスの目が見開かれる。

 

 壊れかけていた魔術回路へ、暖かな魔力が流れ込んでくる。

 

 激痛を伴う修復。

 

 だが、それ以上に圧倒的な“完成”の感覚があった。

 

 損傷箇所が治っていく。

 

 裂けていた神経が繋がる。

 

 長年の研究でも辿り着けなかったほど理想的な形で、回路が再構築されていく。

 

「な……」

 

 彼ほどの魔術師だからこそ理解できた。

 

 これは治療ではない。

 

 神秘による“上位改変”。

 

 人間という器そのものが、最適化されている。

 

 ソラウもまた息を呑んでいた。

 

 衰弱していた身体が軽い。

 

 視界が澄んでいる。

 

 魔力の流れが、以前とは比較にならないほど鮮明に感じられた。

 

「身体が……」

 

 ケイネスは、震える手を見つめる。

 

 震えていない。

 

 完璧に制御できている。

 

 むしろ以前より魔力効率が上がっていた。

 

 魔術刻印すら、より深く定着している。

 

「馬鹿な……」

 

 ロード・エルメロイですら、理解が追いつかなかった。

 

「聖杯が……我々を、強化している……?」

 

 その時。

 

 霊脈の向こうから、雷鳴のような笑い声が響いた。

 

『ハハハハハ!!』

 

 聞き慣れた声。

 

 ライダーだった。

 

 ケイネスとソラウは顔を見合わせる。

 

 その声には、消滅間際の霊体の響きが無い。

 

 まるで、生きた人間の声だった。

 

「まさか……」

 

 ◆

 

 一方。

 

 冬木大橋付近。

 

 結界展開と避難誘導を行っていたウェイバー・ベルベットも、突然膝をついた。

 

「うわっ……!?」

 

 全身へ光が流れ込む。

 

 未熟な魔術回路が焼けるように熱い。

 

 だが壊れない。

 

 むしろ拡張されていく。

 

 細く脆かった回路が、急速に強化され、安定していく。

 

「な、なんだこれ……!」

 

 ウェイバーは自分の手を見る。

 

 魔力循環が以前と全く違う。

 

 視界すら鮮明だった。

 

 そして何より。

 

 彼自身の“器”が広がっている。

 

 今まで扱えなかった高位魔術すら、理論上は行使可能だと直感できた。

 

「あり得ない……」

 

 その時だった。

 

 背後から、豪快な声が響く。

 

「おお、坊主!!」

 

 ウェイバーが勢いよく振り返る。

 

 そこには。

 

 巨大な男が立っていた。

 

 赤いマント。

 筋骨隆々の肉体。

 そして、見慣れた覇気。

 

「ライダー……?」

 

 征服王イスカンダルは、実に愉快そうに笑っていた。

 

「どうやら余も生き返ったらしい!!」

 

 ウェイバーの思考が止まる。

 

「……は?」

 

「ハハハ!! なんだその顔は!!」

 

 ライダーは容赦なくウェイバーの頭を掴み、乱暴に撫で回した。

 

「ぐえっ!! ちょ、やめろ!!」

 

 だが。

 

 その感触は確かだった。

 

 温かい。

 

 硬い。

 

 生きている人間の手だった。

 

 ウェイバーは呆然とライダーを見る。

 

「……本当に、生きてるのか」

 

「ああ!」

 

 イスカンダルは満面の笑みで答える。

 

「受肉などという生易しいものではないな! 完全な肉体だ!!」

 

 ウェイバーはしばらく言葉を失い――。

 

 やがて。

 

 顔を覆って笑い始めた。

 

「……なんだよ、それ」

 

 泣いているのか。

 笑っているのか。

 

 自分でも分からなかった。

 

 だが。

 

 確かに思った。

 

 生き残ったのだ、と。

 

誰もが。

 

 あの地獄を越えて。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。