『黒剣の亡霊』
冬木教会、地下。
薄暗い石造りの空間に、蝋燭の火だけが揺れている。
静寂。
だが、その沈黙の中には確かな緊張があった。
「……ほう」
低い声。
言峰綺礼は静かにワインを揺らしていた。
黒衣の神父。
無表情。
感情の薄い男。
だが今、その瞳には僅かな興味が宿っていた。
対面に座るのは、遠坂時臣。
優雅な赤のスーツを纏った魔術師。
彼もまた、珍しく眉間に皺を寄せている。
「確認したのか、綺礼」
「ええ」
綺礼は淡々と答える。
「衛宮切嗣が召喚したサーヴァントはセイバー」
「それだけではあるまい」
「……」
綺礼は僅かに目を細めた。
「真名までは不明です。ですが」
そこで一度言葉を切る。
蝋燭の火が揺れる。
「教会の記録と一致する特徴があります」
時臣の表情が変わった。
「まさか」
綺礼は静かに告げる。
「埋葬機関番外次席。キング・ブラッドレイ」
空気が止まった。
数秒。
遠坂時臣は沈黙する。
やがて。
「……冗談だろう?」
と、珍しく本音を漏らした。
綺礼は首を横に振る。
「残念ながら」
「英霊なのか、あれは」
「生前から怪物だったのでしょう」
綺礼の声音は平坦だった。
だが、その目には微かな熱があった。
興味。
あるいは期待。
「死徒二十七祖を二体道連れにした男」
時臣が呟く。
「聖堂教会の処刑兵器」
「ええ」
「しかも白兵戦特化」
綺礼は静かにワインを飲む。
「最悪ですね」
「笑えんぞ、それは」
時臣は深く息を吐いた。
魔術師としての勘が告げている。
危険だ、と。
余りにも。
普通の英霊ではない。
生前から完成し過ぎている。
「衛宮切嗣め……」
時臣は低く呟く。
「よりによって、あの男を引き当てるとは」
「縁召喚でしょう」
「皮肉なものだ」
綺礼は小さく笑った。
「どうやら本当に旧知だったようですね」
「魔術師殺しと、埋葬機関の怪物か」
時臣は額へ手を当てる。
「組み合わせとしては最悪だな」
⸻
沈黙。
蝋燭の火だけが揺れる。
やがて時臣は静かに口を開いた。
「綺礼」
「はい」
「お前はどう見る」
綺礼は即答しなかった。
少し考える。
あの男を思い出す。
教会で一瞬だけ交わした視線。
あれは。
危険な目だった。
殺人鬼ではない。
狂人でもない。
もっと純粋な何か。
「……空虚ではない」
「何?」
時臣が眉を寄せる。
綺礼は続ける。
「衛宮切嗣に似ているようで、違う」
「どう違う」
「ブラッドレイは、自分の生き方を理解している」
淡々とした声。
「自らが怪物であることも」
「……」
「何を斬るべきかも」
綺礼はワインを見つめる。
赤い液体。
血のようだった。
「故に完成している」
その言葉には、微かな羨望が混じっていた。
時臣はそれに気付く。
「綺礼」
「はい」
「お前、あの男に興味があるな」
綺礼は否定しなかった。
代わりに。
「理解したいと思っています」
と答えた。
「彼は、何故あそこまで人間でいられるのか」
時臣は目を細める。
危険だ。
この弟子は今、“興味”を持っている。
それはつまり。
深淵を覗き始めているということ。
「近付くな、綺礼」
「……」
「アレは危険すぎる」
時臣は真剣だった。
「死徒二十七祖を斬るような人間だぞ」
「人間、ですか」
綺礼がぽつりと呟く。
時臣は眉を寄せた。
「何だ」
「いえ」
綺礼は静かに笑った。
「彼自身、人間であることに執着しているようでしたので」
「……?」
時臣は怪訝な顔をする。
綺礼は思い出していた。
教会での一瞬。
ブラッドレイの目。
あれは。
怪物の目ではなかった。
むしろ逆だ。
人間であろうとし続ける者の目だった。
だからこそ異様だった。
「理解不能です」
綺礼は小さく呟く。
「何故、あれほど殺しに適応した男が、人間性を捨てていないのか」
時臣は深く溜息を吐いた。
「綺礼」
「はい」
「お前は本当に、そういう危険物を引き寄せるな」
「否定はしません」
⸻
一方その頃。
遠坂邸。
アーチャー――。
英雄王ギルガメッシュは、ソファに座りながらワインを飲んでいた。
その前で、時臣が静かに報告している。
「ほう?」
黄金の瞳が細まる。
「死徒を斬る人間だと?」
「はい、我が王」
「埋葬機関番外次席。教会側の処刑兵器とも」
ギルガメッシュは笑った。
愉快そうに。
「雑種にしては随分面白い」
時臣は慎重に言葉を選ぶ。
「危険な英霊です。特に接近戦では――」
「知るか」
即答だった。
「所詮は人よ」
だが。
ギルガメッシュは不意に笑みを深める。
「だが良い」
「……?」
「人でありながら怪物を斬るか」
黄金の王は杯を揺らす。
「矜持としては嫌いではない」
時臣は少しだけ安堵した。
しかし。
次の言葉で全て吹き飛ぶ。
「余興にはなりそうだ」
王は愉悦に目を細める。
「その剣、どこまで届くか見てみたい」
時臣は頭痛を覚えた。
嫌な予感しかしない。
絶対に衝突する。
しかも。
最悪の形で。
⸻
地下教会。
綺礼は一人、静かに座っていた。
暗闇。
沈黙。
その脳裏には、黒い軍服の男が浮かぶ。
『私は化物ではない』
低い声。
静かな目。
『ただ、人間であろうとしているだけだ』
綺礼は目を閉じる。
理解できない。
何故だ。
何故あの男は、自分を見失わない。
何故壊れない。
何故。
あそこまで殺しに満ちていて。
なお人間でいられる。
綺礼は、自らの胸へ手を当てる。
空っぽだ。
自分には何もない。
喜びも。
悲しみも。
実感も。
だが。
あの男にはある。
確かな“何か”が。
「……興味深い」
言峰綺礼は静かに呟く。
そして。
その口元には。
ほんの僅かに笑みが浮かんでいた。