冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第70話

夜明けの風が、崩れた遠坂邸の庭を静かに抜けていった。

 

砕けた石畳。

崩落した壁。

焼け焦げた木々。

 

つい数時間前まで、世界の終わりがそこにあったとは思えないほど、冬木の朝は穏やかだった。

 

その瓦礫の上に腰を下ろしながら、セイバー――は、小さく息を吐いた。

 

「……こういうのも悪くないな」

 

誰に向けた訳でもない呟きだった。

 

だが、その言葉に最初に反応したのは、缶ビールを片手に笑っていた。イスカンダルだった。

 

「ハッハッハ! 今更しみじみしておるのか、セイバー!」

 

「騒がしい男だ」

 

「当然だ! 世界が終わらず、生き残り、しかも肉体まで得たのだぞ!? 酒が美味いに決まっておろう!」

 

豪快な笑い声が響く。

 

その隣では、毛布に包まったウェイバーが、疲れ切った顔で呟いた。

 

「もう二度と聖杯戦争なんか参加しないからな……絶対……」

 

「坊主、それは無理だな!」

 

「なんでだよ!?」

 

「お前、絶対また厄介事に巻き込まれる顔をしておる!」

 

「顔で決まるの!?」

 

周囲から、小さな笑いが漏れた。

 

それは戦いの最中には決して存在しなかった、普通の笑いだった。

 

少し離れた場所では、切嗣が静かに煙草へ火をつけようとして――

 

「切嗣」

 

柔らかな声に振り向く。

 

そこには、朝日を浴びたアイリスフィールが立っていた。

 

白い髪が、風に揺れる。

 

もう、聖杯の器ではない。

消える存在でもない。

 

確かな熱を持った、一人の女性として。

 

「……どうした?」

 

「ふふ。あなた、今、とても安心した顔をしてる」

 

切嗣は、一瞬だけ目を細めた。

 

そんな顔を、自分が出来るとは思っていなかった。

 

だが確かに――胸を焼き続けていた焦燥が、今だけは消えていた。

 

「……そうかもな」

 

短い返答。

 

それだけで、アイリは嬉しそうに微笑んだ。

 

一方、崩れた庭石の上では、ギルガメッシュが不機嫌そうに腕を組んでいた。

 

「雑種共め……朝から騒がしい」

 

「そう言いながら帰らんではないか、英雄王」

 

ブラッドレイの言葉に、ギルガメッシュは鼻を鳴らす。

 

「帰る理由が無いのでな」

 

「受肉したからか?」

 

「それもある。だが――」

 

赤い瞳が、静かに空を見る。

 

「少しだけ、この時代を見てやろうと思っただけだ」

 

その言葉には、以前ほどの苛烈さは無かった。

 

傲慢さは変わらない。

 

だが、人類を見下ろしながらも、どこか興味を抱いている。

そんな奇妙な柔らかさがあった。

 

その近くでは、言峰綺礼と遠坂時臣が、崩壊した遠坂邸を眺めていた。

 

「……まさか、自宅が消し飛ぶとはな」

 

遠坂時臣が、珍しく疲れた声で言う。

 

「修繕費用が頭痛の種だ」

 

「愉悦は無かったのか?」

 

「今は疲労しか無い」

 

「そうか」

 

言峰綺礼は少しだけ残念そうだった。

 

だがその直後、時臣がふと笑う。

 

「だが……生きているだけで十分か」

 

綺礼は黙った。

 

その言葉が、妙に胸へ残ったからだ。

 

生きている。

 

ただ、それだけ。

 

本来なら、サーヴァントも、マスターも、最後には何かを失い、誰かが死ぬ戦争だった。

 

だが今ここにいる者達は、全員が敗者であり、同時に生存者だった。

 

しばらくして、ブラッドレイが立ち上がる。

 

朝日が、その隻眼を照らした。

 

「さて」

 

低く、よく通る声。

 

自然と、全員の視線が向く。

 

「世界は救われた。聖杯も消えた。だが――」

 

彼は、自分の掌をゆっくり握る。

 

確かな肉体。

血流。

鼓動。

 

英霊ではない、生きた人間の感覚。

 

「我々は残った」

 

静寂。

 

「ならば、生きるしかあるまい」

 

それは英雄の演説ではなかった。

 

ただの、生存者の言葉だった。

 

だが――

 

その場の誰もが、否定しなかった。

 

遠くで車のエンジン音が響く。

 

おそらく、冬木市の救急や警察が、異常を察知して動き始めたのだろう。

 

秘密は、いずれ限界を迎える。

 

時計塔も動く。

魔術世界も、この異常を放置しない。

 

受肉した英霊。

変質した魔術回路。

崩壊した聖杯。

 

これから先、平穏だけでは終わらない。

 

それでも――

 

今だけは。

 

誰も、武器を取らなかった。

 

誰も、殺意を向けなかった。

 

瓦礫の中で、疲れ果てた英雄達は、ただ静かに朝を迎えていた。

 

崩れた遠坂邸の庭。

 

瓦礫の隙間から差し込む朝日が、冬木の街を淡い金色に染めていた。

 

夜の間、あれほど渦巻いていた瘴気も、黒泥も、呪詛も、もう存在しない。

 

空気は冷たく、澄んでいる。

 

その光景を見上げながら、キング・ブラッドレイは静かに呟いた。

 

「朝日か、綺麗だな。まさか再び、生身で見れるとはな」

 

その声には、戦場の将でも、英霊でもない、一人の老人のような静けさがあった。

 

義眼ではない方の瞳が、細く空を見つめる。

 

暖かな光。

肌を撫でる風。

肺へ入る朝の空気。

 

死者には、本来許されない感覚だった。

 

少し離れた場所で、ディルムッド・オディナが同じように空を見上げ、小さく笑った。

 

「確かに……美しいな」

 

彼はゆっくりと掌を開く。

 

朝日に照らされた指先には、確かな体温があった。

 

「英霊の座では、こういう感覚は曖昧だった。風も、温度も、匂いも……まるで薄い夢のようだったからな」

 

「死人には贅沢な話だ」

 

「はは、それを言われると否定出来ん」

 

そのやり取りに、近くで座っていたハサンの1人が静かに口を開いた。

 

「……陽光を浴びるのは、久しい」

 

誰も茶化さなかった。

 

暗殺者として語られる彼にとって、“平穏な朝”というものが、どれほど遠いものだったかを感じ取ったからだ。

 

すると、不意に大きな影が横へ座り込む。

 

「むぅ、朝飯が欲しくなる景色よな!」

 

豪快に笑ったのは、もちろんイスカンダルだった。

 

「貴様は風情より食欲か」

 

「当然! 英雄とは腹が減る生き物よ!」

 

「理屈になっておらんな」

 

「だが分かるだろう、セイバー!」

 

ブラッドレイは鼻で笑った。

 

「……否定はせん」

 

その返答に、イスカンダルは満足げに笑う。

 

その様子を見ながら、ウェイバーがぽつりと呟いた。

 

「なんか、変な感じだな……」

 

「何がだ、坊主?」

 

「だって、数時間前まで殺し合ってたんだぞ、あんた達」

 

その言葉に、一瞬だけ空気が静まる。

 

確かにそうだった。

 

互いを討ち、願いを奪い合うはずだった存在達。

 

だが。

 

「……殺し合いを終えたからこそ、見える景色もある」

 

そう言ったのは、切嗣だった。

 

煙草を咥えたまま、彼もまた朝日を見ている。

 

「俺は、こういう朝を見れる人間じゃないと思ってた」

 

アイリスフィールが、その隣で優しく微笑む。

 

「でも、見れてる」

 

「ああ……そうだな」

 

短く返しながら、切嗣は目を細めた。

 

焼け跡。

瓦礫。

血の跡。

 

それでも、世界は続いている。

 

そして、自分達も。

 

すると突然、ギルガメッシュが退屈そうに鼻を鳴らした。

 

「湿っぽい話ばかりだな、雑種共」

 

だが彼もまた、立ち去ろうとはしない。

 

赤い瞳は、静かに昇る太陽を見ていた。

 

「……だが」

 

珍しく、少しだけ声音が柔らかい。

 

「悪くはない」

 

その瞬間、周囲から小さな笑いが漏れた。

 

英雄王が“悪くない”と言った。

 

それだけで、妙に可笑しかったのだ。

 

笑い声が、朝の空へ溶けていく。

 

戦争は終わった。

 

奇跡の代償も、これから払う事になるだろう。

 

時計塔も動く。

教会も黙ってはいない。

受肉した英霊達は、世界そのものを揺るがす異常だ。

 

それでも――

 

今だけは。

 

誰も未来を恐れず、ただ朝日を見ていた。

 

人として。

生き残った者として。

 

 

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