冬の朝靄が、焼け落ちた遠坂邸の庭を白く覆っていた。
瓦礫の隙間から差し込む薄い陽光の中、黒い外套を羽織った男――セイバー、キング・ブラッドレイが静かに口を開く。
「さて、ロード・エルメロイ。時計塔まで引率を頼めるかね?」
その声音は落ち着いていた。
まるで、これから向かう先が、魔術世界最大の総本山ではなく、ただの戦場であるかのように。
ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは鼻を鳴らした。
「フン。仮にもこの私が連れて行くのだ。戦友達よ、無礼な振る舞いは謹んでくれたまえ、」
銀縁の眼鏡の奥の視線が、ゆっくりと一人へ向く。
「……特に、イスカンダル。貴様だ」
ジロリ、と。
露骨に睨まれたライダー――征服王イスカンダルは、一瞬きょとんとした後、豪快に笑った。
「ハッハッハ! 安心せよ坊主! 余は多少、声が大きいだけだ!」
「多少で済むものか!!」
即座に怒鳴るケイネス。
その様子に、張り詰めていた空気が僅かに緩む。
焼け跡の中で、ソラウが肩を震わせながら笑った。
「ふふふ……ケイネス。あなたの口から“戦友”なんて言葉が聞けるなんてね」
ケイネスは一瞬だけ言葉に詰まった。
「な……」
誇り高き時計塔のロード。
血統、格式、才能。
それら全てを何より重んじていた男が、“戦友”などという、泥臭く感情的な言葉を使った。
かつての彼なら有り得なかった。
だが。
ケイネスは小さく舌打ちしながら視線を逸らす。
「……勘違いするな。私は合理性を語っているだけだ」
「はいはい」
ソラウは優しく笑った。
その笑みに、ケイネスは居心地悪そうに眉を寄せる。
だが、否定はしなかった。
その光景を見ていたウェイバー・ベルベットは、どこか呆然としていた。
(ロード・エルメロイが……変わった)
傲慢で、冷酷で、絶対に他者を認めなかった男。
だが今の彼は違う。
聖杯戦争という地獄を越え、生き残った者達を、確かに“同じ戦場を潜った者”として見ていた。
イスカンダルが大きな手でウェイバーの頭を掴む。
「どうした坊主、呆けた顔をして」
「い、いや……その……」
「ハッハッハ! よいではないか! 人は戦を越えて変わる! それでこそ面白い!」
豪快に笑う征服王。
その隣では、ディルムッドが静かに目を細めていた。
「……不思議なものですな」
「何がだ、槍兵」
ギルガメッシュが退屈そうに問う。
ディルムッドは、崩れた屋敷を見渡した。
「本来なら、互いに殺し合っていた者達が、こうして並んで歩こうとしている」
「フン。雑種どもの馴れ合いだ」
そう吐き捨てながらも、英雄王はその場を離れようとはしない。
むしろ、玉座のように瓦礫へ腰掛け、愉快そうに眺めている。
言峰綺礼が静かに口を開いた。
「だが、それでも必要なのだろう」
全員の視線が神父へ向く。
「時計塔も、埋葬機関も、我々を放置はしない」
その言葉は重かった。
受肉した英霊。
桁違いに変質した魔術師達。
そして、黒泥を生き延びた異常者達。
そんな存在を、魔術世界が黙認する筈がない。
遠坂時臣が低く呟く。
「下手をすれば、“封印指定”程度では済まんな……」
「解剖、研究、拘束、永久監禁。時計塔ならやりかねん」
切嗣が淡々と言った。
その空気を断ち切るように、ブラッドレイが静かに歩き出す。
軍靴が、焼け跡を鳴らした。
「だからこそ、先にこちらから赴く」
赤い眼――“究極の眼”が細められる。
「受け身では、狩られるだけだ」
その言葉には実感があった。
かつて埋葬機関の処刑人として、異端を狩ってきた男だからこそ分かる。
組織とは、“未知”を恐れる。
そして恐れた未知は、必ず排除しようとする。
「こちらから交渉の席につき、“管理可能”だと思わせる必要がある」
静かな声。
だが、全員が耳を傾けていた。
「時計塔にはロード・エルメロイと遠坂時臣。埋葬機関には私と言峰神父」
ブラッドレイは周囲を見回す。
「そして、万が一に備え、戦力は常に即応可能な状態を維持する」
ギルガメッシュが口端を吊り上げた。
「クク……面白い。まるで戦争準備ではないか」
「実際、そうなる可能性は高い」
ブラッドレイは即答した。
誰も笑わなかった。
死徒。
時計塔。
聖堂教会。
この異常事態を狙う者は、これから無数に現れる。
それでも。
誰一人、逃げようとは言わなかった。
イスカンダルが立ち上がり、豪快にマントを翻す。
「よし! ならば行くとするか!」
征服王の笑い声が、冬空へ響く。
「時計塔だろうが埋葬機関だろうが、まとめて踏み越えてやる!!」
「だから貴様は少し静かにしろと言っているだろうが!!」
再び怒鳴るケイネス。
その怒声に、今度は何人かが本当に笑った。
地獄を越えた者達の、小さな笑いだった。
そして――。
“戦友達”は、焼け落ちた遠坂邸を後にする。
魔術世界そのものと対峙する為に。
冬空を裂くように、一団はロンドンへ降り立った。
空気が違う。
湿った霧。
石畳に染み付いた古い歴史。
そして――街そのものに漂う、濃密な魔力。
現代最大の魔術基盤。
魔術師達の都、ロンドン。
その地下深くに築かれた、魔術世界の総本山。
時計塔。
巨大な時計台が霧の向こうに姿を見せた瞬間、ウェイバーは無意識に息を呑んだ。
「ここが……時計塔……」
かつて憧れ、同時に恐れていた場所。
魔術師達の頂点。
才能と血統が全てを支配する世界。
だが、今の彼には以前とは違う感覚があった。
隣には征服王イスカンダルがいる。
背後には、聖杯戦争を生き抜いた“戦友達”がいる。
もう、一人ではない。
石畳を踏みしめながら、ケイネスが先頭を歩く。
長い外套を翻し、その姿にはロードとしての威厳が戻っていた。
「よく覚えておけ」
低い声が、一行へ向けられる。
「ここは戦場とは別種の地獄だ」
振り返る。
銀縁の眼鏡の奥にある瞳は、冷徹な魔術師のそれだった。
「時計塔では、実力だけではなく、血統、派閥、政治、伝統、その全てが絡む」
ディルムッドが静かに目を細める。
「随分と面倒な場所ですな」
「面倒だからこそ、二千年も続いているのだ」
遠坂時臣が答えた。
彼の表情もまた、冬木で見せていた余裕ある貴族然としたものへ戻りつつある。
だが。
以前とは違う。
その瞳には、確かな警戒と覚悟があった。
「時計塔は“未知”を嫌う」
時臣は静かに続ける。
「受肉した英霊など、前代未聞だ。間違いなく、解剖と研究を望む者は現れる」
その瞬間。
ギルガメッシュの殺気が、僅かに漏れた。
空気が軋む。
「……雑種風情が、我を解剖し研究するだと?」
黄金の瞳が細まる。
周囲の魔力が震えた。
アーチャー一人の機嫌だけで、大気が変質する。
ウェイバーが青ざめる。
だが、ブラッドレイは淡々としていた。
「だからこそ、最初の対応が重要だ」
軍人のような正確な歩調で歩きながら、彼は時計塔を見上げる。
「こちらを“制御不能な怪物”ではなく、“交渉可能な存在”だと認識させる必要がある」
「失敗した場合は?」
切嗣が問う。
ブラッドレイは即答した。
「戦争になる」
誰も否定しなかった。
それほどまでに、今の彼らは危険だった。
サーヴァント達は完全受肉し、現界維持の制約を失った。
マスター達も、聖杯の余波で異常な魔術回路を得ている。
さらに。
黒泥を浴びながら理性を保ったという事実。
それ自体が、時計塔にとって理解不能な異常なのだ。
イスカンダルが愉快そうに笑う。
「ハッハッハ! 良いではないか! 余は嫌いではないぞ、こういう空気は!」
「貴様は少し黙れ!!」
即座に怒鳴るケイネス。
だが以前ほどの険悪さはない。
むしろ、長年の悪友に対するような疲労混じりの怒声だった。
ソラウが小さく笑う。
「あなた、本当に変わったわね」
「変わらざるを得なかっただけだ」
ケイネスは吐き捨てるように言った。
その視線が、一瞬だけ後方へ向く。
そこには、瓦礫と血と泥の地獄を共に越えた者達がいた。
英雄。
暗殺者。
王。
騎士。
魔術師。
処刑人。
本来なら、決して並び立つ筈のない者達。
だが今は違う。
“戦友”。
その言葉だけが、彼らを繋いでいた。
やがて、一行は巨大なエレベーター前へ辿り着く。
一般人には決して認識できない、結界で隠蔽された入口。
時計塔へ続く門。
そこには既に、複数の魔術師達が待機していた。
全員、時計塔の実働部隊。
礼装による武装。
魔術刻印の励起。
視線には露骨な警戒。
そして。
彼らは、一行を見た瞬間に凍り付いた。
「なっ――」
「馬鹿な……」
「サーヴァント……だと……?」
彼らの顔色が変わる。
当然だった。
目の前にいるのは、“あり得ない存在”。
完全受肉した英霊達。
しかも。
その中には。
「――英雄王ギルガメッシュ」
「征服王イスカンダル……!」
「フィオナ騎士団、ディルムッド……!」
歴史そのものが、歩いている。
さらに。
先頭にはロード・エルメロイ。
その隣には遠坂時臣。
そして後方には。
黒い軍服を纏った、片眼の男。
ブラッドレイが静かに彼らを見る。
その瞬間。
時計塔側の魔術師数名が、本能的に一歩後退した。
理解できない。
なのに分かる。
あの男は危険だ、と。
埋葬機関の処刑人特有の、“死の気配”。
ブラッドレイは静かに口を開いた。
「初めまして、時計塔諸君」
低く、穏やかな声。
「少々、話し合いをしたくて来た」