冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第73話

冬の朝靄が、焼け落ちた遠坂邸の庭を白く覆っていた。

 

 瓦礫の隙間から差し込む薄い陽光の中、黒い外套を羽織った男――セイバー、キング・ブラッドレイが静かに口を開く。

 

「さて、ロード・エルメロイ。時計塔まで引率を頼めるかね?」

 

 その声音は落ち着いていた。

 

 まるで、これから向かう先が、魔術世界最大の総本山ではなく、ただの戦場であるかのように。

 

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは鼻を鳴らした。

 

「フン。仮にもこの私が連れて行くのだ。戦友達よ、無礼な振る舞いは謹んでくれたまえ、」

 

 銀縁の眼鏡の奥の視線が、ゆっくりと一人へ向く。

 

「……特に、イスカンダル。貴様だ」

 

 ジロリ、と。

 

 露骨に睨まれたライダー――征服王イスカンダルは、一瞬きょとんとした後、豪快に笑った。

 

「ハッハッハ! 安心せよ坊主! 余は多少、声が大きいだけだ!」

 

「多少で済むものか!!」

 

 即座に怒鳴るケイネス。

 

 その様子に、張り詰めていた空気が僅かに緩む。

 

 焼け跡の中で、ソラウが肩を震わせながら笑った。

 

「ふふふ……ケイネス。あなたの口から“戦友”なんて言葉が聞けるなんてね」

 

 ケイネスは一瞬だけ言葉に詰まった。

 

「な……」

 

 誇り高き時計塔のロード。

 

 血統、格式、才能。

 

 それら全てを何より重んじていた男が、“戦友”などという、泥臭く感情的な言葉を使った。

 

 かつての彼なら有り得なかった。

 

 だが。

 

 ケイネスは小さく舌打ちしながら視線を逸らす。

 

「……勘違いするな。私は合理性を語っているだけだ」

 

「はいはい」

 

 ソラウは優しく笑った。

 

 その笑みに、ケイネスは居心地悪そうに眉を寄せる。

 

 だが、否定はしなかった。

 

 その光景を見ていたウェイバー・ベルベットは、どこか呆然としていた。

 

(ロード・エルメロイが……変わった)

 

 傲慢で、冷酷で、絶対に他者を認めなかった男。

 

 だが今の彼は違う。

 

 聖杯戦争という地獄を越え、生き残った者達を、確かに“同じ戦場を潜った者”として見ていた。

 

 イスカンダルが大きな手でウェイバーの頭を掴む。

 

「どうした坊主、呆けた顔をして」

 

「い、いや……その……」

 

「ハッハッハ! よいではないか! 人は戦を越えて変わる! それでこそ面白い!」

 

 豪快に笑う征服王。

 

 その隣では、ディルムッドが静かに目を細めていた。

 

「……不思議なものですな」

 

「何がだ、槍兵」

 

 ギルガメッシュが退屈そうに問う。

 

 ディルムッドは、崩れた屋敷を見渡した。

 

「本来なら、互いに殺し合っていた者達が、こうして並んで歩こうとしている」

 

「フン。雑種どもの馴れ合いだ」

 

 そう吐き捨てながらも、英雄王はその場を離れようとはしない。

 

 むしろ、玉座のように瓦礫へ腰掛け、愉快そうに眺めている。

 

 言峰綺礼が静かに口を開いた。

 

「だが、それでも必要なのだろう」

 

 全員の視線が神父へ向く。

 

「時計塔も、埋葬機関も、我々を放置はしない」

 

 その言葉は重かった。

 

 受肉した英霊。

 

 桁違いに変質した魔術師達。

 

 そして、黒泥を生き延びた異常者達。

 

 そんな存在を、魔術世界が黙認する筈がない。

 

 遠坂時臣が低く呟く。

 

「下手をすれば、“封印指定”程度では済まんな……」

 

「解剖、研究、拘束、永久監禁。時計塔ならやりかねん」

 

 切嗣が淡々と言った。

 

 その空気を断ち切るように、ブラッドレイが静かに歩き出す。

 

 軍靴が、焼け跡を鳴らした。

 

「だからこそ、先にこちらから赴く」

 

 赤い眼――“究極の眼”が細められる。

 

「受け身では、狩られるだけだ」

 

 その言葉には実感があった。

 

 かつて埋葬機関の処刑人として、異端を狩ってきた男だからこそ分かる。

 

 組織とは、“未知”を恐れる。

 

 そして恐れた未知は、必ず排除しようとする。

 

「こちらから交渉の席につき、“管理可能”だと思わせる必要がある」

 

 静かな声。

 

 だが、全員が耳を傾けていた。

 

「時計塔にはロード・エルメロイと遠坂時臣。埋葬機関には私と言峰神父」

 

 ブラッドレイは周囲を見回す。

 

「そして、万が一に備え、戦力は常に即応可能な状態を維持する」

 

 ギルガメッシュが口端を吊り上げた。

 

「クク……面白い。まるで戦争準備ではないか」

 

「実際、そうなる可能性は高い」

 

 ブラッドレイは即答した。

 

 誰も笑わなかった。

 

 死徒。

 

 時計塔。

 

 聖堂教会。

 

 この異常事態を狙う者は、これから無数に現れる。

 

 それでも。

 

 誰一人、逃げようとは言わなかった。

 

 イスカンダルが立ち上がり、豪快にマントを翻す。

 

「よし! ならば行くとするか!」

 

 征服王の笑い声が、冬空へ響く。

 

「時計塔だろうが埋葬機関だろうが、まとめて踏み越えてやる!!」

 

「だから貴様は少し静かにしろと言っているだろうが!!」

 

 再び怒鳴るケイネス。

 

 その怒声に、今度は何人かが本当に笑った。

 

 地獄を越えた者達の、小さな笑いだった。

 

 そして――。

 

 “戦友達”は、焼け落ちた遠坂邸を後にする。

 

魔術世界そのものと対峙する為に。

 

冬空を裂くように、一団はロンドンへ降り立った。

 

 空気が違う。

 

 湿った霧。

 石畳に染み付いた古い歴史。

 そして――街そのものに漂う、濃密な魔力。

 

 現代最大の魔術基盤。

 

 魔術師達の都、ロンドン。

 

 その地下深くに築かれた、魔術世界の総本山。

 

 時計塔。

 

 巨大な時計台が霧の向こうに姿を見せた瞬間、ウェイバーは無意識に息を呑んだ。

 

「ここが……時計塔……」

 

 かつて憧れ、同時に恐れていた場所。

 

 魔術師達の頂点。

 

 才能と血統が全てを支配する世界。

 

 だが、今の彼には以前とは違う感覚があった。

 

 隣には征服王イスカンダルがいる。

 背後には、聖杯戦争を生き抜いた“戦友達”がいる。

 

 もう、一人ではない。

 

 石畳を踏みしめながら、ケイネスが先頭を歩く。

 

 長い外套を翻し、その姿にはロードとしての威厳が戻っていた。

 

「よく覚えておけ」

 

 低い声が、一行へ向けられる。

 

「ここは戦場とは別種の地獄だ」

 

 振り返る。

 

 銀縁の眼鏡の奥にある瞳は、冷徹な魔術師のそれだった。

 

「時計塔では、実力だけではなく、血統、派閥、政治、伝統、その全てが絡む」

 

 ディルムッドが静かに目を細める。

 

「随分と面倒な場所ですな」

 

「面倒だからこそ、二千年も続いているのだ」

 

 遠坂時臣が答えた。

 

 彼の表情もまた、冬木で見せていた余裕ある貴族然としたものへ戻りつつある。

 

 だが。

 

 以前とは違う。

 

 その瞳には、確かな警戒と覚悟があった。

 

「時計塔は“未知”を嫌う」

 

 時臣は静かに続ける。

 

「受肉した英霊など、前代未聞だ。間違いなく、解剖と研究を望む者は現れる」

 

 その瞬間。

 

 ギルガメッシュの殺気が、僅かに漏れた。

 

 空気が軋む。

 

「……雑種風情が、我を解剖し研究するだと?」

 

 黄金の瞳が細まる。

 

 周囲の魔力が震えた。

 

 アーチャー一人の機嫌だけで、大気が変質する。

 

 ウェイバーが青ざめる。

 

 だが、ブラッドレイは淡々としていた。

 

「だからこそ、最初の対応が重要だ」

 

 軍人のような正確な歩調で歩きながら、彼は時計塔を見上げる。

 

「こちらを“制御不能な怪物”ではなく、“交渉可能な存在”だと認識させる必要がある」

 

「失敗した場合は?」

 

 切嗣が問う。

 

 ブラッドレイは即答した。

 

「戦争になる」

 

 誰も否定しなかった。

 

 それほどまでに、今の彼らは危険だった。

 

 サーヴァント達は完全受肉し、現界維持の制約を失った。

 

 マスター達も、聖杯の余波で異常な魔術回路を得ている。

 

 さらに。

 

 黒泥を浴びながら理性を保ったという事実。

 

 それ自体が、時計塔にとって理解不能な異常なのだ。

 

 イスカンダルが愉快そうに笑う。

 

「ハッハッハ! 良いではないか! 余は嫌いではないぞ、こういう空気は!」

 

「貴様は少し黙れ!!」

 

 即座に怒鳴るケイネス。

 

 だが以前ほどの険悪さはない。

 

 むしろ、長年の悪友に対するような疲労混じりの怒声だった。

 

 ソラウが小さく笑う。

 

「あなた、本当に変わったわね」

 

「変わらざるを得なかっただけだ」

 

 ケイネスは吐き捨てるように言った。

 

 その視線が、一瞬だけ後方へ向く。

 

 そこには、瓦礫と血と泥の地獄を共に越えた者達がいた。

 

 英雄。

 暗殺者。

 王。

 騎士。

 魔術師。

 処刑人。

 

 本来なら、決して並び立つ筈のない者達。

 

 だが今は違う。

 

 “戦友”。

 

 その言葉だけが、彼らを繋いでいた。

 

 やがて、一行は巨大なエレベーター前へ辿り着く。

 

 一般人には決して認識できない、結界で隠蔽された入口。

 

 時計塔へ続く門。

 

 そこには既に、複数の魔術師達が待機していた。

 

 全員、時計塔の実働部隊。

 

 礼装による武装。

 魔術刻印の励起。

 視線には露骨な警戒。

 

 そして。

 

 彼らは、一行を見た瞬間に凍り付いた。

 

「なっ――」

 

「馬鹿な……」

 

「サーヴァント……だと……?」

 

 彼らの顔色が変わる。

 

 当然だった。

 

 目の前にいるのは、“あり得ない存在”。

 

 完全受肉した英霊達。

 

 しかも。

 

 その中には。

 

「――英雄王ギルガメッシュ」

 

「征服王イスカンダル……!」

 

「フィオナ騎士団、ディルムッド……!」

 

 歴史そのものが、歩いている。

 

 さらに。

 

 先頭にはロード・エルメロイ。

 その隣には遠坂時臣。

 

 そして後方には。

 

 黒い軍服を纏った、片眼の男。

 

 ブラッドレイが静かに彼らを見る。

 

 その瞬間。

 

 時計塔側の魔術師数名が、本能的に一歩後退した。

 

 理解できない。

 

 なのに分かる。

 

 あの男は危険だ、と。

 

 埋葬機関の処刑人特有の、“死の気配”。

 

 ブラッドレイは静かに口を開いた。

 

「初めまして、時計塔諸君」

 

 低く、穏やかな声。

 

「少々、話し合いをしたくて来た」

 

 

 

 

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