時計塔の門前。
張り詰めていた空気の中、ブラッドレイは静かに肩を竦めた。
「ロード・エルメロイ、後は任せた」
その言葉に、ケイネスは苛立たしげに眉を寄せる。
「当然だ。だから余計な真似はするな」
「善処しよう」
ブラッドレイは平然と返した。
そして、ふと周囲へ視線を巡らせる。
赤い片眼――“究極の眼”が、霧の中を見通すように細められた。
「……それと、切嗣、言峰綺礼、ハサン」
静かな声が響く。
「君達は、そろそろ殺気を抑えて、影から出てきてくれ。余計に話しづらくなるだろう?」
その瞬間だった。
時計塔側の魔術師達が、一斉に凍り付く。
「……は?」
気付いていなかった。
誰一人。
そこに“居た”事に。
次の瞬間。
霧の奥、建物の影、街灯の上、石畳の隙間のような死角から――人影が現れる。
音もなく。
まるで最初からそこに存在していた亡霊のように。
衛宮切嗣。
言峰綺礼。
そして。
複数の“山の翁”――ハサン達。
百貌。
呪腕。
静謐。
そして名も無き影達。
完全に気配を絶っていた暗殺者達が、静かに姿を現した。
時計塔の魔術師達の顔色が、一瞬で青ざめる。
「な……っ」
「いつから……!?」
「馬鹿な、結界に一切反応が――」
理解が追いつかない。
時計塔の警備結界は、侵入者を感知する為のものだ。
だが。
彼らは、“最初からそこにいた”。
結界を潜ったのではない。
殺気も魔力も息遣いすら消し、認識から外れていた。
だから、感知できなかった。
ケイネスが額を押さえ、深々と溜息を吐いた。
「……貴様達、馬鹿か?」
心底疲れた声だった。
「頼むから大人しくしていてくれ……」
ロードとしての威厳より先に、本音が漏れている。
その言葉を聞いた瞬間。
イスカンダルが腹を抱えて笑い出した。
「ハッハッハッハ!! 良い顔だぞロード・エルメロイ!!」
隣では、ギルガメッシュまでもが口端を吊り上げる。
「ククク……貴様、本当に貧乏籤ばかり引く男だな」
「笑うな英雄王!!」
ケイネスが怒鳴る。
だが、その怒声すらどこか以前とは違っていた。
殺気立ったものではない。
半ば諦め混じりの、疲労した上官の声だ。
ソラウが肩を震わせる。
「ふふ……」
「ソラウ、君まで笑うのか!?」
「だって、あなた、本当に苦労人みたいになってるもの」
ウェイバーまで吹き出しそうになり、慌てて口を押さえる。
そんな彼らを見ながら、切嗣は煙草を咥え、淡々と呟いた。
「警戒されるのは想定済みだ。なら、先に見せておいた方がいい」
「脅迫の間違いではないかね?」
時臣が静かに突っ込む。
綺礼が無表情のまま答えた。
「大差ない」
「あるわ!!」
ケイネスの怒声が響いた。
時計塔の魔術師達は、もはや完全に混乱していた。
英霊。
埋葬機関級の戦士。
異常強化された魔術師。
さらに気配遮断の達人達。
その全員が、一つの集団として動いている。
悪夢だった。
しかも。
誰一人として、互いを警戒していない。
それが何より異常だった。
本来、英霊など制御不能な災害に等しい。
魔術師同士も利害で裏切り合う。
なのに目の前の集団には、妙な統一感があった。
血縁でもない。
主従でもない。
ただ。
同じ地獄を生き残った者達だけが持つ空気。
“戦友”。
その形容が、異様なほど似合っていた。
ブラッドレイが静かに前へ出る。
その軍靴の音だけで、空気が張り詰める。
「安心したまえ」
片眼の男は穏やかに言った。
「我々は、今日は殺しに来た訳ではない」
その一言に。
時計塔側の魔術師達は逆に背筋を凍らせた。
――“今日は”。
その含みが、あまりにも重かった。
沈黙が落ちた。
時計塔の門前。
霧に包まれた石畳の上で、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは、じとりとした目で“戦友達”を見渡した。
イスカンダルは愉快そうに笑っている。
ギルガメッシュは退屈そうに腕を組んでいる。
切嗣は煙草を咥えたまま。
綺礼は無表情。
ハサン達に至っては、また半分ほど影へ沈みかけていた。
ケイネスの額に青筋が浮かぶ。
(本当に、とんでもない連中を連れてきてしまった……)
ロードとしての理性が頭痛を訴えていた。
だが。
今さら後戻りはできない。
彼はゆっくりと息を吐く。
そして。
その瞬間、空気が変わった。
先程まで疲弊した苦労人の顔をしていた男が、一瞬で“時計塔十二君主”の一人へ戻る。
背筋が伸びる。
瞳に宿る光が変わる。
ロード・エルメロイ。
魔術世界最高峰の権力者。
その威圧感が、周囲の魔術師達を自然と黙らせた。
ケイネスは静かに口を開く。
「――ロード・エルメロイの名において命じる」
低く、よく通る声。
命令に慣れた者の声だった。
「各学部代表、並びに時計塔上位陣へ緊急通達」
周囲の魔術師達が姿勢を正す。
「本件は“聖杯戦争案件”を超える」
その一言で、空気が凍った。
時計塔において、“聖杯戦争”は極秘指定級の案件だ。
その責任者たるロードが、“それ以上”と断言した。
あり得ない事態だった。
ケイネスは続ける。
「各代表達を、私の工房へ招集せよ」
一拍。
「急げ」
命令が落ちた瞬間、時計塔の魔術師達が一斉に動いた。
「はっ!」
「伝令急げ!」
「降霊科へ連絡!」
「法政科にも至急通達!」
魔術通信が一斉に走る。
使い魔が飛ぶ。
術式回線が開かれる。
地下深くの時計塔全域へ、“異常事態”が拡散していく。
その光景を見ながら、ウェイバーは息を呑んでいた。
(これが……ロード……)
ケイネスは傲慢だ。
嫌味で、高慢で、面倒臭い。
だが。
今の姿には、確かに人を従わせる“格”があった。
隣のイスカンダルがニヤリと笑う。
「ほう。やるではないか坊主の師よ」
「当然だ」
ケイネスは鼻を鳴らした。
「私はロードだ。魔術師共を従わせる程度、出来なくてどうする」
その言葉には、揺るぎない自負があった。
ブラッドレイは静かに目を細める。
「頼もしい限りだ」
「フン。当然の役割分担だ」
ケイネスは外套を翻し、一行へ振り返る。
「いいか、貴様ら」
その視線は真剣だった。
「これから会うのは、時計塔でも特に厄介な連中だ」
時臣が静かに頷く。
「降霊科、天体科、法政科……派閥主義者の巣窟ですな」
「加えて、“利益”に飢えた魔術師共だ」
ケイネスは露骨に不快そうに言う。
「受肉した英霊など、連中からすれば“根源へ至る鍵”にしか見えん」
その言葉に、ディルムッドの表情が険しくなる。
「つまり、我々を奪おうとする者が出ると」
「間違いなく出る」
即答だった。
切嗣が静かに周囲を見渡す。
「なら、ここから先は実質敵地だな」
「最初からそう言っている」
ケイネスは疲れたように答えた。
だが。
その時だった。
ブラッドレイの“究極の眼”が、ふと上空を見た。
霧の遥か向こう。
時計塔上層部。
無数の視線。
観測。
探査。
解析。
既に、“見られている”。
魔術師達が、こちらを覗いている。
それも。
好奇心と恐怖を混ぜた目で。
ブラッドレイは静かに笑った。
「……なるほど」
「どうした、セイバー」
綺礼が問う。
ブラッドレイは時計塔を見上げたまま答える。
「歓迎は、随分と盛大らしい」
その瞬間。
時計塔上層から、強大な魔力反応が幾つも立ち上がった。
空気が震える。
まるで巨大な獣達が、一斉に目を覚ましたかのように。
時計塔上層部。
霧の奥で幾つもの魔力が脈動している。
観測。
探査。
威圧。
牽制。
中には、明確な“敵意”すら混じっていた。
その空気を、“究極の眼”で見通したブラッドレイは、小さく口端を吊り上げる。
「……随分、好戦的な者も居るようだな?」
その声音は穏やかだった。
だが。
彼の片眼は、既に幾つもの狙撃地点、結界の綻び、伏兵位置を把握していた。
もし戦闘になれば。
どこから誰が動き、誰が最初に死ぬか。
既に計算済みだった。
ケイネスは眉を顰める。
「当然だ。時計塔は巨大組織だぞ」
苛立ち混じりに外套を翻した。
「慎重派も居れば、武闘派も居る。貴様らのような“未知”を見れば、力尽くで確保したがる馬鹿も出る」
「魔術師らしい」
切嗣が皮肉げに呟く。
「合理的だろう?」
「狂ってるだけだ」
即答だった。
ケイネスは一瞬だけ不快そうに目を細めたが、否定はしない。
むしろ、小さく鼻を鳴らした。
「……否定できんな」
そのやり取りに、イスカンダルが豪快に笑う。
「ハッハッハ! 良いではないか! 力ある者に群がるのは人の常よ!」
「征服王だから言える台詞だな」
ウェイバーが疲れた声で言う。
その隣で、ギルガメッシュは退屈そうに天を仰いでいた。
「雑種共の視線など鬱陶しいだけだ」
黄金の王の周囲で、空間が僅かに軋む。
不機嫌になれば、即座に宝具が飛びかねない。
ケイネスの胃が痛くなった。
(本当に、どうしてこうなった……)
ロード・エルメロイとしての威厳を保ちながら、内心では頭を抱えている。
だが。
ブラッドレイはそんな空気を意に介さず、静かにケイネスへ視線を向けた。
「まぁ、それよりも――」
軍服の男は、穏やかに言う。
「工房まで案内を頼むよ、ロード・エルメロイ」
一瞬。
ケイネスは少しだけ目を見開いた。
“ロード・エルメロイ”。
それは敬称だった。
皮肉でも侮蔑でもなく。
純粋に、対等な責任者として扱う声音。
聖杯戦争の最中。
誰も彼をそんな風には扱わなかった。
才能ある魔術師。
傲慢な貴族。
鼻持ちならないロード候補。
そういう目ばかりだった。
だが今。
地獄を越えた処刑人は、真正面から彼を“指揮官”として見ている。
ケイネスは数秒黙った後、フンと鼻を鳴らした。
「当然だ」
外套を翻す。
「ついてこい。私の工房は、この時計塔でも最高峰の設備を誇る」
その言葉に、ソラウが小さく笑う。
「自慢は忘れないのね」
「事実を言っているだけだ」
「はいはい」
その空気に、僅かな緩みが生まれる。
だが。
時計塔側の魔術師達は違った。
彼らは困惑していた。
理解できない。
なぜ、あの危険極まりない集団が、こんなにも自然に会話しているのか。
英霊と魔術師。
代行者と暗殺者。
王と処刑人。
本来なら決して交わらない存在達。
なのに。
その背中には、奇妙な信頼感があった。
“戦友”。
その言葉が脳裏を過る。
ケイネスは先頭を歩き始める。
時計塔内部へ続く巨大な回廊。
古い石壁には無数の術式が刻まれ、空間そのものが魔術工房となっている。
進む度に、視線が増えていく。
学生。
講師。
封印指定執行者。
各学部の魔術師達。
彼らは皆、足を止めていた。
受肉した英霊達を見ている。
生ける伝説。
神話。
英雄そのもの。
「本当に……サーヴァントなのか……」
「有り得ない……」
「魔力反応が人間と完全に融合している……」
「どうやって現界維持を……」
ざわめきが広がる。
そして。
その視線は次第に、“研究対象を見る目”へ変わり始めていた。
ブラッドレイの片眼が、静かに細まる。
ギルガメッシュも気付いていた。
イスカンダルも。
切嗣も。
綺礼も。
この場所は、平和な学び舎ではない。
欲望の巣窟だ。
根源へ至る為なら、人間性すら切り捨てる者達の国。
その中心を、一行は歩いている。
そしてその時。
回廊の奥から、一人の老魔術師が現れた。
深い紫のローブ。
無数の魔術刻印。
鋭い眼光。
ただ歩くだけで、周囲の空気が重くなる。
時計塔上位者。
間違いなく、ロード級に近い怪物。
老魔術師は、一行を見た瞬間――。
ギルガメッシュで止まり。
イスカンダルで止まり。
最後に、ブラッドレイを見て、目を細めた。
「……なるほど」
低い声が響く。
「確かに、“聖杯戦争程度”では済まんな、これは」
無数の視線。
回廊の上層。
観測窓。
魔術礼装越しの監視。
使い魔の眼。
時計塔そのものが、一行を観察していた。
受肉した英霊。
異常変質した魔術師。
黒泥を越えた生存者達。
それは、魔術世界にとって“未知の塊”だった。
そして魔術師は、未知を前にすると二つの顔を見せる。
恐怖か。
好奇心か。
今、一行へ向けられているのは、その両方だった。
ブラッドレイは周囲を見渡し、小さく肩を竦める。
「……流石に、こういった視線は慣れんな」
片眼の男は、可笑しそうに笑った。
「まるで見世物だな」
その言葉に、周囲の時計塔魔術師達が僅かに表情を強張らせる。
図星だった。
彼らは警戒している。
恐れている。
だが同時に、“観察”していた。
希少な幻想種を見るように。
未知の標本を見るように。
ギルガメッシュが鼻で笑う。
「当然だ雑種共。貴様らは檻の外から獅子を眺めているつもりなのだろう」
黄金の瞳が細まる。
「だが実際は逆だ」
その瞬間、空気が軋んだ。
魔術師達が息を呑む。
たった一言。
それだけで、圧力が生まれる。
王とは、それだけで世界を塗り替える存在だ。
イスカンダルは豪快に笑った。
「ハッハッハ! 良いではないか! これほどの英雄達が揃っておるのだ! 目立つのも当然よ!」
「お前は少し静かにしていろ」
切嗣が即座に返す。
「む? 何故だ?」
「余計に目立つ」
「既に十分目立ってんだよ!」
ウェイバーが半泣きで叫んだ。
そのやり取りに、何人かの時計塔魔術師が呆気に取られる。
(……本当に、サーヴァントか?)
伝説の英雄達。
本来なら、人類史に刻まれる超常存在。
だが彼らは今、妙に“人間臭い”。
笑い。
呆れ。
軽口を叩き合っている。
その異様さが、逆に現実感を狂わせる。
老魔術師が静かにブラッドレイを見る。
「君は随分と落ち着いているな、セイバー」
低い声。
「時計塔に来れば、こうなる事は予測していただろう?」
ブラッドレイは歩みを止めず答えた。
「当然だ」
迷いのない即答。
「私は元々、“異端を見る側”の人間だったのでね」
その一言で、空気が変わる。
埋葬機関。
その単語こそ出なかったが、上位魔術師達は即座に理解した。
――この男は、“狩る側”だった。
研究対象ではない。
怪物処理の専門家。
しかも。
その視線には、時計塔そのものへの警戒と分析があった。
老魔術師の目が細まる。
「……なるほど。君が“あの埋葬機関”の人間か」
「元、だよ」
ブラッドレイは軽く笑った。
「既に退職、いや殉職した身だな」
「それで済む組織ではあるまい」
「違いない」
その返答に、老魔術師は一瞬だけ口元を歪めた。
笑ったのだ。
時計塔の怪物が。
周囲の若い魔術師達が息を呑む。
あり得ない光景だった。
だが。
彼ら上位者は理解していた。
目の前の片眼の男は、“危険”だ。
単純な戦闘能力だけではない。
経験。
精神性。
覚悟。
黒泥を浴びても壊れなかった理由が、会話だけで伝わってくる。
そして何より。
この異常集団の中心に居る。
王達ですら、自然と彼を軸に動いている。
それが恐ろしかった。
ケイネスが苛立たしげに振り返る。
「いい加減、廊下で立ち話をするな」
彼は周囲の視線を睨みつけた。
「貴様らも見るな! 散れ!」
ロードの怒声が響いた瞬間、周囲の学生達が慌てて散っていく。
だが、それでも視線は消えない。
遠巻きに観察している。
噂は既に時計塔中を駆け巡っていた。
“受肉した英霊達が来た”。
その事実は、間違いなく魔術世界を揺るがす。
そして。
彼らが進む先――ロード・エルメロイの工房。
そこでは既に。
時計塔各派閥の代表達が集まり始めていた。