冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第75話

時計塔の深部へ進むにつれ、空気が変わっていった。

 

 最初に感じたのは、“静けさ”だった。

 

 先程まであれほど騒がしかった視線やざわめきが、徐々に消えていく。

 

 学生達の姿も減る。

 好奇心に満ちた魔術師達の視線も遠のく。

 

 代わりに増えていくのは――沈黙。

 

 重く。

 冷たく。

 研ぎ澄まされた空気。

 

 ウェイバーが無意識に息を呑んだ。

 

「……なんだ、ここ」

 

 先程までの時計塔とは別世界だった。

 

 廊下の構造そのものが変わっている。

 

 古い石壁には、幾重もの術式。

 床には魔力回路。

 天井には自律型の監視礼装。

 

 そして何より。

 

 “生きている”。

 

 空間そのものが、巨大な魔術工房として機能していた。

 

 ケイネスは歩みを止めず、淡々と言う。

 

「当然だ。ここから先は、ロード級工房区画だ」

 

 その声音には、僅かな誇りが滲んでいた。

 

「時計塔でも最重要区域。各ロードの工房が並ぶ」

 

 時臣が静かに目を細める。

 

「……なるほど。これは確かに、並の結界ではありませんな」

 

「当然だ」

 

 ケイネスは即答した。

 

「ここで研究される魔術は、国家を滅ぼしかねん代物ばかりだからな」

 

 その瞬間。

 

 イスカンダルが愉快そうに笑う。

 

「ハッハッハ! 相変わらず物騒な場所よ!」

 

「お前にだけは言われたくない」

 

 ケイネスが即座に返す。

 

 だが。

 

 笑い声は長く続かなかった。

 

 進めば進むほど、“気配”が増えていくからだ。

 

 視線ではない。

 

 もっと鋭いもの。

 

 殺気。

 探査。

 測定。

 

 ロード級魔術師達が、“見ている”。

 

 ギルガメッシュが退屈そうに鼻を鳴らす。

 

「フン。雑種共、随分と臆病ではないか」

 

 だが、その黄金の瞳は笑っていなかった。

 

 王は理解している。

 

 今こちらを観測しているのは、“雑魚”ではない。

 

 時計塔上層。

 

 怪物達だ。

 

 ブラッドレイの片眼が静かに細まる。

 

(……なるほど)

 

 感じる。

 

 工房一つ一つが、要塞だ。

 

 しかも、単純な武力だけではない。

 

 侵入者を閉じ込める結界。

 魂魄干渉。

 空間断裂。

 自律迎撃術式。

 

 一歩間違えれば、英霊ですら封じ込められかねない。

 

 それほどの技術が、この地下には蓄積されている。

 

 切嗣が低く呟く。

 

「……本気で戦争するつもりなら、厄介だな」

 

「だから避ける為に来たのだ」

 

 ケイネスは疲れたように答えた。

 

 その時だった。

 

 不意に。

 

 ハサン達が、一斉に気配を変えた。

 

 影へ沈むような構え。

 

 綺礼も僅かに目を細める。

 

 ブラッドレイは立ち止まらないまま口を開いた。

 

「右上、三」

 

「左後方、二」

 

「正面奥、一」

 

 淡々とした声。

 

 その直後。

 

 空間が僅かに揺れた。

 

 観測用の使い魔達が、慌てたように結界の向こうへ退避していく。

 

 ウェイバーが青ざめた。

 

「今のって……」

 

「覗き見だ」

 

 切嗣が短く答える。

 

「しかも相当高位の」

 

 ケイネスが深々と溜息を吐く。

 

「……あの馬鹿共」

 

 ロードの額に青筋が浮かぶ。

 

「だから刺激するなと言っただろうが……」

 

「刺激しているつもりはない」

 

 ブラッドレイは平然と言った。

 

「ただ、“見えている”だけだ」

 

 その一言に。

 

 周囲の空気が、一瞬だけ凍った。

 

 ロード級の隠蔽術式。

 

 それを、“見えている”と言ったのだ。

 

 しかも自然に。

 

 老魔術師が低く唸る。

 

「……化け物め」

 

「お互い様だろう?」

 

 ブラッドレイは可笑しそうに笑った。

 

 そして。

 

 更に奥へ進んだ時――。

 

 空気が変質した。

 

 まるで、海の底へ潜ったような圧迫感。

 

 濃密すぎる魔力。

 

 空間そのものが、完全に別物へ変わる。

 

 ケイネスが立ち止まる。

 

「着いたぞ」

 

 重厚な扉。

 

 銀と蒼で構成された巨大術式門。

 

 その表面を流れる魔力だけで、並の魔術師なら膝をつく。

 

 ロード・エルメロイの工房。

 

 時計塔でも最高位に属する、完全独立型要塞工房。

 

 ケイネスは振り返る。

 

 その顔には、先程までの疲弊は無かった。

 

 あるのは、“ロード”としての威厳だけ。

 

「――ここから先は、私の領域だ」

 

 その瞬間。

 

 巨大な門が、重々しく開き始めた。

 

重厚な術式門が、低い駆動音と共に開いていく。

 

 そして――。

 

 一行は、ロード・エルメロイの工房へ足を踏み入れた。

 

 その瞬間。

 

 空気が変わった。

 

 否。

 

 世界そのものが変わった。

 

 ウェイバーは息を止めた。

 

「――っ」

 

 言葉が出ない。

 

 目の前に広がっていたのは、“工房”などという単語で済ませて良い空間ではなかった。

 

 巨大な球状空間。

 

 天井は見えないほど高く、無数の魔術式が星空のように浮遊している。

 

 蒼銀の魔力光が、空間全体を静かに照らしていた。

 

 空中を自律稼働する演算礼装。

 幾重にも展開された多重結界。

 浮遊する水銀。

 無数の魔術基盤。

 

 それら全てが、寸分の狂いもなく同期している。

 

 まるで巨大な知性生命。

 

 いや。

 

 “神経網”だった。

 

 工房そのものが、一人の超高位魔術師の脳を具現化したかのような空間。

 

 時臣が静かに息を吐く。

 

「……これは……」

 

 遠坂の当主ですら絶句していた。

 

 魔術師として理解できる。

 

 この空間に投入された時間。

 資材。

 技術。

 才能。

 

 その全てが、常軌を逸している。

 

 ディルムッドが呆然と周囲を見渡す。

 

「これが……現代魔術の頂点……」

 

 切嗣でさえ、僅かに目を細めた。

 

 兵器だ。

 

 これは工房ではない。

 

 一つの国家級戦略兵装。

 

 侵入者を殺し。

 解析し。

 封印し。

 殲滅する。

 

 それを可能にするだけの術式密度が、この空間には存在していた。

 

 ハサン達が、無意識に影へ沈みかける。

 

 本能が警鐘を鳴らしている。

 

 ここは危険だ、と。

 

 綺礼が静かに呟く。

 

「……なるほど。これならば、“ロード”を名乗る資格はある」

 

 その声には、珍しく純粋な感心が混じっていた。

 

 そして。

 

 ブラッドレイは、ゆっくりと周囲を見渡した。

 

 “究極の眼”が空間構造を解析していく。

 

 多重防壁。

 擬似生命型術式。

 対霊体結界。

 対幻想種封印。

 

 隙がない。

 

 いや。

 

 隙そのものを、存在させない構築。

 

 片眼の男は、小さく笑った。

 

「……大したものだ」

 

 その言葉は、本心だった。

 

 軍人として。

 処刑人として。

 戦場を知る者として理解できる。

 

 これは、天才の仕事だ。

 

 努力だけでは辿り着けない。

 血統だけでも足りない。

 

 圧倒的な才能と執念。

 

 その結晶。

 

 そして――。

 

 黄金の王が、静かに空間を見上げていた。

 

 ギルガメッシュ。

 

 あらゆる宝を見てきた最古の英雄王。

 

 その彼ですら、数秒沈黙していた。

 

 ウェイバーは信じられない思いで王を見る。

 

「ライダー……今、アーチャーが黙ってる……」

 

「うむ。珍しいな」

 

 イスカンダルまで感心したように頷く。

 

 ギルガメッシュは暫く無言だった。

 

 やがて。

 

 黄金の瞳を細め、静かに口を開く。

 

「……フン」

 

 いつものように傲慢な声音。

 

 だが。

 

 そこには、確かに“認める”響きがあった。

 

「雑種にしては、悪くない」

 

 空気が止まった。

 

 時計塔側の魔術師達が目を見開く。

 

 英雄王ギルガメッシュが。

 

 他者を。

 

 それも現代の魔術師を。

 

 “認めた”。

 

 それがどれほど異常な事か。

 

 その場にいる全員が理解していた。

 

 ケイネス本人だけが、腕を組みながら当然のように鼻を鳴らす。

 

「当然だ」

 

 まるで褒め言葉を受け取る気すらない。

 

「私の工房だぞ?」

 

 ソラウが思わず吹き出した。

 

「もう少し照れなさいよ」

 

「何故だ? 事実だろう」

 

 本気で分かっていない。

 

 ウェイバーは頭を抱えた。

 

(この人、本当にこういう人なんだな……)

 

 だが。

 

 だからこそ理解できる。

 

 この男は、紛れもなく天才だ。

 

 傲慢で。

 面倒で。

 嫌味で。

 

 それでも。

 

 魔術師としては、本物。

 

 その時。

 

 工房奥の巨大魔術陣が、低く脈動した。

 

 時計塔各派閥の代表達が、次々と転移してくる。

 

 降霊科。

 法政科。

 天体科。

 創造科。

 

 時計塔上層部。

 

 怪物達が、集まり始めた。

 

工房中央の巨大魔術陣が、低く脈動する。

 

 蒼い光。

 赤い光。

 紫電のような魔力。

 

 転移術式が連続起動し、空間が歪む。

 

 そして――。

 

 時計塔の“頂点”達が、姿を現し始めた。

 

 降霊科。

 法政科。

 天体科。

 創造科。

 全体基礎科。

 鉱石科。

 

 各学部の代表。

 上位講師。

 君主代理。

 古参の怪物達。

 

 一人一人が、国家級魔術師。

 

 並の魔術師なら、同じ空間に立つだけで呼吸を乱す。

 

 それほど濃密な魔力。

 

 それほど重い圧力。

 

 ウェイバーは、思わず喉を鳴らした。

 

(なんだ……これ……)

 

 空気が重い。

 

 いや、違う。

 

 “世界”が軋んでいる。

 

 超高位魔術師達の魔力がぶつかり合い、工房内部の空間そのものへ負荷を掛けていた。

 

 並の人間なら、立っているだけで精神が壊れる。

 

 それほどの領域。

 

 そして。

 

 その怪物達が、一斉に“戦友達”へ視線を向けた。

 

 観察。

 測定。

 解析。

 

 肌を刺すような視線だった。

 

 ディルムッドが僅かに槍へ手を伸ばす。

 

 本能が告げている。

 

 目の前の老人達は、“危険”だと。

 

 イスカンダルでさえ笑みを消していた。

 

「……ほう」

 

 征服王の隻眼が細まる。

 

「これは中々」

 

 ギルガメッシュも静かに座したまま、黄金の瞳を細めている。

 

 余裕は崩れていない。

 

 だが。

 

 王は理解していた。

 

 この場の魔術師達は、“弱者”ではない。

 

 神代には及ばずとも、二千年積み上げた現代魔術の怪物達。

 

 真正面から戦えば、流石の英霊達でも無傷では済まない。

 

 切嗣が低く呟く。

 

「……冗談みたいな空間だ」

 

「違うな」

 

 ブラッドレイが静かに言った。

 

「これが、“魔術世界”の本当の姿だ」

 

 片眼の男は、落ち着いていた。

 

 だが、“究極の眼”は休まず動いている。

 

 視線。

 癖。

 呼吸。

 術式起動準備。

 

 誰が武闘派か。

 誰が政治家か。

 誰が研究者か。

 

 一瞬で見抜いていく。

 

 そして結論する。

 

(……厄介だな)

 

 単純な戦闘能力ではない。

 

 この場の怪物達は、“知性”を持っている。

 

 それが何より危険だった。

 

 老魔術師の一人が、ゆっくりと口を開く。

 

「……成程」

 

 深い皺の刻まれた顔。

 濁ったようでいて、底知れぬ瞳。

 

「確かに、“異常事態”だ」

 

 別の女魔術師が、興味深そうにギルガメッシュを見る。

 

「完全受肉……霊基固定……肉体との完全融合……」

 

 声が震えていた。

 

「有り得ない……」

 

 その瞬間。

 

 空気が、僅かに軋む。

 

 ギルガメッシュが視線だけを向けたのだ。

 

 たったそれだけで、女魔術師の背筋に冷汗が走る。

 

「――見るな、雑種」

 

 低い声。

 

 王の圧。

 

 女魔術師は思わず息を止めた。

 

 だが。

 

 別の代表者が前へ出る。

 

 壮年の男。

 

 法政科上位。

 

 政治闘争で名を馳せた怪物。

 

「ロード・エルメロイ」

 

 男の声は冷静だった。

 

「これはどういう事だ?」

 

 その瞬間。

 

 工房全体の視線が、ケイネスへ集中する。

 

 圧力が変わる。

 

 先程までは、“観察”。

 

 今は、“審問”。

 

 ロードとしての責任を問われている。

 

 だが。

 

 ケイネスは一切怯まなかった。

 

 当然のように一歩前へ出る。

 

 その姿勢には、絶対的な自負があった。

 

「見ての通りだ」

 

 銀縁眼鏡の奥の瞳が、真っ直ぐ代表達を見る。

 

「聖杯戦争は終結した」

 

 静かな声。

 

 だが工房中へ響き渡る。

 

「その結果として、彼らは完全受肉を果たした」

 

 ざわめきが広がる。

 

 誰も信じていない。

 

 いや、信じたくない。

 

 それは魔術世界の常識を根底から覆す現象だからだ。

 

 だが。

 

 現実として、そこにいる。

 

 神話の英雄達が。

 

 “人間”として。

 

 そして。

 

 ケイネスは、次の言葉を告げた。

 

「加えて――」

 

 一拍。

 

「彼らは、我々の“敵”ではない」

 

 その瞬間。

 

 空気が、凍った。

 

 明確な殺気が幾つも立ち上がる。

 

 時計塔の怪物達が、本気で反応したのだ。

 

 それを感じ取り。

 

 戦友達もまた、静かに気配を変えた。

 

 イスカンダルが笑みを消す。

 ディルムッドが槍へ触れる。

 ハサン達が影へ沈む。

 切嗣の指が僅かに動く。

 

 そして。

 

 ブラッドレイの片眼が、静かに細まった。

 

 ほんの僅か。

 

 それだけで。

 

 工房内部の空気が、一段階冷え込んだ。

 

凍り付いた空気。

 

 時計塔上層部の怪物達と、“戦友達”の殺気が正面から噛み合い、工房内部の空間が軋む。

 

 一触即発。

 

 あと僅かでも均衡が崩れれば、戦闘になる。

 

 その瞬間だった。

 

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが、一歩前へ出た。

 

 静かに。

 

 だが、迷いなく。

 

 ロードとしてではない。

 

 その背中は、もっと別の何かだった。

 

 ケイネスは周囲を見渡す。

 

 時計塔の代表達。

 怪物達。

 権力者達。

 

 そして後ろには、聖杯戦争を共に潜り抜けた“戦友達”。

 

 彼は静かに口を開いた。

 

「……ロード・エルメロイとしてではなく」

 

 低い声が、工房全体へ響く。

 

「あの地獄を共に生き抜いた、“戦友”として話そう」

 

 その言葉に、空気が僅かに揺れた。

 

 法政科の魔術師が眉を顰める。

 

「戦友、だと?」

 

 ケイネスは構わず続けた。

 

「この場に居るのは、汚染された聖杯を、人類悪に呑まれながらも破壊し――世界を救った英雄達だ」

 

 一拍。

 

「無論、私も含めてだ」

 

 その声音には、誇りがあった。

 

 傲慢ではない。

 

 生還者としての誇り。

 

 黒泥。

 狂気。

 死。

 

 それらを越えてなお、立っている者だけが持つ重み。

 

 時計塔側の怪物達が沈黙する。

 

 彼らは感じ取っていた。

 

 この男は、以前のケイネスではない。

 

 地獄を見た人間の目をしている。

 

 ケイネスは更に続けた。

 

「我々は、この場に“戦友”として参上した」

 

 その言葉と共に。

 

 後方の英霊達が静かに立つ。

 

 ギルガメッシュ。

 イスカンダル。

 ディルムッド。

 ハサン達。

 

 神話そのもの。

 

 人類史の英雄達。

 

 その全員が、今は同じ側にいる。

 

 あり得ない光景だった。

 

 ケイネスは、真っ直ぐ時計塔代表達を見る。

 

「我々の願いは、ただ一つ」

 

 工房が静まり返る。

 

「――干渉するな」

 

 空気が張り詰めた。

 

「ただ、それだけだ」

 

 簡潔。

 

 だが、その言葉は重かった。

 

 研究対象として見るな。

 利用しようとするな。

 拘束しようとするな。

 

 自由に生きる。

 

 それだけを求めている。

 

 そして。

 

 ケイネスは最後に、静かに言った。

 

「もし敵対するならば――」

 

 その瞬間。

 

 後方の空気が変わる。

 

 ギルガメッシュの黄金の瞳が開く。

 

 イスカンダルの笑みが獰猛に歪む。

 

 ハサン達が影へ沈み。

 

 切嗣と綺礼の視線が鋭くなる。

 

 そして。

 

 ブラッドレイの“究極の眼”が、静かに全員を見据えた。

 

 殺気ではない。

 

 もっと冷たい何か。

 

 “覚悟”。

 

 ケイネスは続ける。

 

「この私も含めて」

 

 ロード・エルメロイの魔力が、静かに工房へ満ちる。

 

「後ろに居る、頼もし過ぎる戦友達を相手にすることになる」

 

 重かった。

 

 脅しではない。

 

 事実だ。

 

 もしここで戦争になれば。

 

 時計塔は勝てても、無傷では済まない。

 

 いや。

 

 最悪、ロンドンそのものが消し飛ぶ。

 

 それだけの戦力が、今ここに集まっている。

 

 そして最後に。

 

 ケイネスは、静かに締め括った。

 

「……それを伝えに来た」

 

 沈黙。

 

 絶対的な沈黙だった。

 

 時計塔の怪物達は、誰も口を開けなかった。

 

 何故なら。

 

 理解してしまったからだ。

 

 目の前の集団は、単なる受肉英霊ではない。

 

 “軍”だ。

 

 しかも。

 

 互いを本気で信頼している。

 

 それが何より恐ろしかった。

 

 法政科の壮年魔術師が、ゆっくりと息を吐く。

 

「……成程」

 

 その額には、薄く汗が浮かんでいた。

 

「つまり、これは“交渉”か」

 

 ブラッドレイが静かに口端を吊り上げる。

 

「違うな」

 

 片眼の男は、穏やかに言った。

 

「これは、“確認”だ」

 

 その瞬間。

 

 工房内の空気が、更に重く沈んだ。

 

重苦しい沈黙。

 

 工房内には、なお緊張が張り詰めていた。

 

 時計塔上層部の怪物達は、誰一人として油断していない。

 

 彼らは理解していた。

 

 今、自分達は歴史の分岐点に立っている。

 

 ここで対応を誤れば。

 

 時計塔と受肉英霊達による全面戦争すら有り得る。

 

 そんな中。

 

 静かな声が響いた。

 

「……私が話してもいいかね? ケイネス」

 

 全員の視線が向く。

 

 キング・ブラッドレイ。

 

 黒い軍服。

 片眼の男。

 

 その姿には、不思議な静けさがあった。

 

 だが。

 

 その静けさこそが、この場で最も恐ろしかった。

 

 ケイネスは数秒、ブラッドレイを見た。

 

 そして、小さく鼻を鳴らす。

 

「……好きにしろ」

 

 そう言った後、僅かに口元を歪めた。

 

「どうせ、この場で最も“こういう交渉”に慣れているのは貴様だ」

 

 その言葉に、時計塔側の数名が反応する。

 

 埋葬機関。

 

 番外次席。

 

 異端審問と死徒狩りを専門とした処刑人。

 

 つまり――。

 

 “化け物と交渉し、必要なら殺してきた男”。

 

 ブラッドレイは静かに前へ出る。

 

 軍靴が、硬い床を鳴らした。

 

 それだけで。

 

 何人かの魔術師が、無意識に身構える。

 

 片眼の男は、それに気付いていた。

 

 だが、敢えて何も言わない。

 

 ただ、穏やかに周囲を見渡す。

 

「まず、誤解を解いておこう」

 

 低く落ち着いた声。

 

「我々は、時計塔を潰しに来た訳ではない」

 

 その言葉に、数名が僅かに安堵する。

 

 だが。

 

 ブラッドレイは続けた。

 

「無論、潰せないとも言わんがね」

 

 空気が凍った。

 

 ギルガメッシュが愉快そうに笑う。

 

「クク……言うではないか、セイバー」

 

 イスカンダルも豪快に笑う。

 

「ハッハッハ! 実に分かりやすい!」

 

 ケイネスが額を押さえた。

 

「頼むから少しは穏便に話せ……!」

 

 だが。

 

 ブラッドレイの表情は真剣だった。

 

「事実確認だよ、ロード・エルメロイ」

 

 その赤い眼が、時計塔上層部を見据える。

 

「こちらが隠し立てをしても意味がない。諸君らも理解しているだろう?」

 

 沈黙。

 

 誰も否定できない。

 

 もし戦闘になれば。

 

 時計塔もただでは済まない。

 

 それが分かる程度には、ここにいる全員が怪物だった。

 

 ブラッドレイは続ける。

 

「我々は、既に普通の人間ではない」

 

 その言葉は静かだった。

 

「英霊は受肉し、マスター達も変質した」

 

 切嗣。

 綺礼。

 時臣。

 ケイネス。

 

 彼らの魔術回路は、既に人間の域を越え始めている。

 

「更に、我々は“あの泥”を越えている」

 

 空気が僅かに重くなる。

 

 黒泥。

 

 人類悪。

 

 それを知る者達の表情が変わる。

 

「つまり」

 

 ブラッドレイは穏やかに言った。

 

「今後、時計塔、聖堂教会、死徒二十七祖……その他諸々から狙われる」

 

 断言だった。

 

 そして。

 

 それは真実だ。

 

 研究。

 利用。

 解剖。

 封印。

 

 欲する者は必ず現れる。

 

 ブラッドレイは、ゆっくりと視線を巡らせる。

 

「だからこそ、最初に線引きをしに来た」

 

 工房が静まり返る。

 

「こちらから敵対するつもりはない」

 

 一拍。

 

「だが、生存権を侵害されるなら――容赦はしない」

 

 その瞬間。

 

 “戦友達”の気配が、静かに変わった。

 

 派手な殺気ではない。

 

 もっと重いもの。

 

 覚悟。

 

 ギルガメッシュが王座のように椅子へ腰掛ける。

 

 イスカンダルは獰猛に笑う。

 

 ディルムッドは静かに槍へ触れた。

 

 ハサン達の影が揺らぐ。

 

 切嗣は無言。

 綺礼は沈黙。

 

 そして。

 

 ケイネスすら、自然にブラッドレイの隣へ立っていた。

 

 時計塔の怪物達は理解する。

 

 この集団は、“本物”だ。

 

 単なる利害関係ではない。

 

 互いに背中を預ける覚悟がある。

 

 それが、何より危険だった。

 

 ブラッドレイは最後に、小さく笑った。

 

「……とはいえ、出来れば穏便に済ませたい」

 

 その言葉に。

 

 何故かその場の全員が思った。

 

 ――この男、本気で穏便のつもりなのかもしれない、と。

 

ブラッドレイの言葉が、工房に静かに沈んでいく。

 

「……返答を聞こうか?」

 

 片眼の男は、時計塔上層部を真っ直ぐ見据えた。

 

「個人ではなく――」

 

 一拍。

 

「時計塔の魔術師としての“総意”を聞きたい」

 

 沈黙。

 

 重苦しい沈黙だった。

 

 誰も即答できない。

 

 それほどまでに、この問題は巨大だった。

 

 完全受肉した英霊。

 変質したマスター達。

 人類悪を越えた生存者。

 

 どれも、時計塔の歴史に存在しない。

 

 前例が無い。

 

 つまり。

 

 対応方法も存在しない。

 

 法政科の壮年魔術師が、ゆっくりと息を吐く。

 

「……難しい問いだ」

 

「だろうな」

 

 ブラッドレイは即答した。

 

「だからわざわざ、こちらから来た」

 

 もし彼らが潜伏を選んでいたら。

 

 時計塔は間違いなく、より最悪の事態を想定しただろう。

 

 封印指定。

 追跡。

 討伐。

 

 だが今、彼らは自ら姿を見せている。

 

 それは、“交渉の意思”だった。

 

 老魔術師が静かに杖を鳴らす。

 

「確認したい」

 

 濁った瞳が、ブラッドレイを見る。

 

「君達は、本当に“敵意がない”のだな?」

 

 その瞬間。

 

 ギルガメッシュが鼻で笑った。

 

「質問が矮小だな雑種」

 

 黄金の瞳が細まる。

 

「我らは“敵意がない”のではない」

 

 空気が軋む。

 

「“その気になればいつでも滅ぼせるが、今はその必要を感じていない”だけだ」

 

 何人かの魔術師が顔を強張らせる。

 

 暴君。

 

 まさしく英雄王そのものの物言い。

 

 だが。

 

 誰も反論できなかった。

 

 イスカンダルが豪快に笑う。

 

「ハッハッハ! 実に分かりやすいではないか!」

 

「分かりやす過ぎて胃が痛い……」

 

 ケイネスが頭を抱えた。

 

 その時。

 

 天体科の女魔術師が、静かに前へ出た。

 

 若く見える。

 だが、その瞳は千年単位の執念を感じさせた。

 

「……ならば、こちらも率直に言おう」

 

 彼女の声に、工房が静まる。

 

「時計塔は、君達を危険視している」

 

 真正面からの宣言だった。

 

 ウェイバーが息を呑む。

 

 だが女魔術師は続ける。

 

「当然だ。君達は未知だ」

 

 受肉した英霊。

 異常進化した魔術回路。

 黒泥耐性。

 

「研究価値は計り知れない」

 

 その言葉に、何人かの戦友達の空気が冷えた。

 

 ハサン達の影が揺らぐ。

 

 ディルムッドが静かに槍へ触れる。

 

 だが。

 

 女魔術師はそこで言葉を変えた。

 

「――だが」

 

 視線が、ケイネスへ向く。

 

「ロード・エルメロイ」

 

 そして。

 

 ブラッドレイへ。

 

「並びに、“戦友達”」

 

 その呼称を使った。

 

 それだけで、この場の意味が変わる。

 

「君達は、世界を救った」

 

 静かな声だった。

 

「それもまた事実だ」

 

 沈黙。

 

 時計塔の怪物達は、完全な合理主義者ではない。

 

 少なくとも、“功績”を理解する知性はある。

 

 もし聖杯が完全に顕現していれば。

 

 被害は冬木だけで済まなかった。

 

 それを止めたのは、間違いなく彼らだ。

 

 法政科の壮年魔術師が口を開く。

 

「よって、時計塔としての現時点の総意を伝える」

 

 空気が張り詰める。

 

「――不干渉」

 

 ウェイバーが目を見開いた。

 

 イスカンダルがニヤリと笑う。

 

 だが、壮年魔術師は続ける。

 

「ただし条件がある」

 

 当然だった。

 

 完全な自由など、時計塔が認める筈がない。

 

「君達は今後、魔術世界への直接的敵対行為を禁ずる」

 

「当然だ」

 

 ブラッドレイは即答した。

 

「こちらから戦争を始める気はない」

 

「加えて」

 

 老魔術師が低く言う。

 

「死徒勢力との接触が確認された場合、即座に再協議とする」

 

 その瞬間。

 

 空気が僅かに変わる。

 

 死徒。

 

 やはり時計塔も警戒している。

 

 受肉英霊達を狙って動く可能性を。

 

 ブラッドレイは静かに頷いた。

 

「妥当だな」

 

 そして。

 

 法政科の男が、最後に言った。

 

「……もう一つ」

 

 視線が、ブラッドレイへ固定される。

 

「埋葬機関は、どう動く?」

 

 工房の空気が変わった。

 

 全員が理解している。

 

 時計塔以上に危険なのは、むしろ聖堂教会側だ。

 

 異端を許さぬ怪物達。

 

 そして。

 

 その中心に居るのは。

 

 ブラッドレイの“元上司”。

 

 ナルバレック。

 

 片眼の男は、小さく笑った。

 

「さて」

 

 その笑みには、僅かに獰猛さが混じっていた。

 

「それを今から、確かめに行くところだ」

 

ブラッドレイの言葉に、工房の空気が僅かに揺れた。

 

「それと――」

 

 片眼の男は、静かに続ける。

 

「死徒並びに死徒二十七祖に接触した場合は、我々なら問題ないだろう?」

 

 その瞬間。

 

 時計塔側の何人かが、明確に表情を変えた。

 

 緊張。

 警戒。

 そして、理解。

 

 彼らは気付いたのだ。

 

 この男、“何を相手にしてきたか”を。

 

 老魔術師が、ゆっくりと目を細める。

 

「……なるほど」

 

 低い声。

 

「君は、そういう意味で言っているのか」

 

 ブラッドレイは肩を竦めた。

 

「私は元埋葬機関だ」

 

 淡々とした声音。

 

「しかも、番外次席。担当は主に死徒、異端、怪異討伐だった」

 

 空気が重くなる。

 

 死徒二十七祖。

 

 それは、魔術師達にとっても災害指定級の怪物達。

 

 国家を滅ぼし。

 都市を喰らい。

 千年単位で暗躍する吸血鬼。

 

 時計塔ですら、単独では対処不能な案件も存在する。

 

 だが。

 

 目の前の男は、それを“狩る側”だった。

 

 ブラッドレイは静かに続ける。

 

「加えて、ここには英雄達もいる」

 

 ギルガメッシュが不敵に笑う。

 

「フン。当然だ」

 

 イスカンダルは豪快に腕を組む。

 

「余としては、吸血鬼退治というのも中々面白そうではある!」

 

 ディルムッドも静かに頷く。

 

「民を害する怪物であれば、騎士として見過ごせませんな」

 

 その自然な反応に、時計塔側は逆に沈黙した。

 

 死徒二十七祖。

 

 それは本来、“恐怖の対象”だ。

 

 だが、この戦友達は違う。

 

 彼らは、“狩れる”前提で話している。

 

 それがどれほど異常か。

 

 法政科の壮年魔術師が、静かに息を吐く。

 

「……確かに、君達ならば」

 

 否定できない。

 

 現代最高峰の魔術師達ですら、今この場の戦力を正確に測り切れていない。

 

 その上で。

 

 受肉した英霊達。

 埋葬機関級処刑人。

 異常進化した魔術師達。

 

 下手な討伐隊より遥かに危険だ。

 

 天体科の女魔術師が、興味深そうにブラッドレイを見る。

 

「むしろ、“祖”の方が君達を狙うかもしれない」

 

「その可能性は高いだろうな」

 

 ブラッドレイは即答した。

 

「受肉した英霊など、連中からすれば最高級の研究素材だ」

 

 その言葉に、何人かが顔を顰める。

 

 死徒達の研究欲は、時計塔以上に歪んでいる。

 

 不老不死。

 霊長進化。

 幻想回帰。

 

 その為なら、平然と都市単位で人間を解体する。

 

 切嗣が静かに煙草を揺らした。

 

「……面倒な時代になったな」

 

「元からだ」

 

 綺礼が淡々と返す。

 

 その時。

 

 老魔術師が、杖を鳴らした。

 

「ならば、時計塔として追加提案をしよう」

 

 空気が僅かに変わる。

 

「もし死徒二十七祖級案件が発生した場合――」

 

 一拍。

 

「君達“戦友達”への協力要請を認める」

 

 ウェイバーが目を見開いた。

 

「えっ……」

 

 それはつまり。

 

 半ば、“独立戦力”として認めるに等しい。

 

 時計塔直属ではない。

 だが敵でもない。

 

 必要時には共闘可能。

 

 極めて異例の立場。

 

 法政科の男が苦々しく続ける。

 

「本来なら有り得ん話だ」

 

「だろうな」

 

 ブラッドレイは笑った。

 

「だが、合理的だろう?」

 

 老魔術師が静かに頷く。

 

「死徒二十七祖は、時計塔単独でも荷が重い場合がある」

 

 その視線が、“戦友達”へ向く。

 

「ならば、“使える剣”をわざわざ敵に回す必要はない」

 

 合理。

 

 実に魔術師らしい結論だった。

 

 ケイネスが小さく鼻を鳴らす。

 

「当然だ。こいつらを敵に回すなど、損失の方が大きい」

 

「貴様、随分と素直になったではないか坊主」

 

 イスカンダルが笑う。

 

「誰のせいだと思っている!!」

 

 怒鳴るケイネス。

 

 だが、その怒声でさえ。

 

 先程までより、僅かに空気を和らげていた。

 

 そして。

 

 ブラッドレイは静かに時計塔の怪物達を見渡した。

 

「なら、交渉成立だな」

 

 その言葉と共に。

 

 工房を満たしていた、張り詰めた殺気が――ほんの僅かだけ、緩んだ。

 

工房に満ちていた重圧が、ほんの僅かに緩む。

 

 完全に消えた訳ではない。

 

 時計塔の怪物達は、依然として警戒している。

 戦友達もまた、いつでも動けるよう気配を張っている。

 

 だが。

 

 少なくとも、“今この場で戦争になる”空気ではなくなっていた。

 

 その中で。

 

 ブラッドレイは静かに後方を振り返る。

 

 ギルガメッシュ。

 イスカンダル。

 ディルムッド。

 ハサン達。

 切嗣。

 綺礼。

 時臣。

 ケイネス。

 

 地獄を潜った者達。

 

 片眼の男は、小さく口端を吊り上げた。

 

「……むしろ、喜ぶ者が殆どだろう?」

 

 その言葉に。

 

 一瞬の沈黙の後――。

 

 イスカンダルが真っ先に豪快に笑った。

 

「ハッハッハッハ!! 当然だ!!」

 

 征服王は獰猛に笑う。

 

「死徒二十七祖など、そうそう会える相手ではない! しかも英雄達総出で討伐とは! 胸が躍るわ!!」

 

 ウェイバーが頭を抱えた。

 

「普通そういう感想になる!?」

 

「なる!!」

 

 即答だった。

 

 ギルガメッシュも、退屈そうだった表情に僅かな愉悦を浮かべる。

 

「フン。吸血種の成れの果て共か」

 

 黄金の瞳が細まる。

 

「暇潰し程度にはなるだろう」

 

 その言葉に、時計塔側の魔術師達が微妙な顔をした。

 

 死徒二十七祖。

 

 それは世界規模の災厄だ。

 

 だが、この英雄王は“暇潰し”と言った。

 

 しかも、本気だ。

 

 ディルムッドは静かに槍へ手を置く。

 

「民を害する怪物であるならば、我が槍に迷いはありません」

 

 その騎士然とした言葉に、時臣が苦笑する。

 

「頼もしい限りだ」

 

 ハサン達の影が揺れる。

 

 低い声が、幾重にも重なった。

 

「山の翁として」

「異端を狩る」

「それが役目」

「問題ない」

 

 静かな殺意。

 

 死徒側からすれば、悪夢のような面子だった。

 

 切嗣が煙草を咥えたまま呟く。

 

「まぁ、放置して被害が拡大する方が面倒だ」

 

「同感だ」

 

 綺礼が淡々と頷く。

 

「死徒は放置すると増える」

 

 神父らしからぬ実務的な会話だった。

 

 その様子を見ていた時計塔側は、徐々に理解し始める。

 

 この集団。

 

 本当に、“怪物退治”に慣れている。

 

 しかも。

 

 恐れていない。

 

 老魔術師が深く息を吐いた。

 

「……なるほど」

 

 疲れたような声だった。

 

「埋葬機関の番外次席に、受肉英霊達、か」

 

 杖を鳴らす。

 

「死徒側からすれば、悪夢だな」

 

 ブラッドレイは肩を竦めた。

 

「そうでもない」

 

 片眼の男は、静かに笑う。

 

「向こうも向こうで、喜ぶ者がいる」

 

 その言葉に。

 

 工房の空気が、少しだけ冷えた。

 

 誰もが理解している。

 

 死徒二十七祖もまた、“怪物”だ。

 

 強敵。

 未知。

 超常。

 

 それを前にすれば。

 

 歓喜する異端も存在する。

 

 特に。

 

 この場の英雄達のような存在は。

 

 ギルガメッシュが不敵に笑う。

 

「クク……良い」

 

 黄金の王は、まるで戦場を前にしたかのように愉快そうだった。

 

「受肉し、現世に残った意味が出てきたではないか」

 

 イスカンダルも笑う。

 

「まったくだ! 平和に余生を送るのも悪くはないが、やはり英雄とは戦ってこそよ!」

 

「お前達は少し戦闘狂過ぎる……」

 

 ウェイバーが疲れ切った声で呟く。

 

 だが。

 

 その空気を見て。

 

 時計塔の怪物達は、逆に少しだけ安堵していた。

 

 理解したのだ。

 

 少なくとも、この者達は――。

 

 人類そのものへ牙を向けるつもりはない、と。

 

 ブラッドレイは静かに工房内を見渡す。

 

 そして。

 

 小さく笑った。

 

「……案外、上手くやれそうじゃないか」

 

その言葉に。

 

 誰も、否定しなかった。

 

張り詰めていた空気が、ようやく僅かに緩む。

 

 時計塔の怪物達も、完全ではないにせよ、交渉の席に着いた。

 

 敵対ではなく、不干渉。

 

 それはこの異常事態において、ほぼ最善に近い結果だった。

 

 そんな中。

 

 ブラッドレイは小さく肩を竦める。

 

「まぁ、半分は脅迫みたいなものだったが」

 

 その発言に、法政科の魔術師達が微妙な顔をした。

 

 否定できない。

 

 事実、後ろに並ぶ戦友達の圧力は、交渉というより“武力外交”に近かった。

 

 だが。

 

 ブラッドレイは静かにケイネスを見る。

 

「ケイネス。君の“ロード・エルメロイ”としての人格と実績があればこそだ」

 

 その言葉に、工房が少し静まる。

 

 ブラッドレイは本気で言っていた。

 

「想像以上に、スムーズに話が進んだ」

 

 そして、振り返る。

 

「……そうだろう? 戦友諸君」

 

 一瞬の沈黙。

 

 次の瞬間。

 

 イスカンダルが豪快に笑った。

 

「ハッハッハ!! 違いない!!」

 

 征服王は、まるで部下を称える王のように笑う。

 

「最初は偏屈で鼻持ちならん小僧だと思っていたが、中々どうして! 見事なロードぶりであったぞ、ケイネス!」

 

「だ、誰が小僧だ貴様は!!」

 

 即座に怒鳴るケイネス。

 

 だが、以前ほど本気の怒気はない。

 

 イスカンダルは構わず肩を叩いた。

 

「ガッハッハ! 照れるな照れるな!」

 

「ぐっ……!」

 

 ケイネスの顔が僅かに歪む。

 

 その様子に、ソラウが肩を震わせた。

 

「ふふっ……」

 

「ソラウ、笑うな!」

 

「だって、本当に褒められて困ってるみたいなんだもの」

 

 ウェイバーまで吹き出しそうになる。

 

(ロードが、なんか普通に仲間扱いされてる……)

 

 以前の時計塔では有り得ない光景だった。

 

 だが。

 

 ギルガメッシュまでもが、退屈そうに頬杖をついたまま口を開く。

 

「フン」

 

 黄金の瞳が、ケイネスを見る。

 

「雑種にしては、悪くない働きだった」

 

 空気が止まった。

 

 時計塔側の魔術師達が絶句する。

 

 まただ。

 

 また英雄王が、“認めた”。

 

 しかも今度は、完全に個人として。

 

 ケイネス本人ですら、一瞬言葉を失った。

 

「……っ」

 

 誇り高いロード。

 

 他者に認められる事など、むしろ当然と思っていた男。

 

 だが。

 

 この場での言葉は、妙に重かった。

 

 死線を共に越えた英雄達からの評価。

 

 それは、時計塔の称賛とは全く違う。

 

 ディルムッドが静かに一礼する。

 

「見事でした、ロード・エルメロイ」

 

 騎士としての礼。

 

 真っ直ぐな敬意だった。

 

 ハサン達も低く頷く。

 

「交渉は成立した」

「十分な成果」

「悪くない」

「流石、ロード」

 

 綺礼ですら、静かに口を開く。

 

「少なくとも、私ならもう少し揉めていた」

 

「それは貴様の人徳の問題だ」

 

 切嗣が即答した。

 

「否定できん」

 

 綺礼が普通に頷く。

 

 工房内の空気が、僅かに和らいだ。

 

 時計塔の怪物達ですら、その様子を黙って見ていた。

 

 理解してしまったのだ。

 

 この集団。

 

 本当に、“戦友”なのだと。

 

 単なる利害関係ではない。

 

 信頼。

 敬意。

 悪態。

 

 その全てが自然だった。

 

 ケイネスは暫く黙っていた。

 

 やがて、わざとらしく咳払いをする。

 

「……当然の結果だ」

 

 腕を組む。

 

 だが耳が少し赤い。

 

「私を誰だと思っている」

 

 イスカンダルが大笑いした。

 

「ハッハッハ! ようやくいつもの調子が戻ったな!」

 

「貴様は本当にうるさい!!」

 

 怒声が響く。

 

 その光景を見ていた老魔術師が、小さく笑った。

 

「……面白いものだ」

 

 誰にも聞こえぬほど、小さな呟き。

 

「聖杯戦争が、こんなものを生むとはな」

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