時計塔の深部へ進むにつれ、空気が変わっていった。
最初に感じたのは、“静けさ”だった。
先程まであれほど騒がしかった視線やざわめきが、徐々に消えていく。
学生達の姿も減る。
好奇心に満ちた魔術師達の視線も遠のく。
代わりに増えていくのは――沈黙。
重く。
冷たく。
研ぎ澄まされた空気。
ウェイバーが無意識に息を呑んだ。
「……なんだ、ここ」
先程までの時計塔とは別世界だった。
廊下の構造そのものが変わっている。
古い石壁には、幾重もの術式。
床には魔力回路。
天井には自律型の監視礼装。
そして何より。
“生きている”。
空間そのものが、巨大な魔術工房として機能していた。
ケイネスは歩みを止めず、淡々と言う。
「当然だ。ここから先は、ロード級工房区画だ」
その声音には、僅かな誇りが滲んでいた。
「時計塔でも最重要区域。各ロードの工房が並ぶ」
時臣が静かに目を細める。
「……なるほど。これは確かに、並の結界ではありませんな」
「当然だ」
ケイネスは即答した。
「ここで研究される魔術は、国家を滅ぼしかねん代物ばかりだからな」
その瞬間。
イスカンダルが愉快そうに笑う。
「ハッハッハ! 相変わらず物騒な場所よ!」
「お前にだけは言われたくない」
ケイネスが即座に返す。
だが。
笑い声は長く続かなかった。
進めば進むほど、“気配”が増えていくからだ。
視線ではない。
もっと鋭いもの。
殺気。
探査。
測定。
ロード級魔術師達が、“見ている”。
ギルガメッシュが退屈そうに鼻を鳴らす。
「フン。雑種共、随分と臆病ではないか」
だが、その黄金の瞳は笑っていなかった。
王は理解している。
今こちらを観測しているのは、“雑魚”ではない。
時計塔上層。
怪物達だ。
ブラッドレイの片眼が静かに細まる。
(……なるほど)
感じる。
工房一つ一つが、要塞だ。
しかも、単純な武力だけではない。
侵入者を閉じ込める結界。
魂魄干渉。
空間断裂。
自律迎撃術式。
一歩間違えれば、英霊ですら封じ込められかねない。
それほどの技術が、この地下には蓄積されている。
切嗣が低く呟く。
「……本気で戦争するつもりなら、厄介だな」
「だから避ける為に来たのだ」
ケイネスは疲れたように答えた。
その時だった。
不意に。
ハサン達が、一斉に気配を変えた。
影へ沈むような構え。
綺礼も僅かに目を細める。
ブラッドレイは立ち止まらないまま口を開いた。
「右上、三」
「左後方、二」
「正面奥、一」
淡々とした声。
その直後。
空間が僅かに揺れた。
観測用の使い魔達が、慌てたように結界の向こうへ退避していく。
ウェイバーが青ざめた。
「今のって……」
「覗き見だ」
切嗣が短く答える。
「しかも相当高位の」
ケイネスが深々と溜息を吐く。
「……あの馬鹿共」
ロードの額に青筋が浮かぶ。
「だから刺激するなと言っただろうが……」
「刺激しているつもりはない」
ブラッドレイは平然と言った。
「ただ、“見えている”だけだ」
その一言に。
周囲の空気が、一瞬だけ凍った。
ロード級の隠蔽術式。
それを、“見えている”と言ったのだ。
しかも自然に。
老魔術師が低く唸る。
「……化け物め」
「お互い様だろう?」
ブラッドレイは可笑しそうに笑った。
そして。
更に奥へ進んだ時――。
空気が変質した。
まるで、海の底へ潜ったような圧迫感。
濃密すぎる魔力。
空間そのものが、完全に別物へ変わる。
ケイネスが立ち止まる。
「着いたぞ」
重厚な扉。
銀と蒼で構成された巨大術式門。
その表面を流れる魔力だけで、並の魔術師なら膝をつく。
ロード・エルメロイの工房。
時計塔でも最高位に属する、完全独立型要塞工房。
ケイネスは振り返る。
その顔には、先程までの疲弊は無かった。
あるのは、“ロード”としての威厳だけ。
「――ここから先は、私の領域だ」
その瞬間。
巨大な門が、重々しく開き始めた。
重厚な術式門が、低い駆動音と共に開いていく。
そして――。
一行は、ロード・エルメロイの工房へ足を踏み入れた。
その瞬間。
空気が変わった。
否。
世界そのものが変わった。
ウェイバーは息を止めた。
「――っ」
言葉が出ない。
目の前に広がっていたのは、“工房”などという単語で済ませて良い空間ではなかった。
巨大な球状空間。
天井は見えないほど高く、無数の魔術式が星空のように浮遊している。
蒼銀の魔力光が、空間全体を静かに照らしていた。
空中を自律稼働する演算礼装。
幾重にも展開された多重結界。
浮遊する水銀。
無数の魔術基盤。
それら全てが、寸分の狂いもなく同期している。
まるで巨大な知性生命。
いや。
“神経網”だった。
工房そのものが、一人の超高位魔術師の脳を具現化したかのような空間。
時臣が静かに息を吐く。
「……これは……」
遠坂の当主ですら絶句していた。
魔術師として理解できる。
この空間に投入された時間。
資材。
技術。
才能。
その全てが、常軌を逸している。
ディルムッドが呆然と周囲を見渡す。
「これが……現代魔術の頂点……」
切嗣でさえ、僅かに目を細めた。
兵器だ。
これは工房ではない。
一つの国家級戦略兵装。
侵入者を殺し。
解析し。
封印し。
殲滅する。
それを可能にするだけの術式密度が、この空間には存在していた。
ハサン達が、無意識に影へ沈みかける。
本能が警鐘を鳴らしている。
ここは危険だ、と。
綺礼が静かに呟く。
「……なるほど。これならば、“ロード”を名乗る資格はある」
その声には、珍しく純粋な感心が混じっていた。
そして。
ブラッドレイは、ゆっくりと周囲を見渡した。
“究極の眼”が空間構造を解析していく。
多重防壁。
擬似生命型術式。
対霊体結界。
対幻想種封印。
隙がない。
いや。
隙そのものを、存在させない構築。
片眼の男は、小さく笑った。
「……大したものだ」
その言葉は、本心だった。
軍人として。
処刑人として。
戦場を知る者として理解できる。
これは、天才の仕事だ。
努力だけでは辿り着けない。
血統だけでも足りない。
圧倒的な才能と執念。
その結晶。
そして――。
黄金の王が、静かに空間を見上げていた。
ギルガメッシュ。
あらゆる宝を見てきた最古の英雄王。
その彼ですら、数秒沈黙していた。
ウェイバーは信じられない思いで王を見る。
「ライダー……今、アーチャーが黙ってる……」
「うむ。珍しいな」
イスカンダルまで感心したように頷く。
ギルガメッシュは暫く無言だった。
やがて。
黄金の瞳を細め、静かに口を開く。
「……フン」
いつものように傲慢な声音。
だが。
そこには、確かに“認める”響きがあった。
「雑種にしては、悪くない」
空気が止まった。
時計塔側の魔術師達が目を見開く。
英雄王ギルガメッシュが。
他者を。
それも現代の魔術師を。
“認めた”。
それがどれほど異常な事か。
その場にいる全員が理解していた。
ケイネス本人だけが、腕を組みながら当然のように鼻を鳴らす。
「当然だ」
まるで褒め言葉を受け取る気すらない。
「私の工房だぞ?」
ソラウが思わず吹き出した。
「もう少し照れなさいよ」
「何故だ? 事実だろう」
本気で分かっていない。
ウェイバーは頭を抱えた。
(この人、本当にこういう人なんだな……)
だが。
だからこそ理解できる。
この男は、紛れもなく天才だ。
傲慢で。
面倒で。
嫌味で。
それでも。
魔術師としては、本物。
その時。
工房奥の巨大魔術陣が、低く脈動した。
時計塔各派閥の代表達が、次々と転移してくる。
降霊科。
法政科。
天体科。
創造科。
時計塔上層部。
怪物達が、集まり始めた。
工房中央の巨大魔術陣が、低く脈動する。
蒼い光。
赤い光。
紫電のような魔力。
転移術式が連続起動し、空間が歪む。
そして――。
時計塔の“頂点”達が、姿を現し始めた。
降霊科。
法政科。
天体科。
創造科。
全体基礎科。
鉱石科。
各学部の代表。
上位講師。
君主代理。
古参の怪物達。
一人一人が、国家級魔術師。
並の魔術師なら、同じ空間に立つだけで呼吸を乱す。
それほど濃密な魔力。
それほど重い圧力。
ウェイバーは、思わず喉を鳴らした。
(なんだ……これ……)
空気が重い。
いや、違う。
“世界”が軋んでいる。
超高位魔術師達の魔力がぶつかり合い、工房内部の空間そのものへ負荷を掛けていた。
並の人間なら、立っているだけで精神が壊れる。
それほどの領域。
そして。
その怪物達が、一斉に“戦友達”へ視線を向けた。
観察。
測定。
解析。
肌を刺すような視線だった。
ディルムッドが僅かに槍へ手を伸ばす。
本能が告げている。
目の前の老人達は、“危険”だと。
イスカンダルでさえ笑みを消していた。
「……ほう」
征服王の隻眼が細まる。
「これは中々」
ギルガメッシュも静かに座したまま、黄金の瞳を細めている。
余裕は崩れていない。
だが。
王は理解していた。
この場の魔術師達は、“弱者”ではない。
神代には及ばずとも、二千年積み上げた現代魔術の怪物達。
真正面から戦えば、流石の英霊達でも無傷では済まない。
切嗣が低く呟く。
「……冗談みたいな空間だ」
「違うな」
ブラッドレイが静かに言った。
「これが、“魔術世界”の本当の姿だ」
片眼の男は、落ち着いていた。
だが、“究極の眼”は休まず動いている。
視線。
癖。
呼吸。
術式起動準備。
誰が武闘派か。
誰が政治家か。
誰が研究者か。
一瞬で見抜いていく。
そして結論する。
(……厄介だな)
単純な戦闘能力ではない。
この場の怪物達は、“知性”を持っている。
それが何より危険だった。
老魔術師の一人が、ゆっくりと口を開く。
「……成程」
深い皺の刻まれた顔。
濁ったようでいて、底知れぬ瞳。
「確かに、“異常事態”だ」
別の女魔術師が、興味深そうにギルガメッシュを見る。
「完全受肉……霊基固定……肉体との完全融合……」
声が震えていた。
「有り得ない……」
その瞬間。
空気が、僅かに軋む。
ギルガメッシュが視線だけを向けたのだ。
たったそれだけで、女魔術師の背筋に冷汗が走る。
「――見るな、雑種」
低い声。
王の圧。
女魔術師は思わず息を止めた。
だが。
別の代表者が前へ出る。
壮年の男。
法政科上位。
政治闘争で名を馳せた怪物。
「ロード・エルメロイ」
男の声は冷静だった。
「これはどういう事だ?」
その瞬間。
工房全体の視線が、ケイネスへ集中する。
圧力が変わる。
先程までは、“観察”。
今は、“審問”。
ロードとしての責任を問われている。
だが。
ケイネスは一切怯まなかった。
当然のように一歩前へ出る。
その姿勢には、絶対的な自負があった。
「見ての通りだ」
銀縁眼鏡の奥の瞳が、真っ直ぐ代表達を見る。
「聖杯戦争は終結した」
静かな声。
だが工房中へ響き渡る。
「その結果として、彼らは完全受肉を果たした」
ざわめきが広がる。
誰も信じていない。
いや、信じたくない。
それは魔術世界の常識を根底から覆す現象だからだ。
だが。
現実として、そこにいる。
神話の英雄達が。
“人間”として。
そして。
ケイネスは、次の言葉を告げた。
「加えて――」
一拍。
「彼らは、我々の“敵”ではない」
その瞬間。
空気が、凍った。
明確な殺気が幾つも立ち上がる。
時計塔の怪物達が、本気で反応したのだ。
それを感じ取り。
戦友達もまた、静かに気配を変えた。
イスカンダルが笑みを消す。
ディルムッドが槍へ触れる。
ハサン達が影へ沈む。
切嗣の指が僅かに動く。
そして。
ブラッドレイの片眼が、静かに細まった。
ほんの僅か。
それだけで。
工房内部の空気が、一段階冷え込んだ。
凍り付いた空気。
時計塔上層部の怪物達と、“戦友達”の殺気が正面から噛み合い、工房内部の空間が軋む。
一触即発。
あと僅かでも均衡が崩れれば、戦闘になる。
その瞬間だった。
ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが、一歩前へ出た。
静かに。
だが、迷いなく。
ロードとしてではない。
その背中は、もっと別の何かだった。
ケイネスは周囲を見渡す。
時計塔の代表達。
怪物達。
権力者達。
そして後ろには、聖杯戦争を共に潜り抜けた“戦友達”。
彼は静かに口を開いた。
「……ロード・エルメロイとしてではなく」
低い声が、工房全体へ響く。
「あの地獄を共に生き抜いた、“戦友”として話そう」
その言葉に、空気が僅かに揺れた。
法政科の魔術師が眉を顰める。
「戦友、だと?」
ケイネスは構わず続けた。
「この場に居るのは、汚染された聖杯を、人類悪に呑まれながらも破壊し――世界を救った英雄達だ」
一拍。
「無論、私も含めてだ」
その声音には、誇りがあった。
傲慢ではない。
生還者としての誇り。
黒泥。
狂気。
死。
それらを越えてなお、立っている者だけが持つ重み。
時計塔側の怪物達が沈黙する。
彼らは感じ取っていた。
この男は、以前のケイネスではない。
地獄を見た人間の目をしている。
ケイネスは更に続けた。
「我々は、この場に“戦友”として参上した」
その言葉と共に。
後方の英霊達が静かに立つ。
ギルガメッシュ。
イスカンダル。
ディルムッド。
ハサン達。
神話そのもの。
人類史の英雄達。
その全員が、今は同じ側にいる。
あり得ない光景だった。
ケイネスは、真っ直ぐ時計塔代表達を見る。
「我々の願いは、ただ一つ」
工房が静まり返る。
「――干渉するな」
空気が張り詰めた。
「ただ、それだけだ」
簡潔。
だが、その言葉は重かった。
研究対象として見るな。
利用しようとするな。
拘束しようとするな。
自由に生きる。
それだけを求めている。
そして。
ケイネスは最後に、静かに言った。
「もし敵対するならば――」
その瞬間。
後方の空気が変わる。
ギルガメッシュの黄金の瞳が開く。
イスカンダルの笑みが獰猛に歪む。
ハサン達が影へ沈み。
切嗣と綺礼の視線が鋭くなる。
そして。
ブラッドレイの“究極の眼”が、静かに全員を見据えた。
殺気ではない。
もっと冷たい何か。
“覚悟”。
ケイネスは続ける。
「この私も含めて」
ロード・エルメロイの魔力が、静かに工房へ満ちる。
「後ろに居る、頼もし過ぎる戦友達を相手にすることになる」
重かった。
脅しではない。
事実だ。
もしここで戦争になれば。
時計塔は勝てても、無傷では済まない。
いや。
最悪、ロンドンそのものが消し飛ぶ。
それだけの戦力が、今ここに集まっている。
そして最後に。
ケイネスは、静かに締め括った。
「……それを伝えに来た」
沈黙。
絶対的な沈黙だった。
時計塔の怪物達は、誰も口を開けなかった。
何故なら。
理解してしまったからだ。
目の前の集団は、単なる受肉英霊ではない。
“軍”だ。
しかも。
互いを本気で信頼している。
それが何より恐ろしかった。
法政科の壮年魔術師が、ゆっくりと息を吐く。
「……成程」
その額には、薄く汗が浮かんでいた。
「つまり、これは“交渉”か」
ブラッドレイが静かに口端を吊り上げる。
「違うな」
片眼の男は、穏やかに言った。
「これは、“確認”だ」
その瞬間。
工房内の空気が、更に重く沈んだ。
重苦しい沈黙。
工房内には、なお緊張が張り詰めていた。
時計塔上層部の怪物達は、誰一人として油断していない。
彼らは理解していた。
今、自分達は歴史の分岐点に立っている。
ここで対応を誤れば。
時計塔と受肉英霊達による全面戦争すら有り得る。
そんな中。
静かな声が響いた。
「……私が話してもいいかね? ケイネス」
全員の視線が向く。
キング・ブラッドレイ。
黒い軍服。
片眼の男。
その姿には、不思議な静けさがあった。
だが。
その静けさこそが、この場で最も恐ろしかった。
ケイネスは数秒、ブラッドレイを見た。
そして、小さく鼻を鳴らす。
「……好きにしろ」
そう言った後、僅かに口元を歪めた。
「どうせ、この場で最も“こういう交渉”に慣れているのは貴様だ」
その言葉に、時計塔側の数名が反応する。
埋葬機関。
番外次席。
異端審問と死徒狩りを専門とした処刑人。
つまり――。
“化け物と交渉し、必要なら殺してきた男”。
ブラッドレイは静かに前へ出る。
軍靴が、硬い床を鳴らした。
それだけで。
何人かの魔術師が、無意識に身構える。
片眼の男は、それに気付いていた。
だが、敢えて何も言わない。
ただ、穏やかに周囲を見渡す。
「まず、誤解を解いておこう」
低く落ち着いた声。
「我々は、時計塔を潰しに来た訳ではない」
その言葉に、数名が僅かに安堵する。
だが。
ブラッドレイは続けた。
「無論、潰せないとも言わんがね」
空気が凍った。
ギルガメッシュが愉快そうに笑う。
「クク……言うではないか、セイバー」
イスカンダルも豪快に笑う。
「ハッハッハ! 実に分かりやすい!」
ケイネスが額を押さえた。
「頼むから少しは穏便に話せ……!」
だが。
ブラッドレイの表情は真剣だった。
「事実確認だよ、ロード・エルメロイ」
その赤い眼が、時計塔上層部を見据える。
「こちらが隠し立てをしても意味がない。諸君らも理解しているだろう?」
沈黙。
誰も否定できない。
もし戦闘になれば。
時計塔もただでは済まない。
それが分かる程度には、ここにいる全員が怪物だった。
ブラッドレイは続ける。
「我々は、既に普通の人間ではない」
その言葉は静かだった。
「英霊は受肉し、マスター達も変質した」
切嗣。
綺礼。
時臣。
ケイネス。
彼らの魔術回路は、既に人間の域を越え始めている。
「更に、我々は“あの泥”を越えている」
空気が僅かに重くなる。
黒泥。
人類悪。
それを知る者達の表情が変わる。
「つまり」
ブラッドレイは穏やかに言った。
「今後、時計塔、聖堂教会、死徒二十七祖……その他諸々から狙われる」
断言だった。
そして。
それは真実だ。
研究。
利用。
解剖。
封印。
欲する者は必ず現れる。
ブラッドレイは、ゆっくりと視線を巡らせる。
「だからこそ、最初に線引きをしに来た」
工房が静まり返る。
「こちらから敵対するつもりはない」
一拍。
「だが、生存権を侵害されるなら――容赦はしない」
その瞬間。
“戦友達”の気配が、静かに変わった。
派手な殺気ではない。
もっと重いもの。
覚悟。
ギルガメッシュが王座のように椅子へ腰掛ける。
イスカンダルは獰猛に笑う。
ディルムッドは静かに槍へ触れた。
ハサン達の影が揺らぐ。
切嗣は無言。
綺礼は沈黙。
そして。
ケイネスすら、自然にブラッドレイの隣へ立っていた。
時計塔の怪物達は理解する。
この集団は、“本物”だ。
単なる利害関係ではない。
互いに背中を預ける覚悟がある。
それが、何より危険だった。
ブラッドレイは最後に、小さく笑った。
「……とはいえ、出来れば穏便に済ませたい」
その言葉に。
何故かその場の全員が思った。
――この男、本気で穏便のつもりなのかもしれない、と。
ブラッドレイの言葉が、工房に静かに沈んでいく。
「……返答を聞こうか?」
片眼の男は、時計塔上層部を真っ直ぐ見据えた。
「個人ではなく――」
一拍。
「時計塔の魔術師としての“総意”を聞きたい」
沈黙。
重苦しい沈黙だった。
誰も即答できない。
それほどまでに、この問題は巨大だった。
完全受肉した英霊。
変質したマスター達。
人類悪を越えた生存者。
どれも、時計塔の歴史に存在しない。
前例が無い。
つまり。
対応方法も存在しない。
法政科の壮年魔術師が、ゆっくりと息を吐く。
「……難しい問いだ」
「だろうな」
ブラッドレイは即答した。
「だからわざわざ、こちらから来た」
もし彼らが潜伏を選んでいたら。
時計塔は間違いなく、より最悪の事態を想定しただろう。
封印指定。
追跡。
討伐。
だが今、彼らは自ら姿を見せている。
それは、“交渉の意思”だった。
老魔術師が静かに杖を鳴らす。
「確認したい」
濁った瞳が、ブラッドレイを見る。
「君達は、本当に“敵意がない”のだな?」
その瞬間。
ギルガメッシュが鼻で笑った。
「質問が矮小だな雑種」
黄金の瞳が細まる。
「我らは“敵意がない”のではない」
空気が軋む。
「“その気になればいつでも滅ぼせるが、今はその必要を感じていない”だけだ」
何人かの魔術師が顔を強張らせる。
暴君。
まさしく英雄王そのものの物言い。
だが。
誰も反論できなかった。
イスカンダルが豪快に笑う。
「ハッハッハ! 実に分かりやすいではないか!」
「分かりやす過ぎて胃が痛い……」
ケイネスが頭を抱えた。
その時。
天体科の女魔術師が、静かに前へ出た。
若く見える。
だが、その瞳は千年単位の執念を感じさせた。
「……ならば、こちらも率直に言おう」
彼女の声に、工房が静まる。
「時計塔は、君達を危険視している」
真正面からの宣言だった。
ウェイバーが息を呑む。
だが女魔術師は続ける。
「当然だ。君達は未知だ」
受肉した英霊。
異常進化した魔術回路。
黒泥耐性。
「研究価値は計り知れない」
その言葉に、何人かの戦友達の空気が冷えた。
ハサン達の影が揺らぐ。
ディルムッドが静かに槍へ触れる。
だが。
女魔術師はそこで言葉を変えた。
「――だが」
視線が、ケイネスへ向く。
「ロード・エルメロイ」
そして。
ブラッドレイへ。
「並びに、“戦友達”」
その呼称を使った。
それだけで、この場の意味が変わる。
「君達は、世界を救った」
静かな声だった。
「それもまた事実だ」
沈黙。
時計塔の怪物達は、完全な合理主義者ではない。
少なくとも、“功績”を理解する知性はある。
もし聖杯が完全に顕現していれば。
被害は冬木だけで済まなかった。
それを止めたのは、間違いなく彼らだ。
法政科の壮年魔術師が口を開く。
「よって、時計塔としての現時点の総意を伝える」
空気が張り詰める。
「――不干渉」
ウェイバーが目を見開いた。
イスカンダルがニヤリと笑う。
だが、壮年魔術師は続ける。
「ただし条件がある」
当然だった。
完全な自由など、時計塔が認める筈がない。
「君達は今後、魔術世界への直接的敵対行為を禁ずる」
「当然だ」
ブラッドレイは即答した。
「こちらから戦争を始める気はない」
「加えて」
老魔術師が低く言う。
「死徒勢力との接触が確認された場合、即座に再協議とする」
その瞬間。
空気が僅かに変わる。
死徒。
やはり時計塔も警戒している。
受肉英霊達を狙って動く可能性を。
ブラッドレイは静かに頷いた。
「妥当だな」
そして。
法政科の男が、最後に言った。
「……もう一つ」
視線が、ブラッドレイへ固定される。
「埋葬機関は、どう動く?」
工房の空気が変わった。
全員が理解している。
時計塔以上に危険なのは、むしろ聖堂教会側だ。
異端を許さぬ怪物達。
そして。
その中心に居るのは。
ブラッドレイの“元上司”。
ナルバレック。
片眼の男は、小さく笑った。
「さて」
その笑みには、僅かに獰猛さが混じっていた。
「それを今から、確かめに行くところだ」
ブラッドレイの言葉に、工房の空気が僅かに揺れた。
「それと――」
片眼の男は、静かに続ける。
「死徒並びに死徒二十七祖に接触した場合は、我々なら問題ないだろう?」
その瞬間。
時計塔側の何人かが、明確に表情を変えた。
緊張。
警戒。
そして、理解。
彼らは気付いたのだ。
この男、“何を相手にしてきたか”を。
老魔術師が、ゆっくりと目を細める。
「……なるほど」
低い声。
「君は、そういう意味で言っているのか」
ブラッドレイは肩を竦めた。
「私は元埋葬機関だ」
淡々とした声音。
「しかも、番外次席。担当は主に死徒、異端、怪異討伐だった」
空気が重くなる。
死徒二十七祖。
それは、魔術師達にとっても災害指定級の怪物達。
国家を滅ぼし。
都市を喰らい。
千年単位で暗躍する吸血鬼。
時計塔ですら、単独では対処不能な案件も存在する。
だが。
目の前の男は、それを“狩る側”だった。
ブラッドレイは静かに続ける。
「加えて、ここには英雄達もいる」
ギルガメッシュが不敵に笑う。
「フン。当然だ」
イスカンダルは豪快に腕を組む。
「余としては、吸血鬼退治というのも中々面白そうではある!」
ディルムッドも静かに頷く。
「民を害する怪物であれば、騎士として見過ごせませんな」
その自然な反応に、時計塔側は逆に沈黙した。
死徒二十七祖。
それは本来、“恐怖の対象”だ。
だが、この戦友達は違う。
彼らは、“狩れる”前提で話している。
それがどれほど異常か。
法政科の壮年魔術師が、静かに息を吐く。
「……確かに、君達ならば」
否定できない。
現代最高峰の魔術師達ですら、今この場の戦力を正確に測り切れていない。
その上で。
受肉した英霊達。
埋葬機関級処刑人。
異常進化した魔術師達。
下手な討伐隊より遥かに危険だ。
天体科の女魔術師が、興味深そうにブラッドレイを見る。
「むしろ、“祖”の方が君達を狙うかもしれない」
「その可能性は高いだろうな」
ブラッドレイは即答した。
「受肉した英霊など、連中からすれば最高級の研究素材だ」
その言葉に、何人かが顔を顰める。
死徒達の研究欲は、時計塔以上に歪んでいる。
不老不死。
霊長進化。
幻想回帰。
その為なら、平然と都市単位で人間を解体する。
切嗣が静かに煙草を揺らした。
「……面倒な時代になったな」
「元からだ」
綺礼が淡々と返す。
その時。
老魔術師が、杖を鳴らした。
「ならば、時計塔として追加提案をしよう」
空気が僅かに変わる。
「もし死徒二十七祖級案件が発生した場合――」
一拍。
「君達“戦友達”への協力要請を認める」
ウェイバーが目を見開いた。
「えっ……」
それはつまり。
半ば、“独立戦力”として認めるに等しい。
時計塔直属ではない。
だが敵でもない。
必要時には共闘可能。
極めて異例の立場。
法政科の男が苦々しく続ける。
「本来なら有り得ん話だ」
「だろうな」
ブラッドレイは笑った。
「だが、合理的だろう?」
老魔術師が静かに頷く。
「死徒二十七祖は、時計塔単独でも荷が重い場合がある」
その視線が、“戦友達”へ向く。
「ならば、“使える剣”をわざわざ敵に回す必要はない」
合理。
実に魔術師らしい結論だった。
ケイネスが小さく鼻を鳴らす。
「当然だ。こいつらを敵に回すなど、損失の方が大きい」
「貴様、随分と素直になったではないか坊主」
イスカンダルが笑う。
「誰のせいだと思っている!!」
怒鳴るケイネス。
だが、その怒声でさえ。
先程までより、僅かに空気を和らげていた。
そして。
ブラッドレイは静かに時計塔の怪物達を見渡した。
「なら、交渉成立だな」
その言葉と共に。
工房を満たしていた、張り詰めた殺気が――ほんの僅かだけ、緩んだ。
工房に満ちていた重圧が、ほんの僅かに緩む。
完全に消えた訳ではない。
時計塔の怪物達は、依然として警戒している。
戦友達もまた、いつでも動けるよう気配を張っている。
だが。
少なくとも、“今この場で戦争になる”空気ではなくなっていた。
その中で。
ブラッドレイは静かに後方を振り返る。
ギルガメッシュ。
イスカンダル。
ディルムッド。
ハサン達。
切嗣。
綺礼。
時臣。
ケイネス。
地獄を潜った者達。
片眼の男は、小さく口端を吊り上げた。
「……むしろ、喜ぶ者が殆どだろう?」
その言葉に。
一瞬の沈黙の後――。
イスカンダルが真っ先に豪快に笑った。
「ハッハッハッハ!! 当然だ!!」
征服王は獰猛に笑う。
「死徒二十七祖など、そうそう会える相手ではない! しかも英雄達総出で討伐とは! 胸が躍るわ!!」
ウェイバーが頭を抱えた。
「普通そういう感想になる!?」
「なる!!」
即答だった。
ギルガメッシュも、退屈そうだった表情に僅かな愉悦を浮かべる。
「フン。吸血種の成れの果て共か」
黄金の瞳が細まる。
「暇潰し程度にはなるだろう」
その言葉に、時計塔側の魔術師達が微妙な顔をした。
死徒二十七祖。
それは世界規模の災厄だ。
だが、この英雄王は“暇潰し”と言った。
しかも、本気だ。
ディルムッドは静かに槍へ手を置く。
「民を害する怪物であるならば、我が槍に迷いはありません」
その騎士然とした言葉に、時臣が苦笑する。
「頼もしい限りだ」
ハサン達の影が揺れる。
低い声が、幾重にも重なった。
「山の翁として」
「異端を狩る」
「それが役目」
「問題ない」
静かな殺意。
死徒側からすれば、悪夢のような面子だった。
切嗣が煙草を咥えたまま呟く。
「まぁ、放置して被害が拡大する方が面倒だ」
「同感だ」
綺礼が淡々と頷く。
「死徒は放置すると増える」
神父らしからぬ実務的な会話だった。
その様子を見ていた時計塔側は、徐々に理解し始める。
この集団。
本当に、“怪物退治”に慣れている。
しかも。
恐れていない。
老魔術師が深く息を吐いた。
「……なるほど」
疲れたような声だった。
「埋葬機関の番外次席に、受肉英霊達、か」
杖を鳴らす。
「死徒側からすれば、悪夢だな」
ブラッドレイは肩を竦めた。
「そうでもない」
片眼の男は、静かに笑う。
「向こうも向こうで、喜ぶ者がいる」
その言葉に。
工房の空気が、少しだけ冷えた。
誰もが理解している。
死徒二十七祖もまた、“怪物”だ。
強敵。
未知。
超常。
それを前にすれば。
歓喜する異端も存在する。
特に。
この場の英雄達のような存在は。
ギルガメッシュが不敵に笑う。
「クク……良い」
黄金の王は、まるで戦場を前にしたかのように愉快そうだった。
「受肉し、現世に残った意味が出てきたではないか」
イスカンダルも笑う。
「まったくだ! 平和に余生を送るのも悪くはないが、やはり英雄とは戦ってこそよ!」
「お前達は少し戦闘狂過ぎる……」
ウェイバーが疲れ切った声で呟く。
だが。
その空気を見て。
時計塔の怪物達は、逆に少しだけ安堵していた。
理解したのだ。
少なくとも、この者達は――。
人類そのものへ牙を向けるつもりはない、と。
ブラッドレイは静かに工房内を見渡す。
そして。
小さく笑った。
「……案外、上手くやれそうじゃないか」
その言葉に。
誰も、否定しなかった。
張り詰めていた空気が、ようやく僅かに緩む。
時計塔の怪物達も、完全ではないにせよ、交渉の席に着いた。
敵対ではなく、不干渉。
それはこの異常事態において、ほぼ最善に近い結果だった。
そんな中。
ブラッドレイは小さく肩を竦める。
「まぁ、半分は脅迫みたいなものだったが」
その発言に、法政科の魔術師達が微妙な顔をした。
否定できない。
事実、後ろに並ぶ戦友達の圧力は、交渉というより“武力外交”に近かった。
だが。
ブラッドレイは静かにケイネスを見る。
「ケイネス。君の“ロード・エルメロイ”としての人格と実績があればこそだ」
その言葉に、工房が少し静まる。
ブラッドレイは本気で言っていた。
「想像以上に、スムーズに話が進んだ」
そして、振り返る。
「……そうだろう? 戦友諸君」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
イスカンダルが豪快に笑った。
「ハッハッハ!! 違いない!!」
征服王は、まるで部下を称える王のように笑う。
「最初は偏屈で鼻持ちならん小僧だと思っていたが、中々どうして! 見事なロードぶりであったぞ、ケイネス!」
「だ、誰が小僧だ貴様は!!」
即座に怒鳴るケイネス。
だが、以前ほど本気の怒気はない。
イスカンダルは構わず肩を叩いた。
「ガッハッハ! 照れるな照れるな!」
「ぐっ……!」
ケイネスの顔が僅かに歪む。
その様子に、ソラウが肩を震わせた。
「ふふっ……」
「ソラウ、笑うな!」
「だって、本当に褒められて困ってるみたいなんだもの」
ウェイバーまで吹き出しそうになる。
(ロードが、なんか普通に仲間扱いされてる……)
以前の時計塔では有り得ない光景だった。
だが。
ギルガメッシュまでもが、退屈そうに頬杖をついたまま口を開く。
「フン」
黄金の瞳が、ケイネスを見る。
「雑種にしては、悪くない働きだった」
空気が止まった。
時計塔側の魔術師達が絶句する。
まただ。
また英雄王が、“認めた”。
しかも今度は、完全に個人として。
ケイネス本人ですら、一瞬言葉を失った。
「……っ」
誇り高いロード。
他者に認められる事など、むしろ当然と思っていた男。
だが。
この場での言葉は、妙に重かった。
死線を共に越えた英雄達からの評価。
それは、時計塔の称賛とは全く違う。
ディルムッドが静かに一礼する。
「見事でした、ロード・エルメロイ」
騎士としての礼。
真っ直ぐな敬意だった。
ハサン達も低く頷く。
「交渉は成立した」
「十分な成果」
「悪くない」
「流石、ロード」
綺礼ですら、静かに口を開く。
「少なくとも、私ならもう少し揉めていた」
「それは貴様の人徳の問題だ」
切嗣が即答した。
「否定できん」
綺礼が普通に頷く。
工房内の空気が、僅かに和らいだ。
時計塔の怪物達ですら、その様子を黙って見ていた。
理解してしまったのだ。
この集団。
本当に、“戦友”なのだと。
単なる利害関係ではない。
信頼。
敬意。
悪態。
その全てが自然だった。
ケイネスは暫く黙っていた。
やがて、わざとらしく咳払いをする。
「……当然の結果だ」
腕を組む。
だが耳が少し赤い。
「私を誰だと思っている」
イスカンダルが大笑いした。
「ハッハッハ! ようやくいつもの調子が戻ったな!」
「貴様は本当にうるさい!!」
怒声が響く。
その光景を見ていた老魔術師が、小さく笑った。
「……面白いものだ」
誰にも聞こえぬほど、小さな呟き。
「聖杯戦争が、こんなものを生むとはな」