地下大聖堂。
崩れた祭壇。
焼け焦げた聖句。
突き刺さった無数の銃剣。
つい先程まで殺し合いが行われていたとは思えないほど、今は静かだった。
その静寂の中。
キング・ブラッドレイは、ゆっくり立ち上がる。
黒い外套を翻し。
優しい目付きで、その場の全員を見渡した。
受肉した英霊達。
生還したマスター達。
死線を潜り抜けた者達。
聖杯戦争の“勝者”でも“敗者”でもない。
ただ、生き残った者達。
ブラッドレイは、小さく笑った。
「……戦友諸君。」
その言葉に。
ウェイバーが顔を上げる。
イスカンダルが豪快に笑い。
ディルムッドが静かに耳を傾ける。
ギルガメッシュですら、黙って聞いていた。
「魔術師側の時計塔。」
「協会側の埋葬機関。」
ブラッドレイは、静かに続ける。
「両方とも、話がついた。」
短い沈黙。
そして。
彼は、肩の力を抜くように息を吐いた。
「……やっと自由だ。」
その一言だった。
だが。
その場の誰もが理解した。
聖杯戦争。
監視。
追跡。
封印指定。
異端認定。
死徒。
教会。
時計塔。
ありとあらゆる脅威と敵意の中を、生き延びてきた。
そして今。
ようやく。
“生き残る為”ではなく、“生きる為”の時間が始まる。
ウェイバーが、ぽつりと呟く。
「……終わったんだな。」
「終わってはいない。」
ブラッドレイは静かに首を横へ振る。
「世界は相変わらず狂っている。」
「二十七祖も居る。」
「イスカリオテも居る。」
「時計塔も、埋葬機関も、完全に信用出来る訳ではない。」
“究極の眼”が、静かに細まる。
「だが。」
今度は、確かに笑った。
「少なくとも、我々は“選べる”。」
「誰に従うか。」
「どこで生きるか。」
「何を守るか。」
「それを決める自由が、ようやく手に入った。」
静寂。
その言葉は。
英霊にも。
魔術師にも。
余りにも重かった。
生前、誰よりも“役割”へ縛られ続けた英雄達だからこそ。
その意味が分かる。
イスカンダルが、大きく笑う。
「ハハハハハ!!
良いではないか!!」
「ならば次は、“生”を楽しむとしよう!!」
ディルムッドも、小さく頷く。
ギルガメッシュは鼻で笑った。
「ようやくか雑種共。」
「余の愉悦に付き合える程度には、マシになったようだな。」
「相変わらずだな英雄王。」
その空気に、僅かな笑いが広がる。
マルグリット・ラ・ヴェルデュールが、楽しそうに頬杖をついた。
「でも、本当に変な光景よね。」
「聖杯戦争の生き残りと、埋葬機関が協力関係とか。」
ナルバレックは腕を組んだまま、静かに言う。
「前例は無い。」
「だからこそ価値がある。」
その時だった。
ブラッドレイが、ふと崩壊した天井を見上げる。
遥か上。
地上の光が、微かに差し込んでいた。
「……さて。」
元・埋葬機関の処刑人は、静かに笑う。
「行くとするか。」
「我々の、“次の人生”へ。」
埋葬機関本部――地下大聖堂。
死徒の血の臭いと、祝福された銀の匂いが未だ薄く漂う石造りの回廊を、戦友達は静かに歩いていた。
先程までの、張り詰めた殺気は無い。
時計塔との交渉。
埋葬機関との交渉。
二十七祖第十一位“黒血のベラムド”との死闘。
そして――第十三課イスカリオテ、《アレクサンド・アンデルセン》との激突。
あまりにも濃密な数日だった。
だが今、彼らの足取りは、どこか穏やかだった。
地下深くに刻まれた帰還用の転移魔法陣へ向かいながら、自然と会話が生まれていた。
「……ハァ。」
ウェイバー・ベルベットが、小さく息を吐く。
「生きて帰れるんだな、俺達。」
隣を歩くイスカンダルが、豪快に笑った。
「ガハハ! 当然よ! 余はまだまだ征服せねばならぬ世界が山程あるのでな!」
「いやアンタは少し落ち着けよ……。」
疲れ切った顔でウェイバーが返すと、一同から小さな笑いが漏れる。
そんな些細なやり取りですら、奇跡のようだった。
ケイネスは腕を組みながら、遠坂時臣へ視線を向ける。
「……まさか、君と肩を並べて死徒を狩る日が来るとはな。」
「私もだよ、ロード・エルメロイ。」
時臣は静かに笑った。
「だが悪くはない。少なくとも、聖杯戦争などという愚行よりは、遥かに建設的だ。」
「建設的、か。」
切嗣が皮肉気に呟く。
「魔術協会と教会に睨まれながらの生活が?」
「それでも、生きている。」
言峰綺礼が、淡々と答えた。
「死人には選択肢すら無い。」
その言葉に、一瞬だけ空気が静まる。
皆、それぞれに失ったものがある。
壊れた人生。
叶わなかった願い。
殺した者達。
救えなかった者達。
だが、それでも――。
「……新しい店でも開くかね。」
不意に、キング・ブラッドレイが言った。
全員の視線が集まる。
「店?」
ディルムッドが聞き返す。
「ああ。」
ブラッドレイは口元を僅かに緩めた。
「平和に暮らすなら、案外そういうものも悪くない。武器屋でも良いし、時計修理でも良い。生前は、そういう普通の人生に少し憧れていてな。」
「お前が“普通”を語ると、妙な重みがあるな。」
ギルガメッシュが鼻で笑う。
「フッ……英雄王に言われるとは心外だ。」
だが、その声は穏やかだった。
戦いの時の冷徹な“剣”ではない。
今ここに居るのは、ただ疲れ切った、一人の男だった。
そして――。
「へぇ〜……何だか楽しそうね、“普通”。」
場違いなほど柔らかな声が響いた。
マルグリット・ラ・ヴェルデュール。
埋葬機関第五位執行者。
“微笑みの断頭台”。
白銀の髪を揺らしながら、彼女は一行の後方を歩いていた。
その存在に、何人かが僅かに身構える。
当然だった。
つい先程まで、彼女は“敵側”の怪物だったのだから。
だがマルグリットは気にも留めず、くすくす笑う。
「私も、そういうの結構好きですよぉ? 平和ぁ〜とか、普通ぅ〜とか。」
「……お前が言うと、全く信用出来んな。」
ケイネスが露骨に眉を顰める。
「あははっ、酷いわぁ。」
マルグリットは笑った。
笑いながら――壁に残る死徒の黒い血痕を指でなぞる。
その仕草だけで、彼女がどれほど危険な存在か分かる。
だが。
「けど、まぁ……。」
彼女は少しだけ視線を細めた。
「今日くらいは、皆で生き残った事、喜んでもいいと思いますよ?」
その言葉に、意外にも殺気は無かった。
純粋な実感だった。
二十七祖を殺し。
アンデルセンから生き延び。
時計塔と埋葬機関を相手に交渉を成立させた。
本来なら、誰か一人でも生き残れば奇跡の状況だ。
それを全員で切り抜けた。
だからこそ――。
「……そうだな。」
ブラッドレイが静かに答える。
「今日くらいは、休むとしよう。」
その瞬間。
地下大聖堂の遥か遠くで、巨大な鐘の音が響いた。
ゴォォン――……
荘厳で。
重く。
まるで死者達を弔うような音だった。
一同は足を止める。
その音を、静かに聞いていた。
誰も喋らない。
だが、不思議と悪い沈黙ではなかった。
死地を越えた者達だけが共有する、奇妙な静けさだった。
やがて。
先頭を歩いていたハサンの一人が、低く告げる。
「……見えた。」
回廊の先。
古代の紋様が刻まれた、巨大な転移魔法陣が淡く光っていた。
ロンドンへ戻るための道。
戦場から、日常へ帰る道だった。
だが――。
その入口の前で。
ブラッドレイだけは、僅かに目を細めた。
「……。」
マルグリットが気付く。
「どうしたの?ブラッドレイ」
「いや。」
ブラッドレイは短く答える。
「静か過ぎると思ってな。」
その言葉に。
空気が、ほんの僅かだけ張り詰めた。
転移魔法陣を前にして。
戦友達の間に流れていた穏やかな空気が、僅かに止まる。
ブラッドレイは歩みを止めたまま、暗い回廊の奥へ視線を向けた。
「……随分静かだな?」
その声は、独り言のように小さい。
だが同時に――警戒だった。
埋葬機関本部で、“静か”という状況そのものが異常なのだ。
いつもなら。
祈りの声。
武器の整備音。
処刑室から響く絶叫。
代行者達の足音。
何かしらの“死”の気配がある。
それが今は、不自然なほど静まり返っていた。
そして。
――コツ。
暗闇の奥から、ゆっくりと靴音が響く。
――コツ、コツ。
規則正しく。
静かで。
だが、確かな重みを持った足音。
一同の空気が変わる。
ハサン達が即座に影へ沈み。
ディルムッドが槍へ手を添え。
切嗣が無意識に重心を落とす。
マルグリットだけが。
「あ。」
と、妙に気楽な声を漏らした。
暗闇の中から、一人の女性が姿を現す。
青みがかったショートカット。
整った顔立ち。
落ち着いた視線。
黒鍵を携えた、埋葬機関の戦装束。
だが、その雰囲気は他の代行者達とは違う。
鋭い。
静か。
そして――異様に“実戦慣れ”していた。
「お久しぶりですね、ブラッドレイ。」
優しい声だった。
まるで旧友へ話しかけるような、穏やかな口調。
埋葬機関のシエル。
埋葬機関七位、弓のシエル。
その名を知る者達の間に、緊張が走る。
時計塔ですら危険指定する、“埋葬機関最強候補”の一角。
ブラッドレイは、僅かに目を細めた。
「……シエルか。」
「ええ。」
彼女は微笑む。
「無事だったようで安心しました。」
その言葉自体は柔らかい。
だが。
彼女の背後。
回廊の影が、ゆっくりと揺れた。
――ズ……。
――ガチリ。
――コツ。
気配が増える。
一つではない。
二つ。
三つ。
四つ。
殺気。
いや、“処刑人達の気配”。
影の中から、埋葬機関の序列持ち代行者達が姿を現していく。
巨大な棺桶を背負った男。
全身に聖句を刻んだ修道士。
異様に細い糸目の女。
黒鍵を指の隙間に並べる青年。
誰もが、人間離れした圧を纏っていた。
それを見たウェイバーの顔が青ざめる。
「お、おい……増えてないか?」
「当然です。」
シエルは穏やかに答える。
「二十七祖討伐帰りの一団を、そのまま帰すほど、埋葬機関は甘くありません。」
「疑っているのかね?」
ブラッドレイが問う。
「半分は警戒です。」
シエルは即答した。
「もう半分は、“興味”ですね。」
その瞬間。
序列持ち達の視線が、一斉にサーヴァント達へ向く。
ギルガメッシュが鼻で笑う。
「雑種共が。品定めのつもりか?」
空気が張る。
だが。
シエルだけは、静かだった。
「安心してください。」
「今日は戦いに来たわけではありません。」
その言葉に。
マルグリットが、くすくす笑う。
「あらぁ?……。」
「私はシエルの仲間よ?。」
そう言いながら。
彼女自身も、“いつでも殺せる位置”へ自然に移動していた。
ブラッドレイはそれを横目で確認し、小さく息を吐く。
――やはりか。
埋葬機関は、まだこちらを完全には信用していない。
当然だ。
本来なら。
英霊の受肉など、“即時封印指定”でもおかしくない。
しかも今ここには。
王。
英雄。
暗殺者。
怪物殺し。
危険人物が揃い過ぎている。
そんな中。
シエルは静かにブラッドレイを見る。
「単刀直入に聞きます。」
「あなた方は、本当に“こちら側”に留まるつもりですか?」
その問いは。
確認ではない。
埋葬機関そのものの、“最後の見極め”だった。
ブラッドレイは、静かにシエルを見返した。
その隻眼には、敵意も、怒りも無い。
ただ、長い戦いを生き抜いた者だけが持つ、乾いた諦観があった。
「……皮肉な話だが、普通を求めてはいるさ。」
低く、落ち着いた声が回廊に響く。
「それこそ、ずっとな。」
誰も口を挟まない。
埋葬機関の代行者達ですら、黙って聞いていた。
ブラッドレイは、小さく笑う。
「だが、私は“普通”を知らん。」
「だからこそ憧れた。」
その言葉には、不思議な重みがあった。
アメストリアの総統。
人造人間。
埋葬機関の処刑人。
聖杯戦争の英霊。
常に戦場の中心に居た男。
そんな男が、“普通”を語る。
それ自体が、どこか痛々しかった。
ブラッドレイは、後ろを振り返る。
イスカンダル。
ギルガメッシュ。
ディルムッド。
切嗣。
綺礼。
ウェイバー。
時臣。
ケイネス。
ハサン達。
そして、マルグリット。
誰一人として、“平穏”だけで生きられる存在ではない。
「それと同時に――。」
ブラッドレイは少しだけ笑った。
「私は……いや、この場に居る者達は、“普通”に馴染みたくとも、あまりに場違いだろうな。」
その言葉に。
イスカンダルが豪快に笑う。
「ガハハハ! 違いない!」
「余など、会社員をやれと言われても三日で国を作り始めるぞ!」
「お前は少し自重しろ。」
ウェイバーが即座に返し、小さな笑いが漏れる。
張り詰めていた空気が、ほんの僅かに緩んだ。
だが。
ブラッドレイの声色は、そこで変わる。
穏やかだった空気に、鋼のような芯が混じる。
「……そのための、“線引き”だ。」
シエルが静かに目を細める。
「普通と、戦いの線引き。」
ブラッドレイは続けた。
「我々は、日常を壊さない。」
「自ら争いを起こさん。」
「時計塔とも、埋葬機関とも、無意味な敵対は避ける。」
そこまで言って。
彼は、自嘲気味に笑った。
「だが――。」
「我々の本質は、“闘争”だ。」
空気が変わる。
その場の全員が理解した。
これは脅しではない。
宣言だ。
キング・ブラッドレイという男が、自分達の本質を偽らなかっただけ。
「これだけは、変えられん。」
静かな声だった。
だが、その一言には、凄まじい現実味があった。
ギルガメッシュは愉快そうに口元を吊り上げる。
「フン……ようやく本音を言ったか。」
ディルムッドは苦く笑う。
「騎士もまた、戦い無しには生きられん。」
切嗣は煙草も無い指先を見つめながら呟く。
「呪いみたいなものだ。」
マルグリットは、くすくす笑った。
「私達、戦場以外だと、生き方分からない人種ですもんねぇ。」
その笑顔は柔らかい。
だが、その目だけは笑っていなかった。
埋葬機関の序列持ち達も、黙っていた。
否定出来ないのだ。
彼ら自身もまた、“闘争”でしか生きられない怪物だから。
そんな沈黙の中。
シエルだけが、静かにブラッドレイを見つめていた。
そして。
「……ええ。」
小さく頷く。
「だからこそ、埋葬機関はあなた達を見逃した。」
その言葉に、一同が僅かに視線を向ける。
シエルは続けた。
「平穏を語る者は多い。」
「ですが、“自分達は危険だ”と認められる者は少ない。」
「あなた達は、自分達が怪物側に片足を踏み入れていると理解している。」
その声音は、どこか疲れていた。
「それが出来ない者から、壊れていきます。」
回廊に、静寂が落ちる。
遠くで、鐘の音が響いた。
埋葬機関の地下大聖堂。
怪物を狩る者達の巣窟。
その中心で。
“普通”に憧れる怪物達は、束の間だけ、穏やかな時間を共有していた。