冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第87話

地下大聖堂。

 

崩れた祭壇。

 

焼け焦げた聖句。

 

突き刺さった無数の銃剣。

 

つい先程まで殺し合いが行われていたとは思えないほど、今は静かだった。

 

その静寂の中。

 

キング・ブラッドレイは、ゆっくり立ち上がる。

 

黒い外套を翻し。

 

優しい目付きで、その場の全員を見渡した。

 

受肉した英霊達。

 

生還したマスター達。

 

死線を潜り抜けた者達。

 

聖杯戦争の“勝者”でも“敗者”でもない。

 

ただ、生き残った者達。

 

ブラッドレイは、小さく笑った。

 

「……戦友諸君。」

 

その言葉に。

 

ウェイバーが顔を上げる。

 

イスカンダルが豪快に笑い。

 

ディルムッドが静かに耳を傾ける。

 

ギルガメッシュですら、黙って聞いていた。

 

「魔術師側の時計塔。」

 

「協会側の埋葬機関。」

 

ブラッドレイは、静かに続ける。

 

「両方とも、話がついた。」

 

短い沈黙。

 

そして。

 

彼は、肩の力を抜くように息を吐いた。

 

「……やっと自由だ。」

 

その一言だった。

 

だが。

 

その場の誰もが理解した。

 

聖杯戦争。

 

監視。

 

追跡。

 

封印指定。

 

異端認定。

 

死徒。

 

教会。

 

時計塔。

 

ありとあらゆる脅威と敵意の中を、生き延びてきた。

 

そして今。

 

ようやく。

 

“生き残る為”ではなく、“生きる為”の時間が始まる。

 

ウェイバーが、ぽつりと呟く。

 

「……終わったんだな。」

 

「終わってはいない。」

 

ブラッドレイは静かに首を横へ振る。

 

「世界は相変わらず狂っている。」

 

「二十七祖も居る。」

 

「イスカリオテも居る。」

 

「時計塔も、埋葬機関も、完全に信用出来る訳ではない。」

 

“究極の眼”が、静かに細まる。

 

「だが。」

 

今度は、確かに笑った。

 

「少なくとも、我々は“選べる”。」

 

「誰に従うか。」

 

「どこで生きるか。」

 

「何を守るか。」

 

「それを決める自由が、ようやく手に入った。」

 

静寂。

 

その言葉は。

 

英霊にも。

 

魔術師にも。

 

余りにも重かった。

 

生前、誰よりも“役割”へ縛られ続けた英雄達だからこそ。

 

その意味が分かる。

 

イスカンダルが、大きく笑う。

 

「ハハハハハ!!

良いではないか!!」

 

「ならば次は、“生”を楽しむとしよう!!」

 

ディルムッドも、小さく頷く。

 

ギルガメッシュは鼻で笑った。

 

「ようやくか雑種共。」

 

「余の愉悦に付き合える程度には、マシになったようだな。」

 

「相変わらずだな英雄王。」

 

その空気に、僅かな笑いが広がる。

 

マルグリット・ラ・ヴェルデュールが、楽しそうに頬杖をついた。

 

「でも、本当に変な光景よね。」

 

「聖杯戦争の生き残りと、埋葬機関が協力関係とか。」

 

ナルバレックは腕を組んだまま、静かに言う。

 

「前例は無い。」

 

「だからこそ価値がある。」

 

その時だった。

 

ブラッドレイが、ふと崩壊した天井を見上げる。

 

遥か上。

 

地上の光が、微かに差し込んでいた。

 

「……さて。」

 

元・埋葬機関の処刑人は、静かに笑う。

 

「行くとするか。」

 

「我々の、“次の人生”へ。」

 

埋葬機関本部――地下大聖堂。

 

死徒の血の臭いと、祝福された銀の匂いが未だ薄く漂う石造りの回廊を、戦友達は静かに歩いていた。

 

先程までの、張り詰めた殺気は無い。

 

時計塔との交渉。

埋葬機関との交渉。

二十七祖第十一位“黒血のベラムド”との死闘。

そして――第十三課イスカリオテ、《アレクサンド・アンデルセン》との激突。

 

あまりにも濃密な数日だった。

 

だが今、彼らの足取りは、どこか穏やかだった。

 

地下深くに刻まれた帰還用の転移魔法陣へ向かいながら、自然と会話が生まれていた。

 

「……ハァ。」

 

ウェイバー・ベルベットが、小さく息を吐く。

 

「生きて帰れるんだな、俺達。」

 

隣を歩くイスカンダルが、豪快に笑った。

 

「ガハハ! 当然よ! 余はまだまだ征服せねばならぬ世界が山程あるのでな!」

 

「いやアンタは少し落ち着けよ……。」

 

疲れ切った顔でウェイバーが返すと、一同から小さな笑いが漏れる。

 

そんな些細なやり取りですら、奇跡のようだった。

 

ケイネスは腕を組みながら、遠坂時臣へ視線を向ける。

 

「……まさか、君と肩を並べて死徒を狩る日が来るとはな。」

 

「私もだよ、ロード・エルメロイ。」

 

時臣は静かに笑った。

 

「だが悪くはない。少なくとも、聖杯戦争などという愚行よりは、遥かに建設的だ。」

 

「建設的、か。」

 

切嗣が皮肉気に呟く。

 

「魔術協会と教会に睨まれながらの生活が?」

 

「それでも、生きている。」

 

言峰綺礼が、淡々と答えた。

 

「死人には選択肢すら無い。」

 

その言葉に、一瞬だけ空気が静まる。

 

皆、それぞれに失ったものがある。

 

壊れた人生。

叶わなかった願い。

殺した者達。

救えなかった者達。

 

だが、それでも――。

 

「……新しい店でも開くかね。」

 

不意に、キング・ブラッドレイが言った。

 

全員の視線が集まる。

 

「店?」

 

ディルムッドが聞き返す。

 

「ああ。」

 

ブラッドレイは口元を僅かに緩めた。

 

「平和に暮らすなら、案外そういうものも悪くない。武器屋でも良いし、時計修理でも良い。生前は、そういう普通の人生に少し憧れていてな。」

 

「お前が“普通”を語ると、妙な重みがあるな。」

 

ギルガメッシュが鼻で笑う。

 

「フッ……英雄王に言われるとは心外だ。」

 

だが、その声は穏やかだった。

 

戦いの時の冷徹な“剣”ではない。

 

今ここに居るのは、ただ疲れ切った、一人の男だった。

 

そして――。

 

「へぇ〜……何だか楽しそうね、“普通”。」

 

場違いなほど柔らかな声が響いた。

 

マルグリット・ラ・ヴェルデュール。

 

埋葬機関第五位執行者。

 

“微笑みの断頭台”。

 

白銀の髪を揺らしながら、彼女は一行の後方を歩いていた。

 

その存在に、何人かが僅かに身構える。

 

当然だった。

 

つい先程まで、彼女は“敵側”の怪物だったのだから。

 

だがマルグリットは気にも留めず、くすくす笑う。

 

「私も、そういうの結構好きですよぉ? 平和ぁ〜とか、普通ぅ〜とか。」

 

「……お前が言うと、全く信用出来んな。」

 

ケイネスが露骨に眉を顰める。

 

「あははっ、酷いわぁ。」

 

マルグリットは笑った。

 

笑いながら――壁に残る死徒の黒い血痕を指でなぞる。

 

その仕草だけで、彼女がどれほど危険な存在か分かる。

 

だが。

 

「けど、まぁ……。」

 

彼女は少しだけ視線を細めた。

 

「今日くらいは、皆で生き残った事、喜んでもいいと思いますよ?」

 

その言葉に、意外にも殺気は無かった。

 

純粋な実感だった。

 

二十七祖を殺し。

アンデルセンから生き延び。

時計塔と埋葬機関を相手に交渉を成立させた。

 

本来なら、誰か一人でも生き残れば奇跡の状況だ。

 

それを全員で切り抜けた。

 

だからこそ――。

 

「……そうだな。」

 

ブラッドレイが静かに答える。

 

「今日くらいは、休むとしよう。」

 

その瞬間。

 

地下大聖堂の遥か遠くで、巨大な鐘の音が響いた。

 

ゴォォン――……

 

荘厳で。

重く。

まるで死者達を弔うような音だった。

 

一同は足を止める。

 

その音を、静かに聞いていた。

 

誰も喋らない。

 

だが、不思議と悪い沈黙ではなかった。

 

死地を越えた者達だけが共有する、奇妙な静けさだった。

 

やがて。

 

先頭を歩いていたハサンの一人が、低く告げる。

 

「……見えた。」

 

回廊の先。

 

古代の紋様が刻まれた、巨大な転移魔法陣が淡く光っていた。

 

ロンドンへ戻るための道。

 

戦場から、日常へ帰る道だった。

 

だが――。

 

その入口の前で。

 

ブラッドレイだけは、僅かに目を細めた。

 

「……。」

 

マルグリットが気付く。

 

「どうしたの?ブラッドレイ」

 

「いや。」

 

ブラッドレイは短く答える。

 

「静か過ぎると思ってな。」

 

その言葉に。

 

空気が、ほんの僅かだけ張り詰めた。

 

転移魔法陣を前にして。

 

戦友達の間に流れていた穏やかな空気が、僅かに止まる。

 

ブラッドレイは歩みを止めたまま、暗い回廊の奥へ視線を向けた。

 

「……随分静かだな?」

 

その声は、独り言のように小さい。

 

だが同時に――警戒だった。

 

埋葬機関本部で、“静か”という状況そのものが異常なのだ。

 

いつもなら。

 

祈りの声。

武器の整備音。

処刑室から響く絶叫。

代行者達の足音。

 

何かしらの“死”の気配がある。

 

それが今は、不自然なほど静まり返っていた。

 

そして。

 

――コツ。

 

暗闇の奥から、ゆっくりと靴音が響く。

 

――コツ、コツ。

 

規則正しく。

静かで。

だが、確かな重みを持った足音。

 

一同の空気が変わる。

 

ハサン達が即座に影へ沈み。

ディルムッドが槍へ手を添え。

切嗣が無意識に重心を落とす。

 

マルグリットだけが。

 

「あ。」

 

と、妙に気楽な声を漏らした。

 

暗闇の中から、一人の女性が姿を現す。

 

青みがかったショートカット。

整った顔立ち。

落ち着いた視線。

黒鍵を携えた、埋葬機関の戦装束。

 

だが、その雰囲気は他の代行者達とは違う。

 

鋭い。

静か。

そして――異様に“実戦慣れ”していた。

 

「お久しぶりですね、ブラッドレイ。」

 

優しい声だった。

 

まるで旧友へ話しかけるような、穏やかな口調。

 

埋葬機関のシエル。

 

埋葬機関七位、弓のシエル。

 

その名を知る者達の間に、緊張が走る。

 

時計塔ですら危険指定する、“埋葬機関最強候補”の一角。

 

ブラッドレイは、僅かに目を細めた。

 

「……シエルか。」

 

「ええ。」

 

彼女は微笑む。

 

「無事だったようで安心しました。」

 

その言葉自体は柔らかい。

 

だが。

 

彼女の背後。

 

回廊の影が、ゆっくりと揺れた。

 

――ズ……。

 

――ガチリ。

 

――コツ。

 

気配が増える。

 

一つではない。

 

二つ。

三つ。

四つ。

 

殺気。

 

いや、“処刑人達の気配”。

 

影の中から、埋葬機関の序列持ち代行者達が姿を現していく。

 

巨大な棺桶を背負った男。

 

全身に聖句を刻んだ修道士。

 

異様に細い糸目の女。

 

黒鍵を指の隙間に並べる青年。

 

誰もが、人間離れした圧を纏っていた。

 

それを見たウェイバーの顔が青ざめる。

 

「お、おい……増えてないか?」

 

「当然です。」

 

シエルは穏やかに答える。

 

「二十七祖討伐帰りの一団を、そのまま帰すほど、埋葬機関は甘くありません。」

 

「疑っているのかね?」

 

ブラッドレイが問う。

 

「半分は警戒です。」

 

シエルは即答した。

 

「もう半分は、“興味”ですね。」

 

その瞬間。

 

序列持ち達の視線が、一斉にサーヴァント達へ向く。

 

ギルガメッシュが鼻で笑う。

 

「雑種共が。品定めのつもりか?」

 

空気が張る。

 

だが。

 

シエルだけは、静かだった。

 

「安心してください。」

 

「今日は戦いに来たわけではありません。」

 

その言葉に。

 

マルグリットが、くすくす笑う。

 

「あらぁ?……。」

 

「私はシエルの仲間よ?。」

 

そう言いながら。

 

彼女自身も、“いつでも殺せる位置”へ自然に移動していた。

 

ブラッドレイはそれを横目で確認し、小さく息を吐く。

 

――やはりか。

 

埋葬機関は、まだこちらを完全には信用していない。

 

当然だ。

 

本来なら。

 

英霊の受肉など、“即時封印指定”でもおかしくない。

 

しかも今ここには。

 

王。

英雄。

暗殺者。

怪物殺し。

 

危険人物が揃い過ぎている。

 

そんな中。

 

シエルは静かにブラッドレイを見る。

 

「単刀直入に聞きます。」

 

「あなた方は、本当に“こちら側”に留まるつもりですか?」

 

その問いは。

 

確認ではない。

 

埋葬機関そのものの、“最後の見極め”だった。

 

ブラッドレイは、静かにシエルを見返した。

 

その隻眼には、敵意も、怒りも無い。

 

ただ、長い戦いを生き抜いた者だけが持つ、乾いた諦観があった。

 

「……皮肉な話だが、普通を求めてはいるさ。」

 

低く、落ち着いた声が回廊に響く。

 

「それこそ、ずっとな。」

 

誰も口を挟まない。

 

埋葬機関の代行者達ですら、黙って聞いていた。

 

ブラッドレイは、小さく笑う。

 

「だが、私は“普通”を知らん。」

 

「だからこそ憧れた。」

 

その言葉には、不思議な重みがあった。

 

アメストリアの総統。

人造人間。

埋葬機関の処刑人。

聖杯戦争の英霊。

 

常に戦場の中心に居た男。

 

そんな男が、“普通”を語る。

 

それ自体が、どこか痛々しかった。

 

ブラッドレイは、後ろを振り返る。

 

イスカンダル。

ギルガメッシュ。

ディルムッド。

切嗣。

綺礼。

ウェイバー。

時臣。

ケイネス。

ハサン達。

 

そして、マルグリット。

 

誰一人として、“平穏”だけで生きられる存在ではない。

 

「それと同時に――。」

 

ブラッドレイは少しだけ笑った。

 

「私は……いや、この場に居る者達は、“普通”に馴染みたくとも、あまりに場違いだろうな。」

 

その言葉に。

 

イスカンダルが豪快に笑う。

 

「ガハハハ! 違いない!」

 

「余など、会社員をやれと言われても三日で国を作り始めるぞ!」

 

「お前は少し自重しろ。」

 

ウェイバーが即座に返し、小さな笑いが漏れる。

 

張り詰めていた空気が、ほんの僅かに緩んだ。

 

だが。

 

ブラッドレイの声色は、そこで変わる。

 

穏やかだった空気に、鋼のような芯が混じる。

 

「……そのための、“線引き”だ。」

 

シエルが静かに目を細める。

 

「普通と、戦いの線引き。」

 

ブラッドレイは続けた。

 

「我々は、日常を壊さない。」

 

「自ら争いを起こさん。」

 

「時計塔とも、埋葬機関とも、無意味な敵対は避ける。」

 

そこまで言って。

 

彼は、自嘲気味に笑った。

 

「だが――。」

 

「我々の本質は、“闘争”だ。」

 

空気が変わる。

 

その場の全員が理解した。

 

これは脅しではない。

 

宣言だ。

 

キング・ブラッドレイという男が、自分達の本質を偽らなかっただけ。

 

「これだけは、変えられん。」

 

静かな声だった。

 

だが、その一言には、凄まじい現実味があった。

 

ギルガメッシュは愉快そうに口元を吊り上げる。

 

「フン……ようやく本音を言ったか。」

 

ディルムッドは苦く笑う。

 

「騎士もまた、戦い無しには生きられん。」

 

切嗣は煙草も無い指先を見つめながら呟く。

 

「呪いみたいなものだ。」

 

マルグリットは、くすくす笑った。

 

「私達、戦場以外だと、生き方分からない人種ですもんねぇ。」

 

その笑顔は柔らかい。

 

だが、その目だけは笑っていなかった。

 

埋葬機関の序列持ち達も、黙っていた。

 

否定出来ないのだ。

 

彼ら自身もまた、“闘争”でしか生きられない怪物だから。

 

そんな沈黙の中。

 

シエルだけが、静かにブラッドレイを見つめていた。

 

そして。

 

「……ええ。」

 

小さく頷く。

 

「だからこそ、埋葬機関はあなた達を見逃した。」

 

その言葉に、一同が僅かに視線を向ける。

 

シエルは続けた。

 

「平穏を語る者は多い。」

 

「ですが、“自分達は危険だ”と認められる者は少ない。」

 

「あなた達は、自分達が怪物側に片足を踏み入れていると理解している。」

 

その声音は、どこか疲れていた。

 

「それが出来ない者から、壊れていきます。」

 

回廊に、静寂が落ちる。

 

遠くで、鐘の音が響いた。

 

埋葬機関の地下大聖堂。

 

怪物を狩る者達の巣窟。

 

その中心で。

 

“普通”に憧れる怪物達は、束の間だけ、穏やかな時間を共有していた。

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