ブラッドレイは、一歩前へ出た。
転移魔法陣の淡い光が、その軍服を静かに照らしている。
そして。
シエル。
マルグリット。
周囲を取り囲む序列持ち代行者達を、ゆっくり見渡した。
敵意は無い。
だが、油断も無い。
怪物同士の距離感だった。
「……君達には、世話をかけたな。」
静かな声だった。
その言葉に、何人かの代行者が僅かに目を見開く。
埋葬機関の人間へ、素直に礼を言う者など滅多に居ない。
まして、キング・ブラッドレイのような男なら尚更だ。
ブラッドレイは続ける。
「本来なら、我々はここで始末されていても不思議ではなかった。」
「それでも、交渉の席を設け、条件付きとはいえ自由を認めた。」
「感謝しよう。」
その言葉は、驚くほど率直だった。
シエルは静かに目を伏せる。
「……あなたが礼を言うとは思いませんでした。」
「私もだ。」
ブラッドレイは少し笑った。
「だが、礼節は必要だろう。」
その空気に。
マルグリットが、くすくすと肩を揺らす。
「あはっ♪」
「やっぱブラッドレイ、真面目ね。」
「誰かさんが不真面目過ぎるだけだ。」
「酷ぉ〜。」
笑いながら、彼女はブラッドレイの隣へ並ぶ。
血塗れの修道女。
処刑を愛する怪物。
だが今は、どこか穏やかな顔をしていた。
ブラッドレイは、そんな彼女へ視線を向ける。
「……マルグリット。」
「ん?」
「見送りは、ここまででいい。」
その瞬間。
マルグリットの笑みが、ほんの少しだけ止まった。
周囲の代行者達も沈黙する。
ブラッドレイは続けた。
「これ以上同行すれば、埋葬機関内部でも問題になる。」
「ナルバレックも頭を抱えるだろう。」
「それに――。」
彼は僅かに笑う。
「お前まで付いて来ると、“日常”が遠ざかる。」
その言葉に。
ウェイバーが小さく頷いた。
「……それはちょっと分かる。」
「酷いわぁ、ふふふ。」
マルグリットは頬を膨らませる。
だが、本気で怒ってはいない。
彼女自身、理解していた。
自分は“日常側”の存在ではない。
処刑台。
血。
祈り。
断頭。
それが、自分の世界だ。
マルグリットは、しばらく黙っていた。
そして。
ふっと、小さく笑う。
「……そっかぁ。」
その声だけは、少し寂しそうだった。
「まぁ、仕方ないわねぇ。」
彼女は、白銀の髪を揺らしながら後ろへ下がる。
「私は、埋葬機関の人間。」
「あなた達も、“普通”頑張ってくださいねぇ。」
最後まで笑顔だった。
だが。
ブラッドレイは気付いていた。
その笑顔の奥にある、“取り残される側”の感情に。
だからこそ。
彼は静かに言った。
「必要になれば呼べ。」
マルグリットが目を瞬かせる。
「……え?」
「君達も戦友だろう?。」
短い言葉。
だが。
それは、彼女にとって予想外だった。
埋葬機関の人間は、基本的に孤独だ。
任務が終われば別れる。
誰かが死んでも進む。
情など、足枷にしかならない。
だからこそ。
“戦友”という言葉は、妙に胸に残った。
マルグリットは数秒黙り込み。
それから。
いつものように、にへら、と笑った。
「あはっ……。」
「……ほんと、変な不思議な男ね。」
ブラッドレイは、ゆっくりと埋葬機関の面々を見渡した。
シエル。
マルグリット。
そして、影の中でこちらを監視し続けていた序列持ち代行者達。
誰も口を開かない。
地下大聖堂には、静かな鐘の残響だけが響いていた。
その中で。
ブラッドレイは、静かに口を開く。
「……さらばだ、元同僚達よ。」
短い別れだった。
だが、その一言には確かな重みがあった。
埋葬機関。
怪物を狩る墓守達。
かつて、自分が剣を振るっていた場所。
血塗れの戦場。
死徒狩り。
異端審問。
終わらない処刑。
そこには確かに、“キング・ブラッドレイ”という処刑人の人生があった。
シエルは静かに目を伏せる。
「ええ。」
「あなた達に、主の加護がありますように。」
それは祈りだった。
埋葬機関の人間らしい、不器用な別れの言葉。
マルグリットは、いつものように笑っている。
だが。
その糸目は少しだけ細く、寂しげだった。
「また会いましょうねぇ、ブラッドレイ。」
「次は戦場じゃなくて、普通の場所で。」
「……努力しよう。」
ブラッドレイは僅かに笑う。
そのやり取りに、周囲の代行者達が小さく息を吐いた。
完全な敵ではない。
だが、完全な味方でもない。
それでも――。
確かに、奇妙な信頼は生まれていた。
ブラッドレイは踵を返す。
そして、背後にいる戦友達へ視線を向けた。
イスカンダル。
ギルガメッシュ。
ディルムッド。
ウェイバー。
切嗣。
綺礼。
時臣。
ケイネス。
ハサン達。
疲弊しながらも、生き残った者達。
聖杯戦争を終え。
怪物達との戦いを越え。
なお立っている者達。
ブラッドレイは、静かに言った。
「さて、戦友諸君。」
その声に、一同が顔を上げる。
転移魔法陣の光が、彼らを照らしていた。
「向こうへ帰れば、“普通”が待っている。」
「新たな人生が待っている。」
ほんの少しだけ。
ブラッドレイは笑う。
戦場では決して見せない、穏やかな笑みだった。
「……帰るぞ。」
その言葉と共に。
一同は、転移魔法陣へ足を踏み入れた。
淡い光が広がる。
空間が軋み。
魔力が渦を巻き。
古代術式が起動する。
埋葬機関の地下大聖堂。
怪物達の巣窟。
その景色が、ゆっくりと遠ざかっていく。
最後に。
マルグリットだけが、小さく手を振っていた。
「気をつけてねぇ、戦友さん達。」
その声を最後に。
閃光が、一行を包み込んだ。
閃光が消える。
耳鳴りのような転移の残響が、ゆっくりと静まっていく。
足元に刻まれた巨大な魔法陣が、淡い光を失い、周囲は薄暗い静寂に包まれた。
「……着いたか。」
ブラッドレイが低く呟く。
そこは、来る時に使用した地下ではなかった。
湿った地下回廊でも。
死臭漂う埋葬機関本部でもない。
冷たい夜風が吹いていた。
視界の先には、霧に包まれた深い森林。
ロンドン郊外――いや、人里から完全に隔絶された山奥。
埋葬機関が保有する、隠蔽結界付きの前線詰所だった。
石造りの小規模礼拝堂。
古びた宿舎。
武器庫。
聖別された井戸。
一見すれば、寂れた修道院にしか見えない。
だが。
その周囲には、幾重もの対魔術結界と、死徒感知術式が展開されている。
木々の間には黒鍵が突き刺さり。
見えない位置に狙撃用の聖銃陣地。
地下には緊急用転移路。
完全な“戦闘拠点”だった。
「うわ……。」
ウェイバーが周囲を見回す。
「こんな場所、ロンドンにあったのかよ……。」
「埋葬機関は、隠れるのが得意だからな。」
切嗣が静かに答える。
その視線は、既に周囲の警戒配置を確認していた。
ギルガメッシュは鼻で笑う。
「陰気な場所だ。」
「墓場みたいだな。」
「実際、墓場みたいなものだろう。」
綺礼が淡々と返す。
「ここは怪物狩りの拠点だ。」
その時。
詰所の扉が、静かに開いた。
中から現れたのは、黒衣の若い代行者だった。
一瞬、転移してきた一団を見て硬直する。
そして。
「あ……。」
顔色が変わった。
当然だ。
突然現れた集団の中に。
サーヴァント。
埋葬機関元序列。
時計塔のロード。
英雄王。
危険人物しか居ない。
代行者は反射的に黒鍵へ手を伸ばしかけ――。
「待て。」
ブラッドレイが静かに制した。
その声に、代行者の動きが止まる。
ブラッドレイは、一歩前へ出た。
「ナルバレックから話は通っている筈だ。」
「我々は通過するだけだ。」
若い代行者は緊張したまま頷く。
「し、失礼しました……。」
声が僅かに震えていた。
無理もない。
目の前の男は、“元埋葬機関番外次席”のキング・ブラッドレイ。
内部でも半ば伝説扱いの処刑人なのだから。
イスカンダルが豪快に笑う。
「ガハハ! そんなに怯えるな!」
「余らは今日は暴れん!」
「“今日は”って付けるなよ……。」
ウェイバーが疲れた顔で突っ込む。
小さな笑いが漏れる。
その空気に、若い代行者も少しだけ肩の力を抜いた。
夜風が吹く。
ロンドンの空は曇っていた。
だが。
地下大聖堂のような圧迫感は無い。
血の臭いも薄い。
静かだった。
本当に静かな夜だった。
ブラッドレイは、その空気をゆっくり吸い込む。
「……。」
普通。
平穏。
日常。
自分達には、あまりに遠かったもの。
だが今だけは。
その入口に立てている気がした。
そして。
遠くで、微かにロンドンの街明かりが見えていた。
詰所の外。
霧の漂う山道に、冷たい夜風が吹き抜けていた。
遠くにはロンドンの灯り。
近くには、怪物狩り達の隠れ家。
その境界線に、戦友達は立っていた。
誰もすぐには動かない。
聖杯戦争。
死徒との戦い。
時計塔と埋葬機関。
あまりにも濃密な日々を共に越えた者達にとって、この別れは、思っていた以上に重かった。
ブラッドレイは、一同を見渡す。
その視線は、どこか穏やかだった。
「……さて。」
静かな声が響く。
「これで、お別れだ。」
ウェイバーが、少しだけ顔を曇らせる。
イスカンダルは腕を組みながら、何も言わない。
ギルガメッシュですら、珍しく口を挟まなかった。
ブラッドレイは続ける。
「戦友諸君。」
その呼び方に、誰も違和感を抱かなくなっていた。
本来なら、敵同士だった筈なのに。
互いに殺し合っていた筈なのに。
今では、その言葉が妙にしっくり来る。
ブラッドレイは、薄く笑った。
「……叶うなら、また。」
一瞬だけ、夜風が吹く。
その声は、戦場の剣士ではなく。
一人の人間としての声だった。
「生きて会おう。」
静寂。
だが、その言葉は確かに皆の胸へ落ちた。
切嗣が、ゆっくり煙草の無い口元を歪める。
「……縁があればな。」
時臣は静かに頷いた。
「次は、もう少し平和な席で会いたいものだ。」
「酒くらいは用意しろよ、遠坂時臣よ。」
ケイネスが鼻を鳴らす。
「君は相変わらず図々しいな。」
ディルムッドは、騎士らしく深く一礼した。
「貴方と共に戦えた事、誇りに思う。」
ギルガメッシュは退屈そうに鼻を鳴らす。
「フン……。」
「雑種共の割には、悪くない余興だった。」
だが、その赤い瞳には僅かな愉快さがあった。
そして。
イスカンダルが、大きな手でブラッドレイの肩を叩く。
「ハハハ! 次に会う時は、余の軍勢に加えてやっても良いぞ!」
「断る。」
「即答か!」
笑いが起こる。
疲れ切った、だが暖かい笑いだった。
そんな中。
ウェイバーだけは、少し俯いていた。
「……終わったんだな。」
その呟きは、小さい。
だが、一同には聞こえていた。
聖杯戦争。
あまりにも多くを壊した戦い。
それが今、本当に終わったのだ。
ブラッドレイは、静かに頷く。
「ああ。」
「終わった。」
その言葉と共に。
戦友達は、それぞれの道へ歩き出していく。
普通を知らない者達が。
普通へ向かって。
戦場しか知らなかった怪物達が。
新しい人生へ向かって。
霧の向こうへ、ゆっくりと消えていった。
霧の中へ歩き出しかけていた戦友達の足が、止まる。
ブラッドレイの声だった。
低く。
静かで。
だが、鋼のように揺るがない声。
「……何か有れば、呼べ。」
一同が振り返る。
夜風の中。
ブラッドレイは、変わらぬ姿勢で立っていた。
軍帽の影に隠れた隻眼が、静かに皆を見渡している。
「我々は戦友だ。」
その言葉は、確認ではない。
既に決まった事実として語られていた。
時計塔も。
埋葬機関も。
聖杯戦争も。
そんなものを越えて。
死地を共に潜った者達だけに許される呼び名。
ブラッドレイは続ける。
「必ず助けに行く。」
その瞬間。
切嗣が、小さく目を細めた。
綺礼は静かに口元を歪める。
イスカンダルは豪快に笑い。
ディルムッドは、静かに胸へ手を当てた。
そして。
ブラッドレイは、ほんの僅かに笑う。
「戦友の敵は――私の敵だ。」
その一言に。
空気が変わる。
それは、英雄の誓いだった。
王の宣言だった。
キング・ブラッドレイという男が、一度認めた者を見捨てないという、絶対の意思。
ギルガメッシュが鼻で笑う。
「フン……。」
「雑種の癖に、随分と王らしい事を言うではないか。」
「お前に言われるとは光栄だ、英雄王。」
イスカンダルは、大声で笑った。
「ガハハハ!! 良い!!」
「実に良いぞブラッドレイ!!」
「余はそういう男が好きだ!!」
ウェイバーは、どこか呆れたように笑う。
「……なんかさ。」
「聖杯戦争より、こっちの方がよっぽど変な縁だよな。」
「違いない。」
ケイネスが苦笑する。
遠坂時臣も、静かに目を閉じた。
「ならば私も約束しよう。」
「諸君が窮地に陥った時、遠坂の名において可能な限り力を貸す。」
ディルムッドが続く。
「騎士として、その誓いに応えよう。」
ハサン達は、静かに影の中で頷いた。
切嗣だけは少し遅れて。
「……面倒な連中に関わったな、俺も。」
そう呟きながら。
僅かに笑った。
その光景を見ながら。
ブラッドレイは、静かに目を細める。
戦友。
かつて、自分には無かったもの。
利用し合う関係でも。
軍の部下でも。
命令でもない。
互いの意思で背中を預ける関係。
それが今、確かにここにあった。
霧が流れる。
ロンドンの灯りが遠く揺れていた。
そして、戦友達は。
それぞれの新しい人生へ向け、ゆっくりと歩き出していった。
霧の深い山道。
埋葬機関の隠蔽詰所を背にして、戦友達は静かに立っていた。
誰も急ごうとはしない。
この別れが、“戦場の解散”ではないと分かっていたからだ。
これは。
それぞれが、“自分の人生”へ戻る瞬間だった。
最初に動いたのは、遠坂時臣だった。
黒い外套を整えながら、彼は一同へ静かに一礼する。
「では、私は遠坂の責務へ戻るとしよう。」
「時計塔への根回しも必要だからな。」
ケイネスが鼻を鳴らす。
「君の政治力には期待しているぞ、遠坂。」
「君ほど露骨ではないがね、ロード・エルメロイ。」
小さな皮肉を交わしながらも、二人の間に以前のような険悪さは無かった。
時臣は最後に、ブラッドレイを見る。
「……生き延びてくれて良かった。」
「お互いにな。」
短い会話。
だが、それで十分だった。
遠坂時臣は霧の中へ歩き出し、やがて静かに姿を消していく。
次に。
ディルムッドが前へ出た。
月明かりを受けた双槍が、静かに輝く。
「私は、主君を探しながら各地を巡ろうと思う。」
「今度こそ、“騎士”として生きてみたい。」
その顔には、聖杯戦争中には無かった穏やかさがあった。
ブラッドレイは頷く。
「お前なら出来る。」
ディルムッドは深く礼をした。
「貴方と戦えた事、誇りでした。」
そう言い残し、風のように去っていく。
その後ろ姿を見送りながら。
ウェイバーが、ぽつりと呟いた。
「……皆、本当に行くんだな。」
「当たり前だ。」
ギルガメッシュが退屈そうに答える。
「いつまでも群れている趣味は無い。」
そう言いながらも、彼はすぐには動かなかった。
イスカンダルが笑う。
「おぉ英雄王よ、寂しいのか?」
「殺すぞ征服王。」
「ガハハハ!!」
騒がしい笑い声が、山奥へ響く。
だが、その時間も長くは続かない。
ハサン達は、いつの間にか影へ溶け始めていた。
別れの言葉すら無い。
ただ、去り際に。
百貌のハサンだけが、静かに振り返る。
「……感謝する。」
その一言だけを残し、闇へ消えた。
切嗣は、遠くのロンドンを見ていた。
「……帰る場所、か。」
綺礼が隣へ立つ。
「まだ迷っているのか。」
「迷ってるさ。」
切嗣は苦笑した。
「平和に生きるなんて、俺には向いてない。」
「だが。」
彼は少しだけ目を細める。
「試してみる価値くらいは、あるかもしれない。」
綺礼は何も言わない。
ただ、静かに頷いた。
そして二人も、ゆっくり歩き出していく。
残されたのは。
イスカンダル。
ウェイバー。
ギルガメッシュ。
そして、ブラッドレイ。
征服王は、豪快に笑いながらウェイバーの背を叩く。
「では行くぞ、坊主!」
「痛ぇ!! 力加減しろって!!」
「次は世界征服だ!!」
「絶対付き合わねぇからな!?」
騒がしい声が、少しずつ遠ざかる。
ギルガメッシュは最後まで動かなかった。
黄金の王は、静かにブラッドレイを見る。
「……貴様。」
「何だ?」
「退屈はせんように生きろ。」
それだけだった。
だが、それは英雄王なりの餞別だった。
ブラッドレイは僅かに笑う。
「努力しよう。」
ギルガメッシュは鼻で笑い。
次の瞬間には、黄金の粒子となって夜へ溶けた。
静寂。
気付けば。
その場には、ブラッドレイ一人だけが残されていた。
霧が流れる。
冷たい風が吹く。
だが、不思議と孤独ではなかった。
それぞれが別々の道を歩きながらも。
確かに、繋がっている。
戦友として。
ブラッドレイは、遠くの街明かりを見つめる。
「……さて。」
静かな声が、夜へ溶けた。
「私も、“普通”を始めるとするか。」