――数年後。
冬木の聖杯戦争。
時計塔との交渉。
埋葬機関との停戦。
死徒二十七祖との死闘。
あの地下大聖堂での狂気じみた戦い。
今では、知る者だけが知る“秘匿された事件”となっていた。
世界は変わらない。
人々は何も知らずに生き。
街には笑い声が響き。
誰にも知られぬ場所で、怪物達が蠢いている。
だが。
あの戦争を生き残った者達は。
それぞれ、“新たな人生”を歩み始めていた。
――ロンドン。
時計塔。
かつて怯えた青年だったウェイバー・ベルベットは、今や時計塔でも名の知られた講師となっていた。
魔術刻印も家柄も乏しい。
それでも。
聖杯戦争を生き延び。
英霊と共に戦い。
死徒二十七祖すら見た男の言葉には、奇妙な説得力があった。
「ロード・エルメロイⅡ世だと?」
「はっ、似合わん名前だ。」
酒を片手に笑うイスカンダルへ、ウェイバーは顔を赤くして怒鳴る。
「うるさい!!
あんたが勝手に居座るから苦労してるんだよ!!」
だが。
その声は、どこか楽しそうだった。
その風景を、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト、先代のロードエルメロイが、以前とは違う、優しい眼差しで見ていた。
――遠坂邸跡。
遠坂時臣は、かつて焼け落ちた屋敷を静かに再建していた。
以前よりも遥かに強大な魔術回路。
そして、聖杯戦争の記憶。
彼は理解していた。
“根源”だけを追う時代は、終わりつつあるのだと。
時折、言峰綺礼が訪れる。
二人はチェスを打ち。
酒を飲み。
時に、世界の裏側について語り合った。
綺礼は相変わらずだった。
だが以前より、“人間らしい”笑みを浮かべる事が増えていた。
――港町。
ディルムッドは、小さな用心棒稼業をしていた。
名も告げず。
ただ、人を守る剣として生きている。
時折、彼の顔を見て頬を染める女性も居た。
その度に、彼は困ったように笑う。
今度こそ。
誰も裏切らないように。
――世界各地。
ハサン達は、再び闇へ戻った。
だが以前とは違う。
彼らは今、“誰かの命令”ではなく、自ら選んで動いている。
時に情報を運び。
時に死徒を狩り。
時に、聖杯戦争の戦友達へ手を貸した。
闇に生きる暗殺者達は。
初めて、“自由意思”を得たのかもしれない。
――そして。
冬木から離れた、とある街。
古びた洋食屋。
昼時。
常連客達の笑い声が響く。
厨房から漂う、温かな匂い。
その店の店主は。
眼帯の老紳士だった。
「店主、オムライス追加ー!」
「ああ、今行く。」
キング・ブラッドレイ。
かつて埋葬機関で怪物を狩り。
聖杯戦争を生き延び。
死徒二十七祖を斬った男。
今は。
エプロン姿でフライパンを振っていた。
ウェイバーが以前来た時。
「なんであんた、洋食屋やってるんだよ……」
と真顔で聞いた事がある。
ブラッドレイは、その時こう答えた。
「平穏な人生に憧れていたのでね。」
「料理くらい、してみたかった。」
だが。
平穏は、完全には訪れない。
カラン――
店の扉が開く。
入ってきたのは、コートを着た大柄の神父。
店内の空気が、一瞬で凍った。
銀縁眼鏡に、短く刈り揃えた金髪。
不敵な笑み。
そして。
コートの下に隠し切れない大量の銃剣。
アレクサンド・アンデルセン だった。
ブラッドレイは、数秒沈黙した。
そして。
本気で嫌そうな顔をした。
「……何をしに来た。」
アンデルセンは、にこやかに席へ座る。
『フン。愚問だな。』
『最近評判の店だと、聞いてきたまでだ。』
「帰ってくれ。」
『断る。』
即答。
店内の常連達は、何も知らず談笑している。
だが。
二人の間だけ、異様な殺気が漂っていた。
アンデルセンは、メニューを開きながら笑う。
『安心しろ。』
『今日は殺しに来た訳ではない。』
『……まだな。』
「その“まだ”が怖いんだ。」
ブラッドレイは額を押さえた。
厨房の奥から。
マルグリット・ラ・ヴェルデュールが顔を出す。
「いらっしゃい、アンデルセン♡」
『貴様も居たのか、断頭女。』
「いつもの席空いてるわよ。」
ウェイバーが見たら卒倒しそうな光景だった。
怪物狩り達は。
世界の裏側で。
相変わらず危険なまま。
だが確かに、“生きて”いた。
昼下がりの店内には、静かなジャズが流れていた。
木製のカウンター。
磨かれたグラス。
鉄板の上で焼ける肉の音。
かつて、死徒二十七祖を斬り伏せ、地下聖堂を血で染めた男達が居た空間とは、とても思えないほど、穏やかな時間だった。
エプロン姿のマルグリット・ラ・ヴェルデュールは、空になったコーヒーカップを片付けながら、くすり、と笑った。
「うふふ……私たのしいのよ、ブラッドレイ♪」
銀髪を揺らしながら、彼女は慣れた手付きで皿を重ねる。
その動きは、処刑槍“ラ・サンクチュエール”を振るう時と寸分違わぬほど、美しかった。
「好きでやってるのよぉ?
こういう平和ぁ〜な時間、案外嫌いじゃないわ」
「埋葬機関第五執行者ともあろう者が、注文を取り、皿を洗い、客に笑顔を向ける……か」
ブラッドレイは苦笑混じりに珈琲を口へ運ぶ。
「昔なら考えられんな」
「昔は昔ぃ♪
今は今なのよぉ」
マルグリットはカウンターへ肘を付き、にぃ、と笑った。
だが、その細められた瞳の奥には、常人なら見逃すほど微かな緊張が宿っていた。
ブラッドレイも気付いている。
店の隅。
窓際の席。
黒衣の神父が、静かに食事をしていた。
山のように積まれた皿。
既に三人前は平らげている。
そして――
テーブルには、無数の銀色の銃剣。
アレクサンド・アンデルセン。
ヴァチカン特務局第十三課“イスカリオテ”。
化物狩りの化物。
アンデルセンはナイフとフォークを置くと、口元を歪めた。
「……美味いなぁ、店主」
低く。
愉快そうに。
だが獣の唸り声のように。
「人肉でも混ぜているのか?
ククク……」
「安心しろ神父。
まともな牛肉だ」
「フン、冗談だ」
アンデルセンは“アーメン”と呟くように笑った。
マルグリットが肩を竦める。
「はいはい、お客様ぁ?
物騒な冗談は禁止ですよぉ♪」
「冗談か、断頭女よ、」
ギチ、と。
アンデルセンの笑顔が裂ける。
「私はなぁ……
今でも、この場でこの店ごと貴様らを切り刻みたい」
空気が凍った。
奥の席で新聞を読んでいたウェイバー――今やロード・エルメロイⅡ世も、静かに視線を上げた。
だが、ブラッドレイは変わらぬ。
ただ珈琲を置き、静かに言った。
「なら何故、そうしない?」
沈黙。
アンデルセンは数秒、ブラッドレイを睨み――やがて、大きく笑った。
「ゲハハハハハハハッ!!
それが分かれば苦労せん!!」
机を叩く。
皿が跳ねる。
「怪物同士で殺し合っていた筈が!!
今や飯食べて!!
世間話をしている!!
まったく頭おかしくなる!!」
「お互い歳を取ったのだろう」
「貴様は、歳を取っとらんだろう!!」
マルグリットが吹き出した。
「ふふっ……あはは♪
確かに、ブラッドレイは全然老けてないわぁ♪」
「貴様も人の事言えんぞ?」
「女の子に歳の話は駄目ですよぉ?」
そう言いながらも、彼女の手はいつでも動ける位置にある。
アンデルセンも同じだった。
互いに笑い。
互いに世間話をしながら。
互いの急所へ届く間合いを、一歩も譲らない。
平和とは程遠い。
だが――
それでも。
殺し合いしか知らなかった怪物達は、今、同じ空間で食事をしていた。
その事実だけは、確かに数年前には有り得なかった奇跡だった。
ブラッドレイは、ウェイバーに声を掛けた。
店の奥。
新聞を畳みながら、ウェイバー――今や時計塔において“ロード・エルメロイⅡ世”の名で知られる男は、小さく溜息を吐いた。
「……どう、って?」
「上手くやれているのかと聞いている」
ブラッドレイはグラスを磨きながら、何気ない口調で言った。
「かつては殺し合った相手だ。
しかも、お前は彼から聖遺物を盗み、聖杯戦争へ参加した。
普通なら、顔を合わせるだけで胃が痛くなる関係だろう」
ウェイバーの眉がぴくりと動く。
「……実際、最初の数年は胃薬が手放せなかったよ」
「ほぉ」
カウンターの向こうでマルグリットが楽しそうに笑った。
「ケイネスさん、めっちゃ怖そうですもんねぇ♪」
「怖いなんてもんじゃないさ……」
ウェイバーは遠い目をした。
時計塔。
降霊科。
エルメロイ教室。
かつて傲慢な天才として君臨していた男――ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは、生還後、以前とは別人のように変わった。
誇り高いことに変わりはない。
皮肉も多い。
舌も悪い。
だが。
「……あの人は、負けたんだ」
ウェイバーは静かに言った。
「聖杯戦争で。
ディルムッドに忠誠を尽くされながら、それでも破滅した」
店内の空気が少し静まる。
ディルムッドは厨房で無言のまま、静かに皿を拭いていた。
「昔のケイネスなら、絶対に認めなかっただろうな。
でも今は違う」
ウェイバーは苦笑した。
「自分の未熟さも。
他人の強さも。
敗北も。
全部、一度死にかけたから理解したんだろう」
「なるほど」
ブラッドレイは頷いた。
「人は死線を越えると変わる」
「……ただし」
ウェイバーの顔が少し引き攣る。
「講義中の僕への当たりは、相変わらず酷い」
「ほぉ?」
「『ウェイバー!! 貴様また論文の文字が汚いぞ!!』
『何故ここで簡略化術式を使う!! 基礎を省略するな!!』
『寝るな!!』って毎回だよ……」
「それは教師として正しいのでは?」
「ブラッドレイさんまで!?」
店内に小さな笑いが漏れる。
アンデルセンですら、鼻で笑った。
「ガキ扱いされているな?、坊主」
「うるさい神父!!」
ブラッドレイが淡々と言う。
「アーメン」
マルグリットが腹を抱えて笑い始めた。
「ふふっ……あははは♪
なんでかしら……
ほんと、変な光景よね♪」
埋葬機関。
時計塔。
イスカリオテ。
本来なら同じ卓につく事すら有り得ない怪物達。
だが今、この小さな店には、不思議な静けさがあった。
外では、死徒は今も蠢いている。
時計塔の貴族主義も変わらない。
イスカリオテの狂信も消えていない。
いつ壊れてもおかしくない均衡。
それでも。
ウェイバーはふと、小さく笑った。
「……まあ、悪くはないかな。
こういうのも」