冬木の番外次席   作:甘めのコーヒー

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第89話

――数年後。

 

冬木の聖杯戦争。

 

時計塔との交渉。

 

埋葬機関との停戦。

 

死徒二十七祖との死闘。

 

あの地下大聖堂での狂気じみた戦い。

 

今では、知る者だけが知る“秘匿された事件”となっていた。

 

世界は変わらない。

 

人々は何も知らずに生き。

 

街には笑い声が響き。

 

誰にも知られぬ場所で、怪物達が蠢いている。

 

だが。

 

あの戦争を生き残った者達は。

 

それぞれ、“新たな人生”を歩み始めていた。

 

――ロンドン。

 

時計塔。

 

かつて怯えた青年だったウェイバー・ベルベットは、今や時計塔でも名の知られた講師となっていた。

 

魔術刻印も家柄も乏しい。

 

それでも。

 

聖杯戦争を生き延び。

 

英霊と共に戦い。

 

死徒二十七祖すら見た男の言葉には、奇妙な説得力があった。

 

「ロード・エルメロイⅡ世だと?」

 

「はっ、似合わん名前だ。」

 

酒を片手に笑うイスカンダルへ、ウェイバーは顔を赤くして怒鳴る。

 

「うるさい!!

あんたが勝手に居座るから苦労してるんだよ!!」

 

だが。

 

その声は、どこか楽しそうだった。

 

その風景を、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト、先代のロードエルメロイが、以前とは違う、優しい眼差しで見ていた。

 

――遠坂邸跡。

 

遠坂時臣は、かつて焼け落ちた屋敷を静かに再建していた。

 

以前よりも遥かに強大な魔術回路。

 

そして、聖杯戦争の記憶。

 

彼は理解していた。

 

“根源”だけを追う時代は、終わりつつあるのだと。

 

時折、言峰綺礼が訪れる。

 

二人はチェスを打ち。

 

酒を飲み。

 

時に、世界の裏側について語り合った。

 

綺礼は相変わらずだった。

 

だが以前より、“人間らしい”笑みを浮かべる事が増えていた。

 

――港町。

 

ディルムッドは、小さな用心棒稼業をしていた。

 

名も告げず。

 

ただ、人を守る剣として生きている。

 

時折、彼の顔を見て頬を染める女性も居た。

 

その度に、彼は困ったように笑う。

 

今度こそ。

 

誰も裏切らないように。

 

――世界各地。

 

ハサン達は、再び闇へ戻った。

 

だが以前とは違う。

 

彼らは今、“誰かの命令”ではなく、自ら選んで動いている。

 

時に情報を運び。

 

時に死徒を狩り。

 

時に、聖杯戦争の戦友達へ手を貸した。

 

闇に生きる暗殺者達は。

 

初めて、“自由意思”を得たのかもしれない。

 

――そして。

 

冬木から離れた、とある街。

 

古びた洋食屋。

 

昼時。

 

常連客達の笑い声が響く。

 

厨房から漂う、温かな匂い。

 

その店の店主は。

 

眼帯の老紳士だった。

 

「店主、オムライス追加ー!」

 

「ああ、今行く。」

 

キング・ブラッドレイ。

 

かつて埋葬機関で怪物を狩り。

 

聖杯戦争を生き延び。

 

死徒二十七祖を斬った男。

 

今は。

 

エプロン姿でフライパンを振っていた。

 

ウェイバーが以前来た時。

 

「なんであんた、洋食屋やってるんだよ……」

 

と真顔で聞いた事がある。

 

ブラッドレイは、その時こう答えた。

 

「平穏な人生に憧れていたのでね。」

 

「料理くらい、してみたかった。」

 

だが。

 

平穏は、完全には訪れない。

 

カラン――

 

店の扉が開く。

 

入ってきたのは、コートを着た大柄の神父。

 

店内の空気が、一瞬で凍った。

 

銀縁眼鏡に、短く刈り揃えた金髪。

 

不敵な笑み。

 

そして。

 

コートの下に隠し切れない大量の銃剣。

 

アレクサンド・アンデルセン だった。

 

ブラッドレイは、数秒沈黙した。

 

そして。

 

本気で嫌そうな顔をした。

 

「……何をしに来た。」

 

アンデルセンは、にこやかに席へ座る。

 

『フン。愚問だな。』

 

『最近評判の店だと、聞いてきたまでだ。』

 

「帰ってくれ。」

 

『断る。』

 

即答。

 

店内の常連達は、何も知らず談笑している。

 

だが。

 

二人の間だけ、異様な殺気が漂っていた。

 

アンデルセンは、メニューを開きながら笑う。

 

『安心しろ。』

 

『今日は殺しに来た訳ではない。』

 

『……まだな。』

 

「その“まだ”が怖いんだ。」

 

ブラッドレイは額を押さえた。

 

厨房の奥から。

 

マルグリット・ラ・ヴェルデュールが顔を出す。

 

「いらっしゃい、アンデルセン♡」

 

『貴様も居たのか、断頭女。』

 

「いつもの席空いてるわよ。」

 

ウェイバーが見たら卒倒しそうな光景だった。

 

怪物狩り達は。

 

世界の裏側で。

 

相変わらず危険なまま。

 

だが確かに、“生きて”いた。

 

昼下がりの店内には、静かなジャズが流れていた。

 

木製のカウンター。

磨かれたグラス。

鉄板の上で焼ける肉の音。

 

かつて、死徒二十七祖を斬り伏せ、地下聖堂を血で染めた男達が居た空間とは、とても思えないほど、穏やかな時間だった。

 

エプロン姿のマルグリット・ラ・ヴェルデュールは、空になったコーヒーカップを片付けながら、くすり、と笑った。

 

「うふふ……私たのしいのよ、ブラッドレイ♪」

 

銀髪を揺らしながら、彼女は慣れた手付きで皿を重ねる。

 

その動きは、処刑槍“ラ・サンクチュエール”を振るう時と寸分違わぬほど、美しかった。

 

「好きでやってるのよぉ?

 こういう平和ぁ〜な時間、案外嫌いじゃないわ」

 

「埋葬機関第五執行者ともあろう者が、注文を取り、皿を洗い、客に笑顔を向ける……か」

 

ブラッドレイは苦笑混じりに珈琲を口へ運ぶ。

 

「昔なら考えられんな」

 

「昔は昔ぃ♪

 今は今なのよぉ」

 

マルグリットはカウンターへ肘を付き、にぃ、と笑った。

 

だが、その細められた瞳の奥には、常人なら見逃すほど微かな緊張が宿っていた。

 

ブラッドレイも気付いている。

 

店の隅。

窓際の席。

 

黒衣の神父が、静かに食事をしていた。

 

山のように積まれた皿。

既に三人前は平らげている。

 

そして――

テーブルには、無数の銀色の銃剣。

 

アレクサンド・アンデルセン。

 

ヴァチカン特務局第十三課“イスカリオテ”。

化物狩りの化物。

 

アンデルセンはナイフとフォークを置くと、口元を歪めた。

 

「……美味いなぁ、店主」

 

低く。

愉快そうに。

だが獣の唸り声のように。

 

「人肉でも混ぜているのか?

 ククク……」

 

「安心しろ神父。

 まともな牛肉だ」

 

「フン、冗談だ」

 

アンデルセンは“アーメン”と呟くように笑った。

 

マルグリットが肩を竦める。

 

「はいはい、お客様ぁ?

 物騒な冗談は禁止ですよぉ♪」

 

「冗談か、断頭女よ、」

 

ギチ、と。

 

アンデルセンの笑顔が裂ける。

 

「私はなぁ……

 今でも、この場でこの店ごと貴様らを切り刻みたい」

 

空気が凍った。

 

 

奥の席で新聞を読んでいたウェイバー――今やロード・エルメロイⅡ世も、静かに視線を上げた。

 

だが、ブラッドレイは変わらぬ。

 

ただ珈琲を置き、静かに言った。

 

「なら何故、そうしない?」

 

沈黙。

 

アンデルセンは数秒、ブラッドレイを睨み――やがて、大きく笑った。

 

「ゲハハハハハハハッ!!

 それが分かれば苦労せん!!」

 

机を叩く。

 

皿が跳ねる。

 

「怪物同士で殺し合っていた筈が!!

 今や飯食べて!!

 世間話をしている!!

 まったく頭おかしくなる!!」

 

「お互い歳を取ったのだろう」

 

「貴様は、歳を取っとらんだろう!!」

 

マルグリットが吹き出した。

 

「ふふっ……あはは♪

 確かに、ブラッドレイは全然老けてないわぁ♪」

 

「貴様も人の事言えんぞ?」

 

「女の子に歳の話は駄目ですよぉ?」

 

そう言いながらも、彼女の手はいつでも動ける位置にある。

 

アンデルセンも同じだった。

 

互いに笑い。

互いに世間話をしながら。

互いの急所へ届く間合いを、一歩も譲らない。

 

平和とは程遠い。

 

だが――

 

それでも。

 

殺し合いしか知らなかった怪物達は、今、同じ空間で食事をしていた。

 

その事実だけは、確かに数年前には有り得なかった奇跡だった。

 

ブラッドレイは、ウェイバーに声を掛けた。

 

店の奥。

 

新聞を畳みながら、ウェイバー――今や時計塔において“ロード・エルメロイⅡ世”の名で知られる男は、小さく溜息を吐いた。

 

「……どう、って?」

 

「上手くやれているのかと聞いている」

 

ブラッドレイはグラスを磨きながら、何気ない口調で言った。

 

「かつては殺し合った相手だ。

 しかも、お前は彼から聖遺物を盗み、聖杯戦争へ参加した。

 普通なら、顔を合わせるだけで胃が痛くなる関係だろう」

 

ウェイバーの眉がぴくりと動く。

 

「……実際、最初の数年は胃薬が手放せなかったよ」

 

「ほぉ」

 

カウンターの向こうでマルグリットが楽しそうに笑った。

 

「ケイネスさん、めっちゃ怖そうですもんねぇ♪」

 

「怖いなんてもんじゃないさ……」

 

ウェイバーは遠い目をした。

 

時計塔。

降霊科。

エルメロイ教室。

 

かつて傲慢な天才として君臨していた男――ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは、生還後、以前とは別人のように変わった。

 

誇り高いことに変わりはない。

 

皮肉も多い。

 

舌も悪い。

 

だが。

 

「……あの人は、負けたんだ」

 

ウェイバーは静かに言った。

 

「聖杯戦争で。

 ディルムッドに忠誠を尽くされながら、それでも破滅した」

 

店内の空気が少し静まる。

 

ディルムッドは厨房で無言のまま、静かに皿を拭いていた。

 

「昔のケイネスなら、絶対に認めなかっただろうな。

 でも今は違う」

 

ウェイバーは苦笑した。

 

「自分の未熟さも。

 他人の強さも。

 敗北も。

 全部、一度死にかけたから理解したんだろう」

 

「なるほど」

 

ブラッドレイは頷いた。

 

「人は死線を越えると変わる」

 

「……ただし」

 

ウェイバーの顔が少し引き攣る。

 

「講義中の僕への当たりは、相変わらず酷い」

 

「ほぉ?」

 

「『ウェイバー!! 貴様また論文の文字が汚いぞ!!』

 『何故ここで簡略化術式を使う!! 基礎を省略するな!!』

 『寝るな!!』って毎回だよ……」

 

「それは教師として正しいのでは?」

 

「ブラッドレイさんまで!?」

 

店内に小さな笑いが漏れる。

 

アンデルセンですら、鼻で笑った。

 

「ガキ扱いされているな?、坊主」

 

「うるさい神父!!」

 

 

ブラッドレイが淡々と言う。

 

「アーメン」

 

マルグリットが腹を抱えて笑い始めた。

 

「ふふっ……あははは♪

 なんでかしら……

 ほんと、変な光景よね♪」

 

埋葬機関。

時計塔。

イスカリオテ。

 

本来なら同じ卓につく事すら有り得ない怪物達。

 

だが今、この小さな店には、不思議な静けさがあった。

 

外では、死徒は今も蠢いている。

時計塔の貴族主義も変わらない。

イスカリオテの狂信も消えていない。

 

いつ壊れてもおかしくない均衡。

 

それでも。

 

ウェイバーはふと、小さく笑った。

 

「……まあ、悪くはないかな。

 こういうのも」

 

 

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