ブラッドレイは静かに外套を脱ぎ、濡れてもいないそれを椅子へ掛けた。
そして、何事も無かったかのように珈琲を手に取る。
その姿が、逆に異様だった。
つい先程まで最上位死徒を斬っていた男とは思えない。
「ハサン達は、既に向かっているようだ」
ブラッドレイは淡々と言った。
「私の店の常連なのでね」
凛が思わず素っ頓狂な声を上げた。
「アンタの店、客層どうなってるのよ……」
「静かで礼儀正しい客だぞ?」
「それ基準がおかしいから!!」
綺礼が小さく吹き出す。
ギルガメッシュは鼻で笑った。
イスカンダルは豪快に笑う。
「ハハハハ!!
良いではないか!!
暗殺者が通う食堂とは実に面白い!!」
「全然面白くないわよ!!」
ブラッドレイは気にした様子もなく続けた。
「本人達から今回の件を聞いてな。
わざわざ冬木まで戻ってきた」
その瞬間。
空気が少し変わる。
ディルムッドが静かに問う。
「……つまり、彼らは既に“敵”を見ているのですね」
「ああ」
ブラッドレイは頷いた。
「しかも、かなり深く潜っている」
綺礼が眉を寄せる。
「ハサンが、か」
それは異常だった。
“山の翁の影”。
ハサン達は基本的に、深入りを避ける。
情報収集。
暗殺。
監視。
だが今回は違う。
自ら戦場へ向かっている。
つまり。
放置出来ないと判断した。
ブラッドレイは静かに珈琲を置いた。
「百貌が言っていた」
その瞬間。
部屋の空気が少し鋭くなる。
百貌のハサン。
多数人格を持つ暗殺者。
最も広範囲へ潜伏可能な“影”。
その彼女が動いているなら、既にかなり危険だ。
「“既に東欧の地下都市へ、死徒の交易路が形成されている”そうだ」
時臣の顔色が変わる。
「……交易路?」
「血液。
霊薬。
魔術礼装。
幻想種素材。
更には、人間まで」
凛が顔をしかめた。
「人身売買……」
「いや」
ブラッドレイは低く訂正した。
「“兵站”だ」
その一言で、空気が凍る。
兵站。
それはつまり。
継戦能力。
国家規模戦力。
ギルガメッシュの赤い瞳が細くなる。
「雑種風情が、随分と大掛かりな真似をする」
イスカンダルは静かに笑った。
だが、今度の笑みは獰猛だった。
「ますます面白い」
「征服王、嬉しそうにするのをやめてください」
ディルムッドが本気で疲れた声を出す。
だがブラッドレイは、珍しく征服王へ同意した。
「いや、イスカンダルの感覚は正しい」
全員が彼を見る。
究極眼の男は、静かに言った。
「これは既に、“戦”だ」
その声には、埋葬機関時代の冷たさが戻っていた。
かつて死徒二十七祖を狩り続けた、人間の怪物。
「しかも、かなり古い形式のな」
綺礼が低く問う。
「古い形式?」
「王と軍勢だ」
ブラッドレイは即答した。
「近代組織ではない。
もっと原始的だ」
王。
忠誠。
軍。
侵略。
それはまるで――
神代。
ギルガメッシュが、不意に笑った。
「フン……
ようやく形が見えてきたな」
凛が嫌そうな顔をする。
「その笑い方やめてくれる?
絶対ロクでもない時の顔だから」
英雄王は椅子へ深く腰掛ける。
「当然だ。
ロクでもない」
そして。
黄金の王は、静かに告げた。
「恐らく、“真祖側”が動いている」
ブラッドレイは静かに珈琲を飲み干した。
その仕草は、まるで明日の天気でも話すように自然だった。
「来る途中に、時計塔へ寄ってな」
凛が嫌な予感しかしない顔になる。
「……アンタ絶対また勝手に話進めてるでしょ」
「効率的と言ってくれ」
ブラッドレイは平然と返した。
「ケイネスとウェイバーにも協力を要請してきた」
ディルムッドの目が少し細まる。
「お二人は?」
「当然来る」
即答だった。
「ケイネスは既に法政科と降霊科へ根回しを始めている。
ウェイバーは頭を抱えていたがな」
全員、容易に想像出来た。
――また厄介事だ。
――しかも今回は世界規模。
そういう顔で胃を押さえるロード・エルメロイⅡ世が目に浮かぶ。
イスカンダルは豪快に笑った。
「ハハハ!!
ウェイバーは苦労人よなぁ!!」
「原因の八割は貴方です」
ディルムッドが即座に返す。
ブラッドレイは続けた。
「現地集合は北欧だ」
「北欧……」
時臣が静かに目を伏せる。
霊脈。
神代残滓。
幻想種領域。
現代でもなお、“神秘が濃い土地”。
もし敵が古代級存在なら、確かに拠点としては理に適っている。
綺礼が低く問う。
「埋葬機関は?」
「当然、私の古巣にも話は通した」
ブラッドレイの目が僅かに細くなる。
「既に代行者部隊が動いている。
ただし、正面戦力は足りん」
「祖級戦力が絡めば当然だな」
綺礼が静かに頷く。
埋葬機関は強い。
だが数が少ない。
対怪異最強クラスの怪物達ではあるが、“戦争”向きではない。
ブラッドレイは静かに言った。
「じきに、マルグリットとシエルがここへ来る」
その瞬間。
空気が変わった。
凛が真顔になる。
「……シエル?」
ディルムッドも僅かに表情を変える。
綺礼が低く呟く。
「第七聖典か」
シエル。
埋葬機関でも最強格に位置する代行者。
不死に近い再生能力。
異常な魔力量。
そして――
対死徒戦闘へ特化し過ぎた怪物。
時計塔内部では、半ば“人型災害”扱いされている。
ギルガメッシュですら、少しだけ目を細めた。
「ほう。
あのカレー女も来るか」
「お知り合いなんですか英雄王」
「少々な」
絶対ロクでもない関係だった。
イスカンダルが楽しそうに笑う。
「これで役者は揃い始めたな!!」
「全然嬉しくないわよ……」
凛が本気で疲れた顔になる。
だが。
ブラッドレイだけは、静かだった。
「いや」
その声で、全員が彼を見る。
究極眼の男は、低く言った。
「まだ足りん」
「……何?」
ブラッドレイはゆっくり立ち上がる。
その瞬間。
店主としての穏やかな空気が消える。
そこに居たのは――
かつての埋葬機関番外席。
死徒二十七祖を狩り続けた、人間の怪物。
「もし相手が、“真祖側の王”なら」
静かに。
確実に。
彼は告げる。
「“アレ”も動く可能性がある」
沈黙。
イスカンダルの笑みが消える。
ギルガメッシュの赤い瞳が細まる。
綺礼ですら僅かに眉を寄せた。
凛が戸惑う。
「……アレって誰?」
誰もすぐ答えない。
だが。
数秒後。
ブラッドレイは、静かに口を開いた。
「――朱い月の残滓だ」
「真祖の姫君には、まったく面識がなくてな」
ブラッドレイは腕を組み、静かに言った。
「私が知っているのは、“存在している”という事だけだ」
その言葉に、時臣の表情が険しくなる。
真祖。
吸血種の原初。
死徒とは根本から異なる、“星の側”に近い存在。
そして、その姫君。
現代魔術世界において、半ば伝説扱いされる怪物。
「だが」
ブラッドレイは続けた。
「シエルがどうやら交流があるそうなんだ」
凛が思わず聞き返す。
「……交流?」
「本人曰く、“腐れ縁”らしい」
綺礼が珍しく少しだけ呆れた顔をした。
「埋葬機関は時々、人脈が意味不明だな」
「今更だろう」
ブラッドレイは淡々と返す。
ギルガメッシュが鼻で笑った。
「フン。
あの女、“姫”と妙な因縁を持っておったな」
凛が嫌そうな顔になる。
「待って。
なんで英雄王まで知ってるのよ」
「我を誰だと思っている雑種」
「はいはい万能万能」
イスカンダルが豪快に笑った。
「ハハハ!!
良いではないか!!
強い者同士、妙な縁が出来るのはよくある事だ!!」
「貴方の場合、その“妙な縁”が大体世界規模災害なんですよ」
ディルムッドが真顔で言った。
完全に正論だった。
ブラッドレイは小さく息を吐く。
「まぁ、詳しくは本人が来てからだな」
その時。
遠坂邸の結界が、再び微かに震えた。
だが今度は。
凛が顔をしかめる。
「うわ、魔力が濃い」
時臣も静かに目を細める。
「……来たか」
外。
雨の気配が、一瞬だけ消えた。
次の瞬間。
ズゥン――
重い圧力が空気を揺らす。
まるで、“怪物”が結界を潜ったような感覚。
ディルムッドが無意識に槍へ手を掛ける。
綺礼の黒鍵が滑る。
ギルガメッシュですら、少し興味深そうに目を細めた。
そして。
門が開く。
まず現れたのは、銀髪の女。
エプロンではない。
黒い執行装束。
処刑槍“ラ・サンクチュエール”を肩へ担ぎながら、マルグリット・ラ・ヴェルデュールが、いつもの柔らかな笑みで手を振った。
「こんばんはぁ〜♪
お邪魔しますねぇ♪」
だが。
その後ろ。
空気そのものを変える存在が立っていた。
青い瞳。
短い金髪。
黒いロングコート。
そして――
背負われた巨大な杭打ち機構。
第七聖典。
シエル。
埋葬機関最強格の代行者の一人。
彼女は部屋へ入るなり、全員を一瞥し――
最後に、ギルガメッシュを見て、露骨に嫌そうな顔をした。
「……なんで居るんですか、英雄王」
ギルガメッシュは即座に不機嫌そうに眉を寄せる。
「その台詞、そっくり返してやろうかカレー女」
「帰っていいですか?」
「我の屋敷ではないぞ」
「じゃあ居ます」
凛が頭を抱えた。
「もうなんなのこの空間……」
一方。
マルグリットは、そんな空気など気にした様子もなく、にこにこ笑っている。
だが。
ブラッドレイは気付いた。
シエルの目。
疲れている。
そして――
僅かに、焦っている。
それを見た瞬間。
究極眼の男は理解した。
状況は、自分達の想定より悪い。
シエルは静かに、第七聖典を床へ立て掛けた。
そして。
低く告げた。
「……アルクェイドが動きます」
シエルは数秒、沈黙した。
遠坂邸の空気が静まり返る。
暖炉の火の音だけが響く中、彼女は静かにブラッドレイを見る。
「こちら側かね?」
「……半分正解です」
その言葉に、全員の表情が変わった。
凛が眉を顰める。
「半分?」
シエルは深く溜息を吐いた。
「アルクェイドは、“こちら側”とか“あちら側”で動く存在じゃありません」
その声音には、疲労と諦めが混じっていた。
「彼女は基本的に、“真祖”です」
「つまり?」
綺礼が問う。
シエルは静かに答えた。
「世界の異常へ反応する」
ギルガメッシュが鼻で笑う。
「星の白血球か」
「ええ」
シエルは嫌そうに頷いた。
「もし今回の件が、“真祖側”に関係しているなら……アルクェイドは高確率で介入します」
イスカンダルが腕を組む。
「敵ではないのだな?」
「基本的には」
シエルは即答した。
だが。
その後、僅かに間が空く。
その沈黙が、逆に不安を煽った。
凛が顔を引き攣らせる。
「……“基本的には”?」
マルグリットが苦笑した。
「アルクェイドはん、めっちゃ気分屋なんですよぉ♪」
「笑い事じゃありません」
シエルが即座に返す。
珍しく本気で疲れた顔だった。
「普段は割と無害です。
よく食べるし。
よく笑うし。
妙な所で世間知らずだし」
「ほぉ?」
イスカンダルが興味深そうに笑う。
「面白そうではないか」
「でも」
シエルの青い瞳が、静かに細まる。
「“敵認定”された瞬間、世界最悪クラスの怪物になります」
沈黙。
その場に居る誰もが、“冗談ではない”と理解した。
埋葬機関のシエルが、ここまで断言する。
それだけで十分だった。
ブラッドレイが低く問う。
「どの程度だ?」
シエルは少し考え――
やがて、静かに言った。
「……全盛期なら、在り方としては“天災”です」
凛が絶句する。
時臣も、僅かに目を細めた。
ディルムッドは静かに槍を握り直す。
だが。
ギルガメッシュだけは笑った。
「クク……」
赤い瞳が愉快そうに細まる。
「ようやく、“王”らしい話になってきたな」
「嬉しそうにしないでください」
シエルが即座に刺す。
「貴方とアルクェイドが本気で衝突したら、洒落になりません」
「知った事か」
「知ってください」
完全に慣れていた。
どうやら本当に面識が深いらしい。
その時。
ブラッドレイが静かに問う。
「それで?
本人は今どこにいる」
シエルは少しだけ目を逸らした。
嫌な予感しかしない。
「……北海道です」
全員が固まる。
凛が真顔で聞き返した。
「なんで?」
「蟹を食べに」
沈黙。
イスカンダルが吹き出した。
綺礼が顔を覆う。
ディルムッドですら僅かに口元が揺れた。
ギルガメッシュは心底呆れた顔になる。
「相変わらず自由な白姫よ」
シエルは深く深く溜息を吐いた。
「本当に自由なんですあの人……」
だが。
次の瞬間。
彼女の顔から、疲れた笑みが消えた。
「でも」
空気が変わる。
「もし、“朱い月の残滓”が本当に絡んでいるなら」
シエルの魔力が、僅かに漏れる。
部屋の温度が下がる。
「アルクェイドは、確実に戦場へ来ます」
その声には、確信があった。
そして同時に。
長年、“姫”を見続けてきた者だけが知る――
恐れも。
「おそらく、あの魔眼持ちの青年も来るのだろう?」
ブラッドレイのその一言で。
シエルの表情が、ぴたりと止まった。
「……」
数秒。
沈黙。
凛がきょとんとする。
「誰?」
だが。
ギルガメッシュは即座に鼻で笑った。
「フン。
あの“壊し屋”か」
イスカンダルも少し興味深そうに眉を上げる。
「ほぉ?
英雄王が知っておるのか」
「少々な」
ギルガメッシュは不機嫌そうにワインを揺らした。
「妙に目障りな男だ」
シエルが深く溜息を吐く。
「……来る可能性はあります」
その瞬間。
ブラッドレイの究極眼が細まる。
「やはりか」
ディルムッドが静かに問う。
「どのような人物なのです?」
シエルは少し考え――
やがて、疲れた顔で言った。
「“普通の青年”です」
全員が怪訝な顔をする。
「ただし」
彼女は続ける。
「世界で最も、“殺してはいけない普通の人間”の一人です」
空気が静まる。
綺礼が静かに興味を示す。
「ほう?」
シエルは壁へ寄り掛かりながら、ゆっくり説明した。
「遠野志貴。
魔眼保持者」
「魔眼、か」
時臣が低く呟く。
現代においても、魔眼は希少だ。
それだけで脅威になり得る。
だが。
シエルは首を横に振る。
「普通の魔眼じゃありません」
青い瞳が、僅かに険しくなる。
「“直死の魔眼”です」
その瞬間。
ギルガメッシュ以外の全員が空気を変えた。
ディルムッドの手が止まる。
綺礼の目が細まる。
ブラッドレイですら沈黙する。
凛が戸惑う。
「……何それ」
シエルは低く答えた。
「“死”が見える」
静寂。
「物体。
生命。
魔術。
幻想。
概念」
彼女は静かに続ける。
「“壊せないもの”を壊せる目ですよ」
その言葉には、実感が滲んでいた。
イスカンダルが低く笑う。
「なるほど。
確かに面白い」
「面白くありません」
シエルが即答する。
「本当に洒落にならないんですあの人」
ギルガメッシュが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「我の財すら“斬れる”時点で気に入らん」
凛が顔を引き攣らせた。
「ちょっと待って?
英雄王の宝具斬れるの?」
「理論上は可能です」
シエルは疲れた顔で答える。
「実際、“あり得ないもの”を何度も壊してます」
綺礼が静かに問う。
「なら危険人物では?」
「本人はむしろ一般人寄りです」
「余計怖いわね……」
凛が真顔で言った。
ブラッドレイが低く呟く。
「なるほど。
“王殺し”になり得る目か」
その言葉で、空気が少し重くなる。
確かに。
直死の魔眼は、極論すれば“格”を無視する。
どれほど強大でも、“死”があるなら届く。
だからこそ異常。
シエルは静かに言った。
「ただ、遠野志貴本人は戦いを好みません」
「だが来るのだろう?」
ブラッドレイの問い。
シエルは少し黙り――
やがて、小さく頷いた。
「……アルクェイドが行くなら、多分来ます」
その瞬間。
ギルガメッシュが、心底面白そうに笑った。
「クク……」
赤い瞳が獣のように細まる。
「ますます愉快になってきたな」
凛が頭を抱える。
「もう嫌な予感しかしないんだけど……」
だが。
ブラッドレイは静かだった。
究極眼の男は、窓の外――
遥か北欧の空を見つめる。
そして。
低く呟いた。
「……これで、“役者”は揃い始めたか」