ブラッドレイが窓の外へ視線を向けたまま、ふと口元を緩めた。
「ん?」
究極眼が、結界の外を捉える。
「噂をすれば、だな」
全員の視線が自然と窓へ向いた。
雨の降る夜道。
街灯の明かりの中を、三つの人影がゆっくりと歩いてくる。
先頭は、黒いコートを羽織った男。
無精髭。
鋭い眼差し。
ポケットへ手を入れたまま歩く姿。
衛宮切嗣。
かつて“魔術師殺し”と恐れられた男。
その隣には。
白銀の髪を揺らす、美しい女性。
優しい笑顔。
穏やかな眼差し。
アイリスフィール。
そして。
二人の間で手を繋ぎながら歩いているのは。
銀髪の少女。
赤い瞳。
無邪気な笑顔。
イリヤスフィール。
その姿を見た瞬間。
時臣が小さく息を吐いた。
「本当に家族になったのだな」
誰にも聞こえないほどの小さな声だった。
凛も思わず見入る。
第四次聖杯戦争を知る者ほど、その光景は奇跡に見えた。
本来なら有り得なかった未来。
本来なら失われていたはずの家族。
それが今、当たり前のように存在している。
イリヤが真っ先にこちらへ気付いた。
「あっ!」
元気よく手を振る。
「ブラッドレイおじさん!」
ブラッドレイが僅かに固まった。
凛が吹き出す。
「おじさん」
「おじさんだな」
綺礼が追撃する。
「おじさんですねぇ♪」
マルグリットまで乗っかった。
「……」
ブラッドレイは何も言わない。
だが少しだけ肩を落とした。
その様子にイリヤが不思議そうな顔をする。
「?」
アイリスフィールが小さく笑う。
切嗣は相変わらずの無表情だったが、僅かに口元が緩んでいた。
やがて。
三人は遠坂邸へ到着する。
玄関が開く。
「こんばんは」
アイリスフィールが柔らかく微笑む。
その瞬間。
部屋の空気が少しだけ和らいだ。
まるで暖炉の火が強くなったような感覚。
イスカンダルが豪快に立ち上がる。
「おお!!
久しいなアイリスフィール!!」
「お久しぶりです、ライダー」
「ライダーではない!!
イスカンダルだ!!」
「ふふっ♪」
全く気にしていない。
ギルガメッシュは椅子に座ったまま鼻を鳴らす。
「相変わらず騒がしい男だ」
「貴方も居たのですね英雄王」
「居て悪いか」
「少しだけ」
「貴様……」
珍しく英雄王が言葉に詰まった。
凛が笑いを堪えている。
そして。
最後に切嗣が部屋を見渡す。
英雄王。
征服王。
ブラッドレイ。
綺礼。
時臣。
シエル。
マルグリット。
異常な面子だった。
切嗣は数秒沈黙し――
やがて深く息を吐いた。
「……また厄介事になっているな?」
全員が納得したように頷く。
「そうだ」
ブラッドレイ。
「そうですね」
シエル。
「その通りだ」
ギルガメッシュ。
「うむ!!」
イスカンダル。
全員一致だった。
切嗣は目を閉じる。
数秒後。
諦めたように椅子へ座った。
「詳しく説明してくれ」
その横で。
アイリスフィールが苦笑しながら言う。
「だから言ったでしょう?
きっとそういう話だって」
切嗣は何も言い返さない。
言い返せなかった。
なぜなら。
来る途中で、既に予感していたからだ。
――この面子が集まっている時点で、絶対に平和な話ではない。
そして。
イリヤはそんな大人達をよそに、部屋を見回しながら目を輝かせる。
「わぁ……」
その視線が。
シエル。
マルグリット。
ギルガメッシュ。
イスカンダル。
へ順番に向き――
最後に。
壁際に立て掛けられた第七聖典へ止まった。
「おっきい!」
シエルの顔色が変わる。
嫌な予感しかしなかった。
ブラッドレイは、興味津々で第七聖典を見つめるイリヤを横目に見ながら、切嗣へ視線を向けた。
「丁度連絡をしようとしていたところだ」
切嗣は椅子へ腰を下ろしながら煙草を取り出しかけ――
アイリスフィールの視線に気付き、何事もなかったようにポケットへ戻した。
その様子に凛が小さく吹き出す。
「相変わらずね」
「……余計なお世話だ」
切嗣は短く返した。
ブラッドレイは静かに続ける。
「君達がタイミング良く来てくれて助かった」
そして。
究極眼の男は少しだけ口元を歪めた。
「大凡は予想出来ているだろう?」
切嗣は即座に答える。
「ああ」
その声に迷いは無い。
「死徒の件だろう」
部屋が静かになる。
流石は衛宮切嗣だった。
無駄な説明を要求しない。
必要な情報だけを繋ぎ合わせる。
ブラッドレイは頷いた。
「その通りだ」
アイリスフィールの表情も穏やかなままだが、目だけは真剣だった。
「東欧……いえ、北欧方面で異常が起きているのでしょう?」
「そこまで掴んでいるか」
「埋葬機関と時計塔が同時に動き始めていますもの」
アイリスフィールは静かに答える。
「それに、教会側も慌ただしいです」
綺礼が小さく頷いた。
どうやら聖堂教会内部でも既に話は広がっているらしい。
切嗣は腕を組む。
「規模は?」
今度はシエルが答えた。
「最悪を想定しています」
即答だった。
「祖級。
あるいはそれ以上」
その言葉に、切嗣の目が細くなる。
魔術師殺しとしての顔だった。
「……そうか」
驚きは無い。
ただ状況を整理している。
ブラッドレイは静かに言った。
「既にケイネスとウェイバーには話を通した」
「来るだろうな」
切嗣も同意する。
「あの二人は」
「来る」
イスカンダルが断言した。
「ウェイバーは頭を抱えながら来る」
「想像できる」
切嗣が珍しく少しだけ笑った。
その時。
イリヤがブラッドレイの隣へ来る。
「ブラッドレイおじさん」
また言われた。
究極眼の男の眉が微かに動く。
凛が笑いを堪えている。
「なんだね」
「また危ないの?」
その問いに。
部屋が静まった。
子供だからこそ聞ける。
そして。
大人達が最も答えに困る質問だった。
ブラッドレイは少し考えた。
そして。
静かに答える。
「危険だろうな」
嘘は言わない。
「だが」
その大きな手が、イリヤの頭へ置かれる。
「君達が心配する事ではない」
切嗣がその言葉を聞いて目を細める。
かつてなら。
こんな事を言う男ではなかった。
アイリスフィールも優しく微笑む。
ブラッドレイは続けた。
「子供は子供らしくしていれば良い」
イリヤは少し考え――
やがて頷いた。
「うん!」
その笑顔を見て。
部屋の空気が少しだけ柔らかくなる。
だが。
次の瞬間。
シエルの携帯端末が震えた。
全員の視線が向く。
シエルは画面を見て――
数秒固まった。
「……」
嫌な予感しかしない。
マルグリットが覗き込む。
「どうしましたぁ?」
シエルはゆっくり顔を上げた。
そして。
本気で疲れた顔で告げる。
「アルクェイドからです」
全員が固まる。
「内容は?」
ブラッドレイが問う。
シエルは画面を見たまま答えた。
「『蟹おいしかった。今からそっち行くね』」
沈黙。
数秒後。
凛が頭を抱えた。
「なんでそんな旅行帰りみたいなノリなのよ……」
だが。
シエルは知っていた。
本当に恐ろしいのは。
その文面の気軽さではない。
――アルクェイド・ブリュンスタッドが、自分から動き始めた。
その事実そのものだった。
ブラッドレイは珈琲を一口飲み――
真顔のまま、シエルを見た。
「いや」
静かに言う。
「やはり私としては」
一拍。
「死徒の件よりも、あの真祖の姫と君が交流がある事の方が、ある意味で衝撃なんだが?」
部屋が静まり返る。
そして。
「そうですね」
切嗣。
「その通りだな」
時臣。
「否定出来ん」
綺礼。
「私もです」
ディルムッド。
「うむ!!」
イスカンダル。
「当然であろう」
ギルガメッシュ。
まさかの全員一致だった。
シエルが額を押さえる。
「なんでですか……」
「なんでも何も」
ブラッドレイは即答した。
「真祖の姫君だぞ?」
「ええ」
「伝説級の存在だぞ?」
「ええ」
「そして君は埋葬機関だ」
「ええ」
「普通は仲が悪い」
「まあ普通は」
「なのに交流がある」
「ありますね」
「しかも」
ブラッドレイは真顔のまま続けた。
「蟹だぞ?」
沈黙。
シエルが思わず聞き返す。
「蟹?」
「蟹だ」
「蟹ですね」
マルグリットまで頷いた。
「蟹だな」
切嗣も頷いた。
「蟹だ」
綺礼。
「蟹ですね」
アイリスフィール。
「蟹よね」
凛。
もはや何の会議か分からない。
シエルが本気で困惑する。
「待ってください。
何故そこが重要なんですか」
「重要だろう」
ブラッドレイは真顔だった。
本当に真顔だった。
「我々は今」
指を折る。
「死徒による大規模軍事組織」
一本。
「祖級存在の活動」
二本。
「真祖勢力介入の可能性」
三本。
「時計塔と埋葬機関の共同作戦」
四本。
「アンデルセン暴走」
五本。
「世界規模危機」
六本。
そして。
「その最中に真祖の姫が北海道で蟹を食べている」
沈黙。
数秒後。
凛が吹き出した。
「ダメだ、言われると確かにおかしい!!」
イスカンダルが腹を抱えて笑う。
「ハハハハハハハハ!!」
綺礼ですら肩を震わせている。
時臣は額を押さえた。
「……確かに異様だな」
ギルガメッシュはワインを揺らしながら鼻で笑う。
「フン。
あやつなら有り得る」
「知り合いなんですか?」
切嗣が聞く。
「少々な」
嫌な予感しかしない返答だった。
シエルは諦めたように溜息を吐く。
「アルクェイドはそういう人なんです」
「人なのか?」
ブラッドレイが聞く。
「その辺は置いておいてください」
即答だった。
マルグリットが楽しそうに笑う。
「アルクェイドさん、前に北海道へ行った理由も『テレビで見たから』でしたしねぇ♪」
「そうです」
「しかも二泊三日」
「そうです」
「目的が蟹だけ」
「そうです」
ブラッドレイが天井を見上げた。
究極眼を持つ男が。
死徒二十七祖を狩り続けた男が。
本気で理解不能な顔をしていた。
「……世界が滅びかけていても蟹を優先するのか」
「いや」
シエルは少し考えた。
そして。
非常に嫌な確信を持って答えた。
「多分、蟹を食べ終わってから世界を救います」
沈黙。
完全な沈黙。
ギルガメッシュが吹き出した。
イスカンダルも笑う。
凛は机へ突っ伏した。
切嗣が目を閉じる。
ブラッドレイは数秒黙り――
やがて静かに呟いた。
「……なるほど」
そして。
本気で納得した顔で言った。
「死徒の件より衝撃だな」
「だから何でですか!?」
遠坂邸に、シエルの珍しい抗議の声が響いた。
ブラッドレイは、騒がしい居間を見渡した。
征服王は豪快に笑っている。
英雄王はワインを飲みながら鼻で笑う。
凛は机へ突っ伏している。
シエルは頭を抱えている。
マルグリットは楽しそうに笑っている。
イリヤは何が面白いのか分からないまま一緒に笑っている。
切嗣は疲れた顔で椅子に座り。
アイリスフィールは優しく微笑んでいる。
時臣は静かにワインを傾け。
綺礼は珍しく穏やかな顔をしていた。
つい先程まで。
死徒の軍勢。
真祖。
祖級存在。
埋葬機関。
時計塔。
世界規模の危機。
そんな話をしていたはずだった。
それなのに。
今の話題は。
「真祖の姫が北海道で蟹を食べていた」
である。
ブラッドレイは深く珈琲を飲んだ。
そして。
少し呆れたように呟く。
「……なんというか」
誰もが自然と彼を見る。
究極眼の男は、静かに言った。
「平和だな」
沈黙。
その言葉に。
誰もすぐには返事をしなかった。
それは皮肉ではなかった。
本心だった。
第四次聖杯戦争。
血と裏切り。
死と絶望。
あの日々を知る者達だからこそ分かる。
今、この瞬間は確かに平和だった。
綺礼が小さく笑う。
「君の口からその言葉を聞く日が来るとはな」
「私もそう思う」
ブラッドレイは否定しない。
時臣が静かにグラスを置いた。
「だが、確かにそうだ」
遠坂時臣。
かつて根源だけを見つめていた男。
その視線は今、娘達の未来へ向いている。
「昔なら考えられなかった」
誰も反論しない。
イスカンダルが豪快に腕を組む。
「うむ!!」
征服王は満足そうに頷く。
「これこそ余が見たかった景色よ!!」
ギルガメッシュが鼻で笑う。
「貴様らしくもない」
「そうか?」
「そうだ」
だが。
英雄王の口元も、僅かに緩んでいた。
イリヤが不思議そうに首を傾げる。
「平和なの?」
その問いに。
大人達は顔を見合わせる。
切嗣が娘を見る。
しばらく考えて。
そして。
静かに答えた。
「ああ」
短い言葉だった。
「今はな」
アイリスフィールが微笑む。
イリヤも嬉しそうに笑った。
その光景を見て。
ブラッドレイは窓の外へ視線を向ける。
雨は少し弱くなっていた。
世界は相変わらず危険だ。
死徒はいる。
祖はいる。
真祖もいる。
アンデルセンは相変わらず暴れているだろう。
北欧では何かが動いている。
明日には再び剣を抜く事になるかもしれない。
それでも。
今だけは違う。
敵だった者達が同じ卓を囲み。
笑い合っている。
それは。
聖杯戦争を生き延びた者達が、ようやく掴んだ日常だった。
ブラッドレイは小さく笑う。
「まあ」
珈琲を置く。
「悪くない」
その言葉に。
誰も反論しなかった。
本当に。
悪くなかった。
ブラッドレイがそう呟くと、先ほどまでの穏やかな空気の中に、再び現実的な話題が戻ってきた。
「残りは、ランスロット達だけだな」
珈琲を置きながら続ける。
「誰が連絡するかね?」
その瞬間。
全員が何故か視線を逸らした。
妙な沈黙が流れる。
ブラッドレイが片眉を上げる。
「……何だね、その反応は」
凛が真っ先に口を開いた。
「いや」
「うむ」
イスカンダルも頷く。
「これは難題だぞ」
「何故だ?」
ブラッドレイには本気で分からない。
すると切嗣が静かに言った。
「雁夜はともかく」
「うむ」
「ランスロットは桜優先だからな」
全員が頷いた。
ブラッドレイも頷いた。
「その通りだな」
理解はしている。
しているが。
「それと誰が連絡するかに何の関係が?」
今度はアイリスフィールが苦笑した。
「関係ありますよ」
「あるか?」
「あります」
即答だった。
時臣が静かに補足する。
「仮に私が連絡した場合」
全員が想像する。
――遠坂時臣から電話。
『北欧へ来てくれ』
ランスロット。
『承知しました』
桜。
『気を付けてね』
ランスロット。
『はい』
即決である。
「問題ないな」
ブラッドレイが言う。
「私もそう思う」
時臣も頷く。
すると綺礼が手を挙げた。
「私の場合はどうだ」
凛が即答した。
「胡散臭い」
「何故だ」
「自覚無いの?」
綺礼は少し考えた。
「無いな」
「だからよ」
切嗣が溜息を吐く。
一方。
イスカンダルは大笑いしていた。
「余なら一発よ!!」
「どうするんです?」
ディルムッドが聞く。
征服王は胸を張った。
「桜へ頼む!!」
全員。
「ああ」
納得した。
最も成功率が高い。
非常に合理的だった。
ブラッドレイも頷く。
「確かに」
「だろう?」
「だが」
ブラッドレイは少し考える。
そして。
静かに言った。
「本人達に直接連絡するより」
全員が嫌な予感を覚える。
「桜へ連絡した方が早い気がする」
沈黙。
数秒後。
凛が吹き出した。
「ダメだ、それ絶対そうだわ」
切嗣まで頷く。
「否定できない」
時臣も遠い目になる。
実の父親として少し複雑だった。
その時。
シエルが小さく手を挙げた。
全員が見る。
「……私でもいいですよ?」
沈黙。
ブラッドレイが聞き返す。
「君がか?」
「はい」
「何故」
シエルは少し気まずそうな顔になる。
そして。
「この前、桜さんから連絡先を交換しませんかって」
また沈黙。
マルグリットが笑いを堪えている。
凛が机に突っ伏した。
「交換してる!」
「してるのか!」
ブラッドレイも驚いた。
「してます」
シエルは諦めたように答える。
「たまに写真も送られてきます」
「写真?」
イリヤが興味津々になる。
シエルは携帯を開く。
そして。
見せた。
そこには。
庭で野菜を育てる雁夜。
洗濯物を干すランスロット。
笑顔の桜。
そして。
畑を耕しているバーサーカーが写っていた。
居間が静まり返る。
イスカンダルが一言。
「平和だな」
「平和ですね」
アイリスフィールも頷く。
ブラッドレイは額を押さえた。
死徒。
真祖。
時計塔。
埋葬機関。
そんな話をしているはずなのに。
気付けば皆で、雁夜一家の家庭菜園の写真を見ている。
そして彼は小さく溜息を吐いた。
「……もうシエルが連絡してくれ」
「はい」
「ついでに桜にもよろしく伝えてくれ」
「分かりました」
シエルが微笑む。
その瞬間。
誰もまだ知らなかった。
数分後。
その連絡を受けた桜が。
「皆さんが集まるなら私も行きます」
と言い出し、
雁夜とランスロットが頭を抱える事になるのを。