遠坂邸で作戦会議――という名の雑談と情報整理が続いてから、およそ一時間後。
玄関のチャイムが鳴った。
「来たようだな」
ブラッドレイが立ち上がる。
凛が玄関へ向かい、扉を開いた。
そして。
「……え?」
思わず固まった。
その反応に居間の全員が怪訝な顔をする。
玄関へ視線を向けると――
そこには。
先頭を歩く桜。
両手に大きなバッグを抱えている。
そしてその後ろ。
完全武装したランスロット。
黒い鎧。
愛剣。
戦闘用装備一式。
今から戦争へ向かうような姿だった。
さらに後方。
間桐雁夜。
こちらも魔術礼装を装備している。
かつてのやつれた姿はなく、健康的な顔色だが、その目は完全に実戦参加者のものだった。
そして。
桜だけが妙に平和だった。
「皆さん、お久しぶりです」
にこり。
いつもの柔らかな笑顔。
その両手には大量の荷物。
ブラッドレイは思わず聞いた。
「……桜」
「はい?」
「その荷物は何だね」
桜は嬉しそうに答えた。
「お弁当です」
全員。
「ああ」
予想通りだった。
だが。
問題は量だった。
ブラッドレイは目を細める。
「何人前だ?」
「四十人前くらいです」
沈黙。
イスカンダルが吹き出した。
「ハハハハハハハ!!」
凛が頭を抱える。
「多いわよ!!」
「足りませんか?」
「足りるわ!!」
十分過ぎる。
一方。
ランスロットは居間へ入るなり姿勢を正した。
「諸君」
かつて狂戦士だった男とは思えぬ落ち着き。
「待たせた」
イスカンダルが豪快に笑う。
「久しいな友よ!」
「征服王」
ランスロットも僅かに笑う。
ギルガメッシュは鼻で笑った。
「相変わらず堅苦しい男だ」
「英雄王も変わりないようで何よりです」
「フン」
それだけで十分だった。
戦場を共にした者達には、それで通じる。
その横で。
雁夜が深々と頭を下げる。
「皆、久しぶりだ」
時臣が静かに頷く。
「元気そうだな」
「おかげさまでな」
その言葉に偽りは無かった。
少なくとも今の雁夜は。
かつて聖杯戦争で命を削っていた男ではない。
家族を守る父親の顔をしていた。
そして。
桜がシエルを見つける。
「あ、シエルお姉ちゃん」
「こんにちは、桜さん」
自然な挨拶。
ブラッドレイが横で見ていて少し笑う。
何度見ても慣れない。
埋葬機関最強クラスの代行者と。
聖杯戦争の被害者だった少女が。
普通に友達をやっている。
その光景が妙に平和だった。
だが。
ランスロットは居間を見回し。
ふと眉をひそめた。
「ブラッドレイ殿」
「何だ」
「北欧の件ですが」
空気が変わる。
騎士の目になる。
「途中で情報を得ました」
「ほう」
「祖級反応三」
「うむ」
「アンデルセン神父が現地で交戦中」
「うむ」
「そして」
ランスロットの顔が少しだけ険しくなった。
「ヘルシング機関のアーカードも確認されたそうです」
沈黙。
ブラッドレイは深く溜息を吐いた。
「やはりそうか」
ランスロットが頷く。
「埋葬機関経由の情報です」
シエルも表情を引き締める。
「間違いないですね」
居間の空気が一気に変わる。
もはや冗談ではない。
アンデルセン。
アーカード。
祖級複数。
真祖介入の可能性。
どれか一つでも大事件だ。
その全てが同時に起きている。
そして。
そんな重い空気の中。
桜が手を挙げた。
「その前に」
全員が見る。
桜は微笑んだ。
「ご飯にしませんか?」
沈黙。
数秒後。
イスカンダルが立ち上がった。
「賛成だ!!」
「お前は本当に変わらんな」
ブラッドレイは呆れながらも笑った。
北欧には怪物達が集まりつつある。
世界規模の危機かもしれない。
だが今だけは。
戦友達との再会と、桜の作った弁当が優先だった。
ブラッドレイは数秒考え――
やがて小さく頷いた。
「それもそうだな」
その表情から、先程までの緊張が少しだけ抜ける。
「頂くとしよう」
その一言で。
桜の顔がぱっと明るくなった。
「はい!」
嬉しそうに返事をすると、早速大きなバッグを開き始める。
そして。
次々と出てくる弁当箱。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
五つ。
六つ。
「……」
「……」
「……」
居間の全員が無言になる。
イスカンダルが思わず聞いた。
「まだあるのか?」
「ありますよ?」
桜は不思議そうな顔をした。
その後も出てくる。
最終的に。
テーブルの上は完全に埋まった。
凛が頭を抱える。
「だから何人前作ったのよ……」
「四十人前くらいです」
「本当に作ってた!」
シエルが苦笑する。
「相変わらずですね」
「皆さんたくさん食べますから」
悪気は一切ない。
純粋な善意だった。
それが分かるから誰も強く言えない。
一方。
イスカンダルは既に席へ着いていた。
「よし!!」
早い。
非常に早い。
「いただこうではないか!!」
「まだ全員座っていないぞ」
ブラッドレイが呆れる。
だが。
その横ではギルガメッシュも席へ向かっていた。
「フン」
「お前もか」
「雑種の宴など興味は無い」
そう言いながら座る。
誰も信じていない。
イリヤが笑う。
「ギルガメッシュさんも食べるんだ」
「当然だ」
「食べるんだ」
「当然だ」
二回言った。
完全に食べる気だった。
その様子にアイリスフィールが微笑む。
時臣もグラスを置いて席に着く。
綺礼ですら自然に席へ移動していた。
かつて敵同士だった者達。
聖杯戦争で殺し合った者達。
埋葬機関。
時計塔。
教会。
王。
騎士。
暗殺者。
誰もが同じ卓を囲んでいる。
少し前なら考えられなかった光景だった。
ブラッドレイは席へ着きながら呟く。
「不思議なものだな」
切嗣が聞き返す。
「何がだ?」
「かつては互いを殺そうとしていた」
静かな声だった。
「今は同じ食卓で弁当を食べている」
切嗣は少しだけ笑った。
「確かにな」
アイリスフィールも頷く。
「でも」
優しい声だった。
「私は今の方が好きですよ」
その言葉に。
誰も反論しない。
桜が最後の弁当箱を置き終える。
「お待たせしました」
ランスロットが静かに頭を下げる。
雁夜も席に着く。
そして。
全員が揃った。
ブラッドレイは周囲を見渡す。
征服王。
英雄王。
騎士。
魔術師。
代行者。
暗殺者。
家族。
友人。
かつての敵。
戦友。
誰一人欠けていない。
北欧へ向かえば。
再び命懸けの戦いが待っているかもしれない。
アンデルセン。
アーカード。
祖級存在。
真祖。
数え切れない脅威がある。
だが。
今だけは違う。
ブラッドレイは箸を手に取った。
そして。
穏やかに言う。
「では」
かつて戦場で共に戦った者達へ。
そして。
今を生きる仲間達へ。
「いただこう」
「「「いただきます」」」
遠坂邸に。
久しぶりの穏やかな食事の時間が訪れた。
ブラッドレイは一口、卵焼きを口に運んだ。
ゆっくりと噛みしめる。
派手さはない。
高級料理でもない。
だが――
その味に、ふと目を細めた。
「ほう」
桜が少し緊張した様子で顔を上げる。
「お、お口に合いましたか?」
ブラッドレイはもう一口食べてから頷いた。
「ああ」
短い返答だった。
だが続く言葉は珍しく柔らかかった。
「美味いな」
桜の表情が明るくなる。
「本当ですか?」
「本当だ」
ブラッドレイは味噌の香りが残る煮物を口に運ぶ。
そして静かに言った。
「暖かい味だ」
居間が少し静かになる。
その言葉は、料理そのものだけを指していなかった。
桜もそれを感じたのか、少し照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます」
イスカンダルが豪快に笑う。
「うむ!!実に良い!!」
既に三人前ほど平らげていた。
誰も驚かない。
「これぞ家庭の味というやつだな!」
「食べるのが早すぎる」
ディルムッドが呆れる。
その横でギルガメッシュも黙々と食べている。
凛がじっと見つめた。
「……」
「何だ雑種」
「意外と気に入ってるわよね?」
「当然だ」
即答だった。
「良い物は良い」
それだけだった。
だが皿は綺麗になっている。
説得力があった。
イリヤがくすくす笑う。
アイリスフィールも穏やかに微笑んでいた。
一方。
シエルは普通におかわりしている。
マルグリットも嬉しそうに食べていた。
「いいですねぇ♪」
「うむ」
ブラッドレイも珍しく同意する。
そして。
しばらく料理を味わってから。
静かに呟いた。
「こういう食事は久しぶりだな」
誰に向けた言葉でもなかった。
軍人だった頃。
埋葬機関にいた頃。
聖杯戦争の頃。
常に戦いの中にいた。
まともな食卓など数えるほどしかない。
だからこそ。
この何気ない時間が妙に心地良かった。
雁夜が苦笑する。
「桜が張り切る訳だ」
「ええ」
時臣も頷いた。
父親らしい穏やかな顔だった。
「昔から料理は好きだったからな」
桜は少し照れながら俯く。
その様子を見たブラッドレイは。
ふと飲食店を営む今の自分を思い出した。
戦場。
血。
死。
怪物。
それらに囲まれて生きてきた男が。
今は客に珈琲を淹れている。
桜は人々に料理を振る舞っている。
切嗣は家族と笑っている。
雁夜も生きている。
かつてなら考えられない光景だった。
ブラッドレイは小さく笑った。
「……なるほど」
その声に切嗣が顔を上げる。
「何だ?」
ブラッドレイは再び料理を口に運びながら答えた。
「守る価値はあるな」
静かな言葉だった。
だが。
その場にいた者達には十分伝わった。
何を指しているのか。
誰も聞かなかった。
ただ。
桜だけが少し照れながら。
「たくさんありますから、おかわりもどうぞ」
そう言って、もう一つ弁当箱を開けた。
そして居間には再び笑い声が広がった。
北欧の怪物達も。
アンデルセンも。
アーカードも。
今だけは遠い話だった。
ブラッドレイは箸を置き、満足そうに息を吐いた。
「ならば――」
静かに立ち上がる。
「私もコーヒーを淹れよう」
その言葉に何人かの表情が変わった。
ブラッドレイの店の珈琲は、冬木でも評判になっていた。
「時臣」
ブラッドレイは振り返る。
「少し厨房を借りるぞ」
時臣は優雅に頷いた。
「もちろんだ」
そして少し笑う。
「遠坂家の台所が、君の店に比べれば見劣りするのは勘弁してほしいがね」
「十分だ」
ブラッドレイはそう言って厨房へ向かう。
その背中を見送りながら。
イスカンダルが首を傾げた。
「そんなに美味いのか?」
「美味い」
ディルムッドが即答した。
珍しく迷いがない。
「即答?!」
凛が驚く。
「本当に美味い」
すると。
シエルが何とも言えない顔で呟いた。
「埋葬機関の会議でも話題になりました」
「何故だ」
切嗣が聞く。
「会議中に皆が飲みたがるからです」
沈黙。
マルグリットが笑い出した。
「ありましたねぇ♪」
「ありました」
シエルは真顔だった。
「死徒二十七祖の報告より先に」
少し間を置く。
「『ブラッドレイさんの店は営業しているのか』という話題が出ました」
「何をしているんだ君達は」
ブラッドレイ本人が居たら呆れていただろう。
その時。
厨房から。
豆を挽く音が聞こえてくる。
ゴリゴリと一定のリズム。
不思議と落ち着く音だった。
居間の会話も自然と小さくなる。
ランスロットが耳を傾ける。
「慣れているな」
「そりゃそうだ」
雁夜が笑う。
「店主だからな」
そして。
数分後。
静かな香りが漂い始めた。
居間の空気が変わる。
深く。
豊かで。
どこか懐かしい香り。
イリヤが目を輝かせた。
「いい匂い!」
アイリスフィールも微笑む。
「本当ね」
切嗣ですら少し表情が緩んだ。
やがて。
ブラッドレイが盆を持って戻ってくる。
人数分のカップ。
一滴も零れていない。
「待たせたな」
テーブルへ並べられる珈琲。
湯気が静かに立ち昇る。
ブラッドレイ自身も一杯手に取り、席へ戻った。
そして。
一口飲む。
満足そうに目を細める。
「うむ」
イスカンダルが早速飲む。
そして。
「ほう!」
征服王の顔が明るくなった。
「これは良い!」
ギルガメッシュも飲む。
何も言わない。
だが二口目に入った。
十分だった。
ディルムッドは苦笑する。
「相変わらずだな」
ブラッドレイは肩を竦めた。
「戦うよりは得意だからな」
その言葉に。
一瞬だけ静寂が訪れる。
かつて戦場を駆けた英雄。
埋葬機関の処刑人。
死徒を狩る剣士。
そんな男が。
今は誰かのために珈琲を淹れている。
それはどこか。
この平和な時間そのものを象徴しているようだった。
そしてブラッドレイは珈琲を口に運びながら、穏やかに言う。
「さて」
窓の外は既に夕暮れ。
「北欧へ向かう前に、もう少しだけ休むとしよう」
誰も反対しなかった。
今だけは。
この平穏を味わう資格が、皆にあった。