ファーストダイブ、ツクヨミ!
仮想空間、ツクヨミ。
数多のクリエイターやパフォーマーが活動し、今なお利用者を増やし続けている一大文化圏なんだとか。
姫様のご厚意で、地球滞在中はそこで働けることになった。
……なったのだが。
「メンテでも拡張でも、雰囲気を知っておくとやりやすいかも。まずは楽しんできて!」
研修というには、あまりにも気楽すぎないだろうか。
とはいえ理にはかなっているし、断る理由もない。
そんなわけで、初ダイブと相成った。
研究室にあったスマートグラスをお借りして、接続の準備を進める。
「ツクヨミ行くならスマコンが良いんだろうけど、今はこれで我慢してね」
「いえ、これだけでも十分凄いですよ」
装着した瞬間、眼前に表示された情報群には圧倒された。
ニュースに天気、地図情報……入力用の仮想キーボードもある。
これだけで仕事ができそうだな。
……残りのリソースでデバイスを再現できるか、後で確認しておこう。
「VRアタッチメントはこれでいいかな。準備はいい?」
「はい、いつでも行けます」
椅子に腰掛けてゆっくりと深呼吸する。
目の前に広がる接続画面に、どこか既視感を覚えた。
……そうか、月を旅立った時の感覚に似ているんだ。
そう思った次の瞬間、視界は光に埋め尽くされた。
◇■◇■◇■◇
気がつくと、私は一人静かな空間に立っていた。
足元には水が広がり、少し離れた所には大きな門枠のような構造物が見える。
「———太陽が沈んで、夜がやってきます」
「うわぁ!?姫様!?」
急に周囲が薄暗くなったかと思えば、いつの間にか背後に姫様がいた。
驚いて転びそうになるが何とか踏みとどまる。
「仮想空間ツクヨミへようこそ〜♪」
そんな様子を気にもとめず姫様は言葉を続ける。
「……ああ、分身でしたか。そんな事言ってましたね」
「本物だよ〜」
ばしゃーん!
今度は耐えきれず、水面に尻もちをつく。
「な、なななっなんで……!?」
「実はたまに、こうして様子を見に来るんだよね〜」
ナイショだよ?と姫様はいたずらっぽく微笑む。
「コホン———出かける前に、その格好じゃあつまらない!」
パチンッと指を鳴らせば一枚のウィンドウが現れた。
表示された衣装を選ぶ度に画面の中の私が姿を変える。
「ではこれと……こんな感じで」
選んだのはひらひらとした紅白の衣装。
どことなく月の使者が纏うものにも雰囲気が似ている。
「これで準備は整った!」
姫様は私の両手を取るとそのまま駆け出した。
行く手には門枠の内側に広がる光の壁。
「それじゃあ行ってらっしゃい!」
「わわっ!?」
勢いそのまま投げ出される。
壁に衝突……することはなく、そのまま通り抜けた。
壁に触れた所から選んだ衣装に変わっていく。
こうして私はツクヨミへと降り立った。
……顔面から。
◇■◇■◇■◇
「にゃー!」
ばしゃーん!
再び水面へと倒れ込こんだ。
「わっ……大丈夫?」
「な、なんとか……」
差し出された手を借りて立ち上がる。
なんだか聞き覚えのある声だ。
「もしかして、芦花さんですか?」
「あったり〜。軽くだけど案内したげようと思って」
大きな動物の角や髪型こそ違うものの、顔立ちや雰囲気は現実とさほど変わらない。
芦花さんだと分かったのもそのためだろう。
どうやら私を待っていてくれたようだ。
……盛大に転んだ姿も見られたわけだが。
「巫女さんにネコミミかぁ……衣装が変わると雰囲気も変わるねぇ」
この服は巫女と呼ばれるものらしい。
というかネコミミ?そんな装飾つけたっけ?
メニュー画面からアバターを確認してみれば、頭に黒い何かが生えていた。
腰の辺りにも同じ色の何かが揺れている。
「わ、なんですこれ?」
姫様の仕業だろうか?
「まあ似合ってるからいいんじゃない?」
特に邪魔になるものでもないしそんなものなのだろう。
……褒められて悪い気はしないし。
「それじゃ行こっか。まずは繁華街かな」
芦花さんは遠くに輝く街へ向かって歩き出す。
離れていても伝わってくる賑わいと煌めき。
私はその背を追い、ツクヨミへの第一歩を今度こそ踏み出した。
◇■◇■◇■◇
仮想空間と月の世界には、確かに似た部分もある。
だが、この活気と喧騒だけは明らかに違っていた。
七色に照らされた雅な街並み。
空を舞うさまざまな海洋生物。
どこからともなく聴こえてくる音楽。
そして何より、人、人、人。
それぞれが思い思いに過ごし、この街を形作っていた。
「さくや、どうした?」
「……いえ、少々圧倒されまして」
ともすれば雑然としてしまいそうな光景なのに、不思議と調和が取れている。
これは皆がこの空間を楽しんでいるからだろうか。
「まだここ入口だよ?イベントとかこんなもんじゃないし」
この空間、どれだけ広いのだろう。
こんなにも賑わっているのに、まだ序の口だというのか。
気を抜けば、簡単にはぐれてしまいそうだ。
思わず芦花さんのそばに寄る。
「ほら、さくや。いくよー?」
「あっ!待ってください!」
芦花さんは慣れた足取りで歩みを進める。
慌てて私も人波の中へ飛び込んだ。
◇■◇■◇■◇
「ああ、落ち着く……」
穏やかな音楽と水の音が美しい座敷。
ツクヨミ川床と呼ばれるその場所で、私は溶けるように突っ伏していた。
「あちゃあ……VR酔い?」
「どちらかというと人酔いですかね……」
あるいは「情報酔い」とでも言うべきだろうか。
あれほどの数の情報体がひしめく環境は、月でもまず無い。
ああ、それと———
「パズル、やり過ぎましたね」
たまたま参加したパズルゲームのイベントで、妙に注目を集めてしまったのだ。
「凄かったよさくや。無双してたじゃん」
「よってたかってボコボコにされちゃいましたけどね……」
自分で言うのもなんだが、ゲームとの相性が良かったらしい。
コツをつかんだ頃には明らかに狙われていた。
なんとか凌いだものの、最終的には集中砲火を受けて沈められてしまった。
「さくやが最初に倒した人、結構有名なプレイヤーだよ。名前聞いたことあるし」
「そういうことでしたか……」
どうりで妙に手強い相手から狙われたわけだ。
まあ、なにかしら不興を買ってしまったわけではなくて良かった。
「……ねえさくや、今日は楽しかった?」
「へ?とても楽しかったですが……」
今日体感したものは全て、月にいては知ることのなかったものだ。
ツクヨミは月に近い分、こうまで違うものかと感心してしまった。
「良かった。苦手意識持たれちゃったらヤチヨにも悪いもの」
そうか。
ここは姫様の好きなものを集めて作られているのか。
月の世界を飛び出して行くのも無理はない。
あそこは穏やかで安定している。
けれど、姫様には退屈すぎたのだろう。
「今日はもう戻ろうか。また案内したげる」
「はい、よろしくお願いします」
ふたりで笑い合いながら、ログアウトを選択する。
次のツクヨミ観光を楽しみにしながら。
◇■◇■◇■◇
「黒髪ネコミミ巫女!?確かに似合ってるけど、狙いすぎじゃない?」
「これヤチヨ趣味らしいよ」
「えっマジ……?」
目覚めると、なにやら盛り上がっている様子だった。
……そして、誤解が生まれている様子でもあった。
「あ、さくや。おは〜」
「さくや!これヤチヨの趣味って本当!?」
彩葉様の持つ端末には私のアバターが映っていた。
観光中、芦花さんが撮ってくれた写真の一枚だろうか。
「すみません、私のアバターになにか……?」
「どの辺からヤチヨプロデュース!?」
プロデュース、制作とか演出とかそんな感じの意味だっけ?
「ええっと、ネコミミ?というアクセサリーですね。あと尻尾」
どちらも自分でつけた記憶は無いが、結構気に入っている。
とくに尻尾はふよふよ動くので楽しい。
「ヤチヨ、猫派……!?」
なにか呟きながらよろよろと椅子にもたれかかる彩葉様。
今日も仕事だったようだし、お疲れなのだろうか。
「どうされたのでしょう……?」
「推しの新たな一面とアイデンティティの衝突?まあ気にしなくていいよ」
「は、はあ……」
よく分からないが当人にとっては深刻なのだろう……多分。
「さくやおかえり〜!ツクヨミはどうだった?」
噂をすればなんとやら。
渦中の存在が姿を現した。
「とても楽しかったです」
「パズル大活躍だったねぇ。突如現れた謎の新星!って話題になってたよ」
「ご覧になっていたんですか!?」
しかも話題になっているらしい。
次あのゲームやったら、開幕早々ぼこぼこにされないだろうか。
「ふふふ、ヤッチョにはなんでもお見通しなのだよ」
「ヤチヨ……さくやのアバターについてなんだけど」
ゆらりと彩葉様が動き出す。
正直、結構怖い。
「ヤチヨって猫派だった……?」
「んー……犬でも猫でもウミウシでも、モフモフは大好きだよ?もちろん狐もね」
あ、ちょっと機嫌直った。
「でもそれかわいいでしょ!さくやったらほぼ最低限しか選ばないんだもの」
あとかぐやとの差別化も兼ねてお化粧も少々———などと犯人は語る。
……思った以上に手を加えられていたらしい。
「がっつりヤチヨプロデュースコーデじゃん!羨ましんだが!?」
「それなら彩葉も全身コーデやろっか」
「…………え?」
なんだか話が妙な方向へ転がり始めた。
「えーいいなぁ。私もやりたーい」
「それならリアルとツクヨミ両方でやろうよ。日程この辺りで」
「おっけー」
「……ん?んー?」
すごい。
あっという間に企画が決まった。
当事者は完全に置いてけぼりだ。
「さくやもモデルとして参加ね」
「……へ!?」
置いてけぼりは私もだったようだ。
「待って待って待って!それとこれとは話が別じゃん!?」
彩葉様、再起動。
着せ替え人形になるのは御免らしい。
「……ごめんね彩葉。勝手にはしゃいじゃって」
「えっいや、別にそういう訳じゃ……」
しかし、姫様の態度を前に急ブレーキがかかる。
「羨ましいって言ってくれたのが嬉しくってつい……」
「……羨ましいの事実っていうか、なんというか……」
「じゃあ、付き合ってくれる……?」
「……動画とか残さないなら」
かくして彩葉様は陥落した。
「相変わらずチョロいなぁ」
「いつもこんな感じなんですか?」
「そうそう。ああやって毎回言いくるめられてるの」
姫様が上手いのか、彩葉様が甘いのか。
多分両方だろう。
「それじゃ彩葉はヤチヨに任せて、私はさくやのコーデ考えよっかなぁ」
モデルの話は既定事項らしい。
まあ芦花さんのチョイスならば悪いようにはならないはずだ。
後日、初期アイテム縛りファッションショーと題して着せ替え人形にされ、動画も作られたのは別のお話。