オレンジ色に発光するエネルギーフィールドの向こう側に、分厚い黒の装甲服を着た三人のミニットメンが立っていた。
彼らの手には、先端が不気味に発光する『タイムスティック』が握られている。
「おい、バリアント。中で何をコソコソやっている」
バイザー越しに聞こえるくぐもった声。看守の一人が、手首のテンパッドを操作し、独房のエネルギーフィールドを解除するためのコマンドを入力しようとした。
(……今だ)
僕は、看守の指が解除スイッチを押す直前の、コンマ数秒のタイミングを狙って、手元のコードをショートさせた。
看守の端末から送られた「解除信号」をトリガーにして、鉄格子を形成していた膨大なTVAの時空拘束エネルギーが、僕が組んだバイパスを通って、カーンのアーマーの外部ポートへと一気に逆流する。
「な、なんだ!? 端末が……!」
看守がパニックに陥った声を上げた瞬間。カァァァァッ!と、暗闇に沈んでいたカーンのアーマーが、紫色の眩い光を放って覚醒した。
カーンは重い足取りで立ち上がると、エネルギーを満たした両腕のガントレットを入り口へと向けた。
鉄格子のエネルギーフィールドが完全に消失したのと同時に、彼のガントレットから極太の紫色のプラズマが放たれた。
轟音。
閃光が薄暗い牢獄の廊下を舐め尽くし、入り口に立っていた三人のミニットメンは、悲鳴を上げる間もなく通路の奥へと吹き飛ばされた。彼らの分厚い装甲が焼け焦げ、壁に激突して完全に沈黙する。
「……ふん。他人のシステムから掠め取った電力では、やはり出力が安定せんな」
カーンはガントレットを下ろした。
一度きりのプラズマを放ち終えた彼のアーマーは、再びプスンと音を立てて完全に沈黙し、元の重い棺桶へと戻ってしまった。
しかし、カーンの瞳に宿る闘志は、微塵も衰えてはいなかった。
『緊急事態!緊急事態!未規定収容セクターにてバリアントの暴動!警備部隊は直ちに現場へ急行せよ!』
通路のスピーカーから、無機質な警告音声が鳴り響く。
「お前は、さっさとその『鍵穴』とやらを開けろ。私は少し、鈍った体をほぐしてくる」
カーンは僕にそう言い残すと、アーマーの重量をものともしない俊敏な動きで、独房の外へと飛び出していった。
廊下の奥から、さらに増援のミニットメン五人がタイムスティックを構えてなだれ込んでくるのが見えた。
彼らはカーンがエネルギーを使い果たした丸腰だと見るや、容赦なく襲いかかってきた。しかし、それは圧倒的な弱者の勘違いでしかなかった。
カーンはただの兵器オタクの学者ではない。数多の宇宙を渡り歩き、自らの手を血に染めてきた実戦の達人...『征服者』なのだ。
カーンは飛んできたタイムスティックの突きを紙一重でかわすと、アーマーの装甲の硬さを利用して、先頭のミニットメンの顔面に強烈な肘打ちを叩き込んだ。
バイザーが砕け散る鈍い音が響く。さらにカーンは、崩れ落ちた男の腕を掴み、その手首から『テンパッド』を引き剥がし、背後に放り投げた。
「おい、少年。受け取れ!」
宙を舞ったテンパッドを、僕は独房の中からダイビングキャッチで受け止めた。
「ナイスパスだ、カーン!」
僕はすぐにテンパッドの画面を起動し、ハッキングの作業に入った。
この小さな端末の中に、TVAのポータル技術のすべてが詰まっている。しかし、画面に表示されたのは、幾重にもロックがかけられたオレンジ色のインターフェースだった。
(……なんて強固なセキュリティだ。パスワードなんて次元じゃない。使用者の生体データ、時間軸の認証、果ては量子状態の完全一致まで求めてくる。正面から破ろうとすれば、僕の頭脳でも数年はかかる)
廊下では、カーンが生身の格闘術だけでミニットメンたちを次々と屠っていた。
彼は敵のタイムスティックを奪い取ると、それを巧みに操り、襲いかかってくる看守たちを次々と「虚無」へと消去していく。
「どうした!TVAの番犬ども!神聖時間軸を守る力とは、この程度か!」
カーンの咆哮が響き渡る。
しかし、彼がいくら強くとも、ここは敵の本拠地だ。サイレンの音はますます大きくなり、今度は数十人規模の大部隊がエレベーターで降下してくる気配が、床の振動から伝わってきた。
「おい、まだか!このままでは物理的に押し潰されるぞ!」
カーンがタイムスティックを構えたまま、背越しに叫んだ。
「分かってる!でも、外の世界の座標が指定できないんだ!中から外へ繋がる『道』が完全に隠蔽されている!」
僕はテンパッドの仮想キーボードを恐るべき速度で叩きながら、焦燥感に歯を噛んだ。
どれだけ計算式を打ち込んでも、すべては『アース616』の内部にループさせられてしまう。
(ダメだ。行き先が分からない。このままじゃ……)
絶望が首をもたげかけた、その瞬間だった。
『ピーッ! ピーッ! ピーッ!』
僕が弄っていたテンパッドの画面に、突如として真っ赤な「エラー信号」が割り込んできた。
それは、TVAの正規のネットワークから来たものではなかった。テンパッドの空間探知センサーが、あまりにも強大すぎる『外部からのエネルギー干渉』を物理的にキャッチしたのだ。
画面に表示されたのは、強烈な重力崩壊と空間の歪みを示す波形データ。
「……これだ」
僕は息を呑み、そして歓喜の笑みを浮かべた。
「来た!外部からの特異点アラート!間違いない、僕の作ったあの『正八面体のコア』のエネルギー波長だ!」
出木杉が、やったのだ。僕の部屋で、僕の残した難解な数式を解読し、コアパーツを装置に組み込み、見事に起動させた。
彼が現代の技術で無理やり引き出したオーバースペックなタキオン・エネルギーが、次元の壁を突き破り、この『時間の外側』にまで強烈なノイズとして届いたのだ。
「出木杉……本当に、君は僕の期待を裏切らない最高の男だ!」
僕は、そのエラー信号が示す「空間の歪みの発信源(座標)」をコピーし、テンパッドのポータル転送先として上書き入力した。
TVAのシステムが「未登録の座標だ」と警告を出すが、そんなものは無視して強制実行のコマンドを叩き込む。
「カーン!鍵穴が見つかった!ポータルを開くよ!」
僕が叫んだ直後、牢獄の通路の空間がオレンジ色に発光し、巨大な『タイムドア(次元の扉)』が形成された。
しかし、その扉の様子は、先ほどミニットメンたちが使っていた安定した美しい長方形のものとは、明らかに違っていた。
「……おい、なんだこのポータルは?」
廊下のミニットメンをあらかた片付けたカーンが、訝しげに扉を見つめた。
開かれたオレンジ色のポータルは、まるで強風に煽られた水面のように激しく波打ち、ノイズが走り、縁からは青白いバチバチという放電が飛び散っていた。
「……出木杉が向こう側でコアを起動させたのはいいけど、やっぱり現代の即席の装置じゃ、エネルギーの出力が暴走して不安定になっているんだ!座標がピンポイントで固定できていない!」
「つまり、どこに繋がっているか分からないということか!?」
「僕の宇宙のどこかには繋がっているはずだ!でも、僕の部屋にドンピシャで降りられるかは保証できない!下手すると、時代も場所もズレた『別の分岐世界』に弾き飛ばされるかもしれない!」
僕がそう答えると、廊下の奥から、重装甲の機動部隊が地響きを立てて押し寄せてくるのが見えた。
彼らの手には、僕が乗せられていたような取調室のシールドごと吹き飛ばせるであろう、大型の重力波ランチャーが握られている。
「撃て! バリアントを消去しろ!」
機動部隊の隊長が叫び、数発の重力波弾がこちらに向かって放たれた。
「チィッ……!行き先がブレようが、こんな暗闇で剪定されるよりはマシだ!!」
カーンは奪った重力波ライフルを乱射して敵の攻撃を相殺し、目眩ましに弾幕を張った。 爆風と煙が通路を包み込む。
「行くぞ、少年!」
「ああ!」
カーンが僕の首根っこを掴み、僕たちは激しくノイズを放つ不安定なオレンジ色のポータルへと、躊躇うことなくダイブした。
背後で、TVAの機動部隊の怒号と爆発音が遠ざかっていく。視界が強烈なオレンジ色の光に包まれ、内臓が裏返るような空間転移の感覚が僕を襲った。
決まった運命を管理する神聖時間軸を破り、僕たちは再び、無限の可能性が広がるマルチバースの海へと飛び出したのだ。
行き先が、例え僕の全く知らない『別の歴史』であったとしても。
(第16話へ続く)