神聖時間軸なんてクソくらえ!!   作:ルルルだ。

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第4話:開かれた特異点

『カチリ』。

小さな金属音が、夕暮れの部屋に響いた。

 

その瞬間、勉強机の周りに配備された何台ものモニターが、一斉に不気味なノイズを映し出した。

自家構築した量子エミュレーション・システムの冷却ファンが、かつてないほどの轟音を立てて高速回転を始める。部屋中の空気が、目に見えない巨大な手に圧縮されるような重圧感を生み出し、窓ガラスがビリビリと微小な振動を始めた。

 

「の、のびくん! これ、大丈夫なのか!? 部屋の気圧が急激に下がっている!」

 

出木杉が、自分の耳を押さえながら叫んだ。彼の声は、モーターの駆動音と空間の軋む音にかき消されそうになっていた。

 

「心配ない! タキオン変換器が現代の交流電流を、高次元重力子エネルギーに変換している音だ。計算通りの負荷さ!」

 

僕は手元のキーボードを叩き、システムの出力制御プロトコルを次々と上書きしていく。

机の引き出しの中。そこにセットした正八面体の結晶コアが、青白い光を激しく明滅させ始めた。現代のチタン合金と銅線で無理やり組み上げた自家製の電磁場発生装置が、その未知のエネルギーをかろうじて封じ込め、一点へと収束させていく。

 

『出力、臨界点突破。事象の地平面(イベント・ホライゾン)の形成を開始します』

 

自作の音声AIが、無機質な声で告げる。 その直後、引き出しの中の空間が——物理法則という絶対のキャンバスが、音もなく「裂けた」。

 

「……おお……!」

 

出木杉が、恐怖を忘れたかのように身を乗り出した。

引き出しの中。そこには、木の板も、床材も存在しなかった。あるのは、無限の深淵へと続く、渦巻くような光のトンネルだった。

青と紫の光の帯が螺旋を描きながら奥へ奥へと伸びていく。それは、かつてドラえもんのタイムマシンが通っていた「時空間トンネル」とよく似ていたが、もっと荒々しく、そしてもっと根源的な力に満ちていた。

 

空間の裂け目から、ツンとしたオゾンのような匂いと、絶対零度の冷気が吹き出してくる。

 

「信じられない……」

出木杉は、眼鏡の奥の目を限界まで見開き、その光の渦を凝視していた。

「本当に、現代の電力とジャンクパーツだけで、マイクロ・ワームホールを形成してしまったのか。……空間の歪曲率、重力場の安定性、どれも完璧だ。のび太くん、君は……神の領域に手を触れたんだぞ……!」

 

「神の領域? 違うよ、出木杉」

僕はキーボードから手を離し、椅子の背もたれに深く寄りかかった。

額にはじんわりと汗が滲んでいたが、僕の口元には、これまでにないほどの深い満足の笑みが浮かんでいた。

 

「これは、科学だ。誰にでもアクセスできる宇宙の真理を、僕が少しだけ早く紐解いただけのことさ。……ついに、完成したんだ」

 

僕は立ち上がり、引き出しの淵に手をかけた。

吸い込まれそうな光の渦。この奥には、過去も未来も、あるいは僕の理論が正しければ、別の可能性に満ちた無数のマルチバースすら広がっているはずだ。

 

「これなら、ドラえもんの『安全装置』付きの量産型マシンとは違う。航時法の指定座標に縛られず、僕の意志で、好きな時間、好きな次元へと座標を固定できる」

 

「待ってくれ、のびくん!」

出木杉が、慌てて僕の腕を掴んだ。

「君は本当に、これに入るつもりかい!?理論が完璧でも、人間の肉体がこの高次元の重力場に耐えられる保証はない!それに、さっきも言っただろう? もし本当に『タイムパトロール』が存在するなら、この強烈な時空干渉のエネルギーを、彼らが感知しないわけがない!」

 

出木杉の警告は、極めて真っ当だった。

このワームホールを開き続けるだけで、周辺の時空には莫大な「歪み」が発生しているはずだ。未来の連中が時空間の監視網を敷いているなら、今頃、彼らのモニターには僕の部屋の座標が真っ赤な警告色で表示されていることだろう。

 

「来るなら来ればいい」

僕は冷たく言い放った。

「奴らが来るというなら、それは僕の理論が完全に正しかったことの証明になる。未来の警察が慌ててすっ飛んでくるほど、僕の作ったこの装置が『歴史を脅かす本物』だということだ。……僕はもう、誰かの用意した檻の中で、大人しく退屈を貪るつもりはないんだよ」

 

出木杉は、僕の目を見て悟ったようだった。

野比のび太というかつての凡人は、もうこの次元にはいない。彼の目の前にいるのは、純粋な知的好奇心と、運命への反逆心に突き動かされる、制御不能な『特異点(バリアント)』なのだと。

 

「……君は、悪魔に魂を売ったのか、それとも……」

出木杉が呟いたその時。 僕の部屋の空間そのものが、微かに、しかし確実に「波打つ」のを感じた。

 

 

 

 

 

一方、その頃。 西暦2245年。時間と空間の座標軸の狭間に構築された、巨大な人工要塞。 『タイムパトロール(TP)本部』の深部。

 

そこは、通常の時間犯罪(過去への密輸や、恐竜の密猟など)を取り締まる一般部署とは異なる、極秘の管轄エリアだった。

分厚い隔壁に守られたその空間の入り口には、銀色のプレートでこう刻まれている。

『歴史特異点監視局・第3課(通称:異常分岐処理部)』。

 

薄暗いオペレーションルームの壁面を、巨大なホログラム・モニターが覆い尽くしていた。

無数の時間軸(タイムライン)が、光の糸のように絡み合い、時には一本に束ねられ、時には強制的に切断される様子が、リアルタイムで演算・表示されている。

 

突然、部屋中にけたたましいサイレンが鳴り響いた。 モニターの中央、特定の時間軸の一点が、強烈な真紅の光を放って点滅を始めた。

 

「警報! アース・プライム(基本時間軸)、21世紀初頭のアジア極東エリアにて、クラスAの未認可・超高エネルギー時空干渉を検知!」

オペレーターの一人が、コンソールを激しく叩きながら叫んだ。

「重力崩壊値、規定の800倍!局所的なマイクロ・ワームホールが形成されつつあります!このままでは、当該ポイントを起点として、歴史の重大な分岐(ネクサス・イベント)が発生します!」

 

部屋の奥から、コツ、コツ、と硬質なブーツの足音を響かせて歩み出てきた男がいた。

第3課の指揮官、特務捜査官のレグだった。彼は銀色の流線型の制服に身を包み、冷徹な青い目で赤く染まったモニターを見上げた。

 

「また21世紀か。最近、あの時代の時間犯罪が多すぎる。……発生源の特定は?」

「座標を特定。……日本のトウキョウエリア。対象の生体反応、照合完了。……ば、馬鹿な」

オペレーターが息を呑んだ。

「対象は……『野比のび太』です」

 

レグの眉がピクリと動いた。

「野比のび太だと?例の『特異点(バリアント)』か。……本来ならば、22世紀の世話焼きロボットの庇護の下、凡庸な人生を送り、歴史の末端で些細な借金を残すだけのはずだった男。それが、自らの知能を突然変異的に覚醒させ、歴史を根底から書き換えてしまったという……」

 

「はい!彼の覚醒により、未来のセワシ家の没落は回避されました。歴史が『良い方向』へ上書きされたため、上層部は彼を『有益なイレギュラー』として黙認する決定を下していましたが……」

 

「黙認の限度を超えたということだ」

レグは冷酷に吐き捨てた。

「現代の原始的な電力とジャンクパーツのみで、次元の壁に穴を開けただと?航時法・第7条『技術の不正な前倒し』の最重要違反だ。さらに、これほどの高エネルギー干渉は、我々が管理する『正しい歴史(正史)』のタイムラインに無数の分岐を引き起こしかねない。ただでさえ、我々はあの連中……『TVA(時間変異取締局)』から、管理能力を疑われているというのに」

 

レグの言葉に、オペレーターたちは一様に苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

TVA。

時間の外側に存在し、「神聖時間軸」という彼ら独自のルールでマルチバース全体を監視・剪定する巨大な官僚組織。

タイムパトロール(TP)は、アース世界の単一時間軸を管理する組織として、TVAと「業務提携」を結んではいた。しかし、その実態は完全な上下関係だった。

 

TVAにとって、TPが守ろうとしている「正しい歴史」など、神聖時間軸の中の一つのローカルルールに過ぎない。TPの上層部は、TVAから多次元宇宙(マルチバース)の管理技術を提供してもらい、組織の権限を拡大しようと画策していた。

しかし、TVAの上層部はTPを「三次元の物理法則に縛られた田舎の警察」と見下し、中核技術の提供を完全に拒否したのだ。

 

「忌々しいTVAの連中め」

レグは、部屋の奥に設置された「ゲート」を睨みつけた。

 

それは、TPの技術部が、TVAの捜査官(ハンター)たちが使っている『タイムドア(オレンジ色の長方形の光の扉)』を見よう見まねで模倣して作った、次元転移装置だった。

 

しかし、マルチバースの深淵な知識が圧倒的に乏しいTPには、TVAのような「どこへでも一瞬で繋がり、分岐そのものを消去する」ような完璧なポータルは作れなかった。

TPの作った模造タイムドアは、枠組みこそ未来的な金属のリングで構成されているが、起動には膨大なエネルギーの充填時間を要し、おまけに「自分たちが属する単一の時間軸の、過去や未来」への移動にしか使えないという、非常に不完全な劣化版だった。

 

それでも、旧式のタイムマシンに比べれば、直接現場へ突入するには最適の装備だ。

 

「レグ隊長、当該座標の空間異常がさらに拡大しています! のび太が、ワームホールを通って『外』へ出ようとしています!」

「させん。奴はもはや、見過ごすことのできない歴史の癌だ。これ以上の分岐を許せば、TVAの連中がしゃしゃり出てきて、我々の時間軸ごと『剪定(リセット)』されかねん」

 

レグは腰のホルスターから、重力波スタンガンを引き抜いた。

「第3課、出動準備!目標は21世紀の野比のび太。対象を『歴史的特異点(バリアント)』として拘束し、時空干渉装置を完全に破壊しろ。……奴の頭脳は、我々の管理する歴史には危険すぎる」

 

「了解! 模造タイムドア、起動シークエンスに入ります。エネルギー充填率、60%……70%……」

 

重厚な金属のリングが回転し、内側に青白いプラズマの膜が形成され始める。

TVAのタイムドアのような美しいオレンジ色ではなく、ノイズ混じりの不安定な青い光。だが、目標地点の空間を強制的に抉じ開けるには十分な出力だ。

 

「充填率、90%……100%! ドア、開きます!」

 

『バチィィィン!』という放電音と共に、模造タイムドアのリングの内側に、21世紀ののび太の部屋の映像『激しく明滅するモニターと、その前で不敵に笑う少年の背中』が映し出された。

 

「突入!」 レグの号令と共に、重武装のTP隊員たちが、次々と青い光の扉へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

再び、21世紀。のび太の部屋。

 

「さあ、テストドライブといこうか」

僕は、机の引き出しの中に渦巻くワームホールに向けて、一歩を踏み出そうとした。

 

行き先はまだ明確に定めていない。だが、このコアパーツの演算処理なら、時間軸の壁を突き破り、まだ見ぬ別のマルチバースへ到達することすら可能かもしれない。

僕の胸は、数年ぶりに激しく高鳴っていた。すべての事象が予測可能な退屈な世界から、ついに抜け出せるのだ。

 

「やめるんだ、のび太くん! 本当に後戻りできなくなるぞ!」

出木杉が、決死の覚悟で僕の肩を掴んだ。

 

その時だった。 僕の部屋の空間、引き出しのワームホールとは全く別の、部屋の中央の空間が、不自然に「歪んだ」。

 

「……!」

 

僕と出木杉は、同時にその異常に気づき、振り返った。

畳の上の空間が、まるで水面に石を投げ込んだかのように波打ち、そこから青白いプラズマの放電がパチパチと弾け飛んだ。

 

空間が裂け、そこに『ノイズ混じりの青い光の扉(模造タイムドア)』が強制的に開かれたのだ。

 

「な、なんだあれは……!? 空間が……切れた……!?」

出木杉が腰を抜かし、尻餅をついた。

 

僕は目を細めた。

「……来たか。僕の計算より、3分ほど遅かったね」

 

青い光の扉の向こうから、重武装をした未来の執行官たちが、次々と僕の部屋に踏み込んでくる。

彼らの手には、僕たちの時代の兵器とは全く構造の異なる、流線型の銃が握られていた。

 

「そこまでだ、野比のび太!」

 

最後に扉から現れた、銀色の制服を着たレグが、僕に向けて銃口をピタリと合わせた。

 

「我々はタイムパトロール・歴史特異点監視局だ。お前を、航時法第7条違反、および歴史の不正改竄の容疑で拘束する。……その装置から離れろ。抵抗すれば、時空の果てに吹き飛ばすぞ」

 

狭い子供部屋に、数人の重武装した未来人が押し入り、銃を突きつけている。普通の中学生なら、恐怖で失禁して泣き叫ぶ場面だろう。

出木杉は恐怖で顔を青ざめさせ、ガタガタと震えていた。

 

だが、僕は違った。 僕の口角は、自然と吊り上がっていた。

 

「……タイムパトロール。本当に、SF映画みたいな格好をして現れるんだね」

 

僕は両手を軽く上げながら、彼らを観察した。

彼らが使ってきたあの「青い扉」。あれはドラえもんのタイムマシンのような四次元空間を経由する乗り物とは違う。空間座標を直接書き換える、高度なポータル技術だ。

だが、僕の頭脳は、すでにその技術の「粗」を瞬時に見抜いていた。

 

(……エネルギーの変換効率が悪い。空間の継ぎ目にノイズが走っている。あの転送技術は、彼ら自身のオリジナルじゃない。誰かから見よう見まねでパクった、質の悪い『模造品』だ)

 

「何を笑っている、バリアント」

レグが、銃のセーフティを外しながら低く唸った。

 

「いや。未来の絶対的な警察にしては、随分と『不完全なオモチャ』を使っているんだなと思ってね。……誰かに憧れて真似をしたのかい? どこかの、もっと大きな組織に」

 

僕の言葉に、レグの顔色が変わった。 図星を突かれた怒り。そして、ただの過去の少年が、自分たちの技術的劣等感を見透かしたことへの底知れぬ恐怖。

 

「貴様……!」

 

「いいよ、捕まってあげる。抵抗はしない」

僕は、机の引き出しの奥で激しく渦巻くワームホールを一瞥した。

今、このまま飛び込めば、彼らから逃げることは可能だろう。だが、それでは「彼らが何を恐れ、誰に支配されているのか」という世界の構造(ルール)の裏側を知ることはできない。

 

ゲームのルールを壊すには、まずゲームの運営者の手口を知る必要がある。

 

「……出木杉」

僕は、震えている出木杉を見下ろし、静かに言った。

「今日は帰った方がいい。ここは、少し『混雑』してきたからね」

 

「のび……くん……」

出木杉は、僕の目を見た。

僕の目は、逮捕されようとしている者の目ではなかった。これから始まる、壮大な時間と次元を超越した「ゲーム」の幕開けに歓喜する、傲慢な挑戦者の目だった。

 

レグが部下に顎で合図する。 二人の隊員が僕の両腕を乱暴に掴み、未来の拘束具『時空間の位相を固定する特殊な手錠』をガチャンと手首に嵌めた。

 

「装置を破壊しろ。対象を連行する」

レグの命令で、隊員の一人が銃のストックで僕のモニターを叩き割り、引き出しのワームホールに向けて特殊なパルス弾を放った。

僕が組み上げた装置は火花を散らして沈黙し、ワームホールは急速に収縮して消滅した。

(——だが、あの『コアパーツ』だけは、ワームホールが閉じる直前、僕が計算した通りに空間の狭間に滑り落ちたはずだ。あれは後で回収できる)

 

「さあ、歩け。お前の退屈な天才ごっこは、これで終わりだ」

レグが、僕の背中を青い光の扉へと乱暴に突き飛ばした。

 

「終わりじゃないさ」

僕は、模造タイムドアのノイズ混じりの光に包まれながら、レグに向かって笑いかけた。

 

「ここからが、始まりだよ。君たちが守ろうとしているその『正しい歴史』が、どれほど脆い砂上の楼閣か……僕が証明してやる」

 

青い光が弾け、僕の意識は、21世紀の部屋から、次元の狭間にある薄暗い牢獄へと引きずり込まれていった。

 

(第5話へ続く)

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