タタラ場にて恒例の『山祀り』の季節が今年もやってきた。
「そろそろ『山祀り』の為の用意をしておくように」
というエボシ御前の一言で、近く開催されることが知れ渡った。
供物を積んで列をなし、それを率いる仕事はいつ頃からか、オンテギとエボシ夫妻による共同作業と化していたが、今年はそこに二人の娘である『サン』の姿があった。
タタラ場で待つ人々は、今年の豊作と安寧を願い、また強く信じつつも。
今はただこの城を統べ、人々の心と体の安寧の源となっている一家族の無事の帰還だけを信じて見送るのであった。
その供物が山と積まれた荷車を、全く重さを感じさせない軽い足取りで引いて行くオンテギと、彼に続くエボシとサンの姿を。
対する山の衆もそわそわと落ち着きなく、遠目にも見えてくる賜わり物の山と、それを引く現人神の一家へと熱い視線を注ぐのだった。
その中には当然ながら、儀式の見届け神と認められている犬神の一家もおり。
その中には幼くも逞しく育った『サン』の姿があった。
彼女の眼には、今にも敷かれようとしている神籬の大きな円形と、その中心に大事そうに賜わり物を積んでいくオンテギの姿と、その彼に場違いにも纏わる自分よりもやや年下の少女の姿が捉えられていた。
がっちりとしたオンテギの腕、馨しい匂いがするというその掌に、恣に自分の身体を、頭を擦り付ける少女の姿は、無性にサンを苛立たせた。
ぐるるるる、と喉が低く鳴るのに気づいて、咄嗟に口を抑えるも時すでに遅し。
その音は思ったよりも広くに高く響き、凛として幼くも明らかな少女の声音を聞きつけて、オンテギは振り向くのだった。
「おや、初めて見る子だな。ここは少し危ない場所だから、もっと離れた方がいいだろう」
思ったよりも優しい声音でそう言われ、サンは嬉しさ半分。もう半分は、自分が見届け人として不適格だと言われたような不安だった。
と、その時、頭の上から声がした。
『その心配はいらぬ。これは私の娘でね、サンと言う。これでなかなか見どころがある。今日の為の仕上げもこの子が務め上げたのさ、申し分はあるまいよ』
それは心強い母・モロの君の声だった。
「そうか、君が言うなら問題ないな。ようし、それじゃあ今日もよろしく頼むよ」
モロの言葉にオンテギは一つ強く頷くと、じっと、サンの事を
その、見つめられた時間はわずかな間に違いなかった。
だがそれでも、自身の魂の底の底、裏側までを見通されたような感覚を覚えたサンは、ただその瞬間に、自分が確かにオンテギの世界に新たに加えられた一人の存在でもあることを自覚したのであった。
サンは堪えきれず、歯を食いしばり、おもてを隠すように俯きながら、ぶるぶると打ち震える我が身を己の両腕で抱いた。
それは歓喜であり、或いは、不思議な懐かしさまでを含んだ、えも言われ得ぬ感覚であった。
母にさえも、兄弟にさえも伝えようの知れない、そんな鮮烈な感覚にうっとりと耽りながら、サンはやや遠く、神籬を描くオンテギの姿だけを目で追い続けた。
「あなた、サンって言うのね」
ふと、そんな声が掛けられて、山犬の娘サンは我に返った。目の前には小さな白いずんぐりむっくり。
…ではなくて、タタラ場の娘サンがいた。少し離れてエボシもこちらを注視しているのがわかった。
「そうだ、私の名は、サンと言う」
「そう、ふしぎだね、わたしのなまえも、サンなんだ」
「そうか、それは確かに不思議なことかもしれないな…」
「そうね、それでね、あの人はサンの父さま」
神籬の中で供物を猩々や猪神たちに振舞い始めているオンテギを見遣り。
サンは唐突に、突き放すように、こう言った。
「あのひとは、サンのだ」
あれは私のものだ、と。
幼くても女なのだ。
少し離れた場所から、それぞれの我が子が邂逅した様子を見守る両者の母親は、じんわりと内心にて苦笑をこぼしていた。
モロの君にしても、エボシ御前にしてみても、自身の娘の初恋が終生のものにもなりかねない刺激を伴っていることは理解していた。
だが、言ってしまえばモロの君にとってそれは定命の者たちの戯れであり、エボシ御前にしてみても伴侶を取り合う相手にとって不足などなかったし、そもそも、それを望んだのは自分自身の女の悪いところからだと甘受する構えを見せていた。
「お互い、ままならないものだな」
エボシが何の気負いもなしにモロへと声を掛けた。声には自分に対するものと同じ同情とも、感慨ともとれる色が乗っていた。
『ふん…よい雄にはよい雌が番うのが相応しかろうよ』
それに対して、モロの君も頭を擡げて、挑発的に笑みを零して見せる。エボシも笑った。複雑な笑みである。
「ああ、その通りだ。自慢の娘だ、何せ私にそっくりだ」
『奇遇だねえ、私の娘も、私によく似たよ』
エボシとモロの視線が交錯して、互いに譲る気はないことを確認しあうと、フッと互いの肩から力が抜けた。
「私は、この先が楽しみだ」
『ほほほほほ…自信に漲る理由が知れないね。だけど、そこも同じようだ』
「犬神にも女はゐるのだな」
それはエボシをして最大の賛辞だったかもしれない。神仏なにするものぞと、ただオンテギだけを見つめる今のエボシにとって、オンテギ以外に認める甲斐のある光がチラついていた。
不思議と自分に全く似ないはずの、しかれども今、何故か似たそれを認めて、エボシはくつくつと喉を鳴らした
『嗚呼、エボシ、お前を見ていると自分の若い頃が懐かしくなってくる』
そして、それはモロの君も同じであるようだった。
「私はまだ若い。懐かしむほどではないな」
『たいがい青いままでいられることは、幸せなことだとも限らない。だが、今のお前は幸せそうだね』
皮肉にも動じずに、寧ろ、優しい穏やかさをも込めて返したのはモロの年の功か。
「それ以上は言ってくれるな、ほら、そろそろ始まるぞ」
ともかく、母親同士の対談はそこまでで一旦の区切りを得た。
二人のサンが一人の男を巡り睨みあう脇で、いつも通り何も知らないオンテギが今日の獲物に、見上げるような大熊を選んだのが分かったからである。
猩々の希望の星であった大山猿を打ち破って、猪神さえも脇に退けて前に進み出た巨大な熊の姿は、正に黒い夜の壁の如くであった。
『さぁ、祀りだ!祀りだ!』
神々の内の誰かがそう叫び、大熊が剃刀どころではない刀のような鋭い爪の揃った拳を、オンテギめがけて振り抜いた。
「対戦よろしくおねがいしまぁーーーーーすッ!!」
今日もまた、神代の戯れが騒めきとともに森深くで満たされん。
いざや、尋常に勝負ッ。
戦い已んで。
神籬の中にはやはりオンテギが無傷で堂々と佇んでいた。
頬を張られ、一撃で昇天したあの大熊は穏やかな顔つきで眠っている。
周囲では猪神と猩々たちが酒に酔い、巨大イカで作られた干物をしがみながら歓声を上げていた。
『天晴!天晴なり!』
『御天戯公の勲しに限りなし!』
『嗚呼!猪の一族にその種を撒いてはいただけまいか!』
ほろ酔いを到に通り越したもののけたちは口々に勝手なことを宣った。
彼らが我に返ってから羞恥に震えるのを知るのは、今も素面の、もののけたちだけである。
狂乱の宴の名残、比較的静かな端っこで二人のサンは一部始終を息をするのも忘れて見届けていた。
「あんなに大きな熊は見たことがなかったぞ…いったい、何処の山からおわし遊ばされたのか…少なくとも、はるか北と東の間には違いない」
山犬の娘サンがそう呆れたように言った。
「サンも見たことなかった!クマさんって、あんなーにデッカい神様なんだねぇ…サン、いままで知らなかった!」
すると直ぐに、もっと幼いタタラ場の娘サンの声が返ってきた。酒は飲んでいないが、少しその気に当てられてか、或いは父親の雄姿に感動してか興奮状態のようだった。
白いふさふさを波打たせながら、サンは理由もなく腕をぶんぶん上下した。
「そうだろうな、森で暮らす私でさえ見たことがないんだ…そなたが知らぬのも無理はないよ」
先ほどの睨みあいとは打って変わって、二人の間には子供らしい親しみが流れていた。
「むむむ…で、でも、おっきなイカはみたことあるよ!こーーーんなに!あのクマさんよりもずうぅぅっとっ!おっきいんだからね!」
「ふぅん…そのイカっていうのはどんなもののけなんだ?」
サンが聞けばもっと幼いサンが首を傾げ、もややんと頭の中で記憶を反芻させると、父親の原文ママに答えた。
「父さまは干せばおつまみだって言ってた」
「ふむ…つまりは、捧げものに身を変えたのか…」
「うーん…わっかんないよ、だっておつまみだもん」
年上のサンの的外れとも言い難い指摘に、まだ難しいことは多くはわからない幼いサンが眉を八の字にゆがめた。
「お酒と一緒にお供えするって意味だと思うぞ」
「へぇ~…姉さまって、物知りなんだね」
咄嗟に出た言葉なのか、幼いサンはもっと幼いサンからの一言にびくりと体を震わせた。末っ子にその言葉はよく効いた。
「あ、姉さまッ!?そ、そうか…まぁ、年上だとは思う」
一気に鼻高々になりつつも、謙譲の心を忘れていないサンは曖昧な笑みに落ち着いた。
そこで、ぼそりと一言。
「あ、でも、父さまはあげないからね」
そんなサンを見た、タタラ場の娘はここぞとばかりに釘を刺すように言うのだった。
「ふっ…それでいい。つがいは誰かに貰うものじゃないからな」
タタラ場の娘の言葉もどこ吹く風、基本ワイルドなサンは当然と深く頷くのだった。
「へぇ…そうなんだ、物知りだね…あ、そろそろ血抜きが終わるみたいだよ」
今度こそ皮肉と対抗心を隠そうともせずにそう言ってから、タタラ場の娘は血抜きを終えようとしている父の方へと駆けていくのだった。
血抜きの終わった肉は、流石に熊の手は食べ甲斐がないということで、後ろ足の肉をごっそりと犬神一族に呉れてやり、残りを空っぽになった荷車に乗せて帰ることになった。
「オンテギ様!」
帰り際、山犬の娘サンはオンテギを呼び止めた。
「オンテギでいい」
「いいえ、オンテギ様とお呼びします!」
サンはキラキラとした瞳でハッキリとそう言った。
相手がいいならオンテギにも否やはなかった。
「あ、はい。ならそれでいいよ。それで、何か用かい?」
尋ねられたサンは逡巡しつつも、思い切って打ち明けた。
「今度、お逢いしに行くことをお許しくださいますか?」
「父さま!もう帰ろうよ!みんな待ってるよ!」
被せるように娘のサンが言うものの、残念ながらオンテギは聖徳太子も裸足で逃げ出すハイパー地獄耳であるので、どちらの言葉もはっきりと聞き届けていた。
だから正直に言ってやる。娘にもどこか似た、ジブリ顔の少女に向かって。
「ああ、いつでも来なよ。私は、ほら、どうせ暇してるからさ」
「ほんとうに、いいんですか?」
サンが確かめるように尋ねる。オンテギは深く頷いた。
「むしろ、この森のこととか教えてくれめんす。正直、私、何にも知らなくてね…シシ神には会ったことないけど、猩々たちからはよく聞いてるんだ、君が物知りで聞き上手なんだって話をさ」
「くれめんす?」
「どうかお願いしますって意味だよ」
「それなら、喜んで!では、またいずれ!」
サンはそう言うと、ひょいと兄弟の背中に飛び乗り颯爽とその場を後にした。帰ってから、娘を待っていた母にいっぱい嬉しい報告をすることだろう。
対して、こっちのサンはというと…
「くっくっくっ…サンや、あの娘に一本取られたな」
「ぶー…母さまはだまってて!」
実の母に黙ってろとは何事か。
だが、エボシ御前はニヤリと楽し気に笑うばかりだ。
「だまれだと?ぷっ!あはははは!黙れ小娘!とでも叱るべきかな?」
「ふん!母さまに怒られたって怖くないもん!」
「いいさ、自分の娘だということをしみじみと感じるな」
エボシは感じ入るように腕を組んでそう言った。
するとサンは顔を赤くしてムキになる。
母は娘がそうだとわかってやっているのだ。
「むきーーーーーっ!サンは父さまに似てるんだってば!」
「ああ、オンテギにも…あの人にも似ているさ」
「う、そう、かな?だよね?そうだけど?…ほら、もっと言って!」
なぜなら、こうして素直に認めてやるとどうしていいのかわからなくなるのがイイのだ。
なんとも可愛がり甲斐がある娘なのである。
「ふん…可愛い奴め。オンテギ!お姫様のご機嫌が斜めだ、抱き上げてやれ」
とどめだと言わんばかりにエボシはそう言って心底愛する
「んぁ?おう、わかった」
この屈強な男はいつまでも寸分変わらず美しいままの
そして、白いずんぐりむっくり…ではなく一人娘のお姫様にご機嫌を直していただくためにと、ガバッとその広い腕と胸を明け渡し言って。
「ほら、おいでっ…サン」
「うんっ!」
素直に駆け出したお姫様はすっぽりと父親の腕の中に収まった。
「じゃあ、帰るか」
いつも通りに、恰も散歩帰りのような軽い声音でオンテギがそう言い、娘の身体を右に寄せて片腕で抱き上げる。
空いた左手に、指輪の嵌められた白魚のような手指と細腕が絡まり、それは衆の目に届いても尚、時には続くのである。
夕日を背に受けて、腰突きだけで重たい荷車を引きつつ、オンテギ家の三人は年に二度か三度の特別な家路をなぞるのだった。
アンケートについて。皆様の誠意ある御意見を参照させていただきまして、アシタカには故郷の村でカヤと結ばれてもらうことに決めました。
それはさておき登場もしてもらい、当初の構想通りに、BLではない同胞愛や兄弟愛、忠誠や敬慕の関係性の中で、オンテギやサンたちとも仲良しにできるように描いてまいりたいと思います。
メス堕ちの定義があやふやとの御指摘はご尤も。ただ、セクシュアルな関係性にはするつもりがありませんでしたので、その点につきましては皆様どうか、その御心を鎮められますように。
構想としては主従愛に近いものを思い描いておりましたので、『メス堕ち』は広義においては言葉の綾でございました。皆様を惑わせましたこと、心より陳謝致します。失敬。
YESを入れてくださった方々も、NOを入れてくださった方々も、その勇気と意志とに心からの敬意を表すると共に、ご協力いただいたこと深く感謝いたします。アシタカの登場はまだストックには含まれておらず、まだ大分時間が先の話ではありましたが、原作主人公ということもあり、例えくどくとも、皆様との意思疎通をはかる上では、ここまでやった甲斐はあったと強く感じております。
長文失礼いたしました。ここまで読んで頂きましたこと感謝申し上げます。引き続き拙二次創作をお楽しみいただければ幸甚の至です。では、また。