オンテギ・ウルト   作:ヤン・デ・レェ

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ようやくストックが外伝:30話に届きました。ストックの方で山場を越えられて一安心。ジコ坊はジャブです。そろそろ山場がやってきます。


外伝9:味噌とニラの粥

 

 

 

 

 

「私の米だし、私の味噌だ!さ、どんどん食えっ!雅なお椀じゃないけどね!」

 

門の内側に一歩でも足を踏み入れたら最後、二度と生きては出られまいと覚悟を決めていたジコ坊に向かって、他ならぬ彼が作った粥を食らうようにと勧めてくるオンテギ。

 

「一度言ってみたかったんだよなぁ…御蔭で夢が一つ叶ったよ、ありがとう」

 

ジコ坊の予備をわざわざ借りて、たっぷり注いで、箸でカッカッと掻き込んだ。なんとも気持ちのよい食べっぷりだ。

 

訳の分からない呟きに、唐突な感謝の言葉と、誰にも負けない低頭ぶりのオンテギの頭のてっぺん。

 

ぐつぐつと煮え、旨そうな米と味噌とニラの香りを漂わせる、絶妙に侘しく、されど滋味深い味わいの粥。

 

目の前の数々の非常識の御蔭で、ジコ坊の思考は最早、一周回っていた。

 

「(なるほど…こりゃ、器が違うな…詰まっとるモノもな)」

 

『変な奴』という意味を込めて、他人に対しての最大限の賛辞を思い起こさせられたジコ坊は、困惑から覚めるにしたがって周囲を見回す余裕を取り戻していた。

 

だが、それでも見慣れたものなど周囲には何一つないというのが現状であった。

 

「(金色の絹で編まれた天蓋は天子の証…刀持ちが捧げ持つのは螺鈿細工と貴石が鏤められた特上の大業物とみた…)」

 

「(おまけに、この犀の如く堅牢な甲冑をまとった南蛮人や布鎧の北狄の武者どもの立ち居振る舞いよ…弱兵は皆無か、それともここだけなのか…後者だとしても見事なまでの粒揃いだな)」

 

「(あそこで警邏に立っとるのは石火矢衆か?だが…師匠連から預けられた連中とは比べるべくもないな…ありゃ、噂の明兵崩れだわ)」

 

門の内側に広がる世界もまた、ジコ坊の興味関心を強烈に引いた。

 

「(銭を払わずに飯を食える場所と、銭を払って食う場所の二種類があるのはどういうことじゃ?)」

 

「(武者も牛飼いも農民も技師も…みんな何食わぬ顔で河原者や非人どもと同じ飯屋で飲み食いし、話し、風呂に入っとる…)」

 

「ここの者は…誰も穢れを恐れとらん…これは、いったい」

 

もう何度目の「これは、いったい」だろうか。

 

魑魅魍魎が蠢く場所かと思っていたのもつかの間、どこからどうみても外の世界よりも住みやすそうに見えた。

 

少なくともここで暮らしている住人はよく食べており、よく飲んでおり、よく風呂に入り、よく歯を磨き、よく服を着替え、よく語らい、よく…実によく笑い合うのだ。

 

食べ物の数が多いことは理由の一つだろう。白米のみもあれば玄米もあり、雑穀もあれば、魚肉に鶏肉に牛肉に豚肉もあり、中には雉肉やら鶴肉を出す場所もあった。

 

葉野菜、根菜、果実もあれば、菓子類に限らず蒸し饅頭、小麦の麺麭、蕎麦もあれば饂飩も『らあめん』もあるのだ。

 

味噌に醤油にごま油に塩胡椒に、唐辛子やらの混ぜ物もあるようだ。

 

風呂屋や厠が整備されているところも好い。通路はどこもかしこも水はけまで考え抜かれて真直ぐ敷かれているし、その路の多くは石畳と砂利とを組み合わせた見慣れぬものだ。

 

往路が臭ったことは三重の壁を越えて、ここまでで一度としてなく、側溝に流れる水からは清らかな匂いがする。

 

風呂は広い上に、どこに行っても腰ほどまである湯舟になみなみと温かい湯が湛えられており、それを毎日入れ替えて掃除するのも仕事の一つなのだという。

 

一番風呂に入る特権が付くからか、人気の職業であるらしいなどと、オンテギからは聞いてもいないのに話して聞かせられた。

 

物乞いもいなかった。昼間から飲んだくれて女房に叱られている男は居たが、それは休みの日だから変なことではないそうだ。

 

誰も彼も、清潔な衣を身に纏い、褌は誰のモノも目に眩しいほど白くて、外来ゆえに一人浮いて見えるジコ坊は俄かに羞恥を覚えたほどだった。が、誰もそのことを気にする素振りもなければ、僧形に白い目を向ける者もいなかった。

 

時には鮮やかな一品を着ている男女もいて、そういう連れ合いの大抵はハレの日か、或いは恋仲の男女が逢引き中なのだと言う。

 

物が豊かなことは嫌と言うほどわかった。

 

だが極めつけは、誰も河原者や非人のことを差別しないことであり、そもそも誰がそうであるのかすらわからないことの方が多かった。

 

振る舞いや癖や経験的知識からしか判別できないほどに、ここに住まう人々は渾沌として混ざり合い、種々色々に、不思議と色鮮やかに在るように映って見えるのだ。

 

嗚呼、幸せそうだ。

 

ジコ坊は素直にそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは極楽か何かか?」

 

そう問うと、オンテギは首を振って言う。

 

「違う。普通に暮らしてるだけだ」

 

仕事で辛いことはあるだろうし、気分の上下もあるだろうし、人間関係で悩むこともあるだろうし…と。

 

悩みがなくなることはないだろうから、だからこの地は別段、否、決して、断じて極楽浄土などではないのだ…と。

 

衣食住足りて礼節を知ると、礼節の解釈で揉め出すのが人間だ。

 

だが、それのいったいどこが悪いというのか。

 

嫌と言うほど議論すればいい。

 

それに、食えて、綺麗にできて、寂しくないのなら、生きていて楽しいと思える瞬間を探す上で必要な材料は揃っているようなものなのだ。

 

「そういうものなのだ」と、オンテギはのんびりとした口調で語るのだった。

 

付き人が捧げ持つ黄色い絹で編まれた天蓋の下にいるし。背後には豪奢な刀持ちまでいるし。その周りを更に固めるように明人、和人、南蛮人、北狄人…のそれぞれの鎧を着こんだ見上げるように屈強堅固な護衛が取り囲んでいるし。

 

その上で遠巻きにも唐風甲冑の最新鋭の銃火器で武装した石火矢衆、中でも有名な所謂『神兵』たちががっちりとジコ坊のことを見据えているが。

 

それでも、目の前で自分と同じ木のお椀と木のお箸で、本人が所望するままに作ってやった粥を啜っているオンテギには、確かに彼の言う人間でしかないことを強く訴える、そういう愛嬌が備わっているのだ。

 

「旨い粥だな」

 

「そうかね、そりゃあよかった」

 

素直に褒められる。素直にお褒めの言葉を受け取る。謙遜の必要すらない。

 

「ずっと、こっち来る前から三十年くらいさ、ずっとね、これが食ってみたかったんだ」

 

だから念願が叶って嬉しいのだ、と笑うオンテギ。

 

くしゃりとした笑みが眩しくて、ジコ坊は年甲斐もなく目元を拭った。

 

粥を拵えただけでこんなに感謝されたのは初めての経験だった。不思議と悪くない。

 

いいや、むしろ結構だ。非常に結構なことだった。

 

「そりゃあ、作った甲斐があったわい」

 

ジコ坊も自分のお椀の中身を啜る。うむ、旨い。いつも通りの侘しい味だ。

 

到底、『大天主』と呼ばれるほどの男には似つかわしくない食い物だろうに、目の前の御本人は非常に満足げで、何度もお代わりをしている。

 

「ふふふ、そうだ、そうだ。やっぱりなんでも遣り甲斐がなけりゃあね」

 

オンテギは笑いながら言う。心底、会話を楽しんでいる。今日あったばかりだというのに、この男は妙にジコ坊に好意的だった。

 

それは不思議な弱みだった。これほどあからさまなのに、ジコ坊にはそこに付け入る気が微塵も起こらなかった。寧ろ、そんな思考が湧くこと自体さえもが酷く穢らわしく思えた。

 

だから、それは不思議な感覚だったのだ。

 

「そうだな、貴殿の言うとおりだ」

 

お椀を突きながらも、どうにもしんみりしていてイカン。

 

食の進まないジコ坊を見かねて、オンテギは自分のお椀を空にしてから言った。

 

「ほら、もっと食え食え。腹一杯になったら話の幾つも聞くからさ、明日からでもいいんだし。アンタも仕事で大変なんだよなぁ」

 

師匠連からの催促も、使者として赴き突き返された公家崩れの武者から聞いた無様な顛末も、何もかもが乾いてしまって、風に吹かれて砂と去るような心地だった。

 

軽やかな、なんとも、軽やかな心地にしてくれるものだった。

 

「なぁにを、全部知っとるみたいな口ぶりじゃなあ…いやあ、ほんに、此度こそは、まいった、まいっただわ」

 

ジコ坊は『死』に呑まれまいと生きてきた。飄々と生きてきた。故に、人生を楽しむコツを知悉して生きてきたとの自負があったが、それも今日で散々ぱらに砕かれていた。

 

清々しいまでの『バカ』を見て、敵わないことを心底悟っていた。

 

自分も大概、この俗世で擦れていたのやもしれないと気付かされた。

 

「うまい、うまい、ジコ坊の粥はうまいぞ?」

 

「なぁ、お前たちも食えよ、ほら。傘持つの代わるからさ」

 

そう言って、好きでやっている天蓋の持ち手から絹の大傘を分捕り、オンテギは自分の使っているお椀と交換してしまう。された方も、慣れた方なのか明の言葉で礼を言い、素直に鍋に取りついた。

 

「お前らも食わんか?そうやって一日中突っ立ってても、この人は大丈夫だからよ。なぁ、ジコ坊?」

 

ジコ坊が頷いても効果はなさそうだったが、それでも頷いた。

 

「仕事は終いにしようや、ビビらせるのもこれで十分だろう。過ぎたるは何とやらだしな、ほれ、お互い仕事なら恨みっこなしだろ?」

 

そう言って周りの護衛にも声をかける。刀持が捧げ持っていた名刀も食後の楊枝を抜くように引き取ってしまう。

 

「ほら、お前らも食え食え!」

 

「私が作った訳じゃないけど、どんどん食え!熱いうちにな?」

 

オンテギに唆されて、結局、彼の護衛の衆も鍋の前にしゃがみこむと、思い思いの什器で粥を啜った。

 

あれほどエボシに目を離すなと、夫に張り付いておけと言い含められていたにもかかわらず、である。

 

後日、彼らがエボシの意を受けたおトキからこっぴどく叱られるのはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こりゃあ、たまげた…おらんくなったと思ったらこんなところにおったのか、皆の衆」

 

寝所だと案内された先でのジコ坊の呟きだ。

 

そこには安堵と若干の呆れが混ざっていた。

 

次々に消えた、音信不通になったと思い身を案じつつも、消されたと思われていた唐傘連の部下たちが、どうにも捕まってからは生きたままタタラ場の奥で留置されていたようであったからだ。

 

「かしらぁ!よくぞご無事で!」

 

部下の一人がそう言うが、感動の再会と言うには、手に山盛りの飯が盛られたお茶碗と箸を持っている時点で腑抜け過ぎていた。

 

味噌汁に、お新香に、主菜は旨そうな魚の味噌煮つけのようである。副菜もあるくらいなので、この勢いなら食後は茶でも出されそうである。

 

どれも熱々らしく湯気をあげていて、実にうまそうだった。

 

「おうおう、皆の衆もよくぞ無事であったな。はぁ、しかし、今日は疲れたわ。それで?まさか全員か?」

 

「はい、気づいたら囲まれちまいまして、そうじゃなくても一人ずつ捕らえられて今は食っちゃ寝の暮らしです」

 

古くなって使われていない労働者向けの宿舎を改装して、丸々一つ唐傘連の衆を押し込めるのに使われているのだという。

 

「ほう、そりゃ豪気だな。で?暮らし向きはどうなのだ?うん?」

 

ジコ坊が尋ねると顔色がいやに好くなり、少し太った気もする部下の一人が嬉しいのか困っているのかわからない曖昧な苦笑を漏らして言った。

 

「三食出てますがね、まいにち中身が違いますよ。はじめは毒かと思いましたけど、食ってみると旨いんですわこれが…ほんに、うまくて…」

 

「密談は許されても、風呂に入らないでいると入れと尻を叩かれますからね、かしらもお気を付けを」

 

「あとは、昼時と夕時、簡単な文字の読み書きをそこらのガキどもと大人の衆に教えてますわ。飯代だと思って皆、張り切ってやってますよ」

 

「あとは…」と続くあたりでジコ坊は手で部下を制した。

 

「ああもうわかった、わかった…だから、そう…そう泣くなっ」

 

部下の僧形の男は鼻を啜り、俯いたまま話を続けた。

 

「いっかい、一回、教えているガキどもを質にとったんですわ。でも、あの大男が目にもとまらぬ速さでやってきてゴチンと拳を一発ずつ、ワシらもれなく貰いましてね」

 

「でっかいたんこぶができて、もうそれが痛くて痛くて…年甲斐もなく泣きましたわ」

 

「そうしたら、質に取ったガキどもが、たんこぶを撫でさすってくれたんですわ」

 

「怒らないんか、って聞いて。そしたらなんでって言うんですわ。一発拳骨貰ったら、それでおしまい。明日からも仲良しだとか言うんですよ」

 

「わしらは結局、何もできずに帰されて、飯を食わせてもらって、風呂に入れてもらって、あとは寝たんでした」

 

「次の日には、たんこぶが治っていて…その日からもずっと、おんなじ子供に教えてます」

 

「わしらもう、オンテギ様にゃ、足向けて眠れませんわ…」

 

話はそこで終わった。

 

首を差し出すように頭を下げた男の分厚い肩を、ジコ坊は何度も叩いてやった。

 

「そうか、そうだったか…それはこの者だけか?皆の衆も同じか?」

 

ジコ坊が見回すと、宿舎のあちこちで思い思いに夕食にありついていた僧形の者たちは一人残らず俯いた。

 

「わーった、わーかった。あとはワシに任せい…どのみち、ここならずっと居っても叱られん。そこまでされて追んだされんのじゃ、なら食い扶持の心配もあるまい」

 

「そいじゃ、旨いと評判の夕餉をいただくかな。おい、ワシにも一膳くれい」

 

ジコ坊が飯を配っていた、見張りも兼ねているらしいタタラ場の衆に声を掛けると、少し待っただけで見事な夕食が一膳でてきた。

 

嫌味も何も言われないに飽き足らず、受け渡しの男の衆からは、煮つけの魚はオンテギ様からの貰い物だから精が付くという気遣いの窺える説明を受け取った。

 

おおぶりの煮つけの魚の味は味噌が主体で濃いものだった。米は雑穀だが、これは何も嫌がらせでもなんでもなく、健康に良いし好きだから、というオンテギらしい理由で銭にはならぬ雑穀がたっぷり作られているそうで、タタラ場の誰もが当たり前に口にしている代物らしい。

 

小鉢は二つ。一つは山菜の和え物で、もう一つはゆで卵が一つ。ただし卵が半熟であったので零れて小鉢にこびり付いた黄身を、ジコ坊は有難げにお新香で拭って食べきった。

 

味噌汁も濃厚な味噌の味がじんわりと口の中で広がるもので、わかめと豆腐とがたっぷり入っていた。

 

お新香はきゅうりと大根で、タタラ場じゃ有名な(たな)からの仕入れ品であるらしく、塩気と野菜の甘味も強く美味であった。

 

食後には渋めの茶が出されたので飲み干すと、もう寝るのにちょうどいい時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宿舎の軒先、風呂上りに涼む用にと置かれていた長椅子に尻を置き、黄昏ていると、もう寝ようとしたところで待ったが掛かった。

 

「せめて風呂に入ってから寝てくれんかね。衣は洗濯しておくから、洗濯小屋の籠にまとめて入れておいてくれ。番号が描かれた割符を添えるのを忘れんでくれや。それと、風呂屋で言えば替えも借りれるでな」

 

今日、ここに来て初めて口出しがされる。

 

夜の闇からぬっと現れたのは、この間見慣れた、ぬぼーっとした特徴のない顔だった。

 

「貴殿…やはり、か…」

 

「孫一は本名だ。行商の仕事も確かにしているから嘘ではない」

 

見遣れば、それはここまで同道した行商人の孫一だった。

 

澄んだ瞳には、この時まで感じ取れなかった覇気が息づいているのが分かった。

 

「大天主様から、御坊の世話役を仰せつかったので御挨拶にまかり越した。困ったことがあれば何でも聞いてくれ」

 

「大天主様直々にというと…貴殿も、謂わば拙僧のようなものか」

 

「少し違う。大天主様は寝首を搔こうとしても、俺を赦して下さった。が、天朝様とやらはそうではない。それに、俺は好きでこれをやっている。生まれつきでもなんでもなく、選んでこの仕事をしている」

 

孫一の言葉には強い響きがあった。ジコ坊は高下駄を履きなおすと風呂屋に向かうことにした。

 

「風呂をいただこうと思うが、貴殿も来るか?」

 

「俺はもうとっくに入った後だが…お付き合いしよう」

 

「かたじけない…」

 

「?…なにか?」

 

お互い宮仕えは大変だな、と言おうとして、ジコ坊はその言葉を飲み込んだ。

 

「いいや、なんでもない…それより、こんな夜遅くまで風呂を焚いていて大丈夫なのか?」

 

話題を変えると、範囲は決められているだろうが孫一は大抵の話題に的確かつ詳細な情報を答えてくれた。

 

「問題ない。製鉄で生まれた熱を引いてきてるから年がら年中入り放題だ」

 

「そりゃまた豪気だな、ええと、それで…」

 

ジコ坊はその後も様々なことを、タタラ場についてのことを尋ねた。

 

風呂屋に着いてもそれは変わらず、入り方まで教えられて、風呂の中では鍛え抜かれた孫一の身体を目撃したりもしたがさておき、ジコ坊は孫一との会話を就寝の直前まで楽しんだ。

 

「いやぁ~、楽しかった。御蔭様じゃ、かたじけない。礼の一つでもしたいが、何か欲しいものはあるか?」

 

寝る前、宿舎の自室の戸の前で、ジコ坊は一日を振り返りつつ孫一にそう言った。

 

「気にするな。俺はすべてを大天主様からいただいている。不満などあるわけがない」

 

「あったとしてもそれは、満たされていることを気づかせてくれる、俺にとっては必要なものだ」

 

ジコ坊は自然と笑みが溢れた。

 

「そうか、そうか…そうであろうな」

 

野暮なことを聞いたな、許せ。

 

それだけ言うと、ジコ坊は自室に入り、部屋の隅、文机の脇に綺麗に畳まれていた布団を広げると、とっぷりと眠りの淵に落ちていくのだった。

 

その眠りは深く、実に深く。生まれてこの方、覚えたこともなかった寝つきの良さであったそうな。

 

夜の冴えた月を背にして、孫一がジコ坊の寝顔を見守ることしばらく。

 

今日の総括を報告するために、彼は宵闇を縫いながらエボシ御前とオンテギの寝所に向かうのだった。

 

かくして、ジコ坊はタタラ場を知り、タタラ場はジコ坊を知ったのである。

 

 

 

 

 

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