オンテギはよく前世の話をした。
オンテギの世界は時代と場所が変われど、今でも前世の快適で安全な青臭さを持っている。
オンテギの生きていた世界は情報の氾濫していた世界だったから、この時代、今世での常識は全くと言っていいほど彼には当てはまらなかった。
オンテギは自由人を自覚する男であり、それを裏付けるように振舞った。
中でも、病人と怪我人に対しての彼の接し方は当世風とは言い難いものが殆どである。
タタラ場で重要な職工に就いている者の中には、世に言うハンセン病(らい病)に罹患している者も少なくなかったのだが、殊、この男にとってはハンセン病は特別な意味を持つものなのであった。
ゆえに、遠慮も屈託も敢えて見も知らずにいる彼は、それが思わぬ奇跡に繋がるとも思いがけず、好きに振舞ったのだった。
ハンセン病の症状はハッキリ言って最悪だ。人間を見るからに人間ではないものへと変えてしまう。
それも時間の経過とともに、確実に、じわじわと。
生きることの苦しみは万人に開かれているが、咎も知れずに尋常ならざる醜悪さを背負わされる苦痛は幾ばくか。
それでも生きたいと思うのが人間の情であり、それでも生かしたいと考えることもまた人間の情である。
しかし、そうは言っても心の底から醜さに打ち勝てる者は少なく、その醜さを受け入れながら世話を焼けるものとて稀有なものであることも確かなことであった。
そんなことは、当人たちが誰よりも理解していた。
疎まれ、憎まれ、恐れられることの苦痛は計り知れない。
或いは、いない者として扱われる、無関心こそが最大の毒であろうか。
その苦痛の理由を前世での悪行に求めることも、ある意味では自然な成り行きであったのかもしれない。
人間扱いしてくれるというだけで、エボシとオンテギの為ならば命を捧げることも厭わない彼らだったが、ある時、疲れたようにそのうちの一人が零した言葉。
「わたくしどもは、前世で大層悪行を積んだに違いありませんわ」
「それでも…それでもっ、オンテギ様とエボシ様に出逢えたんですから、こんなに恵まれたこともありませんや」
「そんな資格はないと知っていてますよ。それでも、貴方様のお役に立てるなら、きっとどんなことでもして見せます」
だからどうか、捨てないでください。
喉につかえた言葉。それは激しい理性と本能との応酬の末に、忠誠心が勝ったことの他ならぬあかしだった。
眼も見えなくなり、いよいよ、何の役にも立てなくなった一人の言葉に、工房の中は静まり返ったという。
誰もがいずれは、かく至ることを想起し、そのことに深い絶望と、あとどれだけお役に立てるのかという冷酷な、自己に向けるには余りにも冷酷な計算を働かせた。
エボシの耳には届くことのなかったかもしれない言葉も、神憑りの、自他ともに祈りを聞き届ける者としての自負を抱く彼には聞き届けられたようで。
案の定、オンテギはそこに現れた。
そして、ある話をした。
「私、オンテギには尊敬する人物がいる」
「それはそれは立派な人だったが、若くして命を落とした」
「オンテギはその人のことが格好良く思えて仕方がない。本当に立派なひとだった」
「その人の名前はボードゥアンと言ってね、私の大好きな偉人の一人なんだ」
「その人は若くして王になった。彼は優れた人だったけれど、それよりもなによりも、君たちと同じ病気を患っていた」
「彼は病身を押して戦に赴き、多くを救い、多くの勝利を、多くの尊敬を勝ち取った」
「オンテギはそんな風にはなれない。君たちと同じにもなれない。けれど、君たちのために本当のことができるならば、それは少しはボードゥアンに顔向けできることなんじゃないかと思う」
「ボードゥアンは王だった。君たちと同じ病であったにもかかわらず」
「どれだけ疎まれても、どれだけ恐れられても、どれだけ苦痛にあえいでも、どれだけ体が崩れていったとしても、彼は、少なくともこのオンテギの尊敬を勝ち取った」
「だから、オンテギが君たちを見捨てることはあり得ない」
「オンテギはバカだから穢れとか正直わからん。でも、この城の主はオンテギで、この城のすべてはオンテギのモノなのだ」
「だから、君たちの穢れもすべてオンテギのものだ」
「来世の心配はしなくていい。オンテギは前世がたいしたことなかったけど、何だかんだで今を楽しく生きてるのだから」
「ボードゥアンがそうだったように、君たちにも王にだってなれる素質があるのだ。それに病など関係なくて、だから今は難しいことを考えずに、ただ、生きているだけでもいいから生きてくれ」
「オンテギはみんなに生きていて欲しい。苦しいなら、臭いなら、それを一緒になって味わうことで少しでも君たちが楽になるのなら」
「何も変えられなくても、それには意味があると思うのだ」
「だから、オンテギは、今直ぐに、今からそれをする」
そう言って、オンテギは褌一丁になり外へと駆け出した。
自ら掘り当てた泉に全身を浸して走る、戻る、そして高熱に魘される病人を二人も三人もまとめて抱きしめた。
オンテギの身体は泉の水で清められて芯まで冷たく、熱を冷ますには十分すぎるほどだった。
だのに、反して、その内から燻り、盛り上がり、強く迫るような力の奔流が、抱きしめられた病人たちの内底から湧き上がるのを、彼らは感じるのだった。
エボシでさえ、ここまでのことをしたことはなかった。だが、それは構わなかった。
ただ、あまりにもオンテギらしい振る舞いが、その赤心から来る衝動が、己らに真摯に向けられているものなのだと知れたことだけで充分だった。
しかーしッ!そこで終わらないのがオンテギである。
オンテギはその日から、日がな一日中、苦しみ喘ぐ病人を、水垢離で冷やした肉体で包み込み続けた。
添い寝をしたり、抱き締めたり、撫で摩ったり。
男も女も、老いも若きも関係なかった。
オンテギは刀を打とうと考えた時と同じく、我が意を得たりとばかりに動き回り、体中から冷気を発しながら日々を暮らした。
そして水垢離を始めること一週間も経とう頃のことだった、オンテギに介抱され続けた者たちの身体から、肌を覆っていた布が自然と剝がれ始めたのである。
現れたのは艶やかな、健康的な肌だった。
老若男女の別なく、それは一斉に引き起こされた。
誰からも、仲間であるはずのタタラ場の衆からでさえ避けられていた石火矢職人たちや、手仕事を生業とする病人や怪我人たちが、ほんの一週間でスッキリと治されてしまったのである。
オンテギはまだ少し早いと言い、更に一週間の間をひたすらに水垢離と病人の看病に費やした。
果たして、二週間がたつ頃には、もはや死を待つばかりであった者でさえ、自分の両の足で歩きまわり、自分の手先で飯を食えるまでに治癒されていた。
それは奇跡に違いなかったが、なんの代償もなかったわけではなさそうである。
というのも、タタラ場から病人が綺麗さっぱり消えてしまったことと引き換えに、あのオンテギが体調を俄かに崩したからである。
とはいえ、それも食欲がないだとか、ダルくて寝起きが悪いといった程度の問題でしかなかったのだが。
かくしてタタラ場から病人は消え、怪我人は欠損を除いて幻肢痛から解放された。
今となってはタタラ場における柿色の衣が意味するものは、その服の色彩以上のものではなくなり。
元病人と元怪我人たちの間では、オンテギの新たな尊名として、『癒しと救い』に加えて、前世の罪への『赦し』を与えてくれる『望導安王大権現』という聖名が浸透するのであった。
石火矢の構造に造詣が深く、中には南蛮の火器に関連する知識にも通暁する者たちがすっかり健康になったことにより、以前にも増してタタラ場の技術水準は加速度的に向上していくのであるが。
その事実が実益となって表に現れてくるのは、もう少し先の話なのである。