オンテギ・ウルト   作:ヤン・デ・レェ

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外伝11:帰属と褒美

 

 

「元はと言えば、わしらは、シシ神を殺し、その土地を、やんごとなき方々に、差し出すために、やしなわれて参りました」

 

「ですが、此度は、貴方様と、エボシ様の、築かれたものを、内側から、奪い取るために…」

 

「そのために、言い含められ、そのことに、何の疑問も抱いて、おりませんでした」

 

「唐傘連の、ジコ坊殿から、この地のことを、お聞き、しました」

 

「嘘だと、思った」

 

「そして、もし、ほんとうに、そんな場所が、あったれば」

 

「どうして、今まで、わしらのまえに、現れてくだされなかったのかと」

 

「そう、恨みに、思ったのです」

 

「この地にきて、その気持ちは、より、強まりました」

 

「なにせ、どれも知らぬことばかり、受けたことのない、施しばかりで」

 

「…いいえ、それは、施しでは、なかったのだと、そう気づくまで」

 

「そして、気づいた今、改めて、感謝を、申し上げます」

 

「本来、招かずとも、よかった、禍となる、わしらを、わざわざ、招き入れてくださった」

 

「だから、どうか、そう、泣かないでくだされ」

 

「貴方様に、泣かれますと…それが、こんな、呪われた身の、心まで醜い、わしのためにだと思うと、わしまで、泣いて、しまいます」

 

「泣かずに、は、いられ、ませぬで」

 

 

 

……。

 

 

 

「そうか、そうか、大変だったな。本当に大変だったな。でも、聞くべきことは聞いたから、もういいぞ」

 

「そんなに、苦しそうじゃないか、喋るのだって」

 

「だから、もういいよ。ゆっくりとお休みなさい」

 

「私は勝手に泣いてるだけだし、それだって別に、私は、オンテギは目に塵が入っただけだから」

 

「だからほら、泣き止んでよ。取って食ったりなんかしやしないしさ」

 

「私の方が先に泣き止むとか、それ、オンテギに命令するとか傲慢なんですけど」

 

「だから、うん、とにかく、楽になってくれ」

 

「この先はさ、楽しいことが一杯あるから。これまでの分も、いや、これまでだって立派に生きてきたわけだから、この先は、今までよりは美味しい思いをしてもさ、ね?いいんじゃない?」

 

「だから、自分のことを卑下するのはやめて、もう、オンテギの涙腺は崩壊しているのだよ」

 

「本当だよ?ほら、近くで見てみなよ。こうして、ね?嘘じゃない」

 

 

 

 

 

 

 

ジコ坊の手引きにより師匠連の麾下にあった石火矢衆と、その背景となっていた職能集団がタタラ場に入城したのが先月の話。

 

石火矢衆が柿色の服を脱ぎ棄て、包帯で全身をぐるぐる巻きにされた病持ちの職工たちの長が引き出されてきて、招いてくれたことへの感謝を申し述べたのが今日のこと。

 

そして、貰い泣きしてめっちゃ濃い『涙』を流すオンテギを前にして、石火矢の衆がうろたえて居るのが見えるのが今である。

 

そもそも、石火矢衆はとうの昔に間に合っているのだ。

 

明からは特に多くが来ているし、その内訳も濃い。

 

それは地方の有力者が建てた私設軍団出身者や、正規軍の軍戸からの逃亡者のみならず。

 

異民族や倭寇の討伐を専業にしてバチバチに戦りあっていた、歴戦の『神兵』と称される猛者もいる。

 

彼らは所謂、『衆寡敵せず』の状況でも最期まで主君の為に戦い抜ける忠勇なる戦士でもあったし、同時に少数で多数に打ち勝てるだけの経験と装備と人員とを充足された希少な集団でもあった。

 

先日のアサノ公方による侵攻を撃退したことで、周囲からは『神兵』と称えられている連中である。

 

加えて、『火竜砲(ギリシアの火)』という焼夷兵器を持ち込んだ南蛮人の集団もあれば、『蓮狩(ハスカール)』とか『婆略(ヴァリャーグ)』と呼ばれてきたという狂戦士じみた傭兵の末裔を自称する勇猛な連中もおり。

 

いざ戦となったとしても、内情は技術的にも要員の充足率的にも過剰なくらいなのが現実だった。

 

更に更に、では『武』にまつわることや、或いは技巧的な側面ではない『文』の部分はどうかと問われれば…ここもまた、非常に潤沢なのが現況であった。

 

なにせ、今のタタラ場で未だにこの時代の字が読めない、字が書けないのはオンテギと乳飲み子くらいのものであり、識字率は成年に限れば六割を超して久しい。

 

また、官僚機構の面においては明や朝鮮の科挙合格者や、南蛮の司祭、和人の学者などにより構成されて運営されている上で、頂点に君臨するゴンザとエボシ御前はトリリンガルどころではない多言語話者に成長していた。

 

つまりは、『文』の分野においてもタタラ場は最先端を独走状態なのである。

 

ダメ押しとばかりに文化の側面から見てもタタラ場は異常な発達を見せており、食文化を中心に多文化が融合したレパートリー豊富な食文化が住人に日々の暮らしを楽しませている。

 

おまけに、とどめとして言えば、思想の部分でも数百年先取りした状態であり、オンテギの絶対主義こそあるものの、基本は合議制・共和制が主流であり、かつ人種差別は簡単にはなくならないものなのだが、オンテギがほぼフィジカルで解決してしまったので現状は大した問題ではなく、言葉が通じないとよそよそしくなる程度のものでしかない。

 

自由主義思想と秩序主義思想がタタラ場を席巻している点も大きい。

 

着るものも食べるものも仕事選びも基本自由であり、河原者や非人のような階級差別は過去のものである。

 

ハンセン病のように拭い難い生理的嫌悪感による忌避の文化も、大天主が自ら肌を合わせて治してしまったので、今となっては元病人たちも、却って福者の類として尊敬と羨望の視線に晒される有様である。

 

そんなハチャメチャで混沌とした世界観を共有するタタラ場の人々にとって、今更、師匠連の石火矢衆が加わることは家の敷地に植えた覚えのない梅の花が咲く程度の珍事でしかないのである。

 

そして、そんな梅の花を眺めて美しいと思えるだけの余裕が、このタタラ場には充分に、また十全に行き渡っているのである。

 

当然、被差別階級の職工集団として生まれながらに運命を決められ、ただひたすらに顔を下に向けて、頭を低くして、這いずり回り、傲慢な他者の慈悲に縋ることのほかに生きる術のなかった石火矢衆は驚いた。

 

彼らは特権を享受する者として位置付けられて来てもいたが、被差別身分であることにも、謂れのない差別に苦しんできたことにも違いなかった。

 

街中で入れない場所などなかったし、触れてはならない物もなかったし、同じ場所で飯を食い、同じ場所で身体を清め、同じ場所で眠り、そもそも普通に話しかけられるのが常だったからだ。

 

タタラ場の黒鉄の大門を潜った後で受けた差別と言えば、こまめに風呂に入る習慣がないことへの苦情くらいであり、それも入り放題だから入って来いと言われてその通りにすれば済む話であった。

 

それまでは使うことの許される湯でさえも希少だったにもかかわらず、ここでは肌を晒しても誰にも罵られず、そもそも誰にも疎まれることがなかったのだ。

 

当初、彼らは現実を、外界との違いを受け入れることに苦慮し、現状は一過性のものであり、自分たちを懐柔するための策略なのだと思い込もうとした。

 

しかし、休みを与えられて、勧められるがままに訪れた空き地や山野で遊ぶ子供たちから受けた、『普通』の触れ合いや『普通』の気遣いが、その晩に呼ばれた城主と幹部一同との豪勢な会食での『普通』の何気のない視線や仕草から、彼らは真実を悟らざるを得なかったのである。

 

だからこそ、同胞たちからその全てを聴いた長は、立ち上がることもできない病床の身をおして、寝たまま話しかけるという無礼を返しながらでしか、他者と繋がることのできない己の惨めさにも耐えながら、オンテギにすべてを吐き出したのである。

 

皆殺しにされることがないと理解したからこそ、皆殺しにされてもいいと心の底から思った、と。

 

その為に、証を示す為に全てを吐き出したのだ、と。

 

そして、その悲痛な覚悟や、これまでに舐めてきた辛酸の数々、艱難辛苦に満ち満ちてきた『生きる』の、そのすべてを真正面からダイレクトに受け止めてしまったオンテギは、生来の感受性の高さに衝き動かされて、案の定、長の言う言葉を借りれば、布で巻かれた『呪われた』その身体へと、ひしっと取りついてぶっこい『涙』を滂沱と流しているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひぐっ…ひぐっ…」

 

流れ落ちる涙は、オンテギの頬をとめどなく伝う。

 

垂れ落ちる雫は、強い臭いを放ちながら、目元の布を涙で濡らし続ける『長』の身体の上に降りかかった。

 

天地を耕し、肥沃に蘇らせるような慈雨を思わせる、やけに光輝を放つ、眩しく、とろりとした涙の粒は。

 

文字通りの慈雨となって『長』が言う腐り、醜く衰え切った肉体に、熱く迸った。

 

瞬間、光が。

 

温かい光が溢れ出した。

 

「うっ…うっ…ッ!?」

 

「長ッ!か、体がっ!」

 

周囲で泣いていた石火矢衆の面々は目の前の出来事に目を見張った。

 

中には腰を上げたまま、立ち尽くす者もいる。

 

さもありなん。

 

あれほど分厚く巻かれていた包帯が、まるで戒めを解くように自然とほどけ落ちていくのだから。

 

晒される肌には癩病に特有のあばたが刻まれていたはずだが、今や涙に洗われてつるりとして、弾力があり、健やかに見えたのだ。

 

「おぉっ!なんか、なんか知らんけどっ!私が泣くと、オンテギが泣けば治るっぽいぞこれ!」

 

誰よりも早く、混乱から回復したのはオンテギだった。

 

彼は涙をぽろぽろ降り散らしながら、状況をいまいち理解できていない『長』のことを抱き上げた。

 

「ほかの人らも呼んでくれ!今なら無限に泣ける気がするから!」

 

「ほら早く!みんな治しちゃおうよ、この際もう、いっぺんに!」

 

「おぅおぅ、あんだか、とにかく、凄い濃いのが出ちゃってる感じだぞ」

 

「あ、でも、涙がとまったあとはどうしようか…」

 

「いやっ、涙がイケるなら…この感じ…唾でもなんでもイケるのでは?」

 

「よし、物は試しだ。えい!」

 

そんな軽い調子でオンテギは近くにいた石火矢衆の女を抱き寄せて、その顔布をずらすと、頬にぶちゅっと口づけてしまうのだった。

 

信じられないものを見る目で女も長もいるようだが、一度走り出したオンテギを止められる者など誰もいないのである。

 

「イケる!これイケるぞ!」

 

口づけた端から、肌のあばたが癒えるのを見てオンテギは快哉を挙げた。

 

「ほらやっぞ!ほらいくぞ!」

 

「好みの異性じゃなくてオンテギなのは勘弁してくれ!」

 

効果が出ると理解したオンテギは、そんな軽快な声を漏らしながら駆け出した。

 

嬉しくて仕方がない様子を隠そうともせずに動く。動く。風のように駆け回って、畏れ多いと平身低頭、這い蹲っていた石火矢衆のことを、片っ端から抱き締めていく。

 

んで、次から次に、石火矢衆の者たちを捕まえると、老若男女も関係なく顔布をずらしては、その頬に、その鼻先に、その痘痕に、その瞼に、その額に、ぶちゅっと唇をお見舞いするのだった。

 

「嗚呼、腕が、足が…嗚呼…ありがたや…」

 

「だるくないっ!」

 

「動くぞ!手もっ、脚もっ!動くんだっ…」

 

最早、会談の場は歓喜と困惑が渦巻く混沌と化していた。

 

結局、オンテギはその日の内に全員分の治癒を済ませてしまった。

 

代償は、オンテギがキスのし過ぎでしばらくは唇がヒリヒリしていたことくらいなもので。

 

ああ、あとは妻と娘からの嫉妬の視線がじっとりと纏わりついて、しばらくは消えなかったようだ。

 

のち、欧米式を採用して挨拶代わりにエボシの唇を奪ったことで、その習慣が妻と娘に対して恒常化するのはまた別の話である。

 

全てが済んでから、石火矢衆や河原者、非人の一団はタタラ場で暮らし始めた。彼らのことを覆っていた憂いと偏見と顔布とは、今ではもうどこにもない。

 

健康的な肌を晒して、中には牛飼いになったり農地を持つ者もちらほら出ていたが、概ねは元よりタタラ場に勤めていた石火矢衆に統合されたようである。

 

一部始終を見届けて、自らもタタラ場で暮らし始めたジコ坊はと言えば、今回の発起人として誰よりも働いたということを賞されて、褒美に何か上げたいがと尋ねられたので侘しい庵を注文したところ、どこの宗派にも属さない立派な伽藍と鳥居と礼拝堂とがくっついた寺院が贈られたので、諦めたように苦笑で応えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

よく晴れた日、オンテギによく似た金剛力士像が顔を布で覆い隠し、自らが架けられた十字架をぶち破っている姿を捉えた、なんとも見事な彫り物がご本尊であるタタラ場唯一の寺院にて。

 

元部下たちは今頃、子供たちに囲まれて文机に向かっている頃だろう。

 

あの奇抜なご本尊に向かって熱心にお参りをする者が後を絶たない、この寺院の住職は今日もいるべき場所には不在である。

 

彼は経を読むでもなく、庵の軒先で貰い物の茶をしばいていた。

 

お天道様を見上げ、それから徐にタタラ場の最深部に立つ天主閣へと目を遣った。

 

はぁ~、と溜息を一つ。

 

「いやぁ~、まいったまいった。これで完全に天朝様のもとには戻れんくなったわい」

 

ぼりぼりと頭を掻いてみる。様にはなるが、以前のような胡散臭さを醸すことは難しくなっていた。

 

そのことに気付いて手を止める。茶をしばく。

 

「…孫一殿か」

 

庭先の木の影が不自然に揺れるのを見て、変に安心してもみる。

 

聞き手、話し相手がいるのは幸せなことだと考える。

 

貰い物の羊羹を後ほど献上すれば、仕事熱心な彼のことだから愚痴の一つも聞いてくれるだろう。

 

「ここでの暮らしも悪くはない。宮仕えよりは気楽でイイ」

 

「…偶には御節介も焼いてみるものだ」

 

彼らを引き連れてくるために骨を折ったのは本当だ。長の説得もそうだが、師匠連の監視役を撒くのにも、タタラ場に入るまでは疑いを躱すのにも苦労したのだ。

 

だが、孫一の手助けもあり、元部下たちも口裏を合わせてくれたので、結果的には終始安泰に、上首尾に終えることができたと言えよう。

 

そう思ってから、堪え切れずに、この静かな庵からは離して建てられた『ご立派ぁッ!』な伽藍や礼拝堂に視線を配る。

 

「だがやはり、あれだな…」

 

ただ、まぁ、そう。

 

あれだ、それにしたって貰いすぎである。

 

「『バカ』には勝てん」

 

()う、ジコ坊はしみじみと呟いて、また、ここ最近ですっかり飲みなれた茶をしばいた。

 

それから、唐突に呵々大笑すると、すっきりとした顔つきになった僧形の中年。

 

これを見るに、どうやらこの飄々とした男も、自分の新しい居場所をタタラ場の中に見つけたようである。

 

今日も活気な『生き』で騒がしいタタラ場を、陽気も朗らかに、『太陽』が照らしているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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