もののけたちとオンテギとエボシ率いるタタラ場の人間たちとの同盟が、シシ神の森の奥深くでしめやかに結ばれた。
太古の存在と、最新の存在とが手を結んだ歴史的瞬間の裏でも、大和朝廷がその権威の残り火を奮わせて、歴史的な連帯を実現させていた。
それは天朝様の書付が方々へと打ち込まれてからすぐのこと。
帝の名において、『征服の詔勅』なるものが発布されたのである。
その詔勅が言うには、古来より『もののふ』の本分には朝廷に
土蜘蛛や酒呑童子がごとき、また蝦夷隼人がごとき『もののけ』の類を鎮圧して見せることこそが、外寇に備えることに並んで、最も武名を高めるものであるのだと。
そして、大和朝廷は、源頼光がそうであったように、その見事な働きには必ずや報いるものであり、その限りもないのであると。
…要するに、朝廷は西方に生まれた不服従勢力の鎮圧及び、その地に操を立てる古き神々を殺し、その土地を『解放』することで朝廷の権威を天下に遍く染み渡らせることこそが、他ならぬ『天朝様』の御宸襟であると。
そう言っているのである。
当時、応仁の乱以降の世の荒廃度合いは凄まじく、地侍たちとて好んで盗賊働きに精を出しているわけではなかったのである。
であるが、食うためにと、誉れを脇に置いて、父祖の土地にしがみつきながら武家の命脈を保とうと必死だったのだ。
そのような折、食い物も、武器も、銭も惜しみなく与える故に、シシ神の首を奪って献上することが武士に武家として名を上げ、その正統の面目を施す第一の近道であると。
そのように、他ならぬ帝が認めたのであった。
これは非常に大胆な策だったと言える。
朝廷とて苦しい。彼らの陰謀組織であり参謀本部でもある師匠連が好きにできる資金も、要員も、物資も、決して無尽蔵ではないのである。
頼みの綱と考えていたタタラ場は動かず、シシ神退治に魅力を感じて動いてくれる有力な侍も居ないという八方詰まりの状況だったのだ。
しかし、彼らにもお門違いとはいえ意地があり、高慢であっても誇りがあり、腐ってはいても権威が残っていた。
その権威の残り火を全開にして、朝廷は、同じく八方詰まりであっぷあっぷしていた、穢れよ野蛮よと吐き捨ててきた侍たちに向けて明確な、『媚び』を寄せたのである。
その行動はささやかなものでしかなかった。だが、大局はさておき、各地に散らばる武士崩れや、実ばかりでなく名までも欲する悪侍の親分衆など、方々でくすぶっている連中には実に効果的であったのだ。
あの、今まで自分たちを見向きもしてこなかった朝廷が、自分たちの力を当てにしているのだ。
あの、憧れ続けた、高貴なるご身分の人々が、下賤なる我が身に、恥じらいも忘れて媚びを売っているのだ。
踏みつけられ、踏みつけ、人界の荒廃により腐りきった人間の性根には、それは実に甘露であったのだ。
ゆえに、この『征服の詔勅』が発布されてより間もなく、各地では小競り合いの調停の為に公家が駆けずり回り、或いは師匠連による物と金の援助のもと侍どもは、来るべき大戦へのアップを始めたのである。
その動きは、うごめく大蛇が身をよじるがごとく、列島のあちこちで同時多発的に、また連動して起きており、目の前の水争いや乱取りも最早、眼中になどなかった。
侍たちは、応仁の乱以降に失った支配身分としての実のみならず名誉までもを取り戻すべく、シシ神退治の詔勅を真剣に受け止めたのである。
彼らの殊勝な態度は必死さの裏返しであり、一時的なやせ我慢に過ぎなかったが、だとしても一旦の静寂が訪れることで、朝廷の権威は一時的に高まり、その声に耳を傾ける者を増やすことに成功したのである。
その結果、歩み寄りを見せ、色よい返事や動きを見せ始めた者の中には、それまで無関心を決め込んできた有力な大侍も多く。
その名の中には、昔日に苦汁を嘗めさせられた大侍アサノ公方も含まれていたのである。