山狩りの日から遡ること一か月。
天主閣の大広間…大会議場…にて、タタラ場の主要な顔ぶれが一堂に会していた。
そこにはシシ神の森からの使者である山犬の娘サンと、シシ神の森への使者であるタタラ場の娘サンもいた。
師匠連からの命令でタタラ場に浸透、潜伏していることになっている唐傘連からは逐一報告が上がっており、戦場がシシ神の森とタタラ場になることが判明したのは開戦の一月以上前からであった。
そうでなくとも半年以上も前の段階から戦時体制への移行を済ませ、各地から戦力を結集させることに余念がなかったタタラ場側の、情報的有利は圧倒的であった。
そのような状況下で、この場に集まった理由は他でもない、最も不確定要素の多い、森を守る為の戦いにおける作戦の全体像を決めておくためであった。
珍しく最奥の席にオンテギがおり、左右の天主と副統領の席にエボシ御前とゴンザが座し、シシ神の森への使者としてタタラ場の娘サンが、シシ神の森からの使者として山犬の娘サンが座し、特に重要なものとして左右に分かれながら順に、ジコ坊の唐傘連と女衆のおトキ、男衆の頭と石火矢衆の長が居並んだ。
このほかにも、各地から…本当に世界各地から招集された倭寇の頭目や、南蛮人の傭兵隊長や、アイヌや高砂部族の戦士長、女真族の重鎮などが遥々海を越えて、オンテギの元へと馳せ参じていた。
彼らの隣にはそれぞれ、通訳士が置かれ、作戦計画について聞き漏らすまいと各々が耳を欹てていた。
「皆揃ってるね、それじゃあ始めてちょ」
オンテギはそう言い、切り出した。
じゃ、あとはお好きに、と。いつもの頭のよい人々に丸投げ、である。
そこからは喧々諤々の議論だった。
まず初めに、南蛮人の傭兵隊長が
「塹壕を森の中に掘り、そこで石火矢衆に待ち伏せさせるのはどうだろうか?」
と言い。
これにアイヌや高砂の戦士長が言って曰く。
「いやいや、それは森の側が納得すまい。せめて火を使わぬような作戦にせねば…」
これに対して、今度は倭寇の頭目が
「海上から砲撃するのはどうだろうか?敵の心胆を寒からしめることができるのでは?」
と期待を込めて言った。
が、それにはタタラ場の『神兵』を束ねる将の一人で、明では総兵官だった男が
「それは以前にもやった。また来たということは、戦法として以上の威力はなさそうだ」
と淡々と言った。
引き継いで、女真族の重鎮の男が
「いっそマンジュから追加の騎兵を運んでくるか?その手もあるが…」
と自信を滲ませて言った。
が、これには各地の概況を把握しているエボシ御前が制して曰く。
「そこまですれば、さすがに明の締め付けが強まろう。私たちの戦のために、そこまで無理はさせたくない」
これには、諸将も納得した様子。
「あぁ…向こうも今は諸族をまとめようと忙しそうだからな」
これを受けて、今度はオンテギの草創期から知られる倭寇の頭目が豪快に笑いながら
「とはいえ、必要になれば呼ぶことにしよう。なぁに、こっちが片付いた後、御大将が出向けば明軍など鎧袖一触よ!」
と言い放ち、これに諸将は大いに賛同して
「はっはっはっ!それは違いない!」
と大口を開けて笑ったのだった。
議論は白熱していたが、概ね悲壮感からはかけ離れた、ブレインストーミング的な気安さが根底にあることには変わらず、それぞれが思い思いに最善と思う策を出し合った。
議論が続き、そろそろ決を採ろうかという時のこと。
徐にオンテギが立ち上がり、
「面倒くせえ、この際、まとめて燃やしちまおう」
そう、突拍子もないことを言い出した。
「兄ぃ、そりゃまた、どういうことですかい?」
ゴンザがすかさずフォローに、また通訳のために回るが、オンテギはすっかり自分の世界に入ってしまったのか、気にせず続けて言った。
「まさか、森を守る側が、守るためとはいえ森を燃やすとは、流石に向こうも考えないんじゃないかな?」
「そうだ!炎の壁をつくって閉じ込めちゃおうぜ!そこを、ナゴたちに蹂躙してもらって…」
彼の言葉に耳を傾けることしばし、段々と全体像の輪郭が明らかになるにつれて、その奇妙で大胆な作戦に驚嘆を隠し切れない諸将の顔色に反して、
「両脇は如何いたします?漏れがでて野盗化する恐れもありますが…」
そう、終始冷静だった『神兵』の指揮官で元総兵官の男が尋ねた。
すると、オンテギはようやく周囲の誰もが話に遅れていることに気付いたのか、どっかりと椅子に座りなおしてこう言った。
「散兵で両翼を抑えようと思う。木に
「おぉッ…」というどよめきの後。
「オンテギ様…それはよろしいのですが、どなたが火付け役をなさるので?」
恐る恐るといった調子で、石火矢衆の長が尋ねた。
これは自分に役が回ってくることへの恐れではなく、オンテギ自らが飛び出していくことへの危惧だった。
「そりゃぁ、もちろん、このオンテギが」と、オンテギが言おうとした瞬間だった。
「はい!はいはいはい!サンが!それ、サンがやります!サンにやらせてください!」
快活な声が響いた。サンの声だった。
「姫様!?危のうございます!」
「姫様!どうか、お考え直しを!」
ゴンザをはじめ一同は、二人を除いて止めにかかる姿勢で腰を上げ掛けた。
だが、
「うろたえるなっ!」
そこに、待ったを掛ける声があった。
「私たちは戦争をしようというのだよ?そこには娘も姫も、ない」
母・エボシの声だった。それは厳しい声だった。
エボシは続けて言った。今度は幾分優しい声で、諭すように。
「サンや、おまえ、これがどんなに重要な務めなのか理解しているかい?」
母の問いにサンは強く頷いた。
「そうか、わかった…」
エボシは席を立つと、夫でありサンの父であるオンテギに向き直り、言った。
「この件、サンに任せようと私は思う。可愛い子にはなんとやらだ。貴方も、よく然う言うだろう?」
エボシの振る舞いは妻として、また母としてのものだった。
だが、決断の内容は冷徹な計算の上で成り立っているものだった。
「あの燃えるような炉の近くで汗粒一つこぼさないのは、私とサンだけだ」
「それに…」
「サンはシシ神の森への使者だ。シシ神の森を守るためとはいえ、その森に火を放つ重責を負うに申し分ないはずだよ」
それが決め手となった。
オンテギの瞳に、あの、強く、堅固な意志の輝きが現れた。
オンテギは頷いた。そして、言った。
「わかった。火付けはタタラ場の娘サンの務めとする」
それから続けて、役割を各員へと振った。
「炎の金床を打ち付ける槌の役割は森の衆、ナゴの守に任せようと思う」
「シシ神の泉を起点に、そこから見て両翼をアイヌの衆の五百と高砂の衆の五百に任せる」
「オンテギはシシ神の泉を死守、『神兵』はタタラ場を死守せよ」
「そして、女真の衆の一千は海路を通じて敵の側面を迂回、後に展開し、炎の壁を抜けてきた敵の追撃に移った猪神たちに呼応して、最後の金床となれ」
「この一戦で敵を殲滅したのち、我らは遊撃軍として本陣に急襲を仕掛ける」
「全体の指揮はオンテギが泉の守護と並行して務める」
「残りは全員で、エボシとゴンザに従いタタラ場を、みんなの家を守っていてくれ」
「これはオンテギの決断である」
『御意』
こうして、オンテギ一家の方針は決断された。
そして時間は進み、現在。
火付けの役目も立派に終えた、タタラ場の娘サンは猪神たちと並んで徒歩で疾駆していた。
『タタラ場の姫!如何された!』
ナゴの守の親衛隊である御楯衆の一柱が、身を寄せた彼女に気付いて声をかけた。
「モロの君からの伝言です!敵の本陣の動きが速く、こちらの包囲を破るために動き出しました!」
サンは涼しい顔で時速60kmを優に超える速度で駆け抜ける猪神にぴったりと横づけたまま、戦況の変化を伝えた。
『それは誠か!』
「はい!そのため、山犬の一族は女真の騎馬隊と合流した後、彼らと共同して敵の本陣への急襲を前倒すそうです!」
サンの言葉に猪神は須臾、思案の表情を浮かべたが直ぐに問いを投げた。
『して、我らは如何せよと?』
それはオンテギの意向を問うものであり、サンが父から任されたもう一つの伝言だった。
「このまま突き抜けてください!父様が想定より早くシシ神狩りの敵部隊を殲滅したので、こちらの援護に回ると!」
何と心強いことかッ!と顔に出しながら、猪神は強く頷いた。
『しかと承った!ナゴの守様には必ずお伝えする!して、タタラ場の姫は如何するのだ?』
その問いに、サンは身の丈に合わない長大鈍重な、緋色に輝く見事な斑鋼の槍を掲げて応えた。
「私もお供します!猪の一族と共に!」
『流石はオンテギ公の御子!天晴な心意気よ!』
勇ましい娘子に猪神は賛辞を惜しまなかった。
疾駆することしばし、森の中で団子状に散らばった侍数万を、先頭に立って蹴散らすナゴの守の背中が見えた。
サンの伝言は約束通りに伝えられ、サンの居場所は今やナゴの守の隣である。
そして、伝言を受け取ったナゴの守は更に加速。木々を引き倒し、大岩を砕き、破壊の嵐と化して数百、数千の侍を轢殺しながら進んだ。
『戦士たちよ、恐れるな!!このまま突き抜けよ!!!』
炎の壁がついに見えて、ナゴの守はすかさず檄を飛ばした。
『応!』と戦士たちが力強く答え、その中には駆けながらに、重厚な緋色の槍を木の棒のごとく軽々と振るうタタラ場の娘サンの甲高い声も混じっていた。
未だ激しく炎上する森の中を、ナゴの守は死も痛みも恐れずに突き進む。
そんな彼に従い、稠密無欠の横陣を組む御楯衆を先頭に、猪神一千の大突撃が遂に、炎の壁に追い詰められた侍どもの残党を突き抜けた。
『追撃戦へと移行するっ!すべてを轢き潰せ!!!』
『応ォォオォォォォッ!!!』
炎の壁に激突。
『突き抜けろ!!!』
「ぎゃああああッ!?猪どもが出たぞおおおお!!」
「逃げろっ!逃げろおおおお!!」
「ええいっ!腰抜けどもがぁッ!隊列を組みなおし槍で突け!石火矢はまだかッ!」
「ぐあぁああああぁ!?」
火の壁を抜けた先には見渡す限りが逃げる敵の背中だ。
時折、石火矢の礫が散発的に飛来するが、炸裂音が鳴るその都度に御楯衆が身を挺して後ろに続く一族を守り、被害と、それから突撃の威勢の減衰を防いだ。
事前に被っていた泥の被膜のおかげで火傷からも免れて、猪神たちは勢いをそのままに思うままに人間を突き上げ、引き裂き、ひき潰していく。
暴れまわる猪たちの中で、唐の頭で編まれた外套に身を包む少女の姿は一際異彩を放つものだった。
「女だ!女がいるぞおおおお!」
「もののけだ!もののけ姫だ!」
「殺せ!奴から殺せ!」
槍が、刀が、矢が、殺せない猪のかわりに、殺せそうな娘…サン…の方へと集中する。
だが…
「ふんッ!!!」
この娘は、そのすべてを一瞬にして、たったの槍の一振り、一払い、一突きで鎧袖一触にしてしまったのである。
「「「なぁッ!?」」」
四方を囲まれて尚、サンは猛々しく笑って見せる。
そして、吠えた。
「立ったまま死ねッ!!!」
ブオンッ!と槍の一閃で首が四つ刎ね飛ばされ、それに見向きもせずにサンは先へ先へと駈けていく。
遺されたのは、文字通りに首なしの直立死体が四つだけであった。