オンテギ・ウルト   作:ヤン・デ・レェ

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外伝21:鋼弓と枝矢

 

 

 

鏑矢を放った後で、オンテギの手元に残ったのは鋼で鍛えられた百人張りとも称される規格外の大弓だけであった。

 

鏑矢を容れていた矢筒こそあれど、そこに矢はない。

 

ナゴの守の突撃が敢行されている裏側で、オンテギのもとにも戦いの足音が近づいていた。

 

だが、

 

「貴殿、いつも、然うなのか?」

 

「うん。いつも、こんなんだよ」

 

オンテギはいつも通り、何一つ変わった様子は見られない。

 

闘気を迸らせるなりすればいいものを、荒ぶる丈夫の如き性質と裏腹に、『祀り』ではない、『殺し』を前にしているオンテギは酷く冷めていた。

 

「矢がないようだが…おぬし、それで何を射るつもりだ?」

 

「矢はこれから作るよ」

 

オンテギの様子は普通だ。酷く淡々としていた。

 

だが、ジコ坊の指摘を受けても、あのいつもの『軽やかさ』が無い。

 

ひどく落ち着き払っていて、そのまま、何でもないように手近の巨木に近づくと、そこから梢を幾本も手折っていく。

 

「なんじゃ?枝でも射るのか?生木だぞ?流石の貴殿でも、それは…」

 

ジコ坊は自分の言葉が目の前の存在に届いているのか、足元の不確かな感触を覚えていた。

 

 

 

 

 

 

百本も集めただろうか、生木の梢、矢とするには短いものも、太いものも、長すぎるものも、形は様々である。

 

それをオンテギは「矢」と呼んでジコ坊に見せる。

 

「今から石の鏃でも探してくるか…」

 

と、いつもならあの、屈託のない笑いを返してきそうなジコ坊の言葉にも、今のオンテギは微妙な笑みを返すだけだ。

 

それから、オンテギは集めた梢の一本を手に取ると、両手でぎゅっと握った。

 

そして。

 

「これはね…」

 

そう言いながら握りこみ、上下に擦り上げる動作一つ。

 

「こうして…」

 

続けて、伸ばし、捏ね、先端を研ぎ。

 

「こうっ…」

 

最後に、端に凹みを刻んだ。

 

「なぁッ…なんじゃぁ?」

 

ジコ坊には意味が分からなかった。

 

目の前で起きたことを説明するならば、曲がり、捩れ、縮んでいた木の枝を、まるで職人が、長年練り上げた丁寧な仕事で生むような見事な矢へと、鏃も矢羽根もないものの、握りこんで引き延ばし、撫で摩り、先端を尖らせることで、一瞬の内に拵えてしまったのである。

 

「それは…いったい…」

 

ジコ坊が震えながら指差すも、オンテギは、それこそ息を吸って吐くように次の梢へと手を伸ばして言ったのだ。

 

「さ、次いくよ、次…」

 

そこからは、瞬く間の出来事であった。

 

百本はあったろう、生木の梢は、矢羽根もついていない、ただ長く、滑らかで、鋭い『矢』へと、オンテギの手により生まれ変わらされたのである。

 

あれほど種々様々の形、長さ、太さで、山になっていたものは、今は一本の例外もなく、手仕事ではなし得ない程に、均一な長さ、鋭さ、太さで揃えられ、地面に整然と突き立てられていた。

 

それは称するならば『枝矢(しのや)』であると言えた。

 

タダの枝から、何の道具も介さずに、何の技術も介さずに、オンテギの掌のみを介して生み出された。

 

梢から生み出された、しかし、間違いなくそれは『矢』であった。

 

百本に届こうかという矢を拵えたオンテギは、そのすべてを苔むした大地に突き立て、自らの鋼弓を抱いて胡坐をかくと、そっと瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

胡坐をかいて、腕はだらりと、拳は膝の上に。

 

オンテギが瞼を閉じてから、ほんの僅かな時間とも、永遠とも取れる時が流れた。

 

その間、ジコ坊がどれだけぼやいても無言を貫いたオンテギに、かの僧形も流石に口を閉じ。

 

ただ、その時を待った。

 

そして。

 

「来たな」

 

そう言うと、オンテギは徐に立ち上がり、胡坐をかいた両の膝と平行に横たえて、手を伸ばせば届く処に安置していた鋼弓を手に取った。

 

「来たか」

 

並んで座り、同じく瞑想していたジコ坊が瞼を落としたまま尋ねた。

 

「ああ」

 

オンテギはその方を見ずに答えた。

 

「射るのか」

 

ジコ坊は瞼を落としたまま、また尋ねた。

 

「ああ」

 

オンテギはまた、彼の方を見ずに頷いた。

 

そして。

 

森から、森のみから生み出された矢を、その鋼の強弓に番えた。

 

「たくさん死ぬか」

 

ジコ坊が尋ねた。

 

「ああ」

 

オンテギが頷いた。

 

「アンタに見て欲しくない。でも、見届けるというのなら好きにしろ。私のもとを去るとも、私は恨まない」

 

それから、ジコ坊の方を見ずに、こう言い。

 

「修羅になるのか?」

 

という問いに、

 

「否」

 

「俺は今、このときだけ、『人間』になるのだ」

 

と。

 

オンテギはそう応えてから、ジコ坊が瞼を持ち上げるのを横目に、張り詰めたその弓を。

 

ひょう、と射た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放たれた矢は、うねり、くねり、たわみ、うなりながら、流れに流れた。

 

それは飛ぶのではなく、まさに、時の中を流れたのだ。

 

ぐおおぉおぉぉぉおぉぉおぉぉぉぉんッ!!!

 

と。

 

およそ矢から放たれるものとは思われぬ、不吉な音を掻き鳴らしながら。

 

それは進路上の()()()を貫きながら、留まることも知らずに、千人にも上る人の群れに襲い掛かる、文字通りの嚆矢となった。

 

 

 

 

 

千人からなるジバシリと侍たちは、特段の妨害も受けずに、順調に森の中を進んできていた。

 

「嫌に静かだな…嫌な感じだ」

 

そこは静かな森で、静かすぎるようにさえ思われた。

 

「…心配のし過ぎだ。きっと公方様の策が上手くいったのだ」

 

研ぎ澄まされた『何か』の中に、足を踏み入れてしまったことに気づくものは、誰もいなかった。

 

彼らがシシ神の棲む泉まで、残り千歩と言うところで、それは起こった。

 

「ふん…その策を献上したのは俺たちだ」

 

「なにをっ?へらずぐ」

 

ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおんッ!!!

 

「っち………!???」

 

すぽぽぽぽーーーーーん!!

 

そんな擬音が付きそうなほど、実に軽く、呆気なく、その侍の目の前に居た()()()()()()()()()()()

 

ぐおおおおおおおおおぉぉん!!!

 

「え?」

 

そんな音が森の中に響いたかと思えば、目の前で白い一閃が泳ぎ、身を捩りながら、輩のもののふどもの首を、またも()()()()次々に刎ねていった。

 

「なんだっ!何が起こったッ!?」

 

「ジバシリども!これはなんだッ!!」

 

「射手はどこだ!?どっからだ!?」

 

侍たちは混乱した。縦列になって進んでいたら、前から綺麗に十人分の首が刎ね飛ばされたのだ。

 

ただ、それだけしか理解できなかった。だが、それだけは理解できたのだ。

 

「わ、わからんッ!!」

 

「なんだとッ!それでも貴様ら狩人かッ!」

 

侍とジバシリの間で俄かに言い争いが起こった。

 

その時だ。

 

ぐおおおおおおおおおんッ!!!

 

「うわああああああぁッ!?」

 

「まただぁ!」

 

「ひいぃいぃいぃッ!?」

 

まただ、また、あの音だ。

 

綺麗に()()()()()()を刈り取っていった。

 

「嘘だッ!こんなことっ…こんなことっ、あり得ねえッ!」

 

「なんまんだぶなんまんだぶ…も、もう駄目だ!帰ろう!」

 

「お、おい、貴様らそれでももののふか!」

 

今度はジバシリたちが侍を責める番だった。

 

と、その間にも。

 

ぐおおおおおおおおんッ!!

 

「またッ!」

 

「また()()()やられたッ!!」

 

「散れッ!とにかく、とにかく散れぇッ!!!」

 

侍とジバシリは今度こそ完全に恐慌状態に陥った。

 

逃げ出す者、それを追う者、隠れる者、祈る者。

 

色々といたが、確かだったことは、『それ』が、その音が響くたびに()()()の首が刈り取られたということだけである。

 

ぐおおおおおおおんッ!!

 

ぐおおおおおおんッ!!!

 

ぐおおおおおおおおおおおおおんッ!!!

 

木々の間を縫い、木々を射貫き、透けて通るように飛び続け、泳ぎ回り、首を刎ねる。

 

祈る者の中で、唯一それを目撃できたのは熟練のジバシリであり、このシシ神退治に初めから懐疑的だった者だけだった。

 

それは光る矢だった。

 

光り、鏃も矢羽根も持たずに飛び回り、進路上のあらゆるものを貫き、逃げる侍どもを追いかけ回して、遂にはきっかり()()()()を刈り取った。

 

そこからは、もう、わからない。

 

泳ぎ回る光の矢は、情けも容赦もなく、執拗に侍どもを追いかけ回して首を狩り。

 

その数が()を数えると、きれいさっぱり消えてしまったからだ。

 

或いは木に食い込んで、溶け込んで、飲み込まれて、すっかりなくなってしまったのかもしれない。

 

ぐおおおおおおおおおんッ!!!

 

まただ。

 

また、あの音だ。

 

ぐおおおおおおおおおおおんッ!!!

 

…。

 

……。

 

………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わったか?」

 

地面に突き立っていた百本の枝矢はもう、すっかりなくなっていた。

 

「うん。終わったよ。ありがとう…その、待っててくれて」

 

見計らって声を掛けてくれたジコ坊に、オンテギは素直に感謝を伝えた。

 

「なんのなんの、拙僧にできることと言えば…手を合わせてやることくらいよ」

 

ジコ坊はそう言うと、それまでオンテギが矢を射続けた先に向けて、ひっそりと手を擦り合わせて拝んだ。

 

「怖かった?」

 

「ああ」

 

ジコ坊は真顔で応えた。

 

「ごめんね?嫌いになった?」

 

「いいや」

 

ジコ坊は真顔で答えた。

 

「そっかぁ…あー、よかった…それだけ、心配してたんだよ…」

 

オンテギは心底安心したとばかりにそう言った。ジコ坊は呆れてあくびが出そうになるのを嚙み殺して言った。

 

「なぁに、初めからわかっていたことよ、貴殿にも、恐ろしいところがあるということくらいはな」

 

「そりゃあ、ね?滅多なことじゃ、私だって、オンテギだってこんなことしないよ!」

 

オンテギは弁明すまいが、好き好んでのことではないときっぱりと断るのだった。言うなれば、それは数合わせの為だったのであろう。

 

「はっはっはっはっ…まったく、ジバシリどもが気の毒だったが…」

 

そこで、ジコ坊は一言区切り、それからオンテギの瞳をじぃっと覗き込んで、言った。

 

「ま、修羅の道は短いものでもない、もし貴殿が行くことになるにしろ、その時は…拙僧がお供致そう」

 

ジコ坊は覚悟を定めてそう言ったのだ。だというのに、この御仁ときたら…

 

「じゃあ、来世でも会えるといいね」

 

と。

 

そう明るく言い切って、「腹が減った」などと言い出すのだった。

 

「ほ?ふ、ふ、っはっはっはっはっはっ!!」

 

ジコ坊は笑った。笑わずにはいられなかった。

 

「いやぁ~…まいった、まいった」

 

罪悪感を感じていないのではない。だが、悪意があって殺めたわけでもない。苦しめようと思っていたはずもない。

 

ただ、本当に数合わせのために、やったのだ。大切な者の為ならば、それも、できる男なのだ。

 

「はぁ…まぁ、頼むから、貴殿はそのままであってくれよ?貴殿は、拙僧が惚れ込んだ大丈夫であるゆえ、祟りになどなって欲しくはないのだ」

 

「どれ…粥でも作ってしんぜよう」

 

一頻り笑ってから、ジコ坊はそう切り出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

猪たちが突撃にて人間を散々に打ち破っている裏側で、千人のシシ神狩り部隊はたった一人のジバシリを残して全滅して果てた。

 

森の中に遺されていた999体の骸には、一つの例外もなく首だけが無かったそうだ。

 

その遺体も、遠からず森に呑まれ、シシ神の森の生死の一部として数えられることになるのだった。

 

『殺し』を終えたオンテギはすっかり、すっきり元通りだった。

 

あの、人好きのする笑顔を浮かべて、旨い旨いと言って粥を啜る、そういう男に戻っていた。

 

彼はジコ坊が拵えてくれた味噌とニラの粥を、鍋一杯平らげてから、シシ神の住処である泉の本営を引き払いその場を後にした。

 

向かう先は更なる修羅の庭。

 

しかし、もはや、彼が『人間』に戻る必要のない、終わりの定まった戦場へと。

 

オンテギはジコ坊を連れ立って足取りも軽く向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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