オンテギ・ウルト   作:ヤン・デ・レェ

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外伝22:山犬と火竜騎兵 前

 

 

 

満洲に根付く女真族は明朝の冊封体制の内側で、飼い馴らされてきた『異民族』であり『蛮族』の一つとして、少なくとも北京に坐す歴代の天子からは見られていた。

 

歴代の王朝がそうであったように、異民族の力を削ぎ、他の異民族への盾とする政策に基づいて。

 

女真族は幾つかに分派するように仕向けられ、中華の外縁を構成する一部として、その忠義を朝貢を通じて『買われて』いたのである。

 

彼らが一つになることを恐れる一方で、彼らが盾として意味を成さぬほど弱体になることも許し難い。

 

約めて言えば、明朝に飼殺されてきた女真族は、そんな事情の中でオンテギと出会った。

 

元々は漁労の民であった側面もあり、沿岸部を通じて交流が始まり、女真の有力者たちはすぐさま、オンテギの虜となったのである。

 

屈託がない、嫌味がない、何よりも、対等の自由な存在として認め合える関係性に飢えていた彼らにとって、オンテギと言う人物は、その人品のみを切り取っても敬服するに値する存在だったのである。

 

しかし、そこで終わらないのがオンテギである。

 

ご存じの通り、オンテギにとっては明朝の冊封体制など知ったことではないのであり、明に対して抱く感情は、ろくでなしを歴代皇帝に輩出してきたといった程度のものでしかなかったのだ。

 

無論、それ以外のことを知っているとしても、『今』のオンテギにとって大切なことは、顔も知らない北京の天子などではなく、顔見知りになった女真族の人々との繋がりであり、その繋がりが生んだ新たな交易ルートの掌握と保全とにあったのである。

 

ゆえに、オンテギは生来の物惜しみのしない性格を発揮して、明が隠したいことは大抵話してしまったし、明が与えようとしない、或いは与えたくないものは、その殆どを惜しみなく与えてしまったのだった。

 

その中には石火矢も含まれ、清潔第一の習慣も、衣食住の改善も、製鉄のノウハウまでもが含まれていたのだった。

 

こうなってくると、大中華への憧憬からくる明への忠誠心よりも、親身になって余るほどを与えてくれる上に、気軽に会って直接話せる、魅力的な異邦人の方が余程、繋がるに値すると考える女真の者たちが、有力者の中にも生まれてくるのだった。

 

特に恩恵を受け続けてきた沿岸部は最早、明朝への朝貢自体を放棄するような状態になっており、引き換えにオンテギの傘下の勢力による入植が開始され、瞬く間にタタラ場の姉妹都市群を築き上げてしまったのである。

 

内陸部との温度差は、そのまま経済格差となり、内陸に進出する気はないオンテギの意向も相まり、ある意味では明朝の目的である女真族の統一だけは防げているというのが現状なのであった。

 

しかし、形式的には内陸部の過半を占めていたとしても、オンテギとの交流に依り経済的にも文化的にも富強となれた沿岸部の女真族の総力を侮ることは、最早、不可能な域に達しており、事実、幾度となく征伐の為の軍を差し向けても、これらの悉くが撃退されていた。

 

最終的には、正式には冊封体制を離脱しないでいて「あげる」ことに落ち着き、現在は一時的な平静が明並びに内陸の女真族と沿岸部の女真族との間に訪れているのであった。

 

そのような時勢に、オンテギのもとに戦乱が押し寄せたと聞き及んだ彼らは、いざ鎌倉とばかりに虎の子の精鋭部隊であり、希少な『火薬兵器を恐れない』馬だけで構成された騎兵一千を援軍として、日ノ本へと遥々海を越えて派遣したのである。

 

これは誓ってオンテギからの要請に基づくものではなく、また何らかの物質的な要求をする為の意図もなかった。

 

それはただ、赤心から対等に認め合い、自由を保障してくれ、繁栄を齎してくれたオンテギを慕っての行動であったことは、仮にこの最精鋭の一千騎を喪うことになれば、明朝への再度の服属を強いられることになりかねないリスクがあることをも、彼らが重々承知した上での行動であったあたり、明白明瞭のことであると言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

「貴女がモロの君か、お噂は大天子様からかねがね伺っている」

 

『海を越えて遥々よく参られた。森を守るために血を流すのだから、その理由は問わぬ、ただ感謝しよう』

 

「そして…そちらが、山犬の姫のサン殿か」

 

「そうだ。貴方がたの勇敢さは、私もオンテギ様から伺い、よく知っている。ともに戦えることを誇らしく思う」

 

「それは喜ばしいことだ。今は共に死力を尽くそう」

 

女真族の重鎮の男は、オンテギの言葉に従い、同胞一千騎と共に山狩りの一週間前にタタラ場を発ち、以降、山犬の一族と協力して街道からほど近い場所に、分散して潜伏し続けていた。

 

互いに接触は最低限であり、女真側の総指揮官である男がモロの君とサンとの顔合わせに臨んだのはこの日が初めてのことであった。

 

『さて、戦況についてだが…タタラ場の姫と猪神の一族による突撃はおおむね成功したと見ていいだろう』

 

「流石は大天子様の御息女である」

 

『幼いが見事な働きだったと聞く』

 

「それはそうだろう、あの御方の御子ならば、決して驚くには値せぬ」

 

女真の男が鼻息荒くタタラ場の娘サンを褒め称えた。確かに幼いにしては見事すぎる戦果だった。

 

だが、モロとてサンの背中を押してやる機会に恵まれた点は同じである。それこそ、これから行われる敵本陣への急襲こそが戦略の要なのだから。

 

『さて、私たちも総仕上げと行こうじゃないか…期待しているよ。お前たちも、石火矢を使うのが得意なのだろう?』

 

モロが体を起こした、挑発的なセリフだが、視線は合わない。彼女の視線の先には今にも動き出しそうな敵の本陣があったからだ。

 

炎の壁に退路を阻まれ、猪たちの突撃に苦しみ喘ぐ味方を救うために、その包囲を崩さんと敵の本陣から余剰戦力が出払った時が好機である。

 

そして、その時は敵本陣を守る殻が、本陣と猪たちが暴れる戦場との中間点、双方から間に合わない程度の距離に離れた、今を置いてほかになかった。

 

『時は来た、サン、しっかりおやり』

 

モロはサンに言い聞かせるように言った。サンも意図は察している。これは森を懸けた戦いであると同時に、一人の女としての戦いでもあるのだ。

 

「はい、母さん!必ずやあの子に負けない、立派な戦いをご覧にいれます!」

 

サンは強く決意するように言い、母と抱擁を交わした。

 

「では、我々も出るか…突破口は我々が開く。山犬の一族は我々が開けた傷の穴を広げて欲しい。直に続くゆえな」

 

そう言って、女真の指揮官は石火矢を担いだまま自身の愛馬に跨った。

 

『そうさせてもらうよ。無策に突っ込んで石火矢を浴びることは避けたいからね』

 

「賢明だ。では、参る」

 

モロの言葉に頷き、女真の戦士たちは一足先に山の潜伏場所を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

アサノ公方の本陣はタタラ場のほど近くの街道上に置かれ、シシ神の森からは距離があった。

 

「猪どもからの突撃を受けただと?石火矢衆はどうした?それに、あの森の火はなんだ!森に火を放てと命じた覚えはないぞ!」

 

悲鳴のような郎党からの救援要請に対して、アサノは最後まで渋ったが、それでも想定よりは早い段階で余剰戦力を投入することを決めた。

 

「(あの森に閉じ込められた三万を喪うのは不味い…せめて九万に届かねばあの城を落とすことなど出来ぬッ…)」

 

森に囚われ、現在進行形で焼かれ、燃やされ、蒸され、猪の突撃に轢き潰されている三万を完全に喪失することは避けたかった。

 

なぜならば、城攻めの定石である攻城側は守り手の三倍の兵力を必要とする、という条件を満たせなくなる恐れがあるからだ。

 

「(居れば居ったで迷惑千万かと思えば、居らぬでは糞の役にも立たぬとは!役立たずどもめ!)」

 

アサノの頭にあったのは味方の救援ではなく、あくまでもタタラ場を力攻めで落とす際に、忌憚なく『殺せる』味方の数が減ることを厭ってのことだった。

 

「わかった…本陣の二万を動かして猪どもを森に押し込めろ、それと、砂をかけるでも何でも構わんからあの炎を消せ!」

 

「ははッ!」

 

命じてすぐに郎党が伝令に走った。

 

 

 

 

 

 

 

「(ん…?なんだ、この振動は?)」

 

「誰かある!」

 

「ははっ!公方様、ここに!」

 

伝令が走ってから間もなく、僅かな地面の揺れを感じ取ったアサノは側近を呼び寄せた。

 

「猪どもが迫っておるのか?それとも我が方で騎馬隊を動かして居るのか?」

 

「はっ!猪どもとはまだ接敵しておりませぬ!騎馬隊は伝令役と馬回りを除けば、救援に回しましたゆえ居りませぬ」

 

側近の返答にアサノは胸騒ぎを大きくした。だが、敵方に騎馬隊の存在があるなどという情報はない。そもそも、タタラ場では戦の為の馬を養ってなどいない。

 

「なんだとっ?ではこの地鳴りはなんだ!?」

 

「地鳴り、でございますか?」

 

不可解さに顔を歪め、側近の鈍さに失望したアサノは立ち上がり、床几を蹴り上げた。

 

「くッ!もうよいわ!本陣を畳む用意をしておけ!それと、救援に向かった者どもを呼び戻せ!」

 

「ははっ!しかし、そうなると何処へ向かわれるので?」

 

「そんなものッ、一つしか無かろう!タタラ場を…」

 

「敵襲ーーーーーーーーーーッ!!!!」

 

側近の問いに苛立ちが堪え切れなかったアサノは「タタラ場を包囲している五万の中に逃げ込むのだ」と言うよりも早く、味方の悲鳴を聞いた。

 

「敵襲ッ!?」

 

「どこからだ!?相手の規模は!種類は!山犬か!猪どもか!」

 

「はっ!それが、騎兵が一千ほど…」

 

狼狽える側近を力任せに押しのけると、敵襲を知らせた兵に掴みかかって尋ねるアサノに対して、兵は目を白黒させながら答えた。

 

「騎兵が一千ッ!?見間違いではないのかッ!」

 

返答を聞いたアサノは顔面を蒼白にして叫んだ。

 

「いえ、確かに向かっております!今は副将と馬回りが相手をしておりますが…」

 

兵が「いつまでもつか…」と言うより早く、アサノから見てシシ神の森に近く陣取っていた副将の陣幕が爆発的に炎上した。

 

「なッ!?」

 

「公方様!ご注進ーーーー!」

 

「今度は何だッ!?」

 

そこへ新たに伝令の兵が辿り着き、今にも泣きだしそうな声で叫んだ。

 

「山犬が出ましたッ!!!」

 

「どれだけだ!」

 

「三頭です!一頭の上には娘が乗っておりました!あの騎兵の開けた穴をついて、真っ直ぐこちらへ向かっております!急ぎお逃げを!」

 

「ええいッ!もののけ姫かッ!けだもの風情に心奪われおってッ!」

 

アサノは爪を噛んだが、すぐさま冷静さを取り戻すと、状況が取り返しのつかなくなる瀬戸際と悟り、自己保身を優先した。

 

それは間違いではなく、戦略上は適当な判断であった。

 

「退くぞ!!馬を引けい!!」

 

「く、公方様!どうか、どうかお待ちを!」

 

「なんだ?こんなときにッ!」

 

だが、迷いなく退くと決めたアサノを遮るように数人の郎党が進み出た。

 

彼らは必死に訴えた。

 

「今本陣が落ちれば、森に向かった二万も挟み撃ちにされかねません!」

 

「そうです!このままでは森に囚われておる兵も、二万の兵も喪いかねませぬ!」

 

彼らの訴えは妥当であった。だが、すぐそこまで石火矢の熱気が迫っている状況下で議論をする余地など、少なくともアサノの中には残されていなかった。

 

「ならば、そなたらが残って支えよ!儂はこんなところで死ぬわけにはいかぬッ!」

 

「なッ!?」

 

「我らに死ねと仰せかッ!?」

 

郎党が悲壮な顔で言うと、アサノは鼻で笑って言った。

 

「わかっておるではないか!さぁ、もう退けいッ!」

 

「嗚呼ッ!公方様ッ!?どうか、どうかお待ちを!」

 

「くどいッ!押し通る!行くぞッ!!」

 

馬に跨った自身に縋り付く郎党を撥ね飛ばして、数人の護衛だけを連れたアサノは脇目も振らずに駆け出した。

 

結果的に、最高指揮官の存命を優先するという、この判断は一般的な戦略に照らせば正解であった。

 

この時、在所がタタラ場に近かったことで、アサノは無事にタタラ場を攻囲中の5万の中に逃げ込むことに成功したのである。

 

しかし、それと引き換えに本陣の失陥を許すことになり、また、同時にこの時に見捨てられた郎党たちからの恨みを買ったことが、後に彼に腹を切らせる遠因となるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

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