時は遡り、分散して潜伏していた女真が合流して間もなくのこと。
「今こそ大天子様へ我らの忠誠を示す時!我に続けッ!!」
山を降りて一千を数えた直後、女真の指揮官が檄を飛ばすと同時、愛馬に鞭を入れた。
海を越えて来たというのに、タタラ場の泉で水を飲ませてからというもの、馬たちは絶好調であった。今なら垂直な崖にも挑めると思わせてくれる程度には。
先頭を駆ける指揮官の男は姿こそ見えないものの、確かに並びかけてくる山犬たちの濃い気配を敏感に感じ取り独り言ちた。
「山犬の一族が入り込むのに、そう長い時間は必要ないだろう」
「われらは我らの武名に泥を塗らぬよう、火竜の名に相応しく暴れて見せよう」
そう呟きながら駆けることしばし、陣幕が立ち並ぶのが見えてくると、指揮官は石火矢を担ぎなおして気合を入れた。
「見えた!一気に片を付けるぞっ!」
そう言い指揮官を先頭に一千の騎兵は加速した。
ぐんぐん加速する騎馬は恐れ知らずで石火矢の炎も恐れない。敵陣への突撃にも怯懦することはなかった。
「一発目は敵の石火矢衆を誘き出してからだ!それまでは堪えよ!」
馬の鞍には予備の石火矢が括られており、追撃が可能なことを示唆していた。
火種を風除けのある鉄籠の中で保温しつつ、馬上で火薬の具合を確かめる。
濡れていない。
いける。そう確信できた。
「突入するッ!馬の脚を決して止めるなよ!」
この時、目当てとされたのは街道よりもシシ神の森に近く布陣していた副将の陣幕であった。
柵の間を縫い、雑兵には目もくれずに、見事な機動で一頭の身軽な獣のように敵将の幕へと迫る。
「敵襲ーーーーーッ!!」
遠目にも土煙を挙げながら突進してくる騎兵がみるみる近づき、大きくなっていくことに、副将の陣は大わらわとなった。
「騎兵だとッ!?どこの地侍か!我らが天朝様の武士と知っての狼藉か!?」
日本の言葉がわかる者が指揮官に選ばれていたが、彼らに議論する気は毛頭なかった。
「我らは誇り高き女真の戦士!火竜騎兵の名をいただくものどもにあって、金縁の青き狼の御旗を許されし旗王の系譜なり!大恩ある大天子様に歯向かう不届き者どもに死を!」
無論、日本の戦の流儀も関係がない。彼らはそう一方的に用を告げた。
「見たことのない連中め!さてはもののけどもの仲間だな!であえ!であえーーー!」
侍たちは驚きつつも迎え撃つために刀を抜いた。
それは如実な敵対の合図であり、大陸からの来客との戦と思えば、この接触は鎌倉以来の椿事だということになる。
「いったい、どこから湧いて現れたのだっ!」
「公方様にお知らせせよ!敵襲だ!敵の騎馬隊だっ!」
侍たちが驚くことも無理はなかった。繰り返すようだが、タタラ場には戦用の馬などいないのであり、馬でなくとも彼らは城の中に亀のように固く閉じ籠もっていて、よもや、この場になど現れるはずがなかったからである。
だがしかし、彼らは現れた。
そしてそれは、侍らの視点から見れば、突然降って湧いた存在しない戦力が、前置きもなしに襲い掛かってきたということに他ならなかったのである。
「石火矢を構えよ!」
副将ともなると、本陣には数少ない高い練度を誇る石火矢衆がいた。
「ひきつけてからだぞ」
混乱の中で冷静に火薬を込め、隊列を整えて石火矢を構えたのだ。
「今だっ!放てーーーー!」
ゴロゴロゴロッ!!!
それは万人にとって等しく死を与える兵器ではなかったか。
それは確かに死の雷に違いなかった。それは間違いではない。
だが、結論から言えば、満洲の地で鍛えられてきた女真の火竜騎兵はそれらを、殊に練度の面で容易く凌駕したのである。
「なッ!?避けただとッ!?」
彼らは先頭に立つ指揮官の「散開」の命令で密集陣形を瞬時に解き、石火矢の射線から逃れるように、また敵の石火矢衆と陣幕を包み込むように、二手に分かれたのだ。
「咄嗟に散開して被害を散らしおったッ!」
石火矢衆の指揮官が唸るも、彼らのターンは既に終わっていた。
晴れた煙の中から現れてすぐ、女真の指揮官の男は叫んだ。
「囲めッ!」
ぐるぐると二頭の龍のように身を捩る騎馬の隊列が、俄かに交わった。
「放て!今!」
指揮官の下命も短く、見事に射線が交わる位置を陣取ると、女真の火竜騎兵たちは敵とすれ違いざまに、各個の判断で馬上にありながら石火矢に火を点けた。
ゴボボボボボボボボーーーーーーーーッ!!!!
「ぐぎゃああああああああッ!?」
吐き出されたのは礫ではなかった。それは激しい、しかも粘度の高い灼熱の炎だった。
それは正しくドラゴンの燃える吐息に等しく、数十の炎の吐息を一斉に浴びせられた石火矢衆は、同時に火を浴びた副将の幕ごと燃え尽きた。
「石火矢を替えよ!片っ端から陣幕を焼け!!敵を炙りだすぞッ!!」
女真の指揮官は馬の鞍に据えられたもう一本の石火矢に素早く取り換えると、攻め寄せる馬回りを牽制するどころか、逆に攻め立てるように再び火を噴いた。
この間も、騎兵は動き続け、縦横無尽に駆け回りながらアサノ公方の本陣を焼き尽くしたのである。
そこへ、さらに畳みかけるように現れたのが
「山犬だーーーーーーッ!!!」
副将が陣地と共に燃え尽き、女真の部隊が白兵戦へと移行するのを待たず、モロを先頭に、四頭の山犬が燃える敵陣に突っ込んだ。
四頭のうちの一頭が人間の少女の姿かたちをしていたことは、言うまでもない。
そこからは一方的な蹂躙だった。
「あれが敵の長だッ!」
事前に人間の組織について、オンテギとの交流を通じて的確に理解していたサンは、混乱した状態で人が集まる場所に高位の人物がいることも知っていた。
人の流れを読み取り、雑兵には目もくれずに向かった先こそ、アサノが去った直後の陣幕であった。
「山犬ッ!?」
「何ッ!」
陣幕の中では取り残された重臣が複数名、呆然としている者も多かった。
そこへ山犬の襲撃である。
「その命、貰い受けるッ!!」
サンが叫ぶが早いか、刀を抜く暇もなく一人目に、山犬の牙で出来た槍の穂先が届いた。
「ぎゃぁッ!?」
「次はお前だ!」
首から抜き去り、迷いなく次の標的へ、より陣幕の奥に陣取る重臣へと、跨ってきた兄弟の背中を足場に飛び掛かった。
「くそッ!もののけがぁぁぁッ!」
サンは刀を抜いて抗う重臣を、槍を投げつけて怯ませると、抜き放った短剣で、刃を二合わせするまでもなく切り捨てる。
『サン!危ない!』
「死ね、もののけ姫!!」
直後、兄弟の声に気付き、背後で刀を振りかぶっていた兵の顔を振り向きざまに蹴りつけた。
「ふッ!」
「ごぼぁ…」
そして、顎を砕かれた兵の喉を穂先で切り裂くと、槍を拾い更なる標的へと切りかかった。
「やああぁぁぁッ!」
「邪魔だッ!お前じゃない!」
「ぐはぁ!」
身形で戦場での価値を素早く判別すると、サンはアサノの側近を守ろうと立ちふさがる兵たちを、誰も彼も三合の間に討ち伏せていった。
そして…
「お、おた、おたすけッ…」
全ての護衛を切り伏せた後で、陣幕には最も地位の高いアサノの側近と、サンとその兄弟しか立っていなかった。
返り血塗れのサンには側近の言葉が聞こえていたが、その内容は聴くに値しなかった。
「ダメだ!それじゃあ、オンテギ様に褒めていただけない!」
「くそぉぉぉぉッ」
「その首を、寄越せッ!!」
そう言うと、縋り付くと見せかけて、脇差に手を掛けようとするのを見逃さずに、サンは側近の喉を槍で貫いた。
『サン、ここは終わった』
「そうだね、次に行こうか」
首を寄越せと言いながら、首を切り取ることもなく、兄弟とそんな会話を交わしながら、サンは自らの手で皆殺しにした陣幕を後にした。
本陣への急襲は成功した。
山犬たちに被害はなく、女真の戦士たちにも負傷者が数名出ただけだったことは幸いであった。
彼らは本陣を徹底的に蹂躙すると、名のありそうな者を片っ端から切り伏せてからシシ神の森の方面へと離脱した。
彼らが帰ってくることがなかったことに、本陣の生き残りは安堵した後でタタラ場を囲む軍勢に合流した。
だが、そこで聞かせられたのは衝撃の事実であった。
山犬と女真の火竜騎兵は、本陣を散々に破壊し尽くしたあの後で、火薬を充填し直した石火矢を携えてシシ神の森へ向かった二万に襲い掛かり、これを壊滅させたのだ。
本陣が燃え上がったことで帰る場所を失い右往左往していた二万の軍勢は、陣形整列も整わぬうちに前後を、森を突き抜けてそのまま駆け続けてきたナゴの守が率いる猪神一族と、本陣を破滅させた後の山犬と女真の騎馬隊に挟まれて完膚なきまでに叩きのめされたのである。
火竜の吐息に焼かれ、山犬の牙に掛かり、猪神の蹄と牙に八つ裂きにされた二万の軍勢は、その残党が森に逃げ込んだものの、散り散りになり逃げた侍たちを待ち構えていたのはアイヌと高砂の剽悍なる戦士たちであり、彼らは同時に山森での戦いに慣れた無慈悲な狩人でもあったのだ。
燃え盛る森の中を逃げ惑った侍たちは、挙句、アイヌと高砂から女真の戦士たちと同じ理由で送り込まれてきた、百戦錬磨の強兵の手に掛かって各個撃破されていったのである。
終わってみれば、五万居た侍たちの内、最終的にタタラ場の攻囲軍に合流を果たせたのは一万に満たない数であったという。
その日、シシ神の森を巡る戦いは夕暮れが訪れるより早く片が付いた。
アサノ公方は四万近くの死傷者を出したのに対して、シシ神の森側の犠牲は負傷者のみで死者は皆無であり、勝敗で言えばシシ神の森側の完勝であった。
流動的な状況の中で、各々が機運を好く掴んだシシ神の森の戦士たちの勝鬨が、無数の侍どもの骸の上でしばし木霊し続けた。
蓋を開けてみればオンテギの描いた絵図の通りに、狭隘かつ高低差のある環境下での、高度な連携に基づいた両翼包囲と金床戦術の合わせ業によって、兵数比において二十倍にも及んだ一大会戦は『黒鉄の森』の勝利で幕を閉じたのである。
これは余談であるが、この戦いにおいてタタラ場の娘サンは作戦の根底を成した森への火付けに成功した上で雑兵は無数に、兜首は百数十を討ち取ったのに対して、山犬の娘サンはアサノ公方の重臣と幕僚の悉くを鏖殺し、遊軍としてシシ神の森を脅かしかねなかった本陣の備え二万との戦闘において効果的に首狩り作戦を実践し、その勝利へと大きく貢献した。
戦果において両者の貢献は非常に多大であり、その数量的な比較は困難であった。
だが、この戦いで如実に明らかになったこともある。
それは、ただ一つ、二人のサンに共通して言えることだった。
ただ一つ言えることがあるとすれば、それは。
彼女たちは、『
人を手に掛けるのは二人とも初めてであった。
にもかかわらず、そこには躊躇など皆無であった。
無論、罪悪感も。
唯一つ。
彼女たちの頭の中に情け容赦など存在せず、二人の頭の中にあった考えは、唯一つ。
『オンテギに褒められること』。
唯、それ