オンテギ・ウルト   作:ヤン・デ・レェ

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外伝24:首だけ

「エボシ様ぁ!兄ぃがやりましたぁッ!」

 

「だろうな」

 

タタラ場は天主の楼閣にゴンザが駆け込んできて叫んだ。

 

ゴンザの言葉に、エボシ御前は落ち着き払って応じた。

 

エボシの周りには護衛の金紅扇旗衆が。

 

彼らはエボシと揃いの金糸が編み込まれた紅い絹の分厚い下着の上から鋼の鎧を着こみ、最新鋭の石火矢と刀槍を携えて近侍していた。

 

最奥地にあっても油断も隙も無かった。

 

「はい!敵の本陣が落ちて、アサノはこっちに逃げ込んだようです!」

 

「そうか。森の連中も友人達もよくやってくれた。終わったら礼を言わねばな」

 

ゴンザが喜色を滲ませて言い、エボシの顔にも仄かな笑みが浮かんだ。それは安堵の笑みだった。

 

ゴンザはそれに同意を示すように強く頷いた。

 

「ええっ。しかし、そのためにも、まずは俺たちがここを守り切らねばなりますまい」

 

ゴンザの言葉は尤もだった。エボシも同感だ。ここでタタラ場を失っては意味がない。

 

「その通りだ。ここが私たちの家だ。あの人と娘の帰る場所を、私たちが下手を打って喪うわけにはいかない」

 

そう言って表情を引き締めたエボシは、分厚い楼閣の防壁へと寄り、狭間の隙間から外を覗くと、楼閣から遠望できる五万余りの侍どもを見据えた。

 

「…して、我らは如何するので?」

 

ゴンザの問いに、エボシは事も無げに即答した。

 

「守り切る。あの人を、オンテギを信じるのさ。得意だろう?」

 

「そりゃもう!」

 

それには実績があった。ゴンザほど長くオンテギを信じ続けてきた者も他にいない。

 

エボシはゴンザの応えに、口の端をくいっと持ち上げて笑うと、すぐに引き締めて言った。

 

「ふっ…ゴンザ、お前たちは外郭に兵を張り付かせて、警戒を維持し続けろ」

 

「警戒…ですか?」

 

ゴンザは知性に富むが、目先の勝利で敢闘精神に火がついていた。今にも打って出るとは言わなくとも、侍どもにちょっかいくらいは掛けたいらしい。包囲されている事実に鬱憤が溜まっているのだ。

 

「警戒だ。厳となせ」

 

だが、エボシは淡々とそう言い切った。手出し無用、相手に先手を取らせよと。自分たちは今が堪え時であると、そう言っているのだ。

 

「つまらぬことで誰に死なれても困る。あの人に嫌われてしまう」

 

エボシなりのユーモアだった。無論、本気であるが。

 

そこには死傷者を極力出さない為の冷静な計算と、外での始末を終えて遊軍となったオンテギたちが、必ずや攻囲を解く切っ掛けを与えてくれることへの強い信頼があった。

 

「こちらからは仕掛けないので?」

 

「油断するな、追い詰められれば何を仕出かすかわからないのが人間だ」

 

ゴンザも同じ気持ちで、同じ信頼を抱いているが、一応は言ってみる。するとエボシは、凶報に狼狽える侍どもを睥睨しつつ、冷酷な口調で言い捨てた。

 

「それに…」

 

そこで言葉を区切ると、楼閣の狭間から外を覗くのをやめて、壁から身を離してからこう言った。

 

「負けるとわかりきってからの方が人間は厄介だ」

 

それは経験則に則った、確信に満ちた言葉だった。

 

「アサノのことだ、こうなっては自分の欲を優先するだろう」

 

欲…この場合、それはタタラ場への復讐を果たすことだろうことは、誰の目から見ても明らかだった。

 

「それはつまり…」

 

「ああ。直に、来るぞ」

 

冷静になったゴンザの問いに、エボシは迷いなく言い切る。

 

「…来ますか」

 

「確実にな。それも、なりふり構わずに…みんな、少し出よう。こうも一か所に籠っていては息が詰まる。どうせ静かなのは今だけだ。」

 

エボシは見回りに出るようで、自らの旗衆へ声をかけた。エボシが歩き出すのを待たず、ゴンザは道を開けた。

 

「どれだけ死のうが、借り物の兵隊ならばあのアサノのことだ。今更惜しむまいよ」

 

すれ違いざま、エボシは淡々とそう言った。

 

「…持ち場に戻ります。ではまた、後ほど」

 

二手に分かれるゴンザとエボシ。離れつつある背中に、エボシは声を掛けた。

 

「命を惜しめよ。そんな必要はないと思うが…一応な」

 

エボシの言葉にゴンザは律儀に振り返って答えた。

 

「エボシ様も御安全に!エボシ様に何かあれば、兄ぃに顔向けできませんから!」

 

そう言い、ゴンザはずんずん歩いて去っていった。

 

「ああ、武運を祈る」

 

よく通る声で、エボシもそう応えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

五万の包囲軍の中に立てられた、アサノ公方の新たな本陣では、この先の方針を巡って重臣たちが喧々囂々と言葉を争わせていた。

 

「このまま引き下がれるものかッ!もののけ共に目にもの見せてやる!」

 

そう勇ましく言う者もあり。

 

「いや、もはや大勢は決した!せめて、今ある兵だけでも保ち、無事に引き上げるべきだ!」

 

そう冷静に状況を見定める者もある。

 

両者の対立は、正論と意地にどっかりと腰を据えて、お互いに一歩も引かないこともあり、今にも斬り合いに発展しかねなかった。

 

「今更、無事も何もあるかッ!猪と山犬にッ、ケダモノに後れを取ったなど…先祖に顔向け出来ぬわ!」

 

勇壮な武者がそう猛々しく吠える。それには武士の一理もあった。

 

「はんっ!どうもこうも負けは負けであろうが!もののけ共とタタラ場に挟まれる前に退くのが賢明だ!」

 

しかし、理詰めの、冷静な者はそれを切って捨てて言う。それは正論に違いなかった。

 

「なにおぅッ!貴様っ、我を愚弄するか!武士の誇りはないのか!」

 

片方がそう言って刀に手を掛けるが、

 

「命あっての物種よ!それに、誇りがあればこそ潔く退くのだ!見事、天晴と言う余裕もないのか?」

 

もう片方は刀に手を遣ることもなく、床几に腰を据え、首を傾げてそう言った。

 

「ふざけおってっ!今すぐ叩っ斬ってくれようか!」

 

その冷めきった態度が更に武者を苛立たせるが、お互いに視線を合わせて、逸らそうとはしない。

 

「味方に言うことがそれか!今退かずして何時退くのか!攻めるにしても兵が足りぬことくらい分かろう!我らは既に定石を踏み外しておるのだ!」

 

冷静な者がそう言い、膝を打った。その申し出は全くその通りで、黙って言い争いを傍観しているアサノ自身が誰よりも自覚するところであった。

 

だが、武者の方も譲らない。

 

「民百姓に毛が生えた程度のタタラ場の女衆に恐れをなしたか!我らはもののふぞ!彼奴らとの数の上での差など、比較になるか!」

 

猪武者の名の通り、気高く、向こう見ずな意見だった。だが、彼らの道理の中では、決して間違いだとは言えない所がある。

 

「なるから言っておるのだ!石火矢の威力を知らぬとは言わせぬ!まして、攻め手は我らの方だぞ!死ぬのは我らの兵や民ばかりだ!」

 

しかし、そんな武士の道理と、冷徹に現実を見定める者の目に見えているものとでは、そもそもが違うのだった。

 

「ええい!ならば、ならばっ!せめて一矢報いてから退くべきではないか!そうでもなければ、武士としての面目が立たん!」

 

かみ合わないままに議論とも呼べない言い合いが続き、武者の方がそう言った。

 

「それは…理解るが…」

 

これには流石に同じく思うところがあるのか、理解が及ぶからか、冷静な者も肯ずる。

 

「ならば、タタラ場に目にもの見せてくれようぞ!総攻めじゃ!一人でも多く討ち取り、廓の一つでも落とせば我らの気も済もう!」

 

武者は勢いづいてそう言い、それを聞いた冷静な者は訝しげに眉をひそめた。

 

「…その言葉、誠か?一つでも落とせば、二つ三つと欲しがるのではないか?」

 

その通りだった。だが、

 

「それこそ一つで十分だ!かのタタラ場の富強が噂通りならば、廓一つ分でも十分に実も名も保てよう!」

 

だが、それを表に出すほど武者も馬鹿ではない。ただ、今はなし崩し的にタタラ場になだれ込むことしか考えていないのだ。

 

「金銀の蔵の底が抜けたという、あれか?」

 

「そうだ!砂鉄取りの穢れ共だぞ?強欲で恥知らずな女どものことだ、泥に混じっておる砂金を取りこぼすはずもない!」

 

噂の出所は天朝様の書付である。疑うこと自体が非礼で無礼で非常識だとは知りつつも、否、知ればこそ言葉に慎重にならざるを得なかった。

 

しかし、武者はそんな事情は知らぬ。それを真実だと信じて疑わぬ。

 

因みに、天朝様は嘘だと思い書いたことだったのだが、タタラ場における事実ではある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実利の話を持ち込まれては、冷静な者も考えざるを得なかった。

 

今回の戦、このまま何も得られずに引き下がれば、一族郎党からの非難を受けることは避けられず、そもそも彼らを食わせていけないことも確かだった。

 

「確かに、このまま何もせずに退くのは釣り合いがとれぬことなど承知の上だ。だとしても…」

 

だが、冷静な者にも最後の一線が、現実を見定める冷静さがあった。

 

「だとしても、なんだ?」

 

そう尋ねる武者は自信に満ちているが、それは虚勢と何も変わらなかった。

 

冷静な者はきっと目を見開いて、立ち上がって吠えた。

 

「だとしてもっ!それを決めるは貴様でも儂でもないわ!」

 

それは事実である。彼らは重臣ではあったが、決断を下すのはアサノの仕事だった。

 

これには武者も頷いて、

 

「ぬっ…で、では、公方様に御裁可を仰ごう!公方様!今こそ、ご決断を!」

 

そう言い、まるで自分の意見が通ることが当然とばかりにアサノに詰め寄った。

 

「埒が明かぬッ…公方様!惑わされてはなりませぬ!やはり、今後の為にも退くほかありませぬ!」

 

対して、冷静な者も、ここが正念場とばかりに公方に詰め寄る。

 

「……」

 

両者に迫られたアサノは、しかし無言である。

 

この沈黙をどうとったのか、武者が冷静な者に向かって今度こそ本当に刀を抜こうと、腰を落として身構えた。

 

「まだ言うか!その喉切り裂いて、これ以上の無駄口を叩けぬようにしてやろうかッ!」

 

その言葉には憎悪さえ滲むが、冷静な者は公方だけを見据えたまま、言葉で抗う。

 

「何が無駄口だ!過去より今だ今!今を見んか!五万ちょっとであの巨城が落とせるものか!」

 

アサノは内心で「その通り」と独り言ちた。無論、口には出さない。

 

「貴様ッ!先ほどから負けだの退けだのとばかりッ!さてはぁっ、もののけどもの手先か!」

 

遂に、刀がぬるりと引き出されようとして、それを制するように冷静な者が叫んだ。

 

「戯け!そんなわけがあるか!そうだとしたら、そもそもこの場になど留まらぬわ!」

 

正論と意地の応酬は、止めなければどこまでも続きそうだった。アサノは欠伸が出るのを嚙み殺して、両者を見据えたまま沈黙を貫いた。

 

「口先だけの腑抜けがッ!公方様!ご決断を!」

 

「公方様ッ!」「公方様っ!」

 

遂に、アサノの番が回ってきた。逃げ回ることもできない。無数の目に射抜かれて、アサノはようやく、その乾き切った口を開いた。

 

「……………その者、もののけの手先に違いない、ひっ捕らえて首を刎ねよ」

 

言い放たれた言葉は信じがたいものだった。重臣たちのうち、冷静な者に内心で味方していた者たちは瞠目し、そのまま絶句した。

 

「なぁッ…公方様ッ、血迷われたか!?」

 

冷静な者が悲壮な声を上げた。だが、その声には芯が宿り、公方を逃がさぬとばかりに責めた。

 

これを不遜と捉えたか、武者はここぞとばかりに口走る。

 

「聞いたか?者ども、こやつに縄を打て!」

 

その声に、命令に従順な兵士たちがどやどやと幕に分け入るが、事ここに至っては致し方なしと、冷静な者が刀を抜いた。

 

「ええい!どちらがケダモノかッ!言われるままに縄打たれてなるものかッ!」

 

ぶんぶん!と刀を振り回し、大立ち回りを見せるが衆寡敵せず。

 

「突け!突けーーーーー!」

 

という武者の号令と同時、兵どもが振り下ろし、或いは突き出した長巻、刀、薙刀の刃が冷静な者の身体に食い込んだ。

 

「ぐはっ…おのれぇ…」

 

それでも刀を振るって二三と道連れにしたが、言えば、そこまでだった。

 

「天誅ーーーーッ!!」

 

弱り切るまで指示を出すことに徹していた武者が、ここぞとばかりに刀を抜き放ち、冷静な者に斬り掛かった。

 

「ぐぁあぁ…無念…ッ!」

 

ばっさりと袈裟懸けに斬り捨てられて、冷静な者は遂に倒れ伏した。

 

 

 

 

 

 

 

「公方様!裏切者の始末は終わりました!」

 

その場で首だけにされた冷静な者を差し出しながら、刀から血を拭い納めた武者が、勇んで言った。

 

「で、あるな…」

 

アサノは冷めた声が出るのを堪えて、いかにも神妙に頷いた。褒める言葉は、どうやっても出なかった。

 

「さて、いかがいたしましょうや?この際、森を焼いてやるべきでしょうか?」

 

「…」

 

問われたアサノは茫洋とした内心を押し殺して、すくっと立ち上がり、真っ直ぐにタタラ場を指さした。

 

「公方様?」

 

「タタラ場だ」

 

それだけで、武者は自分の意が通ったことを悟り、深い満足に浸った。

 

「では…」

 

武者がこれ以上何か言う前に、被せるようにアサノが言った。

 

「タタラ場に攻め寄せよ。石火矢も全部だせ。命を惜しむな、名を惜しめ」

 

総力を挙げて攻めることを決めた。そこにはもう、迷いはなかった。

 

一線は、今、正に目の前で越えられたのだ。

 

「ははっ…して、先鋒はどなたに?」

 

その問い掛けに、アサノも流石に声を荒げた。

 

「その方が行ってまいれ!」

 

「はっ、いや、某は帷幄にて公方様をお支え…」

 

その言葉に狼狽える武者。だが、逃げることを公方は赦さなかった。

 

「黙れ!先ほどのは口先だけかッ!それとも、貴様も、もののけの手先だと?」

 

「いえ、そんな!」

 

血濡れの地面に咄嗟に跪く武者を見下ろして、アサノは恨めしそうに続けて言った。

 

「なら行け!今すぐにだ!」

 

「は、ははっ…直ちに!」

 

去り行く背中にアサノががなる。

 

「ありったけ突っ込め!もののふの本懐は戦場にて死ぬことと心得よ!よいな?」

 

「ははーーーーーっ!」

 

武者が駆けていく。

 

「(あれは死ぬであろうな…いや、死んでもらう)」

 

内心でそう思いつつ、アサノは首だけになった重臣に手を合わせることもできず、見開かれ、苦悶に歪む死に顔をしばし眺めていた。

 

はっきり言って、アサノは冷静な者と完全に同意見であった。

 

だが、同時に、武者の意見にも相通じていた。

 

アサノはその理性と本能を天秤にかけて、後者に身を委ねた。

 

もののふどものどよめきが耳に届く。攻め手が始めたようだ。

 

勝敗は初めからわかりきっていた。

 

ただ、今を逃せば、もう二度と今以上の大兵力を投入することは叶わぬことも、決して馬鹿ではないアサノは理解していた。

 

しかし、その結果を理解していても尚、アサノは愚かにも武士であることを優先した。

 

雪辱の機会は今をおいてほかになく、滅びるとしても一矢報いる。

 

そんな悲壮な覚悟と、なぜこうなったのか、という漠然とした疑問がアサノの内面には、あてどなく渦巻くのであった。

 

果たして、タタラ場を巡る戦いは今、始まった。

 

 

 

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