オンテギ・ウルト   作:ヤン・デ・レェ

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間話2:Spero ita esse.

 

 

 

 

 

 

最初に『もののけ』から脱落した存在こそが、ニンゲンだったのではないか?

 

ニンゲンとは、最古にして最初のタタリ神が成れ果てた姿なのではないか?

 

モロの君が憎み、蔑み、憐んだものとは、ニンゲンという動物の愚かさや弱さ、臆病さそのものであって、ニンゲンという動物種そのものではなかったのではないか?

 

原初において、ニンゲンもまた犬神や猪神、シシガミと同じ、神の一柱であったのではないか?

 

森のはみ出し者とはニンゲンそのものであり、森の中で生き残れないことを悟った、狩られるばかりの弱い種族が、憎しみと恨みの果てに、その苦痛を与えた森に、原初の自然に対する復讐に走ったのではないか。

 

そこに、今のニンゲンの始まりがあるのではないか。

 

深く暗き森を切り拓き、明るい森や里山へと生まれ変わらせるのは、偏にニンゲンというタタリが復讐に走る姿そのものではないか。

 

そもそも、ニンゲンとはナゴの守が石火矢の毒礫で深傷を負わされ、耐え難い苦痛に喘いだ末に死を恐れ、呪いに身を委ね、アシタカの村を襲ったのと同じように、痛みと苦しみに気が触れ、己に耐え難い苦痛を与えた自然と、それそのものである暗き森への、無差別の復讐に走った姿の成れ果てではないか。

 

ニンゲンの業とは、森の中で牙も爪も持たずに生まれ、狩られる側に常に立ってきた人間が身を委ねた姿に宿る、その臆病さ、怯懦、弱さなのではないか。

 

苦痛に悶えて死を恐れるあまり、ナゴの守が我を忘れて、その身をタタリに堕としてまで、自身に毒礫を撃ち込んだ人間とは無関係のニンゲンに襲いかかったように。

 

森から出ることを余儀なくされたニンゲンと自然・深き森との関係性が産んだ、必然的な対立ではなかったか。

 

ニンゲンとは自然が産んだタタリそのもの。

 

原初の深く暗き森の中で、強者として生きることを許されず、奪われ続け、狩られ続け、苦痛と憎悪に狂った人神が、その神格を堕とし、穢し、そうまでして生きたいと祈り希った挙句、その声が届かなかったが故に、森の中での本来の自由を捨て、故郷を捨ててまで捲土重来を、復讐を誓った亡命者の末裔が人間の現在の姿だったのではないか。

 

農耕とは絶対ではない。

 

寧ろ、人を縛り、争いを惹起せしめ、人と人との間に致命的な差を、憎しみを生む根源となり得るものだ。

 

だが、ニンゲンはその道を敢えて選んだ。

 

敢えて選び、森を切り拓き、土地を耕し、鉄を打ち、他者を殺し、神を殺すまでに成り下がった。

 

土地に縛られてまでも、ニンゲンは生きることを諦められなかったのだ。

 

森の中は弱肉強食だ。対等な他者同士が、相互の違いを呑み込んだ上で、奪い合い、与え合い成り立っている世界である。

 

これは他者を異民族や蛮族として、踏み躙り、或いは同化させずにはいられないニンゲンの理とはかけ離れている。

 

恐らく、ニンゲンは森の中で、己の種族の居場所を見つけ損ねたのだ。

 

ニンゲンが穢れを過度に恐れる姿は、死は怖くないと言いつつもタタリ神になることに恐れ慄いたサンの姿を想起させるに足る。

 

ニンゲンは自然を討ち滅ぼし、復讐を果たす為に理を整えた。

 

その中で、彼らは知らず知らずに己がタタリそのものだと気付かされ、その邪さを恥じつつも、後戻りの利かない業の道を選ぶ上で、殺生を穢れと呼んで忌み嫌いながら、同族も森も関係なしの殺戮へと直走らずには居られなかったのだ。

 

タタリへの恐れ、穢れへの蔑みは、殺生を戒めつつも殺すことにかかずらう自己への、他ならぬ自己嫌悪や同族嫌悪の表れなのだ。

 

モロの君には、ニンゲンという生物種への憎しみはなかったのではなかったか。彼女は犬神だが、神であるそれ以前に森の中で生きる者で在り、森の中の理において強者の側に立つことを許された者である。

 

だが、強者であれなんであれ、森の中での自由な生存競争の理の中では、生命とは須く、また尽く対等な他者であるはずなのだ。

 

モロの君が貶み、戒めたのはその自由の中で生きることに対する怯懦そのものであり、これは死を恐れタタリ神に成り果てたナゴの守と、その道を選ばずに死をも受け入れタタリ神に堕ちることを拒んだ彼女自身の境遇とが対照的であることからも明らかだ。

 

そして、森を侵す人間に対する憎しみは、あくまでも森の中での自由から逃避し、平野部に出て土地に縛られる不自由を選んでまで生きながらえようとしたニンゲンへの憐みに重ねて、その道の、その業の果てに自分の故郷であるシシガミの森を破滅させようと企む人間達への怒りとが相混じり合った、複雑なものではなかったか。

 

強者に生まれ、猪神たちすら狩る側に立つモロの君にとり、猪神どころか猩猩達にすら、恐らくは無手では敵わず、常に狩られる側に立つ他なかった弱者であるニンゲンの境遇とは、決して同質のものとして語り得ないものである。

 

モロの君は愚かではない。

 

故に、その点については理解が及んでいた筈である。

 

そうでもなければ、モロの君がニンゲンそのものであるサンを、ニンゲンとして育て上げる筈もない。

 

森と共に生きることを模索し、実行していた古いニンゲンの姿を、モロの君は森と共に生きる隣人として、一つの確固とした他者たる動物種として、憎からず思っていたのではないだろうか。

 

そして、その姿を娘のサンの中に蘇らせようとしたのではないか。

 

蘇らせられずとも、彼女が憎む人間とは同類に成り果てぬように、そう誓って育て上げたのではないか。

 

モロの君がアシタカを殺さなかったことについて『惜しいことをした』と言いつつ、それでも生かしたのは、アシタカの中に古き、勇敢だった頃の、森と共に生きる人間の姿を見出したからではなかったか。

 

改めて見てみれば、サンはアシタカ以上にニンゲンでしかない。

 

彼女は常に山犬足らんとしていた。

 

装束を整え着飾り、人間の臭いを疎み、人間の傲慢さを嘲り戒め、誰よりも勇敢で恐れ知らずであることを行動で示そうとしていた。

 

だが、それは他ならぬ『見做し』であり、ニンゲンらしさでしかない。

 

彼女は、そうまでしなければ、山犬だと自分を定義づけることが出来ず、自然、森の中での弱者への転落を経験することになるのだ。

 

弱者への転落が意味するところは、彼女が憎む人間達の浅ましさを、自らも発現する所となることに他ならない。

 

故に終始、文字通り物語の最後に至るまで、彼女の中には狂おしいほどの恐れが渦巻き、それがエボシたちへの憎しみとして、また過剰なまでに山犬たらんと必死になる姿へと集約され、また明瞭に表現されているのではないだろうか。

 

こうして考えてみれば、神殺しはニンゲンの本懐なのかも知れない。

 

ナゴの守が憎しみに身を任せて復讐を果たそうとしたように、ニンゲンもまた憎しみに身を任せ、同族も自然も、何もかもをも巻き込み、呑み込んで復讐に邁進してきたのではないか。

 

サンとアシタカが礼儀を尽くさなければ、奪われた首を求めて全てを呑み込みながら、あらゆるものからただ生命を奪い続けかねなかったシシガミと、ある意味ではニンゲンが最も近しい存在なのだと言うことは、決して過言だとは思えない。

 

ニンゲンが超然主義的なシシガミを憎むことは、ある意味では必然で在る。

 

森の中の自由を、森との共生の論理こそが条理だと強弁する限りは、シシガミとニンゲンは対等な他者でしかない。

 

故に、救われなかった者、奪われ続けた者には、いや、そうではない者にも、憎しみを抱くことさえ、等しく与えられていて然るべきである。

 

互いに全てを呑み込みながら、安全な自己の内側へと押し込もうとする傲慢さは、果たして両者において差をつけられるものだろうか。

 

シシガミは死ぬ間際に病人を癒し、死を振り撒くドロドロを拭い去り、人間同士の諍いの痕跡までもを悉く吹き飛ばした上で、一陣の風となり、里山だけを残して去った。

 

だが、それが憎しみの果てであれ、何らかの方法を見出して病人を癒し、死を振り撒く災いに抗い、拭い去り、死と暴力の痕跡を律儀にも片付け、挙句、自ら破壊した自然に新たな芽を芽吹かせる姿は、争乱と殺戮を繰り返しながらも前進し続けるニンゲンの姿にも非常に重なる点が多い。

 

間違いながらも、前へ進み、傷跡を遺しながらも、その腐敗を洗い流し、新たな布を巻こうとする。

 

その類似が示唆するところは、ある意味では楽観主義或いはヒューマニズム的とも言える理不尽への苦しい抗弁ではあるが、『原作』に刻まれたメッセージの通り、『生きろ』以外の何ものでもない。

 

この二次創作の主人公オンテギは、謂わば楽観主義の体現者であり、ニンゲンが抗い切れなかった自然への憎しみを雪ぎ、癒し、タタリ神に堕ちた人間を、再び犬神や猪神と同等の存在へと押し上げようとする者で在る。

 

他方、奪うばかりのタタリ神そのものであり、この時代の日ノ本において、その姿を体現している存在である『侍』と、それを治め制御し切れずに暴れ回らせる、不適格な、かつ紛い物の神を装う『朝廷』に対抗して、ニンゲンを再び神に成り上がらせる為に、自らが生み出したニンゲンがニンゲンのままで他者との違いを受け入れながら対等に生きられる居場所を、馴れ合いと生ぬるさの源泉を死守するべく、敵対者の生命を容赦なく、しかして苦痛を最小限に抑えながらも奪い去る、荒ぶり猛る神そのものでもある。

 

と同時に、彼はデイダラボッチがしたことと、シシガミがしなかったこととを同時に実現しようと試みる自然への挑戦者で在り、理不尽へ敢然と否を突きつける不条理な存在、つまりは自然の条理と対等に渡り合う、理不尽に対する理不尽の体現者でも在るのだ。

 

オンテギは『原作』を通じて、また『前世』を通じて学んだことを、『時代』の自然へと不自然にも、また理不尽にも振り翳す。

 

オンテギは異物に他ならず、ただ只管に理不尽な存在に違いないが、その目指すところは理不尽の克服に他ならないのである。

 

タタリ神に堕ちて今に至るニンゲンの尊厳を恢復し、と同時にその尊厳を守り通し、今度こそニンゲンが森の中の、真の自由の理の中で、対等な他者同士という関係性の中で、あくまでも尊厳を保ちながら生き永らえる為に、彼は自分一人で、時には自らタタリに堕ちることも厭わない一方で、このタタリを、誰の世話にもならずに自らの手で恢復する、『自分の尻は自分で拭う』存在なのだ。

 

それは困難なことで在り、御年500歳を超える猪神である乙事主でさえ叶わなかったことである。

 

オンテギが一身に集める憧憬、崇拝、敬慕、愛情、そして憎悪は、全てこの与えもするし奪いもする、自然そのものの理不尽な性質から発生していると共に、ニンゲンらしさを煮詰めた所から来るものである。

 

故に、オンテギはニンゲンを再び神に並ばせ、成り上がらせる過程において、自然神の理不尽を振り撒くのみならず、ニンゲンが捨て切れない人情をも汲み取り、シシガミの如き超然主義を、例え己の神格を堕とすとも、敢えて捨て去り、目の前の他者へと己が手を差し伸べることを厭わず、また好んで之を成すのである。

 

オンテギの視点から見れば、彼には最早、馴れ合いと生ぬるさの中で、何となく平穏な日常が続いていく以外には、つまりは現状維持以外には目的らしい目的はない。

 

彼は惜しまず、見捨てず、足るを知るが故に、愛され、敬われ、慕われ、疎まれ、憎まれ、嫌われもする。

 

だが、その在り方が知らしめる所は、偏に動物神であり自然神の一種族としてのニンゲンの恢復と復興であり、弱きが故に掬い上げられなかったタタリ神となる以前の、そして以後の人間が背負い続けてきた業を、無念を晴らしながら、時に共に背負い、時には一人で肩代わりしてでも、その自尊自立を促し、森と共に生き、奪い合い与え合う関係性に立ち向かう勇気と希望を齎らす事に他ならない。

 

オンテギは『原作』のエボシ御前とは異なり、『国崩し』がしたい訳ではない。

 

彼の目的は理想郷の建設ではなく、新たな、しかして懐かしく、親しい日常の、『普通』の提案と、その実現と維持と継承とにある。

 

要するにオンテギは、彼の『前世』風に言うならば、天国ではないが、地獄でもない居場所、奈辺を生み出し、そこで共に生きていたいのである。

 

だからオンテギは、土地に縛られない生き方もあったことを思い出させる為に動き回り。

 

冊封体制にも、奴隷貿易にも、華夷思想にも、触穢思想にも、そして自然国境説にも唾吐きながら各地に自由を共有する他者との繋がりの証として都市国家を築き上げ。

 

その連帯を己の中に全て抱えながら、理不尽にも理不尽への抗弁者として。

 

また、その理不尽に苦しみ喘ぎタタリに堕ちたニンゲンの擁護者として。

 

また、そのタタリに晒される森の庇護者かつ共生者として。

 

そしてなによりも、そのタタリが決して後戻りのできない道ではないということを、或いは後戻りは出来ずとも、その道には続きがあるということを。

 

傲慢にも、浅ましくも、手前勝手にも、だが、断じて宣う。

 

オンテギは佯狂者なのである。

 

故に、オンテギはニンゲンとして生まれ、であればこそ『神』として生きる。

 

世に犇めく禍を甘んじて受け止め、己が身を以て()(すま)し、深く暗き地の底から湧き出した清水が如く、福と転じて世に送り還しながら。

 

ただ、自由に。

 

理不尽にも、生き続けるのである。

 

 

 

 

 

 

 

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