オンテギ・ウルト   作:ヤン・デ・レェ

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外伝26:太陽を射る者 前

 

 

 

 

この城は陥とせない。

 

それは最早、明白なことである。

 

だが、それでは死に切れず、かと言って生き恥を晒すこともできぬのが武士という生き物であった。

 

彼らがこの乱世で託ってきた無聊というものについては、オンテギも知らぬわけではない。

 

だが、であればこそ、『そんなもの』の為にこれほどの大戦を引き起こした彼らを、ただ許すことなどできなかった。

 

苦痛と怨嗟を生み出しながら、とうの昔に負けが込んでいることを知りつつ、尚も攻城戦を続けようとするアサノ公方とその軍勢に対して、オンテギは珍しく憤りを見せてさえいた。

 

故に、そうであるならば、と。

 

オンテギは『欲しけりゃ呉れてやる』と言わんばかりの絶好の死場所を与えてやることを以て、この大戦の幕を閉じることと当初から決めていたのである。

 

だが、初日の夕暮れがやってきて修羅場が静まり返り、更には夜が来て、暗闇の中では敵味方双方の無数の篝火が揺らめき、ただ死者と怪我人の怨嗟ばかりが響動めくようになっても、オンテギにより率いられている凡そ三千余りの軍勢は動きを見せなかった。

 

それは二日、三日、四日と続き…遂には五日目の朝日が中天に昇りつつあった。

 

 

 

 

 

 

今日も今日とて不毛な消耗戦と、一方的な殺戮とが繰り広げられているタタラ場からは離れて、シシ神の森の深きと暗きとに囲まれたところに、オンテギの本営があった。

 

タタラ場の喧騒を伺える程度の位置に設けられているオンテギの本営の中では今、喧々轟々と、一向に攻囲軍への攻撃も妨害も開始しようとしない現状に対して、不安と不満とが噴出していた。

 

神籬の中、床几にどっかりと腰掛けて腕を組み、瞼を瞑ったまま沈黙を続けるオンテギは、寝食の時を除けばこの四日間…正確には、初日にシシ神の殺しを目的としてアサノ公方が派遣したジバシリと武士の混成部隊約一千を排除した直後から、ずっとこの調子であった。

 

当初、予定していたタタラ場の早期解囲の戦略すら忘れて、また、修羅場に赴くことも取り止めてまで、オンテギはタタラ場と武士との遣り合いがよく見える位置に陣取ってからは、目を瞑り、その地獄耳を澄ませているばかりである。

 

これに対して、本営に集まった主要な将帥たちは、困惑と不安を隠せなかった。

 

交流の長い彼らをして、オンテギの行動は不可解であったのだ。

 

『オンテギ公!我らは、なぜ動かない!我らは皆健在である、あの大軍を真正面から打ち破るのに、なんの不足があろうか!』

 

『ナゴの守…そう言ってやるな。と、言いたいところだが…正直なところ、私も気になっていることがある』

 

『なぜ、夜襲を掛けるでもなく、機を失するがままでいるのだ?貴殿程の益荒雄であれば、好機は初日の夜にあったことくらいは理解していよう』

 

『何を。貴殿は、何を待っている?』

 

モロの君からの、その問いを受けて、全員の視線がオンテギに集中した。

 

静寂。

 

一同の中に、一抹の不信が宿ろうかとした時である。

 

その時だ、スッとオンテギの瞼が持ち上がり、その口が開かれた。

 

モロの君は、オンテギの、その瞳の奥に強く激しい意志が渦巻くのが見えた。

 

「目の前には赤が在り嫌な感じがする」

 

「西からは白が」

 

「そして…北東からは青が、すぐそこまで近づいてきている」

 

「だから、あと少しの辛抱だ」

 

モロの君からの問い掛けに対して、オンテギはそう言い、再び瞼を閉じた。

 

『それは…お得意の地獄耳で聴いたものか?』

 

モロが続けて問う。

 

「そうだ。だが、西と東のものには覚えがある。悪いものではない」

 

『そうか…では、あとどれほど待てばよい?』

 

「太陽が、中天に昇りきるのを待て」

 

『…わかった。貴殿を信じよう』

 

モロの君は瞼を閉じて、そう言った。

 

諸将が困惑を呑んでモロに賛同しつつある中、オンテギは柔らかい笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、信じてくれて」

 

『礼はいい。答えもいらぬ。それも、勝ってからだ』

 

モロの君はそう言って瞼を上げた。

 

目の前の漢を信じると決めた、一人の女の瞳である。

 

オンテギには、それがエボシとダブって見えた。

 

「ああ、そうしてくれると助かる。私にはうまく伝えられるものじゃなくてね」

 

だから、妻に言うのと同じような調子でそう言い。

 

『他者との関わりなど、そんなものだ…少なくとも、私には貴殿を信じるに足る理由の方が多かったというだけのこと』

 

これに応えて、モロの君も嫋やかな笑みを返すのだった。

 

『さて、皆はどうだ?ナゴの守、お前はどうする?』

 

モロはナゴに視線をやった。オンテギとは一番の親友であり、今は一番に即時突撃を主張していたのがナゴだ。

 

『考えるまでもない…我が友、オンテギ公を信じる。今は下知を待つ。それだけだ』

 

「ナゴも、ありがとう」

 

鼻息荒くも、明言する姿勢は潔く、オンテギは友に向ける親しい、屈託のない笑みで礼を言った。

 

『構わん…今の我らは、オンテギ公を疑うほど愚かでも、敗北と死を恐れるほど臆病でもないはずだ…』

 

「ナゴが言うと説得力があるなぁ」と思いつつ口には出さないオンテギである。

 

ただ、実際、彼の言葉には強い説得力があった。

 

「…サンも、父様を信じます。母様だって、今頃、皆を励まして、私達のことを待っていてくれているはずです」

 

実の娘であるタタラ場の娘サンが続き。

 

「私もだ。オンテギ様の御言葉に殉じる覚悟など、とうの昔に出来ている。死など怖いものか…貴方からの信頼を失う苦痛の方が、今の私には余程恐ろしい」

 

モロの君の娘である山犬の姫サンが続いた。

 

二人の娘たちの覚悟に、残りの漢たちの肚も決まった。

 

「女真の戦士は死して尚、オンテギ様と共にある。迷いはない」

 

「我らもだ、大王様に遵う」

 

「そうだ、これまでのことを思い出せ!大王様は一度として、我らを欺かなかった。我らを疑わなかった。なら、今度は我らの番だ!」

 

それぞれ女真族は火竜騎兵の指揮官が、アイヌの戦士長と高砂の戦士長が言い切った。

 

「皆、ありがとう。あと、ほんの少しだけ待っていてくれ…時は近い」

 

そう言い、オンテギは再び瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

「もういい頃合いだ」

 

徐に立ち上がったオンテギはそう言い、本営の自らの席の真裏に立つ巨木から梢を一振り捥ぎ取り、その先端に鏃を付けて、一本の矢を拵えた。

 

それは薄く薄く、透けるほど薄く研ぎ澄まされた緋斑鋼の鏃がついた矢だった。

 

その鏃には見覚えがあった。

 

それは、守り刀に使われているものと全く同じ大きさのものである。

 

それは、オンテギ自身が自ら身に付けていたものを、シシガミの森の梢から作られた枝矢の先に、施したものであったのだ。

 

その矢を番えると、オンテギは太陽目掛けて鋼弓を引き絞り、ひょうと解き放った。

 

解き放たれた矢は、真っ直ぐに昇りつめ、その鏃を太陽に突き立てた。

 

日輪に食い込み、射貫いたその矢は、鏃と共に太陽を一瞬の静寂の後で、激しく燃え上がらせると、その鏃越しに太陽の光を透かし通したようなまばゆい光で、見る者すべての目を眩ませた。

 

その光はタタラ場を囲む数万の武士たちに容赦なく降り注ぎ、全ての者から、少しの間とはいえ視界を奪った。

 

僅かな間、真名己(まなこ)を失った者どもに対して、深く暗き森の中で護られていたもののけ達だけは皆、その光に驚嘆し、恍惚とはしつつも、己を見失わずに済んでいた。

 

オンテギが叫んだ。

 

「時は来た!さぁ、今こそ勝利を掴む時だ!」

 

「皆、このオンテギに続け!」

 

そう叫ぶと、オンテギはナゴの守の背中に飛び乗り跨り、タタラ場を囲む数万の軍勢を指で指し死召(しめ)した。

 

『戦士達よ!我とオンテギ公に続け!猪神族の誉れを示すのだ!』

 

オンテギを乗せたナゴの守が武者震いしながら駆け出すと、すべての者が後に続いた。

 

『私たちも共に往こう。さぁ、お前たち、正念場だよ。犬神として恥ずかしくない振る舞いをしなさい』

 

モロの君がそう言い、子供達と共に駆け出す。

 

「我ら女真の忠勇なるを心地(このち)に轟かせるぞッ!火薬を朝露で濡らすなよ!馬に鞭を入れろ!大天子様の御前で、牛馬の労を惜しむなッ!」

 

女真族の『金青狼旗衆』からなる火竜騎兵の指揮官が麾下の戦士達を鼓舞して、石火矢を振り掲げながら馬に鞭を入れた。

 

一千騎が一つの流れとなって奔り出す。

 

「アイヌの民も闘う!猪神様達が拓かれる道を押し広げるぞ!」

 

「高砂の戦士もだ!大王様とナゴの守様に続け!黒鉄の森の確固たるを知らしめよ!」

 

山の民であり森の民でもあるアイヌと高砂の戦士達も、これらに続き山を降りて行った。

 

彼らは機動力において山犬や猪や騎兵に劣る分、山や森を利用して、浸透しながら、逃げ出した侍たちをどこまでも追いかけて行き狩ることで、その野盗化を防ぐ役目をも負っていた。

 

「姉様!サンたちも父様のお側へ!そこが一番、敵がいっぱいいる場所だ!あんな奴ら、父様の手を煩わせるまでもないよ!」

 

先頭のオンテギとナゴの守の真後ろに続く山犬たちと徒歩で並走しながら、タタラ場の姫サンが、山犬の姫サンに呼びかけた。

 

その手には緋斑鋼の槍がある。

 

既に千人近い侍どもの血を吸いながらも、その神聖さは不可侵のままだ。

 

「あぁ、私たちも前へと(すすも)う!臆病者の相手なんか、私たち二人で充分だ!オンテギ様に献げる為に、居並ぶ奴らの首を尽く噛み砕いてやる!」

 

妹分の言葉に応えて、山犬の姫は猛り吠えた。

 

その手にはアサノ公方の幕僚を粗方殺し尽くした時に使われた槍ではなく、初日の初陣後にオンテギから授けられた緋斑鋼の山刀が握られている。

 

こちらも、タタリさえも斬り裂いて前へ進まんとする、神聖なる強い輝きを放っていた。

 

「進め!既に、策は成った!」

 

オンテギに率いられて走り出した三千余りの軍勢は、十五倍する敵軍目掛けて真っ直ぐに駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

対するアサノ公方側は、この動きを好機と捉えていた。

 

彼らが連日警戒し続けたのは偏に、初日散々ぱら自軍を打ち破ったオンテギの手腕と、その精強無比な手勢と、それらが合わさって繰り出される予測不能な動きで在った。

 

その為、アサノは背面を突かれるという恐れを熟知した上で、ここの防柵を敢えて手薄にして、引き換えに残余の地雷火すべてを投入した。

 

突撃してくる猪どもを今度こそ地面ごと吹き飛ばしてやる。

 

そうでなくとも、背後からの突撃さえ阻止できれば、どこへなりとも逃げられると考えたのだ。

 

突然の眩い光に目を灼かれたのはアサノとて同じであったが、それでも彼は快哉をあげた。

 

「かかったな!バカめ!地雷火の用意をしろ!(くらや)んだ日輪の光を取り戻すためにも、あいつらを天まで打ち上げ、燃え上がらせろ!」

 

脇目も振らずに、山を降り、森を出て、物凄い勢いで直進してくるオンテギの軍勢に対して、逸早(いちはや)く己を取り戻したアサノが恐慌しようとする自らを叱咤するように叫んだ。

 

だが、その声に呼応して、並べられた地雷火の導火線に火を点けた瞬間に、暗く堕ちていた太陽は今一度輝きを取り戻し、その光をジリジリとアサノの軍勢に照らしつけた。

 

「うっ、眩しいッ!?なんだ!今度はなんだッ!?」

 

すると今度はポツポツと、次から次に雨粒が天から降り注ぎ始め、それは直に横殴りの晴れ雨へと変わった。

 

その晴れ雨が、傘で守られた地雷火の火薬を湿気らせ、導火線の火をも絶やし、無力化するほどにまでなるのは、瞬く間の出来事であった。

 

策の概要は知らされていなくとも、敵の明らかな恐慌を感じ取ったナゴの守は確信と共に叫んだ。

 

『天佑は我らに在りッ!!御盾衆よ、我と並び奴らの土手っ腹に穴を開けろ!戦士達よ続け!正面から全てを踏み砕くのだッ!!!』

 

親衛隊の御盾衆を両脇に固めて置き、一枚壁となって押し寄せる猪達の姿は、まさに猪突猛進の言葉通りであった。

 

『お前達っ!猪達に遅れを取るんじゃないよ!』

 

モロの君が子供達を叱咤しつつ、自らをも奮い立たせて突き進む。

 

「はい!母さん!タタラ場の!穴が開くのを待ってなんかいるもんか、オンテギ様の前に出るよッ!」

 

今度は山犬の姫サンがそう呼びかけると、兄弟を加速させた。まるで、ついて来れるならついてこいと言わんばかりに、風と一つになる様に。

 

「うん!姉様!父様が腕を奮わずに済むように、代わりにサンたちが敵を真っ二つにしなくちゃ!」

 

姉貴分の山犬の姫からの挑戦状を真正面から受け取ると、タタラ場の姫も自らの両脚だけで、猪も山犬も突き放すが如き疾駆を披露する。

 

『その意気だよッ!娘たち!さぁ、お行き!』

 

モロは二人のサンを一重ねにして、そう激励を送った。

 

先頭集団に続いて、女真の騎馬隊が雨の止むのを待ってから、石火矢の覆いを外した。

 

先頭の指揮官が振り向かずに言葉を擲つ。

 

「猪神達の開けた穴の中に飛び込み、その火を吐け!奴らを蒸し殺すのだ!」

 

凶暴な火竜は一つの流れとなって、ぴったりと先頭集団と間隙なく続いた。

 

遥か後方、全体を俯瞰しつつ零れ落ちる敵の掃討を任されているアイヌと高砂の戦士達は二手に分かれつつ、薄く広く、山裾に展開した。

 

彼らはその凹凸に身を隠し、或いは木の上から矢を構えながら敵を待ち構え、或いは先頭集団が荒らすであろう戦場を掃討する為に追従する姿勢に入った。

 

「我らは掃討に回ろうッ!森を穢す者どもを掃き清めるのだ!」

 

アイヌの戦士長が戦士達を鼓舞し、自らも森の中で息を潜めた。

 

「恐れ慄く者どもなど、わざわざ手に掛けるまでもない!敵の将を見つけて討て!一人で戦わず、囲んで滅ぼせ!」

 

高砂の戦士長が勇敢にも、猪と山犬と騎馬の後顧を絶つ為にも、更に前進を促し、自らも乱戦に備えた。

 

シシ神の森とタタラ場を巡る大戦に終止符を打つべくして鳴らされた、最後の戦いが今訪れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

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