ジコ坊と猩々たちは、共に森の中を礫のように走り抜けた。非常に短い時間で目的地へは到着したのだが、そこではすでに片が付いていた。
「なんじゃ、見逃してしもうたかっ…つまらん」
ジコ坊が毒づいたように、彼らがアサノ公方の少数の手勢と古いニンゲンの末裔だと思しき謎の集団との戦場に辿り着く頃には、既に戦闘が終わっていたのだ。
「ふむ、アサノは死んだのか?或いは…」
ジコ坊はそう言い、森の中から辺りを見回した。
街道上では、謎の集団が動かなくなった武士たちに念入りにとどめを刺しており、掃討へと移っているようである。
「ふむ…服装から言って、それにあのアカシシの乗騎を視るに、彼らは古い書に伝わるところのエミシの一族のようだな」
『…エミシ?』
ジコ坊を囲むように森の中に満ちている猩々たちの中から、そんな言葉が漏れた。
「然り。東と北の果てのいずこか、隠れ里にでも潜んで生きておった者どもが、どう言うわけか遥々こんな西の地まで来おったのだ」
ジコ坊は視線をエミシたちに固定し、素早く視線を彷徨わせながら応えて言う。
「…ん?おぉ!あれだあれだ!あの戦士だな、さっきの鬼神の如き働きをしていたのは!」
そして、視線の先に見つけた、青い衣と赤い頭巾を纏う戦士の姿に快哉を上げた。
「うーん、しかし…どうやらアサノも大概悪運が強いと見た。見てみよ、奴だ。まだ生きておるぞ、縄でふん縛られて転がされてはおるがな」
ジコ坊が指差す先では、確かに胴鎧も刀剣も外されて着物だけになったアサノが、荒縄で縛られて転がされているのが見えた。
「ここまでの働き、あれがアサノだと知ってのことだとは考えずらいのだが…それはさておき、武士の仲間ではないことも確かなようだ…どれ、もう少し近づいてみるか」
向こうが気付いてくれれば儲けものとばかりに、ジコ坊はそう言って更に森の中を進み、間近にあのアカシシに跨り、青い衣と赤い頭巾を纏う戦士の姿が見える場所に陣取った。
「さぁて、どうなるかな…と、早速か!見よ、アカシシが身を捩っておる。ありゃ、気づかれたな」
ジコ坊が言うが速いか、視線の先で、アカシシに跨る戦士が腕を上げた。
「どうしたアシタカ!何かあったか!」
「静かに!ヤックルが何かを気にしている…ヤックル、どうしたんだ?敵か?…敵ではないようだ!では…」
集団の動きが止まり、緊張が走る。
『アシタカ』と呼ばれた戦士の首が、バッと森の方へと向けられた。
ジコ坊は視線の先にいる戦士と、目と目が合ったような気がした。
「…我が名はアシタカヒコ!遥かなる呼び声に従い、一族を連れて、東の果てよりこの地に参った!そちらの森の中に座すは、この地に住まう古き神々の仲間かー!」
戦士はアカシシから飛び降りるや頭巾の口元を晒し声を張った。
よく通る澄んだ声である。だが、幼い声でもあった。
その面持ちは、その声に似つかわしい、青く幼く、しかして意志の強さ漲る少年のものであった。
「驚いたな、まだ少年ではないか…だが、アレが大天主様の仰せであった『青いの』の正体で違いなさそうではある…どれ、拙僧らも姿を見せよう」
青い衣に赤い頭巾の戦士の正体を確信したジコ坊は、そう言って森の中から姿を表した。
「人間?いや、猩々たちだ!」
「なんと夥しい…では、先頭に立つあの僧形は?猩々のヌシか?」
『アシタカヒコ』と名乗った少年の元には、続々と戦士たちが集まってきた。
やはり、少年は若くして戦士たちの長であるらしい。
ジコ坊は勘違いを正そうとはせずに、まずは名乗った。
「いかにも、拙僧はジコ坊と言う。我らはシシ神の森に住まう古き神々に連なる者どもである。また、この地で森と共に生きることを選んだ新しき神々に連なる者どもでもある」
「要するに、もののけの仲間というやつよ」
と、ジコ坊は面白そうに言った。
「アシタカ、どうする?」
視線の先で、周りに集まる戦士たちから問われた、青い衣を纏う戦士アシタカは怖気付くこともなく一歩進み出ると、曇りのない眼をジコ坊と猩々たちに呉れながら、懐の中から探り当てた代物を掲げた。
「ここに、一通の書状がある!我らエミシに、正確には私アシタカに宛てて書かれたものである!」
言うからには今の事態とは無関係ではない。
「ふむ、書とな…して、中身について聞いても構わぬか?」
ジコ坊は頷き、先を促した。
「中身については、直接…鐡打之御天戯様に問い質したきことがある、としか今は言えぬ」
「なぜ言えぬ?」
「これは我が一族の存亡に関わる、重大事だからだ。私の浅慮のみで決めてよいことではない」
「そなたは長ではないのか?」
「つい先日、長となった。だが、今の私は一人の戦士である」
「ふむ、よく理解した…なら、話は早い方がいい」
アシタカの返答にジコ坊は満足げに頷くと、エミシの人々を促して言った。
「皆の衆!拙僧について参れ!そのオンテギ様に逢わせてしんぜよう!」
だが、当然ながら動く者は居ない。アシタカ一人を除いて。
「アシタカ!行くのか?あの身形、猩々ではないことは明らかだぞ?」
戦士の一人が問うが、アシタカは強く頷いた。
「はい。悪い人には見えません。それに、ヤックルが落ち着いている。猩々たちも、とても落ち着き払っています。害意があるなら、此処に至るまでにもっとやりようはあったでしょう」
「しかし…」
渋る戦士たちに、アシタカは諭す様に、だが強い意志を込めて言った。
「皆にはここで待っていて貰いたい。私一人でまずは、この書に書かれてあることが真であるか、あの遥かなる呼び声の持ち主がよきものであるかを、この目で見定めて参ります」
「…必ず戻れ。アシタカヒコや、そなたは我らの希望ぞ!」
「…はい。必ず」
戦士たちはまた、こうも付け足した。
「それに、若い妻を置いて逝くなよ?」
言われて、アシタカの顔が和らぐ。
「わかっています。ヒイ様とカヤにも、このことを伝えてください」
「あぁ、任せておけ」
そうして、アシタカは戦士たちと別れ、一人で深く暗き森の中へと分け入って行った。
急ぐでもなく、アシタカに歩調を合わせる様な速さで進む猩々たちを追っていると、タカタカという音が近づいて来た。
「貴方は先ほどの…」
「や、や、天晴れな胆力じゃな。拙僧、こういう感覚を覚えるのは二度目よ。二度目でよかったと心底思うわい」
ジコ坊である。
彼はそう言いながら、先頭から駆けて最後尾まで戻って来たばかりだというのに、アシタカの横に並ぶと苦もなく歩き出し、剰えくっちゃべりだした。
「ところで先ほどの話だが、拙僧が見るにそなたらはエミシの民であろう?そなたらが暮らすのは人里離れたところと相場が決まっておるが、その書状、いったい誰が届けたんじゃ?」
ジコ坊は元はと言えば策を弄して事を成す、師匠連の下部組織として実働してきた唐傘連の指揮官である。
教えてもらわずとも構わぬが、本人の口から聴けることは、聴ける分だけ聴いておくという価値観が、未だ強く残っているのだ。
それは癖のようなもので、好奇心とは切り離された別のところで作用していた。
「…貴方が悪い人だとは思いません。しかし、オンテギ様へと直接、お伺いしたいことがあるのです」
「ふむ…では、孫一という名に覚えはあるか?」
「…なぜその名を?お知り合いなのですか?この書を届けてくださったのは…その、孫一殿なのです」
ジコ坊の問いかけにアシタカは逡巡したものの、結局は届け主の名を吐いた。
それを聴いて、ジコ坊は心底愉快な気持ちになってしまい、年甲斐もなく噴き出した。
「ぶふッ!ぅあはっはっはっはっはっ!いやぁ~、まいった、まいった。流石は孫一殿だ!道理で姿が見えなんだわ、拙僧の次はエミシの戦士ときたか~!」
ここ最近、茶飲み友達でもある孫一がいなかったのは世話役としてではなく、折衝役として動いていた所為だったのだ。
だが、あのオンテギがジコ坊に隠し事をするはずもない。
となれば、拙僧が知らなんだこれはエボシ御前の采配であろう…と、そこまで冷静に分析してから、ジコ坊は気を悪くするでもなく、表情を引き締めてから改めてアシタカに顔を向けた。
「ふふ…その様子では、どうやら親しい間柄のようですね」
アシタカが世慣れていない和かい微笑を浮かべてそう言うので、ジコ坊の心にはイタズラ心が湧いた。
「それはオンテギ様…大天主様にも言えることであるな」
「そうなのですかッ!?それは真ですか?」
ぐわっと迫る美形にたじろぎつつも、ジコ坊は落ち着き払って之に応じて言う。
「おおぉ…イヤに食いつきがいいな…真も真よ、頼り頼られ、貰い与えられの関係性ではあるのだがのぉ…」
「…そう、なのですか…」
「貴殿、それほどまでにオンテギ様にお逢いせんと欲して、実際、逢ったればどうするのだ?」
ジコ坊の脳裏に蘇ったのは、あの無駄に霊験灼かそうな寺院での暮らしであった。
貰いすぎもいいところ、与える側に回れたことなど一度もないのではなかろうか…と、オンテギだけが思いついてもいそうにない考えを巡らせる。
ジコ坊の問いに、アシタカは須臾、俯き、クンッと顎を上げると、決意を認めた瞳でジコ坊に言った。
「…曇りなき真名己で見定めるつもりです。私たちをどうしてここまでお導き下さったのか…そして、書状に書かれていることは真なのか、を」
「そうか…」
「やはり」とは言わずに、ジコ坊は唸った。
やはり、自分と同じように新たな被恵者であるらしい。
つまりは、同時に新たにオンテギによる被害を賜ることが運命づけられた者であるとも言えた。
ジコ坊は途端にアシタカに対して強い同情心を寄せつつ、老婆心ながら少しでもその困難を少なくできるように働きかけることにした。
「…先に答えを言って遣る故、貴殿は心の準備をしておくことだ」
「心の、準備ですか?」
意図を掴みにくい言葉だが、アシタカにはジコ坊の気遣いが如実に感じとれていた。
少なくとも、書状の中身は真である可能性が強まった。
そう、信じることが報われることへの希いをより確固たるものとして強めつつ、アシタカは喜びは面に出さずに先を促した。
ジコ坊は強く、そりゃもう、強く頷いた。
「うむ、そうだ。心の、準備だ」
悪いものではないが、悪いことが皆無ではないらしいと解釈したアシタカは黙って頷いた。
「拙僧は貴殿をオンテギ様に逢わせるが、実のところは嵐の難に遭うのとそう変わりないことになるであろうな…いや、そう身構えるでない!心配せずとも、大天主様はそなたらを取って食ろうたりなどはせん。ただ…」
「ただ…何でしょうか?」
咄嗟に身構えるのが分かりジコ坊が制すると、素直に落ち着きを取り戻しつつも視線は強くジコ坊に固定されたままのアシタカ。
ジコ坊は溜息を一つ。
「はぁ~…ただな…もし、その書状の中身に、何らかのものを『与える』やら『贈る』などと書いてあったれば、相応の覚悟をしておくことだ」
「……」
沈黙が答えであった。
ジコ坊は慰めてやりたくなったが、起こってからでなければその意味は分かるまい。
「うむ、よ~くわかった。ま、そう構えずとも今更、大したことなど起きん。何が食いたいかでも考えておくことだ」
「でないと、貴殿も腹が膨れるまで拙僧の味噌粥を流し込まれるぞ」と怖いことを言いつつ、ジコ坊は猩々たちに速度を上げる指示を出した。
無論、ジコ坊の発言は彼なりの気遣いだと思われたし、なんなら心の準備云々まで冗談か怖がらせの類だと、アシタカは解釈していた。
会話から世慣れていないことを様々に自覚しつつ、その耳が蹄の岩を打つ音を拾い、振り返った。
「ヤックル!ついてきてしまったのか…皆の元に戻っていろ!」
アシタカは文字通りに身一つでと思っていたから乗騎であるアカシシのヤックルを置いてきていたが、そんなことお構いなしのヤックルはアシタカを追いかけてきたのだ。
ジコ坊との歩き話が予想外に面白く、また続いたことも駆け足で進む一団に追いつく為にヤックルが蹄で距離を稼ぐ時間になった。
「さ、アカシシに乗りなさい。そろそろ森を抜けるぞ、そこから先は修羅の庭だ。今度こそ、身構えの一つでもしとることだ」
「走るか、え?ほれ、しっかりと着いて参れよ」
ジコ坊はそう言うと、タカタカと高下駄を鳴らしながら森の中を身軽に駆け抜けていく。
「…ッ!ヤックル!私たちも行こうっ!」
唯者ではないとわかってはいたが、先頭を目指してぐんぐん遠くなる背中を見ていれば、その予想が遥かに裏切られたことを知る。
その呼び声を受けて、一人と一頭も駆け出した。
並びかけてきたヤックルの角に手をかけて跨ると、アシタカは頭上を駆ける猩々たちを次々に抜き去りながら、遠のくジコ坊の紅白の衣を目印に先頭を目指した。