オンテギ・ウルト   作:ヤン・デ・レェ

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外伝
外伝1:御前見立


神も仏も、ましてや只人の男になど心を許せるはずもなかった。

 

ほかならず、私を幾何かの明銭と引き換えに売り渡した肉親とて、或いは強かなばかりの町女であれ。

 

それは私が心を置くには、あまりにも心もとないものだった。

 

さしたる理由もなく、生まれ、育ち、生き、老い、死ぬ。人とは言うなればただそれだけのこと。

 

時代や国や思想やらが、私を無数の粟粒の一つに還元して、噛み潰しながら生き永らえようとしているのを感じ。

 

その最中に、獄につながれて、枷に蝕まれた私の暗がりの蜷局に、無遠慮にも光の矢を打ち込んだ者がいた。

 

異国の、残虐千万の南蛮人の船を襲ったオンテギの一家だった。

 

先頭に立つ大男が私たちの囲いを、文字通りに素手にて引き千切り、その腕の、その足の枷と握り潰して外した。

 

「それじゃあ、もう、みんな自由ということで」

 

そんな言葉を吐いてから、身綺麗にさせられて、山盛りの飯を食わされた。

 

呉れてやれるものも、欲しがられるものも一つしかなかったが、意外にも私は冷静であった。

 

いいぞ、私を抱くがいい。

 

いつの日にか、そう、いつの日にか、その腕を食い千切って独立してやるとも。

 

そう考えて、閨に呼ばれることを待った。

 

だが、待てど暮らせど、その時は来なかったんだ。

 

船内ですれ違うたびに、流し目を送ってやるが、当の男は知らない視線で私を真名差(まなざ)すばかり。

 

怯えとも期待とも知れない瞳が私を貫いていた。私の奥底に眠る、何か熱く重たい代物の眠りを揺さぶり起こすかの如く、それは熱心で真摯なものだった。

 

求められていることも分からず、誰もが同じ程度にマシな服を着て、身綺麗にして、たらふく飯を食わせてもらい、夜は何に脅かされることもなく眠った。

 

その中の、安穏の一部に自分自身もが住んでいる。ただ、住んでいる事実に、私は安堵と、それから不可思議な不満足とも、歯痒さとも言い換えられるものを抱いていた。

 

息をする。潮風の、海の匂いだけがした。

 

脅かされない時間が長くなり、時折、あの男が飛び乗っていって、明人や和人や南蛮人の船を襲い、持ち切れないほどの宝を持ち帰ってくるのだった。

 

オンテギはそれを惜しみなく全員に配ってしまう。飯も酒も金銭刀剣も、もしかしたら自分を傷つけられるかもしれない石火矢さえも。

 

オンテギは与えるばかりで、一度として私から何かを取り上げたことはなかった。

 

オンテギに貰うばかりで、私は何一つとしてこの男に返しても、与えても、いないまま息をし続けていた。

 

できることはある。していることもある。なんの仕事も与えられていない者など、この船の中には一人としていなかった。

 

どんなに些細なことであれ、オンテギは仕事を作り、それまでみんなに配ってしまったのだった。

 

結局、オンテギが私から奪うことはなかった…いや、よく考えてみれば二つだけ奪われたものがあるかもしれない。

 

そのうちの一つは、私がオンテギからすべてを奪ってやろうという気概そのものであり。

 

もう一つは、これは実に、陳腐にも冴えわたりながらも、私の心の置き場所だ。

 

王道楽土をこの世のどこかに、私自身がこの手を以て作り上げるという夢にばかり、本来ならば私の心の所在は定められていたはずだというのに。

 

よりにもよって、この質の悪い、恰も神仏にも類する『もののけ』が如き偉丈夫に、その夢の筋道への確信を見出す羽目になるとは。

 

これは喜劇であろうか、悲劇であろうか。

 

いずれにせよ、そこには憎悪を見出すことなど、オンテギを憎しみ恨むことなど、私には出来なかったのだから。

 

だから、その問いへの答えもまた決まったようなものだろう。

 

 

 

 

 

 

 

オンテギが陸の上に城を欲しがった時。その呟きを拾った時。

 

私は確かに歓喜した。

 

元は奴隷でしかなかった身の上で、いったい何ができるというのか。

 

そんなことは誰よりも自分自身が理解していた。

 

だが、それでも、自分の心の置き場所が、今まさにそこに現れたように感じたのだ。

 

幸福な確信が、よもや天から降ってくるなど誰も思うまい。

 

そして、確かにそれは天からの賜物などではなく、物の怪染みた偉丈夫の、何気のない呟きから生まれてきたものだった。

 

私は問い、そして、またも与えられた。

 

オンテギが嘘のように正直者であることも、惜しみなく与える者だということも、この一か月に満たない間にも、既に痛いほどに理解させられていた。

 

だから、オンテギがやると言えばやるし、オンテギがやれと言えば誰であってもそれを成し遂げるのだ。

 

オンテギは果たせない約束をする人ではないし、報われない務めを課す者でもないことは明らかなことだ。

 

彼のことを、敬愛し、崇拝するこの船の者どもを見よ、この居場所のなかった荒くれ者どもの無垢な従順さを見よ。

 

彼らはオンテギの言葉以外には耳を傾けまいが、オンテギが言えば喜んで自死をも選ぶような連中だ。

 

彼らは…私を含めて、オンテギのために何かをしたくて堪らないのだ。

 

だというのに、専らオンテギは自分のことは自分でしてしまうので、誰も彼の個人的な用事に携わったり、頼りにされたり、捌け口に選ばれたりすることが今まであった試しがなかったのである。

 

ここにきて、彼の、オンテギの呟きを彼の個人的な願望だと解釈することは私の自由のはずだ。

 

なにせ、私の自由を保証したのは他ならぬ貴方自身であり、その範囲は限りなく広いのだから。

 

私は身勝手を承知で貴方の欲望の道と、自身の野望の道を、不埒にも交わらせて周囲に吹聴した。

 

果たして、私は周囲の関心を集め、交わった道の先で、確かにそそり立つ高い城塔の影を視るまでに至った。

 

その証に、何もかもが満たない、無知と衝動のみが内に跳ねる私を一端の知恵者として、一角の人物として船団の中で認められるようにと。

 

貴方は自分の右腕であるゴンザを何の衒いもなく差し出してくれたのだ。

 

さて、この賢く勇猛な大物の力を借りて、私は文字の読み書きに始まり、算盤の弾き方に、銛の打ち方、石火矢の撃ち方、荒くれ者どもとの折衝のコツまでを学んだ。

 

二三月も経とう頃には、幸いなことに物覚えがよかった私は、これらのことを他の誰よりも、貴方、オンテギを除くほかの誰よりも上達したと言えるまでになった。

 

そして、下準備が整ったことを貴方に伝えるや、貴方は惜しみなく自身の股肱であるゴンザと、精強忠勇なる明の石火矢衆を与えてくれた。

 

「もうね、ぜんぶあげちゃうから。これで頑張っておいで。頼んだよ」

 

そんな言葉で激励を受けて、私たちは母船団から身を切り離し、将来の王道楽土を築くために日ノ本へ、あの憎ましい故郷へと凱旋したのである。

 

 

 

 

 

 

誰のものでもなくなった海端の廃村に入植を始めた私たちには、すぐさま多くの敵ができたが、それは同時に多くの取引相手もできたことを意味していた。

 

与えられた船団の腹の底には物珍しい舶来品と金銀財宝が山のように積まれていたし、オンテギが考えた身綺麗にする習慣も場合により快く受け入れられた。

 

一概にして言えることは、私たちが「ただの倭寇ではない」ということが周囲に認識されたという点だろう。

 

なんにせよ、オンテギが住まい、私が野望を満たすための根拠地となる居場所の建設である。この事業を完遂するにあたって妥協は存在しなかった。

 

オンテギは時折、ここではないどこか遠くでの知識を呟くことがあった。それはしばしばのことであり、中には荒唐無稽なものもあったが、逆に非常に含蓄に富んだ、意義深い内容のものも少なくなかった。

 

その中の一つに、要塞建設に関することもあった。

 

曰く、彼が考える石火矢の効果的な使い方は防衛戦闘においてであり、防衛拠点の構造は角が飛び出したり引き込んだりしている星稜型の城塞が好まれる点、加えて敵との間を隔てる堀切は兵士が潜める程度の浅いものにしておき、敵が近づいてくれば潜ませていた兵士の石火矢に一斉に火を噴かせるものなのだという。

 

まるで見てきたように陸での戦い方について説明するオンテギは不思議の塊だったが、その不思議は今に始まったことではなく、彼の幕僚たるを自負する幹部連中は熱心に手元の冊子や板に彼の言葉を書き付けていたのを覚えている。

 

かくいう私とゴンザも、その内の一人であったというわけだ。

 

だが、そうなると要塞建設のためにも更なる人員の拡充が必要になることは自明なことでもあった。

 

ただ、先述したとおりに金はいくらでもあったので、この点は周辺や、少し遠い場所からでも奴隷商人の売り物にされていた者や、行く当てのない食いっぱぐれ、それから身売りされた娘などを方々から掻き集めて数を満たした。

 

仕事は文字通りいくらでもあった。岩や土を運び、溝を掘り、城の土台を作る力仕事には千人でも足りなかった。その上、それだけの人間が食い、眠り、出すのだから、これらの始末も重要な仕事だった。

 

力仕事は基本的に男の仕事であったが、汚かったり臭い仕事の時にはオンテギ一家の伝統に則り給料を倍にしたから不満はほとんど出てこなかった。

 

そもそも、寝床と食事が保証されているだけで大方は満足するものなのだ。オンテギ一家の清潔第一という考え方こそが異常であったのだが、そんなことはこれから私たちが常識に変えていけばよかった。

 

拠点の整備が進むと、いやそれ以前から、私たちの豊富な資金力に目を付けて、地場の有力者からの妨害が盛んにおこなわれていたが、その中でも最も執拗であったのがアサノ公方だった。

 

だが、どんな妨害が行われようとも、私たちが屈することはなかった。それもこれも、元を辿ればオンテギの御蔭だ。

 

彼が預けてくれた明兵の石火矢衆は、私たちが志願兵からやりくりした民兵に毛の生えた石火矢衆よりも遥かに、凶悪なまでに強大な戦力としてこの『タタラ場』を守護してくれた。

 

そう、いつぞやから、人々はこの地を『タタラ場』と呼ぶようになり、拠点の最深部に建設された城のことを『天主閣』と呼ぶようになっていた。

 

天主閣はいずれオンテギが住み暮らし、この地の繁栄を象徴づける役割を与えられた建物だ。

 

そのため、柄にもなく私もこの建造物には金と物と手間と時間を惜しみなく掛けたのである。

 

だからだろうか、実用一辺倒のたたら製鉄場や石火矢工房や武骨な宿舎と公衆浴場が軒を連ねる中に在って、外郭まで整備されて見事に装飾された背の高い豪奢な建物は、この地に住まう誰しもにとって、文字通り今の夢のような暮らしを保証してくれた天上の主が住まう御座所に見えて仕方がなかったのであろう。

 

その気持ちは、私自身もよく理解できたが、それ以上に、そのことを私自身が誰よりも強く意識してこの城を建てたのであるから、ある意味では意図通りの効用を得られたとも言えるだろう。

 

私たちの拠点は日に日に形を整え、遂にオンテギを迎え入れるに至る。

 

直前にはアサノからの大規模な侵攻もあったが、これは鎧袖一触に撃退してしまったがために、あまり多くを語る必要性を感じない。

 

それよりもだ、オンテギは陸の上に上がっても相変わらず規格外だった。

 

製鉄の為に水が悪くなったと聞けば、毒の届かないほどの深さから湧き出す無尽蔵の水源を掘り当てて見せた。

 

また、過剰に山を切り開かずに済むようにと、日ノ本以外の異国の地…高砂…にまで開拓船団を送り込み、現地で騒乱が起これば身一つで乗り込んでいって鎮圧してしまったのだ。

 

今ではオンテギと言えば『四海を統べる倭寇の大頭目』であると同時に『高砂国の蛮族の大王』でもあるらしい。

 

高砂製の高品質な鉄が明や朝鮮から銀や銭を吸い上げている現状を鑑みれば、それは確かに事実に違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

オンテギが明から持ち込んだ灰吹き法により、荒銭から金と銀が取れるようになった御蔭で、私たちの財政状況は健全を通り越して富強の域まである。

 

彼が掘り当てた水源に依り灌漑農業が可能になり、山や海からの狩猟採取や漁獲と並行して食糧供給も非常に安定していると言えるだろう。

 

ついこの間、身売りされてここに来た農村出身の娘が絹の衣を買った話をしていたのを耳にした。

 

巷の男女の中には、飯炊き女と肉体労働者の男とで好き合って逢引きに及ぶ者まで出ているらしい。

 

遠からず、家庭というものが生まれ、そこからは沢山の子供が生まれることだろう。

 

思えば随分と遠いところまで来た気がする。

 

ここいらで一息つくのも、まぁ、悪い考えではないのかもしれないな。

 

だが、今の段階では、下についてきた連中が家庭や子供を持つことは物理的には可能でも、心理的には難しいだろう。

 

なにせ、頂点であるオンテギは女を抱いたこともない。親の顔も知らなければ、家庭や子供などとは縁のない人生だったに違いない。

 

だが、だからと言って女が嫌いだという訳でもない、と私は思うのである。

 

オンテギが私のことを、そういう風に見た試しはなかったが、私が彼のことをそういう風な眼差しで見た時には確かに恥じらいを覚えていたのだから。

 

照れ臭い、と顔に書いてあるような、満更でもないような表情には嘘などない。

 

そうとくれば、あとは相手のことだけだが…もはや、語るまでもないことだろう。

 

私は、オンテギの子なら喜んで生む。

 

いいや、言い方を替えるべきか、私はオンテギの子を生みたい。

 

願わくば結ばれて、夫婦として。

 

叶わずとも彼の女としての自分の証を残したい…と、最近は特に強くそう希うようになった。

 

…悩んでいても、何も始まらない、か…。

 

今晩、私は彼に問おうと思う。そして、私が、自分で、想いを伝えようと思う。

 

上手く行くかはわからない。その先で、私が貴方を憎まないかもわからない。

 

だが、ここで引けば、憎しみすら手にすることが出来ないことだけは明らかだ。

 

私は、私の想いの為に、憎しみさえも引き受けられる。

 

私は、それだけの女だ。

 

そうだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの晩、私はオンテギに抱かれた。

 

彼は初めてだったらしい。

 

私のことは聞かなくていいのかと、はっきりと聞いた。

 

すると貴方は言った。

 

「でも、今は私の腕の中にいる」と。

 

「それで充分だ」とも。

 

そうか、なら、私もそれで構わない。

 

夜が終わって、朝が来ても、私たちは暫らく互いの腕の中に留まっていた。

 

貴方は私の胸の内に住み着いてしまって、私も、心の置き場所を貴方に明け渡した後だった。

 

静かだった。

 

枷を嵌められる直前の夏は暑くて、紫陽花が咲いていた。

 

綺麗だった。

 

私は神仏も、物の怪の類も信仰するつもりはない。

 

今の私の道を形作るものは、そんな不確かなものではないからであり。

 

それは、ただ目の前にある、この逞しくも、私の頭の重みで痺れる程度の、可愛げと確かさを孕んだ何かだったからだ。

 

老成した相貌は、案外と愛らしくて、あまり堪え性がある方ではないらしいが。

 

そんなことはどうでもいいのだ。

 

この、不埒な二本のかいなの中に見つけた安息を。

 

私はこの先も守り続けたいと只管に想う。

 

来年には百には届かない程度の子供が生まれるだろう。

 

その中の一人は私と貴方の子供になるはずだ。

 

名づけるなら、何がいいだろう。

 

私は娘が欲しいと思う。

 

実の娘となら、貴方を取り合ってみたいと思うのだ。

 

私の娘くらいでなければ、私と貴方の相手は務まらないだろうからな。

 

もしも、娘ができたなら、その時はなんと名付けようか。

 

…そういえば、オンテギはよくよく寝言でサンと呟くな。

 

それが前の女の名前だとは思えん。

 

だが…そうか、サンか。

 

ならば…そうだな、それも悪くない名前だ。

 

いずれにせよ、生まれてから考えることにしよう。

 

そして、もしも娘が生まれたのならば…その名を貰い受けるとしよう。

 

寝言で呟くほどの名前だ。私の嫉妬を買うほどの女になれ、という意味をも込めて。

 

そう、サンと。

 

 

 

 

 

 

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