オンテギ・ウルト   作:ヤン・デ・レェ

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外伝4:タタラ場の娘、サン。

 

 

 

 

広いタタラ場の中を走り回る小さな影と、それを追いかける二回りも三回りも大きな影があった。

 

小さな影は軽やかで、飛び跳ねるように奔放に。

 

大きな影は確かな足取りで、しかして剽悍に、小さな影に付かず離れずついて行っていた。

 

軽やかに走り回り、ある方向に迷わず、わき目も振らずに向かっていく小さな影。

 

その影に掛けられた声は潮でよく焼かれていたが、酷くハッキリと周囲にも響いた。

 

「姫様ぁ!そう、急がんでくださいィ!転んじまいますよぉっ!」

 

その声はこの城の城代を務めることもある、自他ともに認めるオンテギ一家のNo.3であるゴンザこと権左衛門の声だった。

 

「いやだっ!サンはいそいでなくて、ゴンザがおそいんだよっ…っとと、きゃぁ!」

 

対して、声を掛けられたのは小さな白いずんぐりむっくり…ではなく、希少な唐の頭だけで編まれた絹より豪気な蓑を纏った少女。タタラ場に生まれた、オンテギとエボシの娘サンである。

 

ゴンザの声が響いて、サンがそれに答えて言ったか言わないかの頃合いに、ばったり転んだ。いったい幾らの価値があるのか計り知れない乳白色の衣を泥だらけにしながら、

 

「ほら、言わんこっちゃない!」

 

「い、いたくないもんっ…」

 

サンはそう言ってゴンザがさっと助け起こすのも待たずに、自力で飛び上がって鼻を啜った。顔には「すごくいたい」と書いてある。

 

「あーあー、そんな泣きそうになっちまって…顔にも泥んこがついてますよ」

 

傅に指名されてからというもの、すっかり親戚の叔父さんの風格が身に付いたゴンザが、自分の黒い絹の着物の袖で、構わずに泥も涙も鼻水も拭ってやろうと膝をつく。

 

「泣かないもんっ…サンは、父さまみたいにつよいんだからっ」

 

だが、それよりも早くサンも動く。ヒョイと身軽に飛び上がって、また走り出した。

 

「エボシ様にもよく似てますよー」

 

オンテギとエボシがド派手な祝言(?)を挙げて以来、様付けになったのはご愛嬌。顔のつくりなど、サンは母親にそっくりだった。

 

「ちがうー!サンは父さまに似てるのー!」

 

だが、そのことが本人はお気に召さないらしく、何故だか母親の方もそのことを面白がって矯正するつもりは無さそうである。

 

だからか、大抵はゴンザらのような見守り役どもが、その愛らしい不条理を食らうのだった。

 

「へいへい…あらっ、あそこに父さまがいらっしゃいますよ!」

 

「え!?」

 

あらぬ方向を見ながらゴンザがそう言うと、サンは唐突に立ち止まって顔を唐の頭でグシグシと拭う。ああ、それだけで一体何千貫が吹き飛ぶのか!ゴンザは財布が重くても、過剰な出費には敏感な性分だったので顔を青くした。

 

「父さま!サ、サンは泣いてなんかないよ!」

 

急いで取り繕った少女は周囲を見回すが、生憎と大人のズルい嘘である。当然ながら、サンの愛する父オンテギの姿は影も形も見当たらなかった。

 

「へへへ、嘘ですぜ」

 

ゴンザが悪い顔を作って笑いかける。そして、ついにひょいと小さなタタラ場のお姫様を腕の中に確保したのだった。

 

「うがーーッ!ゴンザのうそつき!うそつきは泥棒の始まりだって母さまが言ってたんだよ!」

 

じたばた暴れるものの、ゴンザも歴戦であるから効果は薄い。それと理解しているからか、論理で説き伏せようとサンは頭を働かせてそんなことを言った。

 

「そいつは本当のことですよ。なにせ俺ぁ倭寇の副統領ですからね」

 

「ううぅ…うそつきぃ…」

 

「いやいや、こいつは本当のことでして」

 

だが、生憎とこの男もオンテギ一家きっての頭脳派である。論理を競わせるのは分が悪かったようで、サンはようやく観念してゴンザの腕の中で安全に、丁重に運ばれることを享受したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

腕に抱かれて運ばれること暫し、いつも暮らしている天主閣からはずいぶんと離れて、工房街の片隅にひっそりと建つ鍛冶工房の前でゴンザの足は止まった。

 

「姫様ぁ、ほぅら、お父上様の工房に着きましたよ」

 

「んぅ…え!ほ、ほんとう?」

 

「今度こそ本当ですよ」

 

「父さま!サンです!お手伝いにきました!」

 

知り慣れた大男の腕の中で微振動にさらされること僅かにもかかわらず、朝からゴンザとの追いかけっこで体力を使い果たしていたサンは、一言で浅い眠りから覚めて目をパチクリ。一瞬、先ほどの嘘が脳裏を過るも、聴き慣れた金槌の音が耳に届くと、今の居場所がどこだか知り、また藻掻いた。

 

「はいはい、今おろしますからね」

 

「はやくはやく!今日の分がおわっちゃうよ!」

 

今度こそ拘束から解き放たれたサンはちゃっちゃか走りだすと、頑丈な工房の扉を大人顔負けの膂力で力一杯撥ね退けて入り、工房の中で一心不乱に鉄を打つ男の広く汗ばんだ屈強な背中にはっしと抱き着いた。

 

「父さま!」

 

「んぁ?サンか、よく来たなぁ」

 

サンが背中に抱き着いた男こそ、『四海を統べる倭寇の大頭目』にして『高砂の蛮族の大王』にして『タタラ場の大天主』であるところの『鐵打之御天戯』こと、我らがオンテギである。

 

因みに、『タタラ場の天主』と呼ばれるエボシ御前の夫にして、『タタラ場の姫様』ことサンの実の父親でもある。

 

サンが生まれて一人で走り回れるようになってからというもの、エボシも復帰したことで半ば暇になったオンテギは刀を鍛えることに熱中し、今日も今日とて鉄と向き合っているのである。

 

サンは生まれた時から父親っこであり、エボシの乳に吸い付いている時間よりも、父親の手足に纏わりついている時間の方が長かったくらいである。

 

「サン、火傷すると危ないから、まだ今は見てるだけだぞ?今日も、ちゃんと見ていられるか?」

 

「はい!父さま!」

 

工房の中は尋常のものよりも遥かに火が強いのか非常識に蒸し暑く、大人であってもいっそ熱くて居られないほどだった。証拠にゴンザは入りたくても工房の外で待つしかないほどで、中に入れるのはオンテギを除けば娘のサンとエボシくらいのものであった。

 

サンは慣れたもので、おまけに父親の血を継いだ娘なのだから耐性があるとまだわかるのだが、エボシがこの熱放射の中に平然と入っていけることはゴンザにとっても、誰にとっても不思議なことであった。

 

サンの定位置は炉から離された場所にある、分厚い革張りの座面で出来た丸椅子で、炉と金床での作業の様子がよく見える。もともとはオンテギが休めるようにとエボシが用意したものだった。

 

しかし、そもそもオンテギが疲れを知ることなどなかったので、それも今ではサンの定位置となり、時にはエボシが訪れて腰掛けるばかりである。

 

「よし、なら、そこにいなさい。ゴンザ!」

 

「はい!」

 

サンが椅子に落ち着いたのを見届けてから、鉄を打つ槌を下ろしたオンテギはよく通る声でゴンザに呼びかけた。

 

「サンを有難うな!いつも助かるよ」

 

「そんな、とんでもねえ!好きでやってんですよ、俺たちぁ」

 

「それでもだよ」

 

少しの間でもサンの相手をするのは尋常の人間には大変なことであり、こんなことを頼めるのは心身ともに申し分ないゴンザと残り数人程度のものだった。

 

その旨、可愛い一人娘を見守ってくれていることの感謝をオンテギは伝えるのだが、ゴンザは恐懼に堪えないと頭の後ろを掻くばかりだ。

 

「父さま!火ぃ!強くなってるよ!」

 

と、そこへ炉をじぃっと見つめていたサンが凛とした声を張った。言外にゴンザとの会話を切り上げて欲しいと言っていることが丸わかりだった。

 

「おう、ありがとうな。それじゃあ、ゴンザ、またあとでな!」

 

「はい!それじゃあ、俺はこのへんで。姫様もまた後で!」

 

理解のある大人の二人はそう言い合って、サンの「またね」を待つが来ない。御覧の通り、姫様のご機嫌は些細なことで傾くのである。

 

「ほら、サン。ゴンザにまたねは?」

 

「…またね、ゴンザ!」

 

見かねてオンテギが言うと、サンもちゃんと言葉を返した。ゴンザはお節介だと知りつつ、腰に括り付けてあった瓢箪の水筒を工房の入口に腕をすっと突き込んで置いた。

 

「姫様もごゆっくり、たまには水も飲んでくださいよ」

 

「わかってるよ!もう!」

 

引っこ抜いたゴンザの腕は汗でびっしょりだった。ほんの一瞬だというのに、火の中にいたように熱かったのだ。だのに、この親子、この夫婦は何でもないような顔でいられるのだから不思議である。

 

ゴンザにしてみればサンは仕方ないにしても、エボシのことをズルいと思うのは自然なことであろう。

 

いつも通りの疑問を脇に置き流しつつ、ゴンザは自分の仕事の為にも、針路を天主閣に割り当てられた己の執務室に定めて歩き出すのだった。

 

何度となく繰り返し往復した路。

 

路脇に連なる軒からは、どこからでも何かしらの物作りの息吹が聞こえてきた。

 

今日もタタラ場は強く、大きく呼吸している。

 

そこには、己の居場所と知れた奈辺に特有の『生き』の匂いがある。

 

この街で槌を振るい、針を繰り、鉋を掛ける、それら自分の仕事が無数に積み重なり、今の暮らしがあるのだということ。

 

そのことをゴンザのみならず誰もが、その匂いから強く感じているのである。

 

その匂いは、誇りであり自信であり。

 

何よりも価値ある、生を送っているという実感からくるものなのであった。

 

ゴンザがそうであるように、オンテギがそうであるように、エボシがそうであるように。

 

サンもまた、この匂いが好きである。

 

 

 

 

 

 

サンにとっての最も強い意味を持つ匂いは、父親の匂いであり、父親の打つ鉄の匂いであり、父親が打つ鉄を炙る炉で輝く火の匂いである。

 

オンテギが刀を打つようになった理由をサンは母親の口から聴いて育った。

 

曰く、サンが生まれて直ぐの頃に、エボシはオンテギから自分の鍛冶工房が欲しいと言われたのだという。

 

理由を尋ねれば、オンテギは人を斬ることが勿体ないほど見事な刀を打つことを決めたのだという。

 

更に尋ねれば、そもそもの理由はサンが大人になる頃には、タタラ場で作られた鉄で傷つけられる人が一人でも減れば好いと思ったからだと言うのであった。

 

エボシは反論するはずもなく、喜んでオンテギの要望通りの、小ぢんまりとした工房を作った。

 

初めのころはそうでもなかったものの、今では工房に入り浸れるのは持ち主のオンテギを除けばサンとエボシの二人だけだ。

 

オンテギは父親として自分ができることがあまりにも少ないことを気にしていたそうだ。

 

そして、思いついたのだ。

 

せめて、タタラ場という場所が、娘が愛せる場所になるように、娘の故郷としてふさわしい場所になるようにしようと。

 

人を傷つけるための道具を、自分のこの力を尽くして、到底人を傷つけることになど使えないほどのものに作り変えてしまおうと。

 

だから、そう決めた日からオンテギは、本当に鉄打ちになった。本当の意味で、鐵打之御天戯に成った。

 

彼が打った刀はタタラ場の主力商品の一つだが、その取り扱いは武器などではなく美術品としてである。

 

余りにも強靭で、余りにも切れ味鋭く、余りにも粘り強く、そして余りにも美しい刀剣は、世界の果て、顔の白かったり黒かったりする連中にも有り難がられている代物だ。

 

武器というものは本来、素晴らしい威力を持てば持つほど、実際に試してみたくなるように出来ている。

 

だが、その剣は持つ者にその剣で誰かを傷つけようという気持ちを抱かせない不思議な波を放つのだ。

 

ゆえに、オンテギの打った剣で傷つけられた者は、世界広しと見渡しても未だ誰一人として居ない。

 

今日も、その剣を有難がって誰かが買い上げては、見せびらかすように腰に佩くが、そうしたが最後、その剣が誰かを傷つけるために抜かれることは金輪際あり得ないのである。

 

ゆえに、オンテギは鉄を打ち続ける。

 

オンテギの奮う槌の音が、今日もタタラ場にこだまする。

 

その力強く猛々しい音に耳を澄ませば、澄ませる程に、サンは不思議と父親の優しさばかりを感じるのである。

 

だから、サンはタタラ場が好きだ。

 

父が呉れる音は天高く研ぎ澄まされて、真っ直ぐに娘であるサンの胸を衝くが、与えるものは直向きな熱を通じて、優しさと思いやりばかりである。

 

サンは、タタラ場が好きだ。

 

サンは、父が好きなのだ。

 

大きく広い背中に、堅くて険しい四肢も、母曰く微塵と変わらない容姿も、ぱっちりとした眠たげな優しい瞳の奥に棲む、得体の知れない強く激しい意志も。

 

サンは、何もかもが好きなのだ。

 

それは恐らく母エボシがそうであったのと同じように。

 

決して親子の関係に収まるものではなく、尋常の家族の形にも囚われない、山犬のようにしなやかで美しく伸びやかな想いに支えられているのだ。

 

そしてそれはいずれ必ず、確かなものとして叶えられる日がおとずれるであろうと、サンは幼くして確信を抱いているのだ。

 

なぜならば、父オンテギが母エボシにそう言ったように、サンもまたどこまでも自由な人間なのだから。

 

サンは父から貰った唐の頭の衣を炉の熱で炙りながら、山犬の白銀の毛並みのように、無意識にも堅く鍛えているのだ。

 

大の大人でさえほんの須臾も居座れない工房にて、一昼夜でさえ汗一粒とかかずに過ごせるのはサンと母エボシだけ。

 

サンはもののけと畏れられる男の子供で、もののけの嫁と畏れられる女の娘だ。

 

ならば彼女もまた、尋常の人間の道理の通じ得ない『もののけ姫』に違いない。

 

その日、炉の火は月が顔を出すまで消えなかった。

 

夜はひとっ風呂浴びてから、三人で夕食をとり、川の字になって眠った。

 

川の真ん中の一本線がオンテギであることなどは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

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