碇シンジはもう一人の自分(♀)に恋をする 作:崖の上のジェントルメン
……数日後。
夕暮れの中、碇レイはシンジたちに連れられて、ミサト宅へと出向いていた。
服はプラグスーツしか彼女は持っていないため、アスカから学校の制服を借りている。
「ただいま」
「はーっ!ようやく帰ってこれたわ!もうくたくた!」
「さーて、ビールビ~ル~♡」
扉が開き、家の中へと入るシンジ、アスカ、ミサト。
「………………」
だがレイは、その玄関の前で立ち止まった。
「……?どうかしたの?」
冷蔵庫からビール缶を取り出したミサトが彼女へ尋ねると、レイは伏し目がちに「い、いえ、なんでもないです」と告げて、家へと入った。
「えっと……お、お邪魔します」
「あら、そういうことね。いいのよレイちゃん?ただいまで」
ミサトが早速缶に開けて、それに口をつけながら話す。
「いや、その、一応私の知るミサトさんのおうちじゃないし、そもそも私はここの家じゃ部外者だし……」
「そんなこと気にしなくていいわよ~!ほら、性格が同じはずなら、きっと向こうの私も同じことを言ってると思うわよ?」
「同じこと?」
「『レイちゃん、ここはあなたの家なのよ?』」
「!」
そう、それは確かに……初めてレイがミサトの家に上がった時、言われた言葉だった。
レイは、どこの世界線であっても、ミサトさんはミサトさんなんだという事実に、少しだけ嬉しくなった。
「……あ、あの」
照れ臭そうに頬を赤くして、レイは言った。
「た、ただいま」
「お帰りなさい」
ミサトの柔らかな笑顔が、彼女を出迎えた。
「……じゃあ、夕飯を作りますね」
「はーい!シンちゃんよろしくね~」
エプロンをつけるシンジへ、手をひらひらと振るミサト。台所に立ち、腕をまくるシンジの横に、レイがやって来た。
「あ、あの、シンジくん……だっけ?」
レイはおそるおそる、彼の表情を伺うようにして声をかけた。シンジの方も緊張気味に「う、うん、どうしたの?」と聞き返した。
「あの、夕飯、私も一緒に作るよ」
「ええ?そんな、悪いよ。ゆっくりしててもらって大丈夫なのに」
「で、でも、今日からお世話になるし、何か……役に立ちたくて。それにほら、一人でご飯作るって、大変じゃない?」
「!」
「たぶん、こっちのミサトさんも、アスカも……だよね?」
「………………」
シンジはこっそりと、ミサトやアスカへ眼をやった。
「かーっ!ヤッパリこの一杯のために今日を生きてるって感じよね~!」
「どーしてこう日本のバラエティー番組って、浅はかで程度の低いモノしか放送しないのかしら!?」
片やおっさんとみまごうほどの飲みっぷりを発揮する三十路。片やテレビに文句垂れる傲慢高飛車お姫様。
「……君のところも?」
「うん、私のとこもおんなじ」
「そっか、それは……大変だったね」
「お互いにね」
二人は眼を合わせて、肩をすくめて笑いあった。
「じゃあ、手伝ってもらってもいいかな?」
「うん、任せて。あ、エプロンってある?」
「予備のがあるよ」
「ありがとう」
彼女もシンジから受け取ったエプロンを身に付け、交互に手を洗って準備を始める。
「今日のメニューは?」
「ハンバーグ。アスカが食べたがってたから」
「ふふ、こっちのアスカもハンバーグ好きなんだね」
「ごめん、冷蔵庫からキャベツ取ってくれる?」
「キャベツは千切り?」
「うん」
「じゃあ私、やっとくね」
「ありがとう、助かるよ。あっ、その引き出しにね、千切り用の器具があるから、それを使って」
「あっ!これ、私も持ってるよ」
「ほんと?」
「うん。便利だよね、これ」
「そう!最近買ったものの中で、一番のお気にいりだよ」
シンジは思わず頬を緩ませる。
「なんだか不思議だなあ。この家で他の誰かと一緒に料理を作ることになるなんて、夢にも思わなかったよ」
「ふふふ、私も同じこと思ってた」
「同居人が同居人だから、仕方ないんだけどね」
「ね」
二人は声を潜めて、ミサトとアスカをまた交互に見ながら、クスクスと笑いあった。
同じような境遇で、同じような価値観を持つ二人。そんな彼らの話が盛り上がるのは、必然だった。
「そうだ、あの、私のこと……『さん』付けしなくていいよ」
「え?」
「私たちって、何て言うか……双子とか、兄妹みたいなものだし、呼びやすい言い方をしてくれていいよ」
「そ、そう?じゃあ……えっと、レイって呼んでもいいかな」
「うん」
「ありがとう。僕のことも、呼び捨てで構わないよ」
「うん、ありがとう。でもなんか、シンジくんは、シンジくんって感じがする」
「ええ?どういうこと?」
「何て言うか、『くん』呼びが似合う、可愛い男の子だなって」
「そ、そうなのかなあ?よく分かんないや」
「ふふふ」
緊張していたのはほんの最初だけで、後はまるで旧知の親友のように、声を上げて笑いあっていた。
「……よし!ハンバーグ完成!」
「やった!いつもより倍以上のスピードでできた!」
「アスカー!ご飯だよー!」
シンジが呼ぶと、アスカがテレビを消して食卓へとやってきた。
「ほら、今日はアスカのご所望だったハンバーグだよ」
「ちょっと!サラダにピーマンが添えられてるじゃない!」
「こっちのアスカも、お野菜苦手?」
「苦手じゃない!食べる必要のないものは食べない主義なだけ!」
自分の皿からシンジの皿へとピーマンを移すアスカ。シンジもレイも、それを苦笑混じりに眺めていた。
ミサトは早速ハンバーグを一口食べて、「うんうん」と満足げに頷いた。
「美味しいわ!さすがシンちゃんね」
「今日は大分、レイに助けてもらいましたから」
「あら、さすがレディースシンちゃん。料理の方はお手のものなのね」
「そんな、シンジくんの方が上手ですよ。私、こんなに綺麗にハンバーグを焼けません」
「でも、僕よりレイの方が味噌汁の作り方が上手いよ。もっと優しい味をしてる」
「へえ、やっぱりその辺は若干の違いがあるのね」
ミサトは一缶目のビールを飲み終え、二缶目へと手を伸ばす。
「ちょっと、ハンバーグのおかわりはないわけ?」
「あ、ごめんアスカ、もうひき肉がなくて……」
「もー!用意が全然なってないわねー!どうして準備しておかないのよ!?」
「ご、ごめん……」
オロオロするシンジを見て、レイは助け船を出した。
「あの、良かったらアスカ、私の分少しあげようか?」
「あら?いいの?じゃあ遠慮なくもらうわ」
アスカはお箸でレイの分のハンバーグを半分に割り、片方を自分のお皿へと持っていく。シンジが渋い顔でアスカに告げる。
「アスカ……レイは今日来たばっかりなんだよ?ちょっとは遠慮をさ……」
「あら、本人があげるって言ってるものを断れって言うわけ?」
「はあ……全くもう」
シンジが申し訳なさそうにレイへと尋ねる。
「良かったの?レイ」
「うん、私は大丈夫」
「そっか、ごめんね」
「ううん」
ぱくぱくと食べるアスカに向かって、ミサトがニヤつきながら告げる。
「人のを奪ってまで食べたいなんて、アスカってばよほどシンちゃんの作ったハンバーグがお好きみたいね~?」
「ちょっと!変な言い方は止めてよねミサト!」
「何?じゃあ美味しくないってこと~?」
「ふん!まあまあね!」
そう言いながらも、食事を止める気配の全くないアスカを見て、ミサトはまたニヤけるのであった。
「あ、そうそう。レイちゃんはこれからアスカの部屋で寝てもらっていいかしら?」
「アスカのお部屋、ですか?」
「はあ!?ちょっとミサト!私のプライベートを侵食する気!?」
「じゃあ他にどうしろってのよ~。シンジくんのお部屋って訳にもいかないでしょー?」
「わ、私……リビングで寝てもいいですよ?」
「それじゃ寒いわよー!ね、アスカ。ここは一つ折れてあげなさいよ」
「はあ……分かったわよ、仕方ないわね」
「ごめんねアスカ」
「いいわよ、シンジみたいなケダモノの横に寝かせる訳にもいかないもの」
「ちょ、ちょっと!僕がケダモノだなんて言い方止めてよアスカ!」
「事実を言っただけじゃないの!何か文句でもあるわけー!?」
「お、大有りだよ!レイに変な勘違いされるじゃないか!もう!」
「ふふふ」
レイはアスカとシンジの攻防に、くすくすと小さく笑った。
いつもの三人に、プラス一人……であるはずなのに、まるで最初から四人暮らしだったかのように、レイは彼らの食卓に馴染んでいた。
……食事が終わった後、アスカはすぐに一番風呂を浴びに浴室へ行った。
ミサトはミサトで、机に突っ伏して微睡んでいる。彼女のそばには、ビールの空き缶が四つ並べられていた。
「ミサトさん、眠るなら部屋で寝てください」
「ん~、シンちゃん連れてって~」
「はあ……しょうがないな。じゃあ行きますよ?ほら」
ミサトの肩を担いで、彼女の寝室まで連れて行く。ベッドへと寝かせ、電気を消して扉を閉める。
「んがあ~……ずび~……」
もうイビキが聞こえ始めた。
「ふう……」
ひとつため息をついて、シンジはまた食卓へと戻る。台所では、先にレイがお皿洗いを始めていた。
「ああ、ごめんねレイ、僕も手伝うよ」
「ううん大丈夫、あと三皿だけだから」
レイはちゃっちゃと洗い物を終えると、手を拭いてエプロンを脱いだ。
「ふう、終わった~……」
ぐうっと背伸びをしたあと、そばにあった椅子に腰掛ける。すると、テーブルの上にシンジが用意したお菓子があった。
「これ、ミサトさんが貰ってきたお菓子なんだ。良かったら食べてよ」
「ウイスキーボンボン……ミサトさんらしい貰い物だね」
「あんまり食べすぎると酔うから気をつけてね」
「うん」
シンジも椅子に座り、二人でお菓子をつまみ出した。
「そういえば」と、レイがふいに呟いたので、シンジが「どうしたの?」と尋ねた。彼女はシンジの方へ目を向けて、話し始めた。
「シンジくんってさ、鈴原くんに殴られたことある?」
「あー、最初の頃にね。妹さんの件で……。もしかして、レイも殴られたの?」
「私は殴られはしなかったけど、『男やったら殴ってたで!』って、凄い剣幕で怒られたから。それで、男のシンジくんはどうだったのかなって」
「女の子は殴らない、か。トウジらしいや」
「でも、私が使徒と戦った後に泣いてるの見たからかな?『お前のこと誤解してた。ワシのこと殴ってくれ!』って言われたの。さすがに殴れなかったけど」
「ははは!トウジってばどこでも変わらないなあ」
「やっぱり、シンジくんにもそう言ってきたんだ?」
「僕は実際に殴られてたからね。トウジも『お前に殴られて、貸し借りなしや!』って感じのこと言ってたんだ」
「ふふふ、なんか青春って感じだね」
「熱いよね、トウジって」
レイはティッシュを一枚取り、チョコで汚れた指先を綺麗に拭った。
「鈴原くんのそういう実直なところが、ヒカリも好きなんだろうね。アスカはよく分かんないって言ってたけど」
「ん?え?ヒカリって……委員長の洞木 ヒカリさんのこと?」
「うん?そうだけど、どうして?」
「ええ!?じゃ、じゃあ、委員長ってトウジのこと好きなんだ!?」
「あ……も、もしかしてそっちでは、まだ二人、付き合ってない?」
「う、うん」
「うわ~!こっちでは二人とも付き合ってるから、てっきり周知の事実かと……!」
レイは目をぎゅっと閉じて、「ヒカリ、勝手に話してごめんね」と、ここにいない彼女へ謝罪を述べていた。
「ど、どうして同じような世界なのに、こうして差が出てるのかな?」
「私とアスカが応援してたっていうのが、大きい違いかも。それでヒカリに自信がついて、告白できたんじゃないかな」
「なるほど……。こっちでは応援できるのがアスカ一人しかいないとしたら、もう少し奥手になるかも知れないね」
「でも、どうなのかな?そっちの世界のヒカリも、鈴原くんのこと好きなのかな?それが違う可能性だってあるよね」
「う~ん……聞いた限りだと、世界が違うと言っても人の性格はだいたい同じみたいだし、それは変わらない気がするよ」
「そっか……。じゃ、じゃあ、このことはどうか内緒にしててね?ヒカリ、きっと恥ずかしがるから」
「だ、だね、僕も知らないフリするよ」
彼らは苦笑しながら、肩をすくめた。
((……なんだか、不思議だな))
この時二人は、全く同じことを同じ瞬間に感じていた。
シンジもレイも、男女の違いはあれど、根本の性格は非常に似ていた。
それは二人とも、他人への壁を作りやすい性格であること。
寂しがり屋でありながらも、傷つくことを恐れて、上手く相手へ踏み込めない。
「人に好かれたい」よりも、「嫌われたくない」の方が強い性格なのだ。
そのため、とにかく自分の気持ちを我慢して、従順であろうと努める。そういう不器用な生き方を選んでいた。
(でも……レイとはすぐに話せる。思ってること、なんでも言える)
(シンジくんとは初対面なのに、分かり合える安心感がある)
(人と話してて、こんなに安心できるのは……)
(……私、初めて)
齢14年という人生の中で、彼らは初めての体験をしていた。
この人になら、いろんなことを話せるかも知れないと、そう思う勇気が出ていたのだ。
「……レイは」
「うん?」
「何のために、エヴァに乗るの?」
「!」
「ごめん、変な質問だけど、どうしても訊きたかったから」
「………………」
レイは自分の手を見つめて、小さな声で語り始めた。
「お父さんに……褒められたくて」
「!」
「前に、空から降ってくる使徒を倒したことがあったの。その時にお父さんが……面と向かってじゃないけど、『よくやったな、レイ』って。私のこと、初めて褒めてくれたの」
「………………」
「私って心の奥底では、人類のためとか、みんなのためとか、あんまりそんなこと思ってなくて、ただお父さんに……また褒めて貰いたくて、そのためにエヴァに乗ってるのかも知れないなって、最近思い始めてたの」
「……レイは、父さんのこと嫌い?」
「……分からない。嫌いかも知れない。でも、好きかも知れない」
「…………」
「お父さんは私を捨てていった。だから正直、お父さんのことが憎い。第3新東京市に来いって手紙を寄越された時も、『誰が行くもんか!』って、手紙をビリビリに破いちゃったの」
「でも君は……その手紙を、またテープで貼り直したんだね?」
「……うん」
「………………」
「シンジくんも……お父さんのために、エヴァに乗ってるの?」
「……たぶん、そうなんだと思う。レイと同じで、あの時褒められたのが……本当に嬉しくて。それだけは、嘘じゃないって思えたんだ」
「……薄々感じてたけど、私たち、そっくりだね。顔だけじゃなくて、心まで」
「……うん」
レイが机の上に置いている右手を、少しだけシンジの元へ近づける。シンジも、同じく机に置いていた左手を、ゆっくりレイの元へ近づける。
「自分のこと、いらない人間なんだって、思ったことある?」
「私、今でも思ってるよ」
「そっか、僕もなんだ」
「……傷つくのが怖くて、みんなから距離を取ることってある?」
「そんなの、僕いつもだよ」
「そっか、私もなの」
シンジの左手と、レイの右手の指先が触れた。
「……私、ずっと孤独だったの」
レイはシンジへ顔を向ける。シンジもそれに伴い、レイへと顔を向ける。
「ずっとずっとずっと、私のことを分かってくれる人が欲しかった。優しくされたくて、構ってもらいたくて……」
「……僕もだよ、レイ」
「シンジくん……」
「………………」
彼らはじっと、互いの瞳を見つめあっていた。そして、だんだんと、触れあっている指先が絡み合っていった。
「上がったわよー!」
そんな雰囲気の中、アスカが声を張り上げながら登場した。
バスタオルで頭を拭き、シンジたちの前へ現れた。 はっとした二人は、即座に手を引っ込めて、目線を外した。
「ん?なーに顔を赤らめてんの二人とも」
「あ、いや!これは別に……大したことじゃ……」
「そ、そう!別に私たち、何にもしてないし……」
慌てて否定するシンジとレイを見て、訝しげな表情をするアスカ。
「あーっ!?あんたたち何で勝手にウイスキーボンボン食べてるのよー!?」
「あ、ごめんアスカ……」
「ちょっとー!ちゃんと私の分もあるんでしょーね!?」
話題があっさり変わったので、シンジとレイはほっと安堵のため息をついた。