碇シンジはもう一人の自分(♀)に恋をする   作:崖の上のジェントルメン

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第伍話 真夜中の散歩

 

 

 

……とある日の夜。台所で、シンジは食器を洗っていた。

 

程よい温度のお湯で大まかな汚れを溶かしながら、スポンジでもくもくと綺麗に落としていく。

 

「シンジくん、段ボールを縛って纏めといたよ」

 

レイがそう告げると、シンジは食器から目を話さずに 「あれ?明日段ボール捨てる日だったっけ?」と尋ねた。

 

「ううん。明後日だけど、結構量が増えてかさばってたから、今のうち纏めといた方がいいかと思って」

 

「ああ、そうだったんだ。ありがとう」

 

「うん」

 

この家にレイがやって来てから、家事はほとんどレイとシンジだけでするようになった。

 

本来ならミサトやアスカにも仕事はあるのだが、いかんせん彼女たちにはやる気の“や”の字もないに等しい。事実今も、ミサトは部屋で熟睡し、アスカはアスカで部屋に籠って雑誌を読んでいる。

 

「他に何か、私に出来ることある?」

 

「ううん、大丈夫だよ。もう僕も終わるから」

 

「そっか。じゃあ、シンジくんがお皿洗い終わるまで待ってるね」

 

「うん、ありがとう」

 

しかしそれでも、シンジとレイはミサトたちに手伝ってくれとは特段言わなかった。

 

その理由は、二つ。 一つ目は、今さらミサトたちに手伝ってもらっても、ろくな手伝いにはならないこと。仕事に慣れているシンジたちが早々と済ます方が効率が良いという、非常に合理的な理由だった。

 

だが、もうひとつの理由は、もっと感情的なものだった。

 

「シンジくんって、意外と背中おっきいよね」

 

「え?そうかな?」

 

「うん。なんだかんだ男の子なんだなあって思う」

 

「ん……なんかそう言われると、ちょっと恥ずかしいや」

 

「ふふふ」

 

そう。

 

彼らは、楽しんでいた。

 

二人で連携して家事をこなし、その最中にちょっとした談笑をし、仕事を終えていくのが楽しいから、ミサトたちに手伝ってもらう必要がないのである。

 

いや、必要がないを通り越して、この二人だけの家事の時間が欲しいとすら、彼らは思っている。

 

「よし!終わった!」

 

シンジは濡れた手を手拭きで拭い、エプロンを脱いで椅子の背もたれへかけた。

 

「今日もお疲れ様、シンジくん」

 

「レイもお疲れ様」

 

「……それじゃあ、行く?」

 

「うん、行こうか」

 

二人は顔を見合わせると、互いにはにかんだ。 そして、玄関の扉を開き、真っ暗な外へと二人一緒に出ていった。

 

 

 

……その道は仄暗かった。

 

ぼんやりと蛍光色の街灯がついているだけ。むしろ、その光のせいで、照らされていない闇がより深くなったようにさえ思える。

 

「誰もいないね」

 

レイが呟く。

 

「そうだね」

 

シンジが返す。

 

その道には、確かに人影がなかった。 まるで夜の世界に、二人だけ取り残されたような感覚。

 

だが彼らは、それを怖いとは全く思っていなかった。

 

「シンジくんは、“先生”から何の楽器をやらされた?」

 

レイが足元を見つめて歩く。シンジも同じく足元に顔を向けて歩いているが、目線はレイへと向けられている。

 

「僕はチェロだよ。五歳の時からそれを習わされた」

 

「そっか、チェロなんだ」

 

「レイは違った?」

 

「私はピアノだった。女の子にしては手が大きいからって理由で」

 

「へえ、ピアノなんだ」

 

「うん」

 

夏の夜風が、彼女たちの頬を優しく撫でた。

 

「シンジくんはチェロ、今も続けてる?」

 

「まあ、一応」

 

「どうして?」

 

「誰も止めろって言わなかったから」

 

「そっか」

 

「レイも、ピアノ続けてる?」

 

「うん」

 

「理由はやっぱり同じ?」

 

「そう。でも、止めようと思えばいつでも止められたの。私の曲を聴いて欲しいと思う人もいなかったし、特別それに没頭して頑張ろうって気持ちもなかったし……。言われたからやってただけで、それ以上の感情なんてピアノに対して持ったことがなかった」

 

「うん、僕も同じだ」

 

 

……タタンタタン、タタンタタン…

 

 

遠くで、電車が走る音が聞こえてくる。

 

「でも、最近はちょっと気持ちが変わったの」

 

「そうなの?」

 

「……こんなことを言うのは、ちょっと恥ずかしいんだけどね?」

 

レイは少し頬を赤くして、シンジとは反対方向の場所へ眼を向けて告げる。

 

「シンジくんになら、ピアノ、聴いてもらいたいなって」

 

「……僕、に?」

 

シンジはレイの方へ眼を向ける。彼女は「えへへ」と小さく笑った。

 

「だから最近はね、ピアノの練習をこっそりしてるの。私も五歳の頃からピアノやってるけど、自主的に上手くなりたいなんて、今まで考えもしなかった」

 

「……どうして、僕に聴かせたいって思ったの?」

 

「ええ?どうしてって……」

 

レイはその場に立ち止まり、手を後ろで組む。シンジも立ち止まり、彼女をじっと見つめている。

 

「……そんなの、シンジくんだからとしか、言えないよ」

 

「………………」

 

「あ、でもそんな期待しないでね?五歳からやってるって言っても、大して上手くないから……」

 

「……何の」

 

「え?」

 

レイは顔を上げて、シンジの顔を見つめる。

 

「何の曲、練習してるの?」

 

「……“楽しみを(こいねが)う心”って、知ってる?」

 

「あ、それって……なんだっけ?何かの映画のテーマ曲だったよね?」

 

「そう!良かった、シンジくんが知ってて」

 

「名前だけは聴いたことあったから。でも、どんな曲かは知らないや」

 

「分かった。じゃあ楽しみにしてて?」

 

「うん」

 

レイは耳まで赤くしながら、シンジから顔を背けてしまう。だが、その口許は今までにないくらいに嬉しそうだ。その可愛らしい口から、シンジは目を離せずにいた。

 

「私、先生からベートーベンの月光ばっかり練習させられてて、ちょっと嫌だったんだ」

 

「ああ、確かにあの先生、クラッシック以外は音楽じゃないみたいな言い方するよね」

 

「うん」

 

……風が、肌寒くなってきた。だんだんと空気が冷えてきているのだ。

 

「寒くなってきたね」

 

シンジがそう告げると、レイも「そうだね」と返した。

 

「そろそろ、家に戻る?」

 

「………………」

 

レイはしばし沈黙した後、「うん」と小さく答えた。

 

「………………」

 

ふいにシンジは顔を上げて、夜の空を見つめた。

 

「あ、ほら、見てレイ」

 

「え?」

 

彼女もシンジに言われて、空を見上げる。

 

「……わあ」

 

儚いほどに美しい満月が、空の闇に丸い穴を空けていた。月明かりに雲が照らされて、繊細な濃淡が空を彩らせている。

 

「なんて綺麗なお月様……」

 

「僕、月が綺麗だなと思えたのって、久しぶりかも知れない」

 

「うん、私も」

 

「………………」

 

「………………」

 

「……あの、レイ」

 

「ん?」

 

レイはシンジの方に顔を向ける。彼はなんだか気恥ずかしそうにしながら、レイを見つめてる。

 

「もう少しだけ、この月を一緒に眺めない?」

 

「!」

 

「明日はどうせ学校も休みだし、シンクロテストもお昼からだし……」

 

「……うん」

 

レイが優しく微笑むと、シンジも笑顔を返した。

 

そうして、二人はまた、真夜中の道を歩きだした。

 

さっきよりも、もっと近くに寄り添って。

 

 

 

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