碇シンジはもう一人の自分(♀)に恋をする 作:崖の上のジェントルメン
……混濁した意識の中から、レイはゆっくりと目覚め始めた。
「…………ん」
見知った病室の白い天井が、目の前に大きく映される。
(あれ?私、なんでここにいるの……?)
おでこに手を当てて、朧気な記憶を鮮明にしようと努力するレイ。
(確か、参号機の起動実験をしてて……そして……)
ボキンッ!!!
「!?」
突如脳裏に過ったのは、腕の痛みだった。
右腕の骨が飛び出るような、凄まじい激痛を受けたことを、頭でなく感覚で覚えていた。
(腕……!)
ぺたぺたと両腕を触り合うが、どうやら目立った外傷はないらしい。
「ほっ、よかった……」
彼女はひとまず安心し、お腹にたまった空気を吐いた。
(エヴァの神経接続のせいだったのかな……?でも、腕が痛かったこと以外は、あまりよく覚えてない)
こめかみ辺りを手で押さえながら、なんとか状況を理解しようとしていたその時、ふと右手側に、誰かがいる気配を感じた。
そこには、シンジがいた。
丸椅子に座り、壁に背中をもたれて、静かな寝息を立てて眠っていた。眼の下には、クマができている。
「……シンジ、くん?」
声をかけると、シンジはうっすらと眼を開けた。
「……レイ?」
「シンジくん、あの……」
「ああ、良かった……。起きたんだねレイ」
「あの、私……」
「良かった……良かったよ本当に……」
彼は心底嬉しそうに笑いながら、眼に涙を溜めていた。
「シンジくん……どうして私、ここにいるの?」
「……覚えて、ないの?」
「うん、あんまり……」
「そっか……でも仕方ないよ。あんなことあったなら」
シンジは、事の経緯をこと細かに説明した。
参号機が使徒に乗っ取られたこと。エヴァ三体でエントリープラグを引き抜き、レイを助けたこと。その後、気絶していた彼女は病院へ運ばれ、丸三日眠っていたこと。
「そんなことがあったなんて……」
レイは天井をぼんやりと見つめて、その時の事件を彼女なりに想像していた。
「じゃあ、シンジくんたちには、いっぱい迷惑かけちゃったね……」
「そんな!僕の方こそ……レイが乗ってる参号機の腕を折ったりして……スゴく痛いことしちゃって……」
「ううん、いいの。だって助けるためにしてくれたんでしょ?」
「それは……」
「むしろ、そこまでして助けてくれて……私、嬉しい。凄く勇気がいることなのに……」
「……レイ」
彼女の濡れた瞳は、真っ直ぐにシンジを見つめていた。
当然シンジは照れ臭くなって、自分の指先へと視線を変えた。 だが……その指先に、彼女がそっと触れてくる。
「……シンジくん」
「な、なに?」
「私……初めて今、自分からエヴァに乗りたいって思った」
「え?」
予想外の話を振ってきたレイの顔へ、シンジはまた視線を戻した。
「シンジくんもだと思うけど……私、正直言ってエヴァなんて乗りたくなかった。お父さんに誉められたくて、誰かに認めてもらいたくて……“ここにいても良いよ”って言われたくて、乗ってただけなの」
「……うん」
「でも……でもね?私、シンジくんを守るためなら……何回でもエヴァに乗れる」
「レ、レイ……」
彼女の手が、シンジの手を優しく握る。
「シンジくんに助けてもらって、本当に嬉しいの。私のことを、最後まで見捨てないでいてくれて……本当に、本当に……」
す……と、透明な涙が、レイの眼から落ちていく。
「シンジくんが私を守ってくれたように、私もシンジくんを目一杯守りたい」
「………………」
「ありがとう、シンジくん。私の、居場所になってくれて……」
ほろほろと零れるその涙を、レイは拭おうとすらしなかった。
「シンジくん……シンジくん……」
……少年は、少女の手をぎゅっと握り返した。
優しく、だが力強く。
それはひょっとすると、彼女の想いに対する、少年なりの答えだったのかも知れない。
……綾波は、レイの病室へと向かっていた。
長い渡り廊下を、てくてくと歩く。かつんかつんと、彼女の足音だけが廊下に寂しく響き渡る。
「……?」
先客を見つけた。それは、アスカであった。
レイの病室の入口横で、壁に背中をもたれながら、眉間にしわを寄せ、何やら考え込んでいる様子だった。
「……何をしてるの?」
綾波がアスカへ尋ねた。 すると、アスカは綾波の顔を見るや否や、「中へは入らないで」と切り捨てるかのような台詞を吐いた。
「ここは、碇さんの病室。あなたに許可を求める必要はない」
「ダメったらダメよ。入れさせないわ」
「なぜ?」
「……中に、シンジもいるのよ」
「碇くんが?」
「そう」
「……?よく分からない。なぜ碇くんがいると、中に入れないの?」
アスカは頭をくしゃくしゃと掻いて、「あーもう!」と言いながら、綾波の手を掴んで無理矢理その場から離れた。
「セカンド、離して」
「………………」
「手が痛いわ」
「………………」
アスカはレイの病室から大分離れた場所で、ようやく綾波の手を離した。そして、くるりと彼女へ振り向き、「あんたバカぁ!?」と、怒りに燃えた目で叫んだ。
「人形みたいな奴だと思ってたけど、ここまでとは思わなかったわ!あんた、空気が読めないのも大概にしなさいよ!?」
「空気を……?しかし、空気は吸うものであり、読むものではないわ」
「はあ……アンタらしいド天然な回答ね」
首を傾げる綾波に対して、アスカがしかめっ面で説明する。
「シンジとレイがどういう関係か、ちょっと考えれば分かるでしょ!?」
「碇くんと、碇さんの関係?」
「そうよ!」
「……よく、分からない」
「……あんた、マジで言ってんの?もしそうなら、よっぽどのバカよ」
「ごめんなさい。私は、本当に分からないわ」
「………………」
アスカはため息をつきながら、近くにあった横長のベンチに座って、頬杖をついた。
「……分かったわ。素直に分からないと言ったあんたに免じて、この私が教えてあげる」
「………………」
「あの二人は……」
「………………」
「……あの二人は、好きなのよ。お互いが」
「好き?」
「そう、恋愛的な意味でね」
「………………」
「シンジの奴……言ってたじゃない。レイを絶対に失いたくないって。あれだけの啖呵切ったんだもの、その気持ちは絶対嘘じゃないわ」
「………………」
「私もね、薄々二人のことは勘づいてたけど、あれで完全に理解したのよ。バカシンジなりに、本気なんだなって」
「………………」
「だから、アイツらを二人だけにさせてあげる義務が、私らにある訳。そこんとこ、ちゃんと分かっときなさいよね」
「……セカンド」
「何よ?」
「なんで、泣いてるの?」
「!」
アスカは自分でも気がつかない内に、いつの間にか泣いていたことを指摘された。
「やだ!なにこれ!?」
拭っても拭っても、それは止まらない。
「……あなたも碇くんのこと、好きだったの?」
「何言ってんのよ!?バッカじゃない!?」
「じゃあ、嫌いなの?」
「当たり前よ!あんなナヨナヨしてダサくて冴えなくて、シンクロ率が私をちょーっと超えただけで調子に乗ってポカをするバカで!!エッチで変態でスケベで……!だいたい私には加持さんって言うもっと良い人がいるんだから!シンジなんて全然眼中にもないし、どうでも良いし……」
「………………」
綾波はアスカの隣に座り、その背中を少しだけ撫でた。
「止めて!」
アスカが、彼女の手を払いのける。綾波の手は行き先を失った。
「アンタにだけは、慰められたくない!!」
「……慰めているつもりはないわ」
「じゃあ何よ!?この惨めな私を笑ってんの!?」
「違うわ。ただ……」
背中を丸めて泣くアスカのことを、綾波は何もできずに見守ることしかできなかった。
「………………」
「………………」
しばらくの間、二人に会話はなかった。
唯一の音は、アスカのすすり泣く声だけ。それが病院の廊下に、小さく響いていた。
「………………」
だが、それなりに時間が経つと、アスカも次第に落ち着きを取り戻した。涙の跡を頬に残したまま、ぼんやりと床を見つめていた。
「シンジはさ」
ぽつりと、アスカが話し始めた。
「料理が、得意なのよ」
「………………」
「私って結構舌が肥えてる方だと思ってたから、たかだかフツーの中学生が作った料理なんて満足できないと思ってたけど、これが案外、バカにできないほど美味しいのよね」
「そう」
「あと、チェロも得意なのよ。意外よね、そんなのしてそうなイメージないのに」
「そう」
アスカの語りを聴いても、綾波は静かに合図ちをうつだけ。
だが、おそらく、それだけでいいのだろう。
それがきっと、良かったのだろう。