【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する   作:ゆばのくさ

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はじめまして、あるいはこんにちは。
数ある作品の中から本作を開いていただき、ありがとうございます。

本作は、現実世界では徹夜続きのしがないデータサイエンティストである主人公が、環境シミュレーターの中で「神」となり、持ち前の理系知識とデータ解析スキルを駆使して、アホすぎる初期NPCたちを大真面目にリアルタイム・デバッグしていく物語です。

それでは、システム・ダイブです。お楽しみください!


第1話:神のダイブと、生存確率0.0001%の『外れ値(イレギュラー)』

脳髄を直接スクラップされるような高周波の電子音が、鼓膜の奥で弾けた。

 

『――システム・ダイブ、正常に完了。視覚リンク、同期率(シンクロレート)九八パーセント。お目覚めですか、ユーザーA』

 

透き通った冷水のように無機質な機械音声。

ナビゲーションAI『ミネルヴァ』の定時報告が、仮想空間(ワークスペース)に響き渡る。

 

「ん……、ええ。おはよう、ミネルヴァ。相変わらず、ここの起動シーケンスは脳に優しくないわね」

 

三十代のデータサイエンティスト・天宮 結衣(あまみや ゆい)は、暗転した六畳間ほどの空間の中で重い瞼を持ち上げた。

 

現実世界の彼女は、徹夜のデータ解析でカフェイン中毒寸前の会社員に過ぎない。

だが、視界と意識を仮想空間(システム)ダイブ(ログイン)させた瞬間、彼女の六畳間は一変した。

超高解像度透過型グラスのパススルー映像を塗りつぶすように、無数の空中ディスプレイと、等高線で描かれた三次元の地形レイヤーが部屋中に描画(ラスタライズ)されていく。そして、この世界の物理法則を、気候を、ひいては人類の運命を指先一つでハッキングできる『神』へと肩書が変わる。

 

視界がクリアになる。

結衣の目の前に浮かび上がったのは、くすんだディスプレイではない。

空間の中央にぽつんと浮かぶ、地球儀サイズ(グローバルスケール)の巨大なARホログラムだった。

 

微細な光の粒子で構成された雲が流れ、大陸の輪郭をなぞるように、深い青色の海流が静かに脈打っている。

 

「これが、私の新しいキャンバス……。モニターの数字を眺めるだけのデスクワークとは、格が違うわね」

 

結衣はふっと口元を緩め、ホログラムへと歩み寄る。

右手を差し出し、北半球付近をそっと包み込んだ。手のひらに、大気の圧力と静電気のようなピリピリとした触覚が伝わる。

指先で気流の粒子を弾けば、ホログラム上の積乱雲が意志を持ったように形を変えた。

 

大気データ(マクロ・リソース)を、自らの両手で物理的にこねくり回す全能感。

これこそが、彼女がこの割に合わない下請けのデバッグ業務を渋々引き受けた、唯一のモチベーション(現実逃避)だった。

 

『初期ミッションを提示します』

 

ミネルヴァの声が空間から降ってくる。

 

『フェーズ1:旧石器〜農耕の夜明け。目標:観測対象である初期人類(ネイティブ・コード)NPCを、餓死および環境要因による絶滅から保護し、定住農耕段階へと安全に誘導せよ。なお、これより数百年規模の時間加速(タイムスキップ)を実行します。環境構築(テラフォーミング)を行ってください』

 

「初期人類の農耕定着ね。データサイエンティストを舐めないでほしいわ」

 

結衣は不敵に笑い、眼鏡の位置を直すように人差し指を立てた。

瞳の奥に、プロフェッショナルとしての青い炎が灯る。

 

「人類を直接動かそうなんて愚策よ。環境というシステムさえ完璧に組んでおけば、バカでも生き残れる『ゆりかご』ができるの。――さあ、デバッグを始めましょうか」

 

結衣の両手が、ホログラムの上で目まぐるしく踊り始めた。

見えないピアノの鍵盤を叩き、オーケストラを指揮するように。

 

「まずは熱塩循環(グローバル・ベルト)のパラメータを微修正。海洋コンベアをほんの数ミリ、指先で弾いて加速させる。よし、これで赤道の熱が北上するわ」

 

彼女の指先が動くたび、ホログラムの星に専門用語という名の魔法が刻み込まれる。

 

「次に大陸中央の砂漠地帯。ここにアルベド効果(アルベド・シフト)の補正値を上書き。地表の反射率を下げて、熱の吸収効率を最適化する!」

 

大気が、海流が、完璧な調和を保って駆動し始める。

 

「仕上げはここね。この大河の流域に、エジプトのナイル川をモデルにした定期氾濫システム(ナイル・プロトコル)を組み込む。一年のうち決まった時期にだけ、穏やかに、優しく水位が上昇する。水が引いた後には、上流から運ばれた極上の肥沃な土壌だけが残る」

 

結衣は仮想デスクの上に、一杯のアールグレイを召喚した。

ベルガモットの華やかな香りが鼻腔を満たす。

 

「完璧よ。これならただ種を蒔いて寝転がっているだけで、嫌でも文明が芽吹くわ」

 

ティーカップを持ち上げ、結衣は優雅に微笑んだ。

 

「ふふ、これで気象・地殻変動モデルの調整は完璧ね。さっさとNPCを農耕時代に進ませて、今日の業務(ノルマ)は終わり。定時で上がってビール飲むわよ! さあミネルヴァ、時間を進めて頂戴。サクッと今月分のマイルストーンを達成させてもらうわ」

 

『了解。時間加速(タイムスキップ)を開始します。経過予測:五百年』

 

ホログラムの回転が、肉眼では追えないほどの超高速へと跳ね上がった。

 

 

時間加速(タイムスキップ)が開始されてから、わずか一分。

現実の時間にして、ほんの六十秒が経過した時のことだった。

 

突如、六畳間の空間が、心臓に悪い真っ赤な警告灯(レッド・アラート)で満たされた。

 

『――警告。ユーザーAの環境モデル内において、重大なエラーが発生。対象水域付近の人類NPC生存率が低下。……生存率、0パーセントに到達しました』

 

「ブッ!!!!」

 

結衣は、口に含んだばかりの熱いアールグレイを盛大に吹き出した。

仮想の紅茶が霧状になって虚空に消える。

 

「はぁあ!? 0パーセント!? 全滅!? ちょっと待ちなさいよミネルヴァ! データの誤作動でしょ!? 私が作ったのは、人類を優しく育てる『完璧なゆりかご』よ!?」

 

『否定します。データは正常です』

 

ミネルヴァの声は、相変わらず冷徹で残酷だった。

 

『原因:水位上昇に対する、人類NPCの退避行動(エスケープ・シーケンス)の完全な欠如。環境モデルのスペックに対し、NPCの知的アルゴリズム(AIスペック)が著しく下回っています』

 

結衣は血相を変え、空中にログのウィンドウを引っ張り出した。

目にも留まらぬ速さで流れる死亡ログ(デッド・スタック)。そこに刻まれていたのは、目を疑うような事実だった。

 

「……嘘でしょ? なんで退避しないのよ……! 水がじわじわ上がってきてるのに、なんで全員で川に突っ込んでるの!? まさか、流されていく村の仲間を見て『神の恵みのウォータースライダーだ〜!』とかアホなこと思いながら溺死したわけ!?」

 

『肯定します』

 

ミネルヴァは、結衣の半狂乱のツッコミを淡々とデータで肯定した。

 

『脳内エンドルフィンの分泌ログから、水遊びと誤認した可能性が九八パーセントです。避難アルゴリズムが作動しないまま、全滅ログ(デッド・スタック)は一万件を超えました』

 

「この人類、バカすぎるでしょおおおおお!!!!」

 

結衣は頭を抱え、自身のショートヘアを狂ったように掻きむしった。

胃の奥が、現実世界でデスマーチを迎えた時と同じようにキリキリと痛み始める。

 

環境(システム)は完璧だった。

計算も、流体力学も、何も間違っていない。

間違っていたのはただ一つ、そのシステムを利用するNPCが、開発者の想定を遥かに超えた本物のバカだったということだけだ。

 

「冗談じゃないわ、これじゃ今月の納品条件に間に合わない! ここで全滅したらまた旧石器時代からやり直し(リロード)で、私の土日休みが消えちゃうじゃない!」

 

ガシガシと頭をむしりながら叫んだあと、がっくりと肩を落とす。

 

「私の完璧な農耕計画が……定住の夜明けが……、ただのウォータースライダーの露と消えたわ……」

机に突っ伏し、シクシクと咽び泣き(デスマーチ・クライ)を始める結衣。

神の威厳など、納期に追われる下請けデバッガーの悲哀の前には塵同然だった。

 

 

『……ユーザーA。生存率0パーセントによるミッション失敗の判定、およびマップのリセット処理に移行します』

 

「待って」

 

ミネルヴァがシステムをシャットダウンしようとしたその瞬間。

結衣のデータサイエンティストとしての本能が、ログの末尾に刻まれた「ある一筋の歪み」を捉えた。

 

スクロールが止まる。

結衣の目が、ガチの解析者の眼光へと変わる。

 

「リセットはまだ早いわ、ミネルヴァ。ログを巻き戻して。【セクターB-4】。……ここだけ、全滅ログ(デッド・スタック)が出ていない」

 

『……演算中。セクターB-4、人類NPCの生存を確認。生存数、四十二名。ただし、当該エリアの環境負荷による予測生存率は0.0001パーセント。単なる統計上の誤差、あるいは偶然の生存と推測されます』

 

「いいえ、違うわ」

 

結衣の指先が流れるような速度で時系列ログ(タイムライン)を拡張し、二つのグラフを空中に並べた。

 

「偶然で、生存確率0.0001パーセントを引けるわけがないのよ。見て、このログ。……ゾクゾクするわね。このセクターだけ、私の仕掛けた水位上昇ログの開始タイムスタンプと、備蓄食料の移動ログの完了タイムスタンプが、一秒の狂いもなく完璧に同期(シンクロ)している」

 

結衣は、ホログラムの該当エリアを両手で極限まで拡大表示した。

 

そこに映し出されたのは、他のエリアで溺死したアホなNPCたちとは明らかに一線を画す、統率された小さな蟻の群れのような部族の姿だった。

 

彼らは濁流が押し寄せる数時間前、すでに全ての食料を安全な高台へと運び終え、そこで整然と陣形を組んで泥水を眺めていた。

 

「偶然じゃない。この部族……状況を観測(オブザーブ)して、自然現象を予測して、組織的に動いてるわ」

 

結衣の背筋に、ゾクリとした戦慄が走る。

それは、バカなNPCに絶望していた彼女の心に、強烈な逆転の火を灯した。

 

「治水の概念、正式な役割分業(タスク・マネジメント)。まるで現代の高度な組織論に基づいた命令系統(ライン・オブ・コマンド)が、この原始の時代に存在しているみたい……。何よこれ、最高に面白いじゃない……!」

 

じわじわと、結衣の胸の奥から狂おしいほどの推し活のスイッチがONになる音が聞こえた。

 

「生存確率0.0001パーセントのイレギュラー。私の設計した完璧すぎるゆりかごの意図を、この世界で唯一、正確に読み解いて生き残った天才たち。……いいわ、やってやろうじゃないの。ミネルヴァ、ミッションのリセットを撤回! ターゲットをこの【セクターB-4】に固定して!」

 

『了解。プライオリティ・ターゲットをセクターB-4へ変更。リアルタイム・デバッグモード(ライブ・パッチ)への移行を承認します』

 

結衣は、飛び散った紅茶の跡を袖で乱暴に拭い去ると、ホログラムの大地を睨みつけ、肉食獣のような笑みを浮かべた。

 

「私のデータサイエンス(神の知識)を、その異常な有能さでどこまで乗りこなせるか……。特等席で見せてもらうわよ、私の可愛い『外れ値(お気に入り)』たち!」




第1話をお読みいただきありがとうございました!

「面白い」「胃痛神がんばれ」と思ってくださった方は、ぜひ【お気に入り登録】や【評価(感想・レビュー)】をいただけますと、作者のモチベーションという名の演算速度が跳ね上がります。

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