【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する 作:ゆばのくさ
数ある作品の中から本作を開いていただき、ありがとうございます。
本作は、現実世界では徹夜続きのしがないデータサイエンティストである主人公が、環境シミュレーターの中で「神」となり、持ち前の理系知識とデータ解析スキルを駆使して、アホすぎる初期NPCたちを大真面目にリアルタイム・デバッグしていく物語です。
それでは、システム・ダイブです。お楽しみください!
脳髄を直接スクラップされるような高周波の電子音が、鼓膜の奥で弾けた。
『――システム・ダイブ、正常に完了。視覚リンク、
透き通った冷水のように無機質な機械音声。
ナビゲーションAI『ミネルヴァ』の定時報告が、
「ん……、ええ。おはよう、ミネルヴァ。相変わらず、ここの起動シーケンスは脳に優しくないわね」
三十代のデータサイエンティスト・
現実世界の彼女は、徹夜のデータ解析でカフェイン中毒寸前の会社員に過ぎない。
だが、視界と意識を
超高解像度透過型グラスのパススルー映像を塗りつぶすように、無数の空中ディスプレイと、等高線で描かれた三次元の地形レイヤーが部屋中に
視界がクリアになる。
結衣の目の前に浮かび上がったのは、くすんだディスプレイではない。
空間の中央にぽつんと浮かぶ、
微細な光の粒子で構成された雲が流れ、大陸の輪郭をなぞるように、深い青色の海流が静かに脈打っている。
「これが、私の新しいキャンバス……。モニターの数字を眺めるだけのデスクワークとは、格が違うわね」
結衣はふっと口元を緩め、ホログラムへと歩み寄る。
右手を差し出し、北半球付近をそっと包み込んだ。手のひらに、大気の圧力と静電気のようなピリピリとした触覚が伝わる。
指先で気流の粒子を弾けば、ホログラム上の積乱雲が意志を持ったように形を変えた。
これこそが、彼女がこの割に合わない下請けのデバッグ業務を渋々引き受けた、唯一のモチベーション(現実逃避)だった。
『初期ミッションを提示します』
ミネルヴァの声が空間から降ってくる。
『フェーズ1:旧石器〜農耕の夜明け。目標:観測対象である
「初期人類の農耕定着ね。データサイエンティストを舐めないでほしいわ」
結衣は不敵に笑い、眼鏡の位置を直すように人差し指を立てた。
瞳の奥に、プロフェッショナルとしての青い炎が灯る。
「人類を直接動かそうなんて愚策よ。環境というシステムさえ完璧に組んでおけば、バカでも生き残れる『ゆりかご』ができるの。――さあ、デバッグを始めましょうか」
結衣の両手が、ホログラムの上で目まぐるしく踊り始めた。
見えないピアノの鍵盤を叩き、オーケストラを指揮するように。
「まずは
彼女の指先が動くたび、ホログラムの星に専門用語という名の魔法が刻み込まれる。
「次に大陸中央の砂漠地帯。ここに
大気が、海流が、完璧な調和を保って駆動し始める。
「仕上げはここね。この大河の流域に、エジプトのナイル川をモデルにした
結衣は仮想デスクの上に、一杯のアールグレイを召喚した。
ベルガモットの華やかな香りが鼻腔を満たす。
「完璧よ。これならただ種を蒔いて寝転がっているだけで、嫌でも文明が芽吹くわ」
ティーカップを持ち上げ、結衣は優雅に微笑んだ。
「ふふ、これで気象・地殻変動モデルの調整は完璧ね。さっさとNPCを農耕時代に進ませて、今日の業務(ノルマ)は終わり。定時で上がってビール飲むわよ! さあミネルヴァ、時間を進めて頂戴。サクッと今月分のマイルストーンを達成させてもらうわ」
『了解。
ホログラムの回転が、肉眼では追えないほどの超高速へと跳ね上がった。
現実の時間にして、ほんの六十秒が経過した時のことだった。
突如、六畳間の空間が、心臓に悪い真っ赤な
『――警告。ユーザーAの環境モデル内において、重大なエラーが発生。対象水域付近の人類NPC生存率が低下。……生存率、0パーセントに到達しました』
「ブッ!!!!」
結衣は、口に含んだばかりの熱いアールグレイを盛大に吹き出した。
仮想の紅茶が霧状になって虚空に消える。
「はぁあ!? 0パーセント!? 全滅!? ちょっと待ちなさいよミネルヴァ! データの誤作動でしょ!? 私が作ったのは、人類を優しく育てる『完璧なゆりかご』よ!?」
『否定します。データは正常です』
ミネルヴァの声は、相変わらず冷徹で残酷だった。
『原因:水位上昇に対する、人類NPCの
結衣は血相を変え、空中にログのウィンドウを引っ張り出した。
目にも留まらぬ速さで流れる
「……嘘でしょ? なんで退避しないのよ……! 水がじわじわ上がってきてるのに、なんで全員で川に突っ込んでるの!? まさか、流されていく村の仲間を見て『神の恵みのウォータースライダーだ〜!』とかアホなこと思いながら溺死したわけ!?」
『肯定します』
ミネルヴァは、結衣の半狂乱のツッコミを淡々とデータで肯定した。
『脳内エンドルフィンの分泌ログから、水遊びと誤認した可能性が九八パーセントです。避難アルゴリズムが作動しないまま、
「この人類、バカすぎるでしょおおおおお!!!!」
結衣は頭を抱え、自身のショートヘアを狂ったように掻きむしった。
胃の奥が、現実世界でデスマーチを迎えた時と同じようにキリキリと痛み始める。
計算も、流体力学も、何も間違っていない。
間違っていたのはただ一つ、そのシステムを利用するNPCが、開発者の想定を遥かに超えた本物のバカだったということだけだ。
「冗談じゃないわ、これじゃ今月の納品条件に間に合わない! ここで全滅したらまた旧石器時代からやり直し(リロード)で、私の土日休みが消えちゃうじゃない!」
ガシガシと頭をむしりながら叫んだあと、がっくりと肩を落とす。
「私の完璧な農耕計画が……定住の夜明けが……、ただのウォータースライダーの露と消えたわ……」
机に突っ伏し、シクシクと
神の威厳など、納期に追われる下請けデバッガーの悲哀の前には塵同然だった。
『……ユーザーA。生存率0パーセントによるミッション失敗の判定、およびマップのリセット処理に移行します』
「待って」
ミネルヴァがシステムをシャットダウンしようとしたその瞬間。
結衣のデータサイエンティストとしての本能が、ログの末尾に刻まれた「ある一筋の歪み」を捉えた。
スクロールが止まる。
結衣の目が、ガチの解析者の眼光へと変わる。
「リセットはまだ早いわ、ミネルヴァ。ログを巻き戻して。【セクターB-4】。……ここだけ、
『……演算中。セクターB-4、人類NPCの生存を確認。生存数、四十二名。ただし、当該エリアの環境負荷による予測生存率は0.0001パーセント。単なる統計上の誤差、あるいは偶然の生存と推測されます』
「いいえ、違うわ」
結衣の指先が流れるような速度で
「偶然で、生存確率0.0001パーセントを引けるわけがないのよ。見て、このログ。……ゾクゾクするわね。このセクターだけ、私の仕掛けた水位上昇ログの開始タイムスタンプと、備蓄食料の移動ログの完了タイムスタンプが、一秒の狂いもなく完璧に
結衣は、ホログラムの該当エリアを両手で極限まで拡大表示した。
そこに映し出されたのは、他のエリアで溺死したアホなNPCたちとは明らかに一線を画す、統率された小さな蟻の群れのような部族の姿だった。
彼らは濁流が押し寄せる数時間前、すでに全ての食料を安全な高台へと運び終え、そこで整然と陣形を組んで泥水を眺めていた。
「偶然じゃない。この部族……状況を
結衣の背筋に、ゾクリとした戦慄が走る。
それは、バカなNPCに絶望していた彼女の心に、強烈な逆転の火を灯した。
「治水の概念、正式な
じわじわと、結衣の胸の奥から狂おしいほどの推し活のスイッチがONになる音が聞こえた。
「生存確率0.0001パーセントのイレギュラー。私の設計した完璧すぎるゆりかごの意図を、この世界で唯一、正確に読み解いて生き残った天才たち。……いいわ、やってやろうじゃないの。ミネルヴァ、ミッションのリセットを撤回! ターゲットをこの【セクターB-4】に固定して!」
『了解。プライオリティ・ターゲットをセクターB-4へ変更。
結衣は、飛び散った紅茶の跡を袖で乱暴に拭い去ると、ホログラムの大地を睨みつけ、肉食獣のような笑みを浮かべた。
「私の
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