【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する   作:ゆばのくさ

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前回の第10話にてついに明かされた、この神様シミュレーターの最悪すぎる基本仕様。
過去・現在・未来の3人がそれぞれ異なる時間流速のスレッドで並行デプロイさせられているという、論理破綻の深淵『非同期マルチレイヤー開発』。

理不尽なデッドロック遮断を喰らい、未来のクレーマーPM(Bさん)から「SLA違反」と無能扱いされた天宮結衣の、意地とプライドを賭けたデスマーチ第2章がここから始まります。

データサイエンティスト兼歴史地政学オタクのめんどくさい熱量をお楽しみください。



第11話:神の上流工程(あるいはペリメータ・セキュリティの構築について)

ブツン、という無機質な電子音と共に、目の前の空間を埋め尽くしていた極彩色のデータ群が、一瞬にして光の粒子へと霧散した。

メインコンソールの全画面が冷徹なグレーアウトに染まり、中央には『サーバー切断:相互排他制御によるデッドロックを回避しました』という開発者にとっては死刑宣告に等しいエラーメッセージが不気味に明滅している。

 

先ほどまで激しくログが流れていた課題管理システム(Issueトラッカー)のタイムラインは完全にブラックアウトし、ワンルームを兼ねた機能一辺倒のオフィスに、耳が痛くなるほどの静寂が戻っていた。

 

「……はぁ?」

 

天宮結衣は、数秒間、その場に凝固していた。

液晶グラスの奥にある瞳が、怒りと驚愕で小刻みに震える。

やがて、彼女は限界を迎えた自らの胃壁を守るため、流れるような動作でデスクの引き出しを乱暴に開けた。中に転がっていた常備薬であるキャベジンのボトルをひったくるように取り出す。キャップを強引に捻り開け、茶色い錠剤を数粒まとめて口内へと放り込んだ。

 

ボリボリ、ボリボリボリ。

 

オフィスに、凄まじい音を立てて生薬を噛み砕く音が響き渡る。

噛み砕くというよりは、怒りを物理的に破砕していると言った方が正しい。独特の苦みとメントールの成分が、今まさに胃酸の過剰分泌によって悲鳴を上げている胃壁にじわじわと染み渡っていくのを感じながら、結衣は荒い呼吸を整えようとした。

 

しかし、効かない。薬が追いつかないほどに、脳裏をぐるぐると駆け巡るテキストの毒性が強すぎる。

それは、遮断される直前に表示されていた、未来レイヤーのプロジェクトマネジメント(PM)であるBーー小田健太から突きつけられた、容赦のない「異議申し立て」の文面だった。

 

『200年も前の既知の環境バグを放置し、何の環境パッチもあてずに大豪雨を誘発させた環境担当PMの管理体制は、明白なサービス品質保証(SLA)違反である。速やかなデータの巻き戻しか、代替インフラのデプロイを要求する』

 

「200年も放置したんじゃないわよ……!」

 

結衣は空になったキャベジンのボトルをデスクの木面に叩きつけた。ドン、と乾いた音が響く。

 

「過去レイヤーであいつ、Cが『5分前』にやった気まぐれな土木テロの歪みが、時間流速のせいで未来のあんたのところに『200年後の実害』として直撃しただけよ! 非同期マルチレイヤー開発(マルチスレッド・シミュレーション)なんて極悪なシステム構造のせいで、私のコンソールの権限じゃ巻き戻し(Revert)すらできなかったのに……っ!」

 

そう、時計が狂っていたわけではなかった。

過去レイヤーのC(玲奈)にとっては、ほんの5分前に「あ、ここ邪魔だから穴あけちゃおー」というノリで行われた山脈の消去。それが、現在レイヤーにいる結衣にとっては「100年分の流体計算の歪み」となってスーパーセルと大豪雨を呼び寄せ、さらに時間が加速している未来レイヤーのBにとっては「200年後のサプライチェーン崩壊」として直撃した。

 

一つの地球という巨大なマスターデータに対して、3人が全く異なる時間軸の流速で並行して手を加えているのだ。コンフリクトが起きないわけがない。論理整合性が破綻して、システムが強制遮断されるのは当然だった。

 

しかし、事情を知らない未来のBからすれば、結衣は「200年間も重大なバグを放置して大雨を降らせた無能な環境担当者」に他ならない。一括りで管理体制の不備と見下げられ、ドキュメント越しにチクチクと正論で刺されたことが、データサイエンティストとしての結衣のプライドをこれ以上ないほどに激しく逆撫でしていた。

しかも、Issueトラッカーが一時遮断された今、こちらからシステム仕様の構造的欠陥を伝える言い訳の手段すら残されていないのだ。

 

ハァ、と重い、あまりにも重い溜息を吐き出した結衣のコンソールが、その瞬間、再び怪しく明滅した。

追い打ちをかけるように、元請け(神)からの「フェーズ2:仕様書(要求定義)」が非情にも中央画面へデプロイされたのだ。

 

『フェーズ2:遊牧民襲来イベント。外部セクターからの未認可パケット(敵対ユニット)の一斉侵入テストを開始します。環境担当PMは、該当セクターの防衛インフラ(セキュリティ要件)の監査を行ってください』

 

画面の隅、青いローディングリングが回転し、ナビゲーターAIであるミネルヴァの冷徹な電子音がシステムルームに響き渡る。

 

『警告。ユーザー間の時間軸流速の差、および未解決の地形不整合ログが残存しています。現在の劣悪なインフラ環境のままテストフェーズへ移行した場合、外部パケットの侵入による、ユーザーBのセクターのパケット損失ーーすなわち対象部族の物理的全滅は免れません。現在のシミュレーションに基づく、予測生存率指標、12.4パーセント』

 

「じゅうに、てん、よんパーセント……」

 

その、あまりにも低すぎる絶望的な数字を見た瞬間、天宮結衣の思考回路が、カチリと別のフェーズへ切り替わった。

液晶グラスの奥の瞳が、マッドサイエンティスト、あるいは重度の歴史地政学オタク特有の、暗く、そしてギラギラとした熱を帯びた光を宿す。

 

『補足。ユーザーAのバイタルサインを計測。心拍数の異常上昇、および副交感神経の急激な低下を確認しました。呼吸が浅くなっています。ストレスレベルは規定値を大幅に超過。精神衛生の維持のため、速やかな深呼吸、または追加の胃粘膜保護剤の摂取を強く推奨します』

 

ミネルヴァの淡々としたシステム報告に、結衣は鼻で笑った。

 

「ミネルヴァ、うるさい。薬ならさっき追加投入したわよ」

 

『肯定。しかし、ユーザーAの咀嚼音、およびボトル重量のセンサーデータから推測するに、現在のキャベジンの残量は残り3粒です。次回の発注インシデントを自動起票しますか?』

 

「そんなのどうでもいいわよ、後で私がKonozamaでポチるわ! それよりコンソールを強制開放して! これ以上、あの未来のクレーマーPMに『設計センスが怪しい』だの『SLA違反』だの言われたままプロジェクトを進めるなんて、私のプライドが1000パーセント死んでも許さないわ!!」

 

結衣は人差し指で液晶グラスを叩きつけるように押し戻し、キーボードの上に両手を構えた。

元請けの仕様書がなんだ。過去の土木テロリストがなんだ。未来のクレーマーがなんだ。

あいつらのせいで私の設計美学まで泥を塗られるくらいなら、上流工程の力というやつをこれでもかと見せつけてやる。

 

「あいつ(C)の突発的なテロ(バグ)が介入する余地が1ミリもなく、そして未来のBさんがぐうの音も出ないほど完璧な防衛インフラ(セキュリティ要件)を、私の完璧な流体・地政学計算で設計してやるわよ。二度と『管理不足』なんて言わせないんだから!」

 

ダァン! と力強くエンターキーが叩かれる。

遮断されたIssueトラッカーの代わりに、オフィスいっぱいの空間を切り裂くようにして、Bの国を取り巻く広大な「ユーラシア大陸規模のARホログラム地球儀」が展開された。

部屋の壁が消え去り、結衣の周囲には果てしないステップ地帯と、うねるような大気の流れ、そして複雑に絡み合う地殻の圧力ベクトルが視覚化される。

 

結衣は両腕を前に突き出し、まるでオーケストラを指揮するマエストロのように、ホログラムの地球儀を鋭い眼光で高速スクロールさせた。彼女が狙いを定めたのは、部族が暮らす定住地帯の遙か北方ーー果てしなく広がる平原地帯だ。

 

「ミネルヴァ、周辺全セクターの地殻データと気流ベクトルをマルチスレッドで全展開。ここからは情報工学と地政学の融合フェーズよ。泥臭い手動操作、RTSプレイ(リアルタイムストラテジー)のミリ単位の兵力操作でしか国を守れない未来のPMのために、世界島(ハートランド)の安全地帯を取り囲む、完璧な『境界防御(ペリメータ・セキュリティ)』を構築してやるわ」

 

『指示を了解。マクロ環境編集プロトコルを展開します。……しかし、ユーザーA。地政学用語とネットワークセキュリティ用語を混同した脳内ハックが行われている形跡を検知。思考の整合性に懸念があります』

 

「混同してないわよ、本質は全く同じインフラ設計よ! いい? 地政学におけるマッキンダー理論に基づけば、この北方のユーラシア平原こそが、侵略という名の『不正アクセス』を無制限に受け入れる最大のセキュリティホールなの。ここをオープンにしたまま防衛線を築こうとするから、現場の兵力マネジメントがデスマーチになるのよ」

 

結衣の指先が空中コンソールの上で残像を結ぶほどの速度で踊る。

彼女の脳内では、押し寄せる遊牧騎馬民族の大軍が、ネットワークに負荷をかける「悪意ある大量の未認可パケット(DDoSアタック)」として処理されていた。

 

「だから、上流工程の私がやるべきはパッチ当てよ。ただそこに配置されているだけで、外部パケットの不正アクセスを100パーセント物理的にシャットアウトする、完璧な『物理ファイアウォール』ーー数千メートル級の大山脈を、基本設計(Plan)段階で隆起させて塞ぐの!」

 

『警告。指定座標での急激な地殻変動は、マントルへの過剰負荷、および周辺セクターへの重大な回帰バグ(サイドエフェクト)を引き起こす危険性があります。気流モデルが崩壊し、大規模な気候変動が発生する確率が87パーセントに上昇します』

 

「問題ないわ、そのための気流計算よ! 風の逃げ道と低気圧の誘導レーンは地政学のリムランド(沿岸地帯)側にダンプする! 敵の進軍ベクトルを完璧に計算された単一のチョークポイントへ収束させる……これこそが、美しく最適化されたアーキテクチャの真髄よ!」

 

結衣が叫ぶと同時に、ホログラム上のユーラシア大陸北方セクターが真っ赤に激しく明滅した。

プレートテクトニクスの強制応力計算が走り、仮想の大地が凄まじい音を立ててせり上がり始める。

 

「Bさん、現世で週末に徹夜して必死にマウスをカチカチさせてる暇があったら、この神の上流工程をよく見ておきなさい。あなたに足りないのは、現場の兵力コントロールのテクニックじゃないの。システム全体の構造を定義する、アーキテクチャの視点よ!」

 

画面に映し出されるプレートの圧力計が、限界値を示すイエローから、臨界点のレッドへと染まっていく。

天宮結衣の、終わらないデスマーチの第2章が、今度こそ完全に、そして圧倒的なスケールで駆動を始めた。

 

その山脈の裏側で、さらなる「現場の悲鳴」が生まれることなど、この時の彼女は知る由もなかった。

 




ご覧いただきありがとうございました!

ついに始まったフェーズ2。

Bさんの「SLA違反」という手厳しいレビューにキレた結衣が、意地になって「完璧なファイアウォール(大山脈)」を隆起させる基本設計(Plan)に乗り出しました。

引き続き、結衣の応援をよろしくお願いいたします。
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