【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する   作:ゆばのくさ

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お待たせいたしました! 第12話の本文をお届けします。

未来のPM(Bさん)から突きつけられた「SLA違反」という屈辱のバグ報告を燃料に、天宮結衣のオタク特有の意地とプライドが大爆発する回となります。

今回のアドバイスである「Gitのワークフロー(ブランチ開発、プルリクエスト)」を神の環境構築に適用する変態的ハックと、現実世界で3日間、コンプラを遵守しつつも着実に蓄積していく「社畜限界描写」を限界までマシマシに盛り込みました。

エナジードリンクと胃薬の匂いが漂う、泥泥のデスマーチ詳細設計フェーズをお楽しみください!


第12話:ハートランドとリムランドの地政学的防衛線

「――待って。ここで私が本番(master)ブランチに直接パッチ(大山脈)をプッシュ(Push)したら、またあの過去の脳筋土木テロリスト(C)のデータや、未来のクレーマーPM(B)の動きと衝突(コンフリクト)して、どんな予測不能な致命的バグが起きるか分からないわ」

 

メインコンソールのキーボードの上に構えていた両手を、天宮結衣は寸前でピタリと止めた。

 

液晶グラスの奥の瞳を鋭く光らせ、データサイエンティストとしての冷徹なリスク管理能力を辛うじて駆動させる。

非同期多層開発(マルチスレッド・シミュレーション)という、時間流速の狂った最悪の並行開発環境だ。上流工程の思いつきで本番サーバーの環境データを直接弄るなど、エンジニアとしては自殺行為に等しい。

 

「ミネルヴァ! 本番環境からテスト用の『開発ブランチ(環境コピー)』を切って、ローカルの隔離領域(サンドボックス)プル(Pull)して! そこで時間の流速を最大まで引き上げて、遊牧民襲来の負荷テストを開始するわよ!」

 

画面の隅で、ナビゲーターAIであるミネルヴァの淡々とした音声が応じる。

 

『了解。masterブランチから開発ブランチ「dev_phase2_perimeter」を分岐(フォーク)しました。ローカル環境へのダウンロード(Pull)を完了。実験用世界サーバー「WORLD_Clone_001」を起動します。負荷テストの実行準備、完了しました』

 

「よし、限界駆動(バーストモード)点火よ」

 

結衣はデスクの特等席に置かれていた、どす黒い紫色の缶――モンスターエナジーのプルタブに指をかけた。

パキッ、という小気味よい金属音と共に、化学物質の甘ったるい匂いがオフィスに立ち込める。カフェインとタウリン、そして大量の砂糖がブレンドされた液体を、結衣は喉を鳴らして一気に胃袋へ流し込んだ。

 

先ほどボリボリと噛み砕いた胃薬(キャベジン)の成分と、強烈な酸性のエナジードリンクが胃の中で化学反応を起こすような錯覚を覚えるが、気にしている余裕はない。

 

月曜日の午前10時30分。

天宮結衣の、孤独で知的、かつコンプライアンスに守られた世界のスクラップ&ビルドが幕を開けた。

 

「まずは単純な物理防壁(ファイアウォール)の遮断耐久テストからいくわよ」

 

結衣はホログラム上に展開されたユーラシア大陸の北方平原地帯、広大なステップを睨みつけた。

歴史地政学の古典、ハルフォード・マッキンダーの理論によれば、この世界の中央部に位置する巨大な内陸地域は「世界島(ハートランド)」と呼ばれる。外洋からのアクセスを完全に拒絶する、今回の大陸における最強の安全地帯――本来であれば、Bの部族が平和に引きこもれるはずのエリアだ。

 

しかし、そのハートランドを取り囲む沿岸の周辺地域「周辺地帯(リムランド)」からは、常に外敵の侵入リスクがつきまとう。

今回襲来する遊牧騎馬民族は、リムランドという外部インターネットから、ハートランドというクローズドな基幹ローカルネットワークへ不法侵入を試みる、悪質な未認可パケット(ワーム)そのものだった。

 

「ただの壁なら、あの土木アホ(C)だって造れるわ。私は完璧なセキュリティウォールを設計するのよ」

 

結衣は地殻の圧力パラメータを強引に書き換え、北方の侵攻ルートを完全に塞ぐ形で、高さ数千メートル級の鋭利な大山脈をノーモーションでドーンと隆起させた。

完璧な物理遮断。パケットの通り道はこれでゼロだ。時間を早送りして結果を見ようとした、まさにその時だった。

 

『警告。ユーザーA、業務連絡です。時刻は午後9時を経過しました。本日の残業時間が社内規定の上限に達するため、あと15分でコンソールが自動的に強制ロックされます。深夜労働の事前申請は承認されていません』

 

ミネルヴァの非情な労務管理アラートが室内に響き渡る。

昨今のコンプライアンス体制は、神のシミュレーション環境であっても容赦なく労働時間を監視してくるのだ。目の前のホログラムが親切にも黄色く明滅し、退勤を促してくる。

 

「チッ、今の労務管理システムは融通が利かないわね……! 良いところで水差さないでよ。分かったわよ、帰ればいいんでしょ、帰れば!」

 

結衣はガシガシと頭をかきむしり、キーボードを乱暴に叩いた。

 

「ミネルヴァ、この『WORLD_Clone_001』の流速を【1秒あたり歴史時間1年】の低速処理に切り替えて、バックグラウンドで夜間バッチ実行(ジョブ)しておいて。私は帰ってシャワー浴びて寝るわ。明日の朝一番でログを解析するから」

 

『了解。夜間バッチ処理ジョブを起票しました。お疲れ様でした。速やかなログアウトを検知しました』

 

月曜日の夜は、こうしてスマートに更けていった。

 

「……なんで私がこんな苦労しなきゃいけないのよ……」

 

自宅のバスルーム。

ラベンダーの香りが漂う湯船に首まで浸かりながら、結衣は深いため息を吐き出した。

毎日ちゃんと家に帰り、シャワーを浴びて清潔な布団で眠る。昨今のホワイト企業としては当然の権利だが、精神的なストレスは睡眠や入浴だけでは完全にデバッグできない。

 

(そもそも、あいつ(C)が過去で勝手に山脈を爆破してメモリリークを起こさなければ、私が未来のクレーマー(B)から『SLA違反』なんて言われる筋合いは無かったのよ……!)

 

湯船の中でギリッと歯を食いしばる。

しかし、愚痴をこぼしても状況は好転しない。結衣の思考は、無意識のうちに明日のデバッグ作業――地政学と気流モデルの相関関係へとスライドしていく。

エンジニアの悲しい性だ。風呂場やトイレといったリラックスできる空間ほど、致命的なアイデアが閃いてしまうのである。

 

「……待って。北方に数千メートルの壁をノーモーションで造ったら、シベリアからの寒気ってどうなるの……?」

 

嫌な予感を抱えたまま、火曜日の午前9時。

出勤してデスクについた結衣は、途中のコンビニで買ってきた2缶目のモンスターエナジー(今日はパイプラインパンチ味だ)を開栓しながら、夜間に回しておいたバッチ処理の結果をコンソールに呼び出した。

 

「さあ、300年後の未来はどうなったかしら……って、はぁ!?」

 

画面に表示されたのは、無情なエラーログの山だった。

 

『報告。ローカル環境「WORLD_Clone_001」において、致命的な回帰バグ(サイドエフェクト)が発生。北方に極大な山脈を配置した結果、シベリア方面からの寒気の循環モデルが完全にブロックされました。セクター全体の気流が停滞し、年間平均気温がマイナス15度低下。激しい冷害と大飢饉により、遊牧民が襲来する前に、農業社会への移行を開始していた対象部族が飢えで全滅しました。生存率、0.0パーセント』

 

結衣は頭を抱えた。

山を造ったら、敵が来る前に味方が寒さで全滅した。環境デザイナーとしてのマクロな気候計算を、山脈の高さに脳がバグって見落としていたのだ。

 

「っ……あ、気候バランスのサイドエフェクトを完全に舐めてたわ! はいこの世界はスクラップ(削除)!」

 

ドォン、とゴミ箱アイコンに「WORLD_Clone_001」が放り込まれ、一瞬にして数百年の歴史を持つ世界が消滅した。

結衣はすぐに次の開発ブランチ「WORLD_Clone_024」を切り、火曜日の日中を丸ごと費やしてデバッグに没頭した。今度は山脈のいくつかのセクターに「風抜きルート」として、気流をダンプするための細い渓谷の隙間をいくつも空けた設計だ。これなら気候変動のバグは修正できる。

 

しかし、火曜日の夕方に回したリアルタイム高速負荷テストでは、別の恐るべき問題が発生した。

 

『警告。敵対ユニット(遊牧民AI)の適応アルゴリズムが、環境の脆弱性を検知しました。彼らは馬を捨て、山脈のわずかな傾斜の隙間――ユーザーAが用意した風抜きダクトを登山ルートとして迂回侵入(ハッキング)を開始。Bの国の防衛インフラが完全に裏口から奇襲を受けました。生存率、0.2パーセント』

 

「遊牧民のアルゴリズム、現場のくせに賢すぎるでしょ! 泥臭い登山ルートを開拓してハッキングしてくるなんて聞いてないわよ!」

 

結衣がデスクを叩いた瞬間、再び室内に『午後9時をお知らせします。強制退勤プロトコルまであと15分です』とミネルヴァのアラートが流れる。

視界の隅では、上司からもチームチャットで『天宮さん、今週残業多いから今日こそ早く帰ってね。体調第一!』と丁寧な労務ケアのスタンプが飛んできていた。

 

「わ、分かってます! 残業申請は出しません! ハァ……もう一回、夜間バッチを仕込むわよ!」

 

結衣は悔しさに唇を噛みながら、火曜日の深夜、最後の知恵を振り絞って「WORLD_Clone_073」の設定を組み上げた。

 

彼女の脳内では、押し寄せる遊牧騎馬民族の大軍が、ネットワークに負荷をかける「悪意ある大量の未認可パケット(DDoSアタック)」として完全に処理されていた。

単に壁で塞ぐから、敵のAIパケットは別の脆弱性(セキュリティホール)を探して『登山』という名のハッキングを始めるのだ。ならば、超一流のインフラエンジニアがやるべきは、完璧な遮断ではない。

 

「敵に『ここが一番通りやすいボーナスステージだ』と誤認させる罠のルート(チョークポイント)をあえて一本だけ上流工程で用意して、彼らの進軍思考(ルーティングテーブル)そのものを支配するのよ!」

 

結衣は、北方の山脈の特定のセクターだけ、意図的に傾斜を緩くし、さらにその麓に「地下水脈を破砕した水源(オアシスの原型)」を配置する複雑なパラメータを設定した。

遊牧民のアルゴリズムが「水が補給できて、かつ馬での突破が最も容易な最短ルート」を数学的にコスト計算した結果、必ずその一本の狭い峡谷ルートへと自動的に吸い込まれるように、世界の初期配置を書き換えたのだ。

 

「ミネルヴァ、この『WORLD_Clone_073』を低速流速で朝までバックグラウンド実行! 私は帰ってシャワー浴びて泥のように眠るわ!」

 

『了解。夜間ジョブを受け付けました。速やかな退勤をお勧めします』

 

そして、運命の水曜日、午前9時。

 

天宮結衣のデスクの上には、月曜日から水曜日までに消費されたモンスターエナジーの空き缶が、6缶ほど綺麗にピラミッド状に積み上げられていた。

ゴミ出しの曜日がまだ先なため、デスクの隅に蓄積されたそれは、彼女のここ数日間の「深い残業(ふかざん)」の軌跡を無言で物語っている。

結衣の服や髪は毎日のシャワーできちんと清潔に保たれているものの、連日の限界ギリギリの残業による肉体的な疲労は隠せず、キーボードを叩く指先にはわずかな重さがあった。

 

しかし、デスクのコンソールを開いた瞬間、彼女の精神は一気に最高潮(ハイ)へと跳ね上がった。

 

『シミュレーション完了。夜間バッチジョブ「WORLD_Clone_073」において、歴史時間300年経過後も論理整合性を維持。敵対ユニットの進軍ベクトルが、ユーザーAの設計したチョークポイントへ100パーセント完全誘導(ルーティング)されるのを確認しました。対象部族の生存率、100パーセント。オールグリーンです』

 

「キ、キタ……!!」

 

結衣は思わず席から勢いよく立ち上がった。

開発ブランチでの過酷な負荷テストは完全合格。気候の回帰バグも、遊牧民の迂回ハッキングも、すべて計算(デバッグ)し尽くした。

会社から過労を心配されるほどの深残を重ね、数十の地球をスクラップにしてきた成果が、ここに結実している。

 

「これよ! これこそがデータサイエンスと地政学がもたらす『神の上流工程』の完全無欠のブループリント(設計図)よ! ミネルヴァ、この『WORLD_073』の変更を、本番環境(masterブランチ)統合(マージ)しなさい! 物理ファイアウォール(大山脈)、本番環境へ適用(デプロイ)よ!!」

 

『了解。変更要求(プルリクエスト)を承認。本番マスターデータへのマージを実行します。――セクターB、物理ファイアウォール(大山脈)の隆起プロセスを開始します』

 

結衣は満足感に包まれながら、ふぅと息を吐いた。

これなら過去の土木テロリストが介入する隙もないし、未来のBもただ突っ立っているだけでノーダメージ勝利できる。週明けの掲示板で、あのクレーマーPMが「さすが上流工程、神の設計……!」と泣いて感謝する姿が目に浮かぶようだ。

 

天宮結衣の、意地とプライドを賭けた「神の基本設計(Plan)」が、ついに本番の世界へと適用され、仮想の大地が凄まじい鳴動を始める。

 

しかし、彼女はこの時、まだ知らなかった。

この完璧な設計図が、数百年後の未来で、ログインした瞬間のB(健太)にとって「目の前にいきなり無理ゲーの大軍がルーティングされてる超絶デスマーチ環境」という名の、最悪のクソゲーとして出力されることなど、夢にも思っていなかったのである。

 




第12話をお読みいただき、ありがとうございました!

コンプラ遵守の厳しい現代社会、結衣は徹夜を避け、毎日「深残」で切り上げながら夜間バッチ処理を駆使するという、極めてエンジニアらしい知性でデバッグを完遂しました。

デスクに積み上がるエナドリ缶のピラミッドという社畜の勲章を背負い、生存率100%の『境界防御(ペリメータ・セキュリティ)』を本番(masterブランチ)へマージした結衣。

次回も現場ヨシの精神でお送りします。お楽しみに!
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