【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する 作:ゆばのくさ
今回は、ローカルテストを完全勝利で終えた結衣が、満を持して本番環境(masterブランチ)へ「神の防壁(大山脈)」をデプロイする回となります。
しかし、そこは悲しきかな「複数人で共有している本番サーバー」。ローカル環境のようには一瞬で時間を進められないという、システム特有の「同期制限(スピードリミット)」の壁が結衣の前に立ちはだかります。
水曜日から木曜日にかけてじわじわと時間が進む中、結衣が仕込んだ完璧すぎるインフラが、歴史にどんな「バタフライエフェクト」をもたらすのか……。
データサイエンティスト魂が限界突破した結衣の「可用性ファイブナイン(99.999%)」のドヤ顔自画自賛と、温かいコーヒーを優雅に啜る圧倒的油断(フラグ建築)をお楽しみください!
水曜日の午後三時。天宮結衣は、数日間にわたる地獄の
「ローカルテスト環境『WORLD_Clone_073』の全検証をクローズ。これより、本番環境である
カツン、と乾いたプラスチックの音がオフィスに響く。
直後、メインコンソールに凄まじい速度で構築ログが走り始めた。緑色の文字列が滝のように液晶グラスの奥へと流れ、仮想地球儀のホログラムが激しく明滅する。
『了解。変更パッチ「dev_phase2_perimeter」を本番環境へ
ミネルヴァの淡々とした合成音声が、世界の構築(施工)が始まったことを告げた。
「ミネルヴァ、これより
結衣がドヤ顔で腕を組むと同時に、ホログラムの地球がうなりを上げた。
ユーラシア大陸の北方平原地帯――遊牧騎馬民族が数百年後に最速の進軍ルートとして選ぶはずだった、広大なステップ。その大地の底で、天文学的な質量を持つプレート同士が、結衣の書き換えた初期パラメータに従って猛烈に衝突を始める。
ゴゴゴゴゴ、と仮想の駆動音がスピーカーから鳴り響いた。
大陸全土を揺るがす大地震の凄まじい波形データがコンソールを真っ赤に染め上げ、数十秒という極小の時間の中に数百万年分の大地圧が凝縮されていく。そして、高さ数千メートル級の、天を突くような鋭利な大山脈がノーモーションでドーンと隆起していった。
ただの荒野だった場所に、龍の背のごとき巨大な「物理突破不可能な天然の防壁」がそびえ立つ。
だが、結衣の設計はそれだけでは終わらない。
山脈の特定の箇所には、気流の停滞による寒冷化バグを防ぐための細い渓谷――
侵入してくる遊牧民の適応AIが「ここが最も突破コストが低い最適ルートだ」と数学的に誤認し、一本の狭いチョークポイントへと自動的に吸い込まれるように仕組まれた、完璧なトラフィック制御のキルゾーン。
「ふふん、これぞ計算され尽くした完璧なセキュリティウォール! 敵は一歩も想定外の進路を進めないし、未来のBさんの国は指一本動かさずに完全勝利よ! よし、施工完了(デプロイ・クローズ)! ミネルヴァ、ローカルの時みたいに一気に時間を三百年後まで
結衣はふんぞり返り、配置の確定(コミット)を要求した。しかし、ミネルヴァから返ってきたのは、無情なシステムのエラーチャイムだった。
『警告。本番環境(masterブランチ)における時間の超高速フォワードは、システム仕様により制限されています。過去レイヤー(ユーザーC)および未来レイヤー(ユーザーB)との非同期コンフリクト、およびスレッドのデッドロックを防止するため、現在のマスターデータの最大進行速度は【現実の二十四時間につき、歴史時間百五十年】にロックされています』
「ええっ!? ちょっと、何よそのスピードリミット!」
結衣は思わずデスクに身を乗り出した。ローカルの実験環境であれば、数秒で三百年もの歴史を飛ばすことができた。だが、ここは他のプレイヤーとレイヤーを共有している本番サーバーなのだ。誰か一人が勝手に時間を数千年も進めてしまえば、他のプレイヤーの開発データと同期が取れなくなり、世界そのものが致命的なメモリクラッシュを起こしてしまう。
「一日で最大百五十年しか進まないってことは……三百年の遊牧民襲来イベントのログを確認できるのは、リアル時間で丸二日後(四十八時間後)ってこと?」
『肯定。現在の流速設定を最大に維持した場合、対象イベントの発生時刻は、現実時間の【木曜日の午後六時以降】となります』
「うわあ……現場の同期制御のせいで、上流工程の確認作業にウェイト(待機)がかかるなんて。本当に仕様がクソだわ、この世界シミュレータ」
結衣はがっくりと肩を落としたが、すぐに気を取り直して液晶グラスを指先で押し上げた。
「まあ、いいわ。私の引いたブループリントは七十二個の地球を消し飛ばして辿り着いた完全無欠の最適解よ。回帰バグが起きないこともデバッグ済みだし、果報は寝て待てってね。これ以上ここで画面を睨んでいても残業アラートが鳴るだけだし、今日は大人しく定時で上がらせてもらうわ」
水曜日の午後五時三十分。定時を告げるチャイムと共に、結衣は上機嫌でコンソールをシャットダウンし、ホワイト企業の鑑としてスマートに退勤していった。
◇
翌、木曜日の日中。
社内のコンプライアンス体制と労務管理を完璧に遵守している天宮結衣の姿は、きっちりと整えられた綺麗な黒髪と、シミ一つない清潔なオフィスカジュアルに包まれていた。
今週は「深い残業」こそあったものの、毎日家に帰ってシャワーを浴び、湯船に浸かって睡眠時間を確保しているため、肉体的なコンディションは万全だ。チームの上司からも「天宮さん、今週はちゃんと残業をコントロールできていて偉いね。体調第一だよ!」と丁寧な労務ケアのスタンプ付きで褒められたほどである。
しかし、彼女のデスクのサブモニターの片隅には、昨日常務的に構築された本番環境の
結衣は通常業務のデータ解析をこなしながら、チラチラと歴史の経過ログを確認する。
『歴史時間百二十年経過。セクターBにおける外的脅威度:ゼロ。周辺部族との小競り合いを含む戦闘イベントの発生確率〇・〇パーセントを維持』
『これに伴い、セクターBの生存AIは「軍事・防衛へのリソース投資:無駄」と判断。すべての武具鍛造ラインおよび防衛技術の研究を停止し、リソースを百パーセント農耕と民生品へ全振りしました。軍事レベル:原始段階に固定』
ログを見た結衣は、自席でサブモニターを見つめながら、声を殺して自画自賛の笑みを漏らした。昨日までの苦労が、今こうして本番環境の圧倒的な安定性として証明されている。
「ふふ、いいわね! 無駄な軍拡競争なんてコストの無駄遣いよ。私が完璧なセキュリティウォールを用意してあげたんだから、外敵に怯える必要なんてどこにもないわ。Bさんの部族は武器なんて作らずに、のんびり平和に内政だけやっていればいいのよ。これぞ究極のコストカットね!」
さらに、画面には山脈の反対側のデータも流れ始める。
『歴史時間百八十年経過。山脈の北側(リムランド)において、大規模な環境変動による
「へえ、敵のAIも必死ね。生存圏が狭まったせいで、勝手にバトルロイヤルを始めてレベリングされちゃったわけか。まあ、どれだけ敵の数や質が上がろうが、一本道のチョークポイントに吸い込まれる仕様なんだから関係ないわ。むしろ一網打尽にできて効率的なくらいよ!」
結衣は胸の内で勝ち誇り、液晶グラスの奥の瞳を満足げに細めた。
「ふふっ、見なさいこの美しい緑色のダッシュボード(オールグリーン)! 未来のクレーマーPM(B)の部族システム稼働率は、現時点で驚異の
高可用性の最高峰である『ファイブナイン』の数字を叩き出し、インフラの安定性は完全に保証された。誰が『SLA品質保証違反』よ、あの口先だけのクソ現場PM。私が仕込んだ完璧なペリメータ・セキュリティの前に、ぐうの音も出ないほど完璧な成果物(世界)で黙らせてあげるわ。金曜日の週明け掲示板で、泣いて感謝のログを書き込む姿が目に浮かぶようだ。
あとは遊牧民が罠にかかる瞬間を見届けるだけだった。
◇
そして、運命の木曜日、午後六時三十分。
オフィスの定時チャイムが鳴り響き、周囲の社員たちが「お疲れ様でーす」と次々に退社していく中、結衣はあえて席に残っていた。
もちろん、残業申請は出していない。ここからは「趣味のログ監視」の時間だ。デスクの隅には、月曜日から水曜日までの激闘で消費されたモンスターエナジーの空き缶が六缶、綺麗にピラミッド状に積み上げられたまま、勝利の記念碑のように佇んでいる。
現在のシミュレーション時間は、本番環境へのデプロイからちょうど三百年後。
ついに、歴史のタイムラインが「遊牧民襲来イベント」の当日へと到達した。
「さあ、上流工程の神髄を見せてあげるわ」
結衣は泥のように濃いエナジードリンクではなく、給湯室のサーバーで淹れてきた、温かくて美味しいコーヒーの入ったマグカップを優雅に傾けた。ふわりと香る香ばしい豆の香りが、彼女の精神に絶対的な「心の余裕」をもたらしている。
メインモニターのホログラムが、不穏な赤色に染まる。
リムランドの荒野から、過酷な淘汰を生き抜き、異常なまでに数と質を膨れ上がらせた遊牧民族の大軍――システムに負荷をかける悪質な
だが、その進軍ルートの正面には、水曜日に結衣が施工した、高さ数千メートルの「神の防壁(大山脈)」がそびえ立っている。
大軍の先頭に立つ敵の斥候AIたちが、突如目の前に現れた大自然のセキュリティウォールを前に、一瞬でコスト計算(ルート再探索)を開始するのがデータから見て取れた。
「ふふん、これぞ計算され尽くした完璧なセキュリティウォール! 馬を捨てて山を登るような脆弱性はすべて塞いであるわ。さあ、大人しく私が用意した、あの一本の『水源付きチョークポイント』へルーティングされなさい!」
結衣が温かいコーヒーを上品に一口啜った、まさにその瞬間。
数万の赤きパケットの矢印群は、まるで目に見えない堤防に誘導されるかのように、結衣の設計した通りの狭い峡谷ルートへと、綺麗に百パーセント吸い込まれていった。
敵の進軍ルートの完全支配。
これなら、未来のBさんの国は指一本動かさずに、押し寄せる大軍を狭隘な地形で各個撃破し、完全勝利を収めることができるはずだ。
「完璧……一ミリの狂いもない、神の基本設計だわ。ログを見て平伏しなさい、現場の人間ども!」
結衣は最高に勝ち誇った笑みを浮かべ、マグカップを片手に、その圧倒的な勝利のイベントが進行していく様子を優雅に見守るべく、そのまま本番環境の時間を回し続けた。
しかし、彼女はこの時、まだ気づいていなかった。
この完璧な設計図によって「敵が一箇所に超濃縮されて押し寄せてくる最悪のデスマーチ環境」が出力されているその大地の裏側で。
過去レイヤー(ユーザーC)のあの脳筋一級建築士が、木曜日の定時を過ぎたこの夜、結衣の気づかないシステムの死角から、再び「とんでもない施工テロ」の爆薬に火をつけようとしていることなど、夢にも思っていなかったのである。
第13話をお読みいただき、ありがとうございました!
上流工程(神)がよかれと思って用意した「完璧なセキュリティウォール」と「外的脅威ゼロの平和な環境」。その結果、現場のBさんの部族は「防衛コストの無駄削減」を断行して完全な平和ボケ(軍事レベル:原始段階)に陥り、逆に壁の向こうの遊牧民は極限のボトルネック環境でレベリングされて「超濃縮・超精強なバグマシマシ軍団」へと進化してしまいました。
これぞ、現場の状況を無視してマクロな数字だけを追い求めた上流工程が引き起こす、典型的な「仕様の押し付けインシデント」ですね。
ダッシュボードの「ファイブナイン(99.999%)」の緑色(オールグリーン)の光に包まれ、美味しいコーヒーを飲みながら勝利を確信している結衣。
しかし、歴史のタイムラインはすでに「木曜日の夜」へと突入しています。次回第14話、この完璧なキルゾーンの裏側で、あの過去レイヤーの脳筋一級建築士(Cさん)が、結衣の気付かない死角からとんでもない「物理パッチ(爆薬)」をデプロイしにやってきます。
果たして結衣の誇るファイブナインは、何秒で「0%(Null)」へと墜落してしまうのか!?
次回も現場ヨシ(大嘘)の精神でお送りします。お楽しみに!