【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する   作:ゆばのくさ

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第14話をお届けします!
前回、完璧なセキュリティウォールでオールグリーンを達成し、温かいコーヒーを啜りながら「プロのデバッグ、万歳」とドヤ顔を決めていた結衣。しかし、ITの現場に「絶対」なんて存在しませんでした。
過去レイヤーで玲奈(C)が投下した「安全第一」という名の爆弾により、計算し尽くしたキルゾーンが物理的に崩壊。さらに物理法則(気圧のポテンシャル)が結衣の計算を裏切り、最悪の歴史リビルドが始まります。
善意の仕様変更が、いかにしてシステムを破滅させるか。結衣の「上流工程の誇り」が音を立てて崩れ去る、阿鼻叫喚の深夜のオフィスをお楽しみください。


第14話:強制同期と歴史リビルド 過去からの爆破テロ

木曜日の午後七時。定時チャイムが鳴り響いてからすでに一時間が経過した、ワンルーム兼用のオフィス。

そこには、天宮結衣(あまみやゆい)の至福の時間が流れていた。

 

すでに、会社から義務付けられた業務としてのサーバー監視プロセスはクローズしている。現在の彼女が、暗い部屋の中でただ一つ発光するメインコンソールを通して睨んでいるのは、あくまで趣味としての、そして一人の完璧主義者としてのログ監視画面だった。

 

デスクの片隅には、月曜日から水曜日までの激闘を物語る、紫や緑の毒々しい色をしたモンスターエナジーの空き缶が六缶、綺麗にピラミッド状に積み上げられている。それは彼女がデスマーチを生き抜いた証である勝利の記念碑だ。

だが今、彼女のデスクの特等席にあるのは、神経を強制的に覚醒させるケミカルな液体ではない。給湯室のサーバーから丁寧に淹れてきた、温かくて美味しいブラックコーヒーの入ったマグカップだ。ふわりと漂う香ばしい豆のアロマが、彼女の精神に絶対的な「上流工程の余裕」をもたらしていた。

 

液晶グラスの奥に広がる本番環境(masterブランチ)のホログラムは、シミュレーション時間でデプロイからちょうど三百年後――運命の「遊牧民襲来イベント」の当日を迎えていた。

 

「ふふっ、いつ見ても美しいわね……。これこそが、アーキテクチャの極致よ」

 

結衣はコーヒーを上品に一口啜り、画面に表示された緑色のシグナルをうっとりと見つめた。

未来の現場プロジェクトマネージャ(PM)である、ユーザーBの部族のシステム稼働率(アベイラビリティ)は、現時点でも驚異の九九・九九九パーセント(ファイブナイン)をキープしている。サービスレベル目標(SLO)のグラフも、一切のノイズやブレを見せず、美しく天井に張り付いていた。

 

「Bさんの部族の人工知能(AI)も、すっかり私の用意した平和に浸りきっているようね」

 

ダッシュボードに流れる詳細な環境ログを確認すると、山脈の南側――世界島(ハートランド)の安全地帯に引きこもったBの部族は、結衣が組み上げた『絶対の安全』に甘んじていた。

外的脅威度が常にゼロであるため、彼らの社会アルゴリズムは「軍事・防衛へのリソース投資は無駄な固定費(ランニングコスト)である」と判断。武具の鍛造ラインや防衛技術の研究プロセスを完全に停止させ、余剰リソースを百パーセント農耕と民生品の開発へと全振りしていた。軍事レベルは原始段階に固定されたままだ。

 

「いいのよ、それで。無駄な軍拡競争なんてコストの無駄遣い。私が完璧な境界防御(ペリメータ・セキュリティ)を用意してあげたんだから、現場の人間は武器なんて持たずに、のんびり内政だけやっていればいいの。……その分、山脈の北側は地獄みたいだけど」

 

結衣はホログラムの地球儀を指先で軽くスワイプし、山脈の裏側――周辺地帯(リムランド)の荒野を映し出した。

 

そこには、数万の騎馬を従えた遊牧民族の大軍が、システムに途方もない負荷をかける悪質な未認可パケット(DDoSアタック)の群れとなって、怒涛の勢いで押し寄せていた。

彼らは数百年もの間、山脈によって進路を完全に塞がれ、狭い生存圏の中で異常な速度の統合と淘汰を反復してきた。AIの学習モデルが極限のボトルネック環境に適応し、弱者を喰らい尽くした結果、単一の「超精強な戦闘集団」へと進化してしまったのだ。個体の平均戦闘力は初期値の数倍に跳ね上がり、ただならぬ殺意のベクトルがまっすぐにBの居住区へと向かっている。

 

しかし、その破壊衝動の塊のような群れは、結衣が水曜日に地殻変動(プレートテクトニクス)の強制介入で施工した、高さ数千メートルの「神の防壁(物理ファイアウォール)」に激突し、なす術もなく進路を阻まれていた。

 

もしこの山脈(壁)がなければ即座にBの居住区へと直撃していたであろう大軍は、三百年の歴史の中で常にその進路を阻まれ続けてきた。

敵の進軍アルゴリズムがコスト計算の末に弾き出した最適経路は、結衣の設計通り、山脈の中で唯一の気候逃し(風抜きダクト)として機能している狭い渓谷ルートへと、綺麗に百パーセント吸い込まれていった。

 

「ふふん、これぞ計算され尽くした完璧なトラフィック制御! どんなに個の力でレベリングしようと、システムという名の地形には逆らえないのよ。一本道の狭隘な流路径(チョークポイント)なら、Bの部族が原始的な棍棒しか持っていなくても、各個撃破でハメ殺せるわ」

 

結衣はほくそ笑んだ。

一ミリの狂いもない、完璧な基本設計(プランニング)。これなら未来のBさんの国は、指一本動かさずに完全勝利の実績(トロフィー)を解除できるだろう。

 

「さあ、あとはゆっくりとログを刻みなさい……金曜日の朝、あのクレーマーPMが私の設計に平伏する姿が楽しみね」

 

結衣が勝利の余韻に浸りながら、再びマグカップに唇を寄せた、まさにその瞬間だった。

 

――ピピピピピピピピピピピピピッ!!!

 

静まり返ったオフィスに、脳髄を直接突き刺すような、凶悪極まりない警告音が鳴り響いた。

ビクッと結衣の肩が跳ね、手元のマグカップが激しく振動する。美しい緑色に染まっていたダッシュボードが一瞬で血のような真紅へと反転し、画面いっぱいに特大の警告ダイアログがポップアップした。

 

『警告。警告。上位レイヤー(過去時間軸)からの位相幾何学(トポロジー)の不正上書きを検知。本番環境の論理整合性に致命的な例外が発生しました』

 

ミネルヴァの機械的で冷徹な合成音声が、パニックを煽るように六畳間の室内に響き渡る。

 

「な、何よ!? 競合(コンフリクト)!? 統合(マージ)エラー!? 嘘でしょ、ローカル環境でのテストと競合チェックは完璧にパスしたはずよ!」

 

結衣は熱いコーヒーをあわや画面に吹き出しそうになりながら、マグカップを乱暴にデスクに置き、慌ててキーボードを引き寄せた。

コンソールには、凄まじい速度で真っ赤なエラーログが滝のように走り始めている。

 

『ログID:0x8A4B9F。過去レイヤー(ユーザーC)より、未承認のコミットが送信されました。パッチ名:「安全第一_風通し改善施工」。……チェック中。当該データはすでに過去の歴史レイヤーにおいて確定・マージされています。システム、これより歴史データの強制再計算(タイムライン・リビルド)を実行します』

 

「ユーザーC……っ! あの脳筋建築士、こんな時間になにやってんのよ!」

 

結衣はギリッと歯を食いしばり、強制的に送られてきたコミットの変更履歴(プルリクエスト・メッセージ)を開いた。

そこに残されていたのは、結衣の神経を逆撫でするような、能天気で現場主義極まりない一文だった。

 

『環境担当者さんが作ったダクト、狭くて過去の労働者が酸欠になります! 不安全です! なので、もっと風通し良くしておきますね! ご安全に!』

 

「ご安全に、じゃないわよ! 現場猫案件か!!」

 

結衣の絶叫がオフィスに木霊した。

上流工程のデータサイエンティストが、気候の回帰バグ(サイドエフェクト)を防ぎつつ敵を誘導するために、ミリ単位の流体力学計算で穿った繊細な「風抜きダクト(スリット)」。

その周辺の岩盤が、過去の歴史において、安全管理という大義名分のもとにダイナマイトを大量設置され、木っ端微塵に爆破されてしまったのだ。

 

画面の向こう、三百年前に結衣が精緻に組み上げた「神の防壁」のホログラムが、不快なノイズを伴って激しく歪み始めた。

結衣の引いたブループリントは、文字通りただの「巨大な大穴(超巨大トンネル)」へと無残に書き換えられていく。

 

だが、データサイエンティストとしての結衣の恐怖は、トポロジーが破壊されたことだけにとどまらなかった。

過去の地形データがマージされたことにより、システムは『現在(三百年後)』の位相幾何学(トポロジー)データを強制的に上書きした。画面のクロックがリアルタイム進行にロックされたまま、結衣の目の前の三次元マップが激しく明滅する。

 

『警告。過去レイヤーからの遅延同期を検出。現時間軸の地形データをライブアップデート(強制書き換え)します』

 

結衣の祈りも虚しく。

 

ゴオオオオオオオオオオオオッ!!!

 

液晶グラスのスピーカーから、大地を裂くような、不穏で圧倒的な駆動音が鳴り響いた。結衣がドヤ顔で見つめていた三百年の歴史の『結果』に対して、過去からの因果が直接殴り込みをかけてきたのだ。

 

完璧だった山脈の一部が、突如として内側から爆縮を起こしたかのように崩壊し、巨大すぎる「大穴」が現在進行形のマップに出現する。

その瞬間、それまで三百年もの間、山脈という巨大な防壁によって完璧に堰き止められ、蓄積され続けていた山脈の表裏の凄まじい気圧差――シベリア方面の冷たく重い高気圧と、内陸部の暖かく軽い低気圧の間に存在していた大気圧の『ポテンシャル差(エネルギー・ギャップ)』が、今この瞬間に一気に解放されたのだ。

 

それはまさに、決壊したダムから濁流がなだれ込むような物理現象だった。

過去レイヤーのCが山脈を物理的に落下させて「位置エネルギー」を解放し大地震を引き起こしたように、現在のレイヤーにおいては、突如開通した大穴によって『大気圧のポテンシャル(エネルギー)』が爆発的に解放され、リアルタイムで現在の気候を破壊し始めたのである。

 

巨大な気圧の谷となった大穴に向かって、行き場を失っていた極寒の空気が猛烈な勢いで雪崩れ込む。

 

そして、どれだけ大穴が開いたとはいえ、山脈全体から見ればそれは狭い流路に過ぎない。流路が狭まることで流速が爆発的に増加する絞り弁効果(ベンチュリ・エフェクト)によって、風速は異常なまでに加速。さらに、山脈を越えて吹き下ろす気流が断熱圧縮(フェーン現象)を引き起こし、極寒の空気は灼熱の乾燥した熱風へと変貌を遂げた。

 

そのデプロイされたばかりの、巨大なドライヤーのような超暴風が、リアルタイムで進行する時間軸の中で、無防備なBの居住区へとダイレクトに吹き付け始める。

 

「嘘……私の……私のファイブナインが……っ!」

 

画面上のシミュレーションマップが、豊かな緑色から病的な黄色、それから一気に生命力の一切ない不毛の茶色へと変色していく。

これまで完全に安定していた環境パラメータが、突如として発生した熱風のインシデントによって急速に乾燥バグを引き起こし、見る見るうちに砂漠化していくエフェクトが走ったのだ。

Bの部族の生存確率を示すグラフが、音を立てて暴落していく。

 

さらに、結衣にトドメを刺すように、ダッシュボードのAI経路制御(ルーティング)エンジンが非情なアラートを弾き出した。

 

『警告。トポロジー変更に伴い、侵入パケット(遊牧民軍団)の進軍ベクトルが再計算されました。対象は、巨大空洞を「防衛手段の存在しない高速道路(バイパス)」として認識。……最短最適ルートを再ロック。進軍速度、四百パーセント上昇』

 

大穴が開いたことで、敵にとってそこは「罠の張られたチョークポイント」ではなく、Bの国の喉元へと直通する、何の障害物もない最短ルートへと変貌していた。

一本道の狭隘な地形で各個撃破するはずだった数万の超精強な遊牧民の赤パケットが、砂漠化して防衛手段を失い、軍事レベルが原始段階でストップしているBの集落へと、大穴を抜けて一斉に牙を剥く。

 

「過去のバグで、本番環境の歴史が壊れたぁぁぁぁぁっ!?」

 

目の前で一瞬にして崩壊していく、完璧だったはずの世界。

迫り来る最凶のDDoSアタックと、進行する急速な砂漠化という二重の致死性バグを前に、天宮結衣の「上流工程のプライド」は完全に粉砕された。

冷え切ったコーヒーの香りが漂う深夜のオフィスで、彼女は両手で頭を抱え、絶望とパニックのどん底へと叩き落とされるのだった。




第14話をお読みいただき、ありがとうございました!

過去からの「未承認マージ」によって、結衣の積み上げた数百年分の平和が数秒で砂漠化する。まさにIT現場の恐怖そのものですね……。

特に「ベンチュリ効果」と「気圧のポテンシャル解放」による歴史破壊は、結衣にとっても完全に想定外。彼女のファイブナイン(99.999%)が、たった一つの「穴」によって一瞬で崩れ去る様子を書いていると、私自身も胃がキリキリしてきます。

果たして、物理法則と過去の遺産を逆手に取った、結衣の捨て身のデバッグは成功するのか?
引き続き、胃薬片手に応援よろしくお願いいたします!
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