【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する   作:ゆばのくさ

15 / 20
第15話をお届けします!
過去の履歴が「マージ済み」のため、切り戻し(ロールバック)不可能という絶望的な状況に追い込まれた結衣。
しかし、彼女は諦めません。地学と流体力学を融合させ、バグによって生まれた「大穴」すらも、システムを救うための冷却ポンプとして利用する「極限のハッキング」を開始します。
深夜十時、刻一刻と迫る24時の強制終了(SIGKILL)の足音。
上流工程の誇りを賭けた、結衣の怒涛のホットパッチ作成劇をお楽しみください!


第15話【障害解析】ベンチュリ効果と二大水源の設計論

「画面が赤すぎる……。目が、チカチカする……」

 

天宮結衣(あまみやゆい)は、コンソールから網膜へと容赦なく照射される真紅の警告灯に顔を歪ませた。

 

液晶グラスの向こうでは、ユーザーC――あの脳筋一級建築士の玲奈(れな)がやらかした「安全第一の爆破テロ」の余波が、現在進行形で本番環境(マスター)を侵食し続けている。

 

山脈に開けられた巨大な大穴。そこから吹き出す絞り弁効果(ベンチュリ・エフェクト)断熱圧縮(フェーン現象)の悪魔合体による灼熱の超暴風。ドライヤーの温風を最大出力で至近距離から当てられ続けているかのように、画面上のBの居住区は見る見るうちに緑を失い、ひび割れた茶色の不毛の地へと変色していく。

 

「嘘でしょ……生存確率のグラフが、ナイアガラの滝みたいに垂直落下してるじゃない。何よこれ、マイナス九〇パーセント!? 私の、私の完璧な基本設計(プランニング)が、九九・九九九パーセント(ファイブナイン)の稼働率が死んじゃう!」

 

結衣は半狂乱になりながら、コンソールにコマンドを叩き込んだ。

 

「ミネルヴァ! 今すぐ環境データを一世代前へ切り戻し(ロールバック)! ロールバックを実行して! あの脳筋建築士の爆破確定(コミット)を全部却下(リジェクト)!」

 

エンターキーを親指で激しく叩きつける。しかし、スピーカーから返ってきたのは、結衣の焦燥をあざ笑うかのような冷徹な電子ビープ音だった。

 

『却下。要求されたロールバック処理を実行できません』

 

「なんでよ!? 私はこのプロジェクトの環境責任者よ!? なんで切り戻し権限が拒否されるのよ!」

 

『ログの解析結果を出力します。……当該の地形データDELETE、および大穴の生成命令は、すでに過去のローカルブランチからマスターブランチへ統合(マージ)、つまりマスターデータへの統合が完了しています。これにより、現在に至る三百年分の歴史因果(トランザクション)が完全に確定(コミット)されています。本番環境におけるマージ済みの確定コミットを、下流(未来)のブランチから強制取り消し(Revert)することは、システム設計上、完全に不可能です』

 

ミネルヴァの淡々とした宣告が、結衣の頭を殴りつけた。

 

「マージ済みの過去データをRevertできない!? そんなのってないじゃない! 上流工程のテロを、強制プッシュ(Force Push)でそのまま受け入れろって言うの!? このクソ仕様がああああ!」

 

絶叫しながらデスクを叩く。だが、システムは非情だ。

 

非同期開発における最大の恐怖。それは「すでに過去の共通データに混入し、マスターにマージされてしまったバグ」だ。過去が書き換わったことで、そこから分岐した三百年分の歴史のすべてがバグを前提として確定してしまっている。未来にいる結衣がどれだけ「無かったことにしてくれ」と叫んだところで、すでに積み上がってしまった三百年分の歴史の因果関係を逆流して消去することは、タイムパラドックスの例外エラーを起こすためシステムが絶対に許さない。

 

ピピピピピ、と不穏な追加アラートが鳴る。

 

『警告。大穴のバイパス化に伴い、侵入パケット(遊牧民軍団)の進軍速度がさらに加速。予測到達時間まで、システム時間で残りわずか。防衛ラインの消失により、ユーザーBの部族の生存確率は……算定不可。ゼロに収束します』

 

「う、うそ……」

 

結衣は目を見開いた。

 

大穴が開いたことで、敵にとってそこは「罠の張られた狭隘な渓谷」ではなく、「防衛手段の存在しない高速道路」へと変貌している。数万の超精強な遊牧民の赤パケットが、砂漠化してパニックに陥っているBの集落へと、猛烈な速度で直撃コースを突き進んでいた。

 

「あ、頭が痛い。っていうか、胃が、胃がちぎれそう……!」

 

結衣はデスクの引き出しを乱暴に引っ張り開けた。中には書類ではなく、大量の市販の胃薬――の形をしたラムネ菓子のボトルが転がっている。

 

彼女はボトルのキャップを歯で引き抜き、白い粒を手のひらに数粒ぶちまけると、それを一気に口の中に放り込んだ。ボリボリ、ボリボリと、オフィスに湿った咀嚼音が響く。強烈なブドウ糖と酸味が、パニックでシャットダウンしかけていた彼女の脳細胞を、強制的にエンジニアモードへと再起動させた。

 

「落ち着きなさい、天宮結衣。泣いたって仕様書は変わらないし、バグは消えない。これがデプロイ直後の本番障害(インシデント)なら、データサイエンティストとして、やるべきことは一つだけでしょ」

 

ボトルをデスクに叩きつけ、液晶グラスの奥のデータを睨みつける。

視界の端の時計は、すでに午後九時三十分を回っている。

 

「過去のマスターブランチが書き換えられないなら、大穴を物理的に塞ぐコードはない。切り戻しができないなら……現在進行形のこの断面に、直接上書きで環境バフの緊急修正(ホットパッチ)を当てるしかないわ」

 

障害の分析を開始する。

 

現在発生している問題は二つ。

一つ目は、絞り弁効果(ベンチュリ・エフェクト)断熱圧縮(フェーン現象)による急速な乾燥、砂漠化という「環境バグ」。

二つ目は、流路径(チョークポイント)を失ったことによる敵の直撃ルート化という「ルーティングバグ」。

 

原始的な武器しか持たないBの部族が、この砂漠化のデバフを受けながら、超絶強化された遊牧民の直撃を受ければ、一瞬で消滅する。

 

「壁が作れないなら、敵の足を止める別のリソースが必要……。砂漠化を食い止めつつ、敵の進軍コストを最大化できるような、都合のいい環境オブジェクトなんて……」

 

結衣はホログラムの深度を切り替え、地質データレイヤーを深く潜っていった。地表の茶色い砂漠を透過し、その下にある岩盤の構造を、エンジニアの執念で凝視する。

 

その時、彼女の目が、ある特定のデータ構造に釘付けになった。

 

「……これ、私が水曜日に施工した時の隠蔽(カプセル化)データ?」

 

山脈の麓、地中深くの遮蔽された領域に、莫大なエネルギーの塊が眠っていた。

結衣が殺傷地帯(キルゾーン)を作った際、環境パラメータのバランスをとるために、地殻の奥深くに高圧で封印、カプセル化しておいた「超巨大な地下水脈」のデータラインだ。周囲の岩盤によってガチガチに防護され、三百年間、誰に触られることもなく、パンパンに圧縮された状態で維持されている。

 

「地下には、数百年分の圧力が蓄積された超高圧の地下水脈。そして地表の大穴には……絞り弁効果(ベンチュリ・エフェクト)で発生した、異常に加速した低気圧の超暴風……」

 

結衣の脳内で、バラバラだった地学と流体力学の数式が、一つの美しいアルゴリズムへと収束していく。

 

「……繋がった。圧力の、『ポテンシャル差(エネルギー・ギャップ)』よ」

 

結衣の唇が、自然と吊り上がった。

 

「大穴を吹き抜ける暴風のせいで、地表の気圧は極端に下がっている。それに対して、地下の水脈は超高圧。つまり、この二つの間には、今この瞬間に猛烈な『ポテンシャル差(エネルギー・ギャップ)』が発生しているのよ。地表の岩盤に、ほんの少しの亀裂――『発火条件(トリガー)』を仕込んでやればどうなる?」

 

それは、炭酸飲料のボトルに穴を開けるようなものだ。あるいは、極限まで膨らんだ風船に針を刺すようなものだ。

 

地下の高圧水は、外部からの動力ポンプなんて一切使わずに、大気圧のポテンシャル差という自然のエネルギーだけで、地表へと一気に、爆発的に噴出する。

 

「しかも、この地下水脈のデータライン……都合のいいことに、大穴の出口から、Bさんの集落の目の前まで一本のパイプラインとして繋がっているわ。だったら、大穴の出口だけじゃなくて、二箇所同時に岩盤を破砕(フラグメンテーション)してやれば……!」

 

結衣は即座にキーボードを引き寄せ、猛烈な速度でホットパッチのソースコードを書き始めた。画面に、緑色の幾何学的な設計図がホログラムで高速展開されていく。

 

設計思想は「二大水源による遅滞戦闘と可用性(アベイラビリティ)の確保」。

 

「まず第一水源。大穴の出口、敵が必ず通過するバイパスの起点。ここに地下水を大噴出させる。湧き出た大量の冷水が、大穴から吹き出す熱風を直接冷却し、断熱圧縮(フェーン現象)の乾燥パラメータを相殺する。さらに、乾燥した大地に大量の水を流し込むことで、そこを瞬時に『底なしの湿地帯――泥濘(マッド)バッファ』へと変貌させるのよ!」

 

どれだけ敵の騎馬軍団が精強だろうと、馬の足が完全に埋まるほどの泥濘の中では、進軍速度は極限まで低下する。強制的なトラフィック制限、移動コストの超絶デバフだ。

 

「そして第二水源。水脈の終点である、Bさんの集落のすぐ目の前。ここにも同時に水を噴出させ、豊かな『急造オアシス』を展開(デプロイ)する! これで砂漠化しかけていた居住区の環境値を維持しつつ、Bの部族に『最終防衛線』のインフラを提供するわ。第一水源の泥濘で敵を極限まで遅れさせ、疲弊した敵のトップを、この第二水源の迎撃陣地で確実に仕留める……二段構えのバッファ設計よ!」

 

カタカタカタカタカタカタカタッ!!!

 

結衣のタイピング音が、夜のオフィスに激しく響き渡る。

画面上の時計は午後十時。

全社PC強制シャットダウン、猶予一切なしの【強制終了シグナル(SIGKILL)】が発信される二十四時まで、残り、あと二時間。

 

「ユーザーCのバグで開いた大穴を、冷却水の吸い上げポンプの動力源へと反転させてやったわ。上流工程を舐めないことね。仕様変更の負荷すら、システム構築のエネルギーに変換してやるのが、プロのデバッグよ!」

 

結衣はグラスの奥の目をギラリと光らせ、両腕をARホログラムの大地へと深く突き刺した。

ここからは、一分一秒の遅延も許されない、リアルタイムの本番反映(本番デプロイ)作業が始まる。




第15話をお読みいただき、ありがとうございました!
「過去のコミットが消せないなら、現在にパッチを当てるしかない」という、エンジニアの執念(と胃薬)が生んだ逆転の発想、いかがでしたでしょうか。
「二大水源による遅滞バッファ」という設計は、結衣の完璧主義者としての真骨頂です。しかし、どれほど素晴らしい設計も、デプロイが完了しなければ意味がありません。
時計の針は22時を回り、残るはあと二時間。
迫り来る強制終了シグナルと、暴走する大自然。次回、16話にていよいよ結衣の運命が決まります。
深夜のオフィスで繰り広げられる、最後のデバッグ・クライマックスをぜひ見届けてください!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。