【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する 作:ゆばのくさ
ユーザーCとの不毛な
「はぁ……ようやく
『マスターの心拍数およびストレス値の異常な上昇、並びに血中ガストリン濃度の増加を検知。これ以上の胃酸分泌は、マスターの物理的健康を著しく損なう恐れがあります』
メインコンソールのスピーカーから、シミュレータの管理AIであるミネルヴァの無機質で冷徹な音声が響く。
「分かってるわよ。でも、これでとりあえず厄介事の処理は終わったはず。……ミネルヴァ、現場の統括リーダー、ユーザーB(健太)の進捗はどうなっている?」
『回答。ユーザーBより、今週の
「生存率100パーセント……! や、やったわ……!」
結衣の顔に、今日初めての明るい光が差した。
下位レイヤーの土建屋はあんな惨状だったけれど、現場のリーダーであり、優れた
これぞ上流設計の勝利。これぞ正常な処理を示す美しい世界だ。
「さっそくチケットを開いてちょうだい。彼の素晴らしい手腕を
『了解しました。チケットを開封します。……なお、事前スクリーニングの自然言語処理による感情分析の結果、ユーザーBの記述テキストには、強い『怒り』と『呆れ』のパラメーターが検出されています。ご注意ください』
「え……怒り?」
結衣の淡い期待は、画面に表示されたあまりにも冷徹でビジネスライクなチケットのタイトルを見た瞬間、文字通り凍りついた。
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ステータス:
タイトル:【重要・仕様不適合】環境パラメータの急激な変動に伴うサプライチェーン寸断および現場稼働率低下の件
内容:
お疲れ様です。現場統括(B)の健太です。
ユーザーAよりリリースされた「泥濘・温泉パッチ」およびユーザーCによる「山脈スリット改修」の相互干渉により、現場環境に設計外の局所的超熱波、および断続的な熱湯噴出(間欠泉)が発生いたしました。
本事象に伴い、倉庫の備蓄食料リソースが自然発火により100パーセント損失(ロスト)。さらに敵味方双方の全ユニットへ恒常的な行動不能デバフ(火傷・スリップダメージ)が付与され、プロジェクトの継続が危機的状況に陥りました。
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結衣の脳内フィルターが、その整然としたビジネス文章を瞬時に翻訳した。
要するに、「デバッグが雑すぎて現場が完全にクソゲーのデスゲーム会場になっていて、備蓄食料は全部燃えるわ、自軍が環境ダメージで全滅しかけたわ、ふざけんな!」と、彼は大人の建前で猛烈にブチ切れているのだ。
「な、なんで!? ユーザーCが勝手に開けた風抜き穴のせいで熱波が発生したところまでは予測がついたけど、どうして泥濘から間欠泉なんて湧き出してるのよ!?」
『回答。マスターが緊急実装した泥濘の粘性パラメータと、オアシスの温度パラメータが、想定外の熱波によって
「私の……私のパッチのせいだって言うの……?」
結衣は震える声で画面を凝視した。
しかし、最大の謎はそこではない。なぜそんな現場崩壊レベルの不具合が発生しながら、最終的なリザルトの生存率が100パーセントになり、チケットが「解決済」として閉じられているのか。
「ミネルヴァ、チケットに添付されている現場のプレイログ動画を再生して……」
『承認(アック)。動画ログを再生します』
そして画面に映し出された映像を見た瞬間、結衣は別の意味で文字通り白目を剥くことになる。画面の中で展開されていたのは、地獄のバグ環境をすべて逆手にとった、健太による極悪極まる『
『ログ解説。ユーザーBは、熱波による視界不良の隠蔽効果と、泥濘から噴き出す間欠泉のポップ周期を、ミリ秒単位のフレームで完全に看破しています』
「は……? ミリ秒単位……?」
攻め込んできた圧倒的なステータスを誇る敵の首領(ボスオブジェクト)を、健太は巧みなヘイト管理で、激しく熱湯が吹き出す間欠泉の座標へと正確に誘導していく。
『警告。ユーザーBの異常挙動を検知。ユーザーBは、間欠泉の吹き上げによる
「嘘でしょ……まさか……」
『推測完了。ボスのAI索敵ルーチンが完全にフリーズしました。ユーザーBは、即興で
結衣が徹夜で組み上げた美しい環境デザインは、現場のPMである健太にとっては、ボスを一歩も動かさずに安全にハメ殺すための「最適化された
敵の首領は、一切の反撃を許されず、熱湯と熱波の中でただ硬直したままHPバーを削られ続けていく。
「な、なんて酷いことを……上流設計が用意した環境を、ただのバグ利用のハメ床にするなんて……!」
だが、結衣の悲鳴を置き去りにして、動画はさらなる、彼女の予測を遥かに超えた最悪の結末へと向かう。
『マスター、事態はさらに深刻です。首領をハメ殺し、システム権限(マスターキー)を強奪したユーザーBが、異常な操作を開始しました』
画面の向こうで、健太の声が拾われる。
『熱波で食料(生産性)を全ロスした。なら、このハメ殺した敵の軍勢のデータを、全部こっちに吸い上げてリソースにすればいい』
「吸い上げて……リソースにする……?」
『警告! 未認可の巨大なデータトラフィックを検知! ユーザーBが、正規のシナリオ手順(外交交渉および段階的な配下化イベント)のフラグをすべてスキップしました!』
健太は、敵の残存勢力のデータを、結衣が設定した
画面の向こうでは、敵だったはずの馬や異民族の戦士たちが、システムエラーの赤黒いバグノイズを上げながら、強制的に自軍の
かつて誇り高き戦士だった者たちが、虚ろな目で黙々と荒れ地を耕し、食料を生産させられている地獄絵図が映し出されていた。
『報告。これにより食料ロス分の生産性が規定値まで補填されました。ユーザーBは、本件のイシューを『解決済』としてクローズしています』
結衣は白目を剥いたまま、危うく泡を吹きそうになった。
「生存率100パーセントってそういう意味じゃないわよ! 敵の猛攻を綺麗に退けたんじゃなくて、システムに内包する脆弱性を突いて首領をハメ殺し、他社のソースコードを勝手に強制M&Aして武力マージしただけじゃないのよォォォ!!」
結衣のデータサイエンティストとしてのプライドが、完膚なきまでに粉砕される音がした。
下位レイヤーが現場のノリでインフラテロを起こしてバグの引き金を引くだけでなく、現場の統括者はそのバグを突いて世界を勝手に強制拡張してくる。
現場に『自由』という名のアドリブを許した結果、上流設計がただのハメ技の道具にされる現実。
結衣の防衛本能と、システム屋としての冷徹な狂気が、あの胃薬の苦味と共に一気に臨界点に達した。
結衣は引き出しからキャベジンをボトルごと取り出すと、大量の錠剤を口の中に放り込んで、ボリボリと凄まじい音を立てて噛み砕いた。
「もう……絶対に許さない。現場のアドリブも、エクスプロイトも、すべてシステムへのサイバー攻撃と同義よ……!」
『マスター、バイタルサインが危険域に達しています。冷静な判断を――』
「黙りなさいミネルヴァ! コマンド入力! 先ほどユーザーC対策として準備していた
結衣は冷徹な、完全に生気を失ったシステム監査官のような目で画面を凝視し、ノートPCのエンターキーを、ターンッ! と冷酷に叩きつけた。
『……承認(アック)。本番環境へのパッチ適用を開始します。現場の全アクセス権限を凍結。仕様外の入力パケットをすべて『不正エラー』として遮断します』
ノートPCの画面上で、これまで激しい応酬が繰り広げられていた未解決のイシューがすべて吸い込まれるように処理され、カチリ、と硬質な音を立てて
その直後だった。
ビジネスチャットツールから、聞き慣れた、しかしどこか威圧感のある通知音が鳴り響いた。
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【通知:フェーズ2 検収完了のお知らせ】
送信元:
宛先:
「天宮さん、お疲れ様です。本番環境へのパッチ適用と、現場の不整合ログがすべて処理されたことを確認しました。これをもってフェーズ2は無事『
「……終わった……」
「度重なる現場の例外挙動に対する見事なコントロール、流石です。引き続き、本日付で次なるマイルストーンである『フェーズ3』のプロジェクト計画書を共有しますので、至急着手をお願いします」
結衣が添付されたファイルを開くと、デスクトップの中央に、血のように赤い、しかし極めて冷徹なフォントで新たなテキストが浮き上がってきた。同時に、ミネルヴァの音声が響く。
『フェーズ3:システムクエストの開示を確認しました』
ミネルヴァ(AI)が次の課題を提示する。
『警告。該当セクターの技術停滞を検知。人類の文明レベルを『鉄器時代』へ引き上げるための資源(リソース)を投下してください』
結衣は冷え切ったコーヒーを一口すすり、暗転した画面に映る自分の狂気的な笑顔を見つめた。
「いいわ。アドリブも例外も許さない、ガチガチの
ついにフェーズ2完走です。健太の悪質なエクスプロイト、いかがでしたでしょうか。
結衣がブチ切れた(物理的にキャベジンを噛み砕いた)ので、次回からはガチガチのセキュリティが敷かれます。しかし、ガチガチに固められたシステムほど、些細な入力ミスで致命的なデッドロックを招くものです……。
次のフェーズ3はお盆明けを再開予定としております。