【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する   作:ゆばのくさ

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第24話:「ブラック企業の強行突破と、神の戦慄(後編)」

水曜日、午前九時五十分。

結衣は重い足取りでオフィスに出社した。憂鬱な水曜日の朝である。

 

昨晩の記憶がフラッシュバックする。B(健太)が仕組んだ、被曝線量管理にも似た狂気の「寿命管理(リミット・コントロール)シフト」。致死量の有毒ガスが滞留する摂氏五十度超えのすり鉢の底で、重防護服を着込んだNPCたちが数分単位の命を削りながらツルハシを振るう地獄の光景。

どう考えても、あれが長続きするはずがない。

 

「どうせあの毒の沼地じゃ、一夜明ければ労働力は全滅しているわね……。今日は朝から地形データを以前の復元ポイント(スナップショット)までロールバックして、一からインフラ再構築の残業確定よ……」

 

結衣はため息をつきながらデスクに座り、PCの電源を入れた。

最悪の事態を想定し、システム復旧用のコマンドを頭の中で反芻しながら、メインモニターの環境管理端末(コンソール)にログインする。昨日システムをスリープさせる直前に稼働させていた、現場のNPCの生体ステータスと鉄鉱石の生産推移グラフを開いた。

 

「生存率0パーセント、プロジェクト失敗(フェイタル・エラー)。はいはい、分かって……えっ?」

 

結衣の指が、マウスの上で完全に硬直した。

表示されたグラフは、結衣が想定していた「ゼロに向かって這いつくばる絶望の平坦線(フラットライン)」ではなかった。

鉄鉱石の生産量を示す折れ線グラフは、深夜のデータ更新タイミングから突如として垂直に近い角度で跳ね上がり、信じられない数値を叩き出していた。

 

【現在稼働中の労働ユニット総数:1,580(微増)】

【鉄鉱石の採掘量(日次トラフィック):目標値の120%達成・継続中】

 

「……はぁ!? 生きているどころか、生産ラインが倍速になってる!? あの致死領域でどうやって!?」

 

結衣は慌ててモニターに顔を近づけ、監視カメラモジュールの映像と、昨晩から今朝にかけての行動ログを高速で巻き戻した。

一体、彼らはどうやってあの死の環境を生き延び、あまつさえ生産性を向上させたのか。システム的なバグによるチートか? それとも不正なパラメータの書き換えか?

ログの解析を進めるうち、結衣は信じられない現象を目の当たりにした。

 

それは、システム管理者である結衣ですら予測できなかった、極限のストレス下におけるNPCの『自律進化』であった。

 

Bが初期に構築したトップダウン型の強制労働システムは、世代を重ねるごとに現場の末端へと権限と知見が委譲され、最適化されていた。個々のNPCが自律的に連携し、全体としてひとつの有機的な生命体のように機能する生命体型組織(ティール・オーガニゼーション)へと至っていたのだ。

 

「……信じられない」

 

結衣は、映像の中で蠢くNPCたちの異常な効率性に戦慄を覚えながら、深層学習(ディープラーニング)の解析モデルに彼らの行動パターンを当てはめた。

 

「与えられた『寿命(滞在時間)』という絶対的な制約の中で、生存と生産のスコアを極限まで最大化するために、群知能としてのAIが独自の報酬関数(リワード・ファンクション)を設定して、人間には到底理解できない局所解(ローカル・オプティマ)に到達したんだわ……!」

 

結衣が目を見開いて注視したその『局所解』――NPCたちが自力で到達した物理的な解決策。それは、巨大な『重力式・自動運搬ベルトコンベア』だった。

 

一番のボトルネックは、最深部(レッドゾーン)で採掘した重い鉄鉱石を、急斜面を登って安全地帯(グリーンゾーン)まで「人力で運び出す」という工程にあった。有毒ガスの中での重労働は、NPCの滞在可能時間をわずか2分45秒にまで削っていた。

そこでNPCたちは、採掘と運搬のプロセスを完全に分離した。

彼らが作り上げたのは、電力や蒸気といった動力を一切必要としない、純粋な物理法則だけを利用した大規模なロジスティクス網だった。

 

結衣は、その構造の要となっている『地形』を見て、あっけにとられた。

それは、昨日C(玲奈)が無計画に大量の土砂データをプッシュした結果生まれた、崩壊寸前の「粘土質の急斜面」だった。

 

「嘘でしょ……。Cちゃんが作った『安息角の蟻地獄(バグ)』を、重力位置エネルギーの変換装置として、意図的に仕様として悪用(エクスプロイト)している……!」

 

Cが被せた粘土質の土砂は、表面が異常に滑りやすかった。

NPCたちはその急斜面に木のレールを敷き詰め、摩擦係数を極限まで下げた巨大な滑り台(シューター)を構築していたのだ。

最深部で採掘された鉱石は、滑車の原理を利用した巨大な木製の籠に放り込まれる。そして、その籠を引き上げるための「動力」として使われていたのは、なんとCが中腹に残していった『余剰な粘土の塊(土砂)』だった。

上部から重い粘土をカウンターウェイトとして落とし、その自重による落下エネルギーを利用して、底部の鉱石を一気に安全地帯まで引き上げる。

まさに、ピタゴラスイッチのようなカラクリ。

 

この非同期の自動物流インフラが完成したことで、現場のNPCたちは重い鉱石を背負って斜面を登る必要がなくなった。限られた『2分45秒の寿命』のすべてを、「採掘」という一点のみに全振りできるようになったのである。

無駄な体力を消耗しないため、呼吸の乱れは最小限に抑えられ、有毒ガスの吸入リスクも激減した。結果として生存率は跳ね上がり、採掘効率は目標値の120%を突破するという奇跡のブレイクスルーを果たしたのだ。

 

結衣は背もたれに深く寄りかかり、天を仰いだ。

 

「現場のブラックな執念が……物理法則の壁をハックして、システム要件を力技で突破しちゃった……」

 

その直後。

結衣のコンソール画面の中央に、黄金色の豪奢なエフェクトと共に、待ちに待ったシステム・アナウンスがポップアップした。

 

『マイルストーン達成:【鉄器時代への移行】を完了しました。フェーズ3・クリア』

 

「……やった!」

 

誰もいないオフィスで、結衣は両手で力強くガッツポーズを決めた。

胃を痛めながら仕様の不整合と闘い、吐き気をもよおすようなブラック労働のログを見守った苦労が、ついに報われた瞬間だった。

フェーズ3のクリア要件を満たしたことで、システム内部のバックグラウンド処理が走り出し、時代を制御していた様々なリソースの制限が解除されていく。

 

そして、結衣のサブモニターの隅で、これまでグレーアウトして『オフライン』となっていたタスク管理ツール――Bとの直接連絡用システムである『JIRA(ジラ)』のアイコンが、数日ぶりに鮮やかな緑色に点灯した。

 

【通信制限解除:現場レイヤーとの同期通信ネットワークが再開されました】

 

「よし、JIRAも無事に自動開通した!」

 

結衣は歓喜の声を上げた。

通信回線が復活した直後、JIRAのダッシュボードには「ピコン!」「ピコン!」と連続して通知音が鳴り響き、Bからの新規チケット(メッセージ)が凄まじい勢いでキューに溜まり始めた。アイコンのバッジは瞬く間に「99+」という赤い警告色に染まる。

 

しかし、結衣はマウスのカーソルをそちらへ向けることはなかった。

彼女の意識はすでに、システム管理者としてのタスクから、一人の俗物的なサラリーマンのそれに切り替わっていた。

 

「未読のクレーム? どうせあのBさんのことだから『環境が劣悪すぎる』だの『仕様のせいでおれの部下が何人倒れたと思ってる』だの、恨み節の連発でしょ。フェーズ3の重要マイルストーンをクリアしたんだから、細かい環境バグの修正なんて、リリース後の保守(マイナーアップデート)対応で十分よ」

 

結衣は軽快な手つきでコンソールのウィンドウを閉じ、システムのステータスを『正常稼働』でロックした。

 

「これで今期のプロジェクトは私の完全勝利、文句なしのA査定よ! 冬のボーナスは満額確定だし、今週末は有給使って三連休にして、ちょっと良い温泉宿にでも行っちゃおうかしら」

 

時刻は17時30分。

結衣は定時のチャイムが鳴ると同時にPCをシャットダウンし、意気揚々とデスクを立ち上がった。

 

その裏で、システムの末端である現場レイヤーにおいて、Bがブチギレながら構築し続けている「巨大な自動化オブジェクト群」が、環境リソース(メモリとクォータ)を真っ赤に圧迫し始めていることなど、彼女は知る由もない。

そして、未読のまま放置されたJIRAのチケットの山が、明日の朝、結衣のボーナスと有給を根底から粉砕する「最悪の爆弾」となることも。

 

「お疲れ様でしたー!」

 

結衣はウキウキとした足取りでタイムカードを打刻し、完全な勝利を確信しながら、足早にオフィスを後にした。

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