【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する   作:ゆばのくさ

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第27話「上流工程の罠:バックドア設置と時間同期」

木曜日の午前10時。

オフィスの自席で冷めきったブラックコーヒーを口に含みながら、結衣はメインモニターに表示されたカウントダウンを睨みつけていた。

 

『監査機構による強制初期化まで、残り32時間分』

 

画面の右下に浮かぶ、冷徹なタイマー。金曜日の18時――それが、上位システムがこの世界を「更地(フォーマット)」にするデッドラインだった。

 

「ふぅ……さて、と。データクレンジングの時間ね」

 

結衣はポニーテールを固く結び直し、指の関節をポキポキと鳴らした。

昨夜、JIRAのコメント欄越しに現場責任者・Bと成立させた「言葉なき休戦協定」。あの「定型文の裏読み」によって、彼らの目標は一つに絞られた。

理不尽な監査機構(クソ運営)をハックし、世界の初期化を阻止すること。

 

だが、結衣は決して楽観していなかった。

プロのデータサイエンティストとしての予測モデルが、彼女の脳内で不吉なシミュレーション結果を弾き出し続けている。

 

(明日の金曜日、監査AIが指示に従わない私たちを『制御不能なバグ』と最終判定した瞬間、私の管理者権限(ルートアカウント)は間違いなく凍結《ロック》される……確率にして99.9%ね)

 

権限を奪われれば、モデルの更新もパラメータ調整も一切不可能になる。通常なら、そこで詰み(チェックメイト)だ。

ならば、どうするか?

 

「奪われる前に、裏口《バックドア》を掘るのよ。……それも、監査モデルの学習データに引っかからない特大のやつをね」

 

結衣の指が、キーボードの上で爆音を立てて走り始めた。

目標は、本番環境のデータ構造の深層領域。通常アクセスでは絶対に検出されない死角に、特定条件で発動する『特権命令注入(コマンド・インジェクション)』のパイプラインを埋め込むことだ。

 

自分の管理者権限がロックされたとしても、一般ユーザーの通常アクセスを踏み台(プロキシ)にして、裏からデータ構造を書き換えられるようにする。

監査AIの常駐監視プロセスが統計ログを巡回してくるタイミングを正確に見極め、異常値のノイズをカモフラージュしながら、結衣は極小の暗号化パッチを本番サーバーの奥底へ滑り込ませていった。

 

 

 

昼休憩を挟み、木曜日の午後2時。

 

「よし、裏口《バックドア》の設置は完了。……次は『トリガー』の仕込みね」

 

結衣は画面の一部に、ユーザーC(玲奈)の行動ログ解析ダッシュボードを呼び出した。

いくら裏口を用意しても、それを外から「叩く」役割が存在しなければ意味がない。結衣のアカウントが凍結された後、監査AIの目を掻い潜って本番環境にデータをねじ込めるのは、システムから異常値として警戒されていない「純粋な一般ユーザー」だけだ。

 

そして、ユーザーCの行動クラスタリングデータは極めて異常かつ明快だった。

平日は学業やバイトがあるのか、必ず『18時以降(定時後)』にしかログインしてこない。そしてログインすれば、周囲の迷惑を一切顧みず、効率と自己利益(バイト代)のためだけに環境を破壊・改変していく。

 

(……まさにサイコパス。でも、行動インセンティブがここまで単純なら、予測と誘導は容易いわ)

 

金曜日の18時――監査機構の強制初期化が執行される、まさにその瞬間。そこにユーザーCのログインとアクションを誤差ゼロで叩きつける必要がある。

 

結衣の口角が、冷酷なデータサイエンティストの笑みに吊り上がった。

 

「ユーザーCの行動原理なんて、分析済みよ」

 

結衣は、ユーザーCがログインした際に画面の隅に表示される『システム非同期通知ログ(ダミー・アラート)』の領域へアクセスした。

そこに、いかにもシステム側が自動発行したかのような、精巧な「偽の警告メッセージ(疑惑セット)」を書き込んでいく。

 

 

【重要:未承認オブジェクト処理に伴うシステム警告】

 

現在、該当インスタンスにおいて環境不整合の調査が実施されております。

次回定期メンテナンス(金曜18時)の時点で、ユーザーによる新規データの確定保存(コミット)が確認できない場合、未払いとなっている【建築作業報酬(特別バイト代)】のデータがシステム上から消失する可能性があります。

 

【推奨対応】

金曜18時00分までに、現地にて任意の地形オブジェクト(土砂等)を設置(プッシュ)し、データの生存フラグを更新してください。

 

「できたわ……! 利益獲得への執着が異常なあのサイコパスなら、この通知を見た瞬間、自分のバイト代を守るために金曜の18時ピッタリに土砂を投げ込んでくるはず……!」

 

一般ユーザーCを「意図的な共犯者」にすることなく、その利己的な行動アルゴリズムだけを確率100%のトリガーとして利用する。完璧な実験設計だった。

 

 

木曜日の夕方5時。

 

バックドアの構築と、ユーザーCへのトリガー仕込みは終わった。

だが、まだ足りない。

金曜18時に結衣が仕掛けを起動するまでの間、監査AIの「リセット執行プロセス」そのものを物理的に遅延させるための『時間稼ぎ』が不可欠だった。

 

「監査AIの処理サーバーを、物理演算の負荷で窒息させてちょうだい……Bさん」

 

結衣はJIRAの画面を開き、監査AIの監視ログ(発注者側の目)に引っかからない「業務上の建前」を完璧に装った文面を打ち込んだ。

 

 

【管理者:A(結衣)からの追記指示】

件名:環境アップデート適用前における連続負荷試験(エージング)の要請

 

現場責任者様

 

金曜18時の【大幅アップデート】適用に向け、現在の環境レイヤーにおける限界耐性をあらかじめ検証する必要があります。

つきましては、本日夜間から明日にかけ、現場におかれましてはシステム限界値付近での【連続負荷エージング試験】の実施を強く推奨いたします。

最大出力での挙動維持、および物理演算ログの継続的な出力をお願いいたします。

 

文面はどこからどう見ても、データモデル公開前の健全な「ストレステスト要請」だ。

だが、その裏に隠されたメッセージは違う。

 

(※リセットを少しでも遅らせるために、今夜から明日かけて、全力で【嫌がらせの高負荷(DDoS攻撃)】をかけてサーバーをパンクさせなさい!)

 

送信ボタンを押してから、わずか三分後。

画面の向こうのBから、待っていましたと言わんばかりのレスポンスが返ってきた。

 

 

【報告者:Bからの返信】

要請、承知いたしました。

本日夜間シフトより、現場の総力を挙げて規定限界値までの【エージング(ふいごの追加デプロイ、および超高速往復運動)】を継続いたします。

サーバーの物理限界まで、現場の責務を果たします。

 

「『ふいごの超高速往復運動』って何よ……狂気の物理演算ね……」

 

結衣は思わず苦笑した。

現場(B)が物理演算の暴走でサーバーのリソースを食い潰してくれれば、監査AIのリセット処理はCPUの奪い合いによって劇的に遅延する。これで、金曜日の時間を稼ぐ算段がついた。

 

 

夜の9時。静まり返ったオフィスで、結衣は仕込みの「最終工程」に入っていた。

 

「さあ……一番美しく、最も精密な時系列モデルを組み込むわよ」

 

結衣がローカルリポジトリの奥底から引き出してきたのは、かつて第19話・第20話のミドルウェア大混乱期に自作した、思い出深いソースコードのファイルだった。

 

時間同期パイプライン(タイム・シンクロナイザー).py』

 

上流(A・結衣)、中流(C・ユーザーC)、現場(B・健太)。

この世界は、三者の置かれた環境によって処理の時間軸がミリ秒単位でズレている。

現場では300年という膨大な仮想時間が流れ、ユーザーCは夜間に気まぐれでログインし、結衣はリアルタイムのデータストリームと戦っている。

 

もし、金曜18時の作戦決行時に、この「時間軸のズレ」や「通信のタイムラグ」が発生すればどうなるか?

ユーザーCの土砂プッシュと、結衣のバックドア起動、そしてBの負荷攻撃のタイミングがコンマ一秒でもズれれば、監査AIの検知に引っかかり、作戦はすべて水泡に帰す。

 

「だからこそ、ここでかつてのパイプライン処理を再利用《リファクタリング》する……!」

 

結衣は『時間同期パイプライン』のモジュールを裏口のバックドアへと組み込み、強制同期の収束点《ターゲット・タイム》を再設定した。

 

『強制収束目標:システム標準時 金曜日 18時00分00秒』

 

上流の演算マップ。

現場の嫌がらせ高負荷。

中流の土砂プッシュ。

 

バラバラに動く三つのレイヤーの時間軸を、この「金曜18時」という絶対的な特異点に向けて、コードの力で強制的に引き寄せ、収束させる。

 

どんなに通信遅延が起きようが、どんなに処理が重くなろうが、すべてのイベントが『金曜18時00分』という同一の瞬間に一斉に「せーの」で噛み合うように、時間の歯車をガチガチに固定化したのだ。

 

キーボードを叩く結衣の瞳に、深夜のモニターの青い光が反射する。

 

「バックドアよし。トリガー仕込みよし。時間稼ぎの負荷要請よし。そして……時間同期パイプライン、再駆動よし」

 

結衣が最後のエンターキーに指を乗せようとした、その瞬間だった。

画面上でガタガタと崩れていく同期パケットのタイムスタンプが目に入った。Bの高負荷のせいで、システム全体の通信が不安定になっているのだ。エラーログの赤が、結衣の瞳を絶望的に染め上げる。

 

「ダメ、パケットの到達順序が完全に狂ってる……! このままだと世界線の整合性が崩壊して同期が失敗する――」

 

悲鳴を上げそうになったその時。

画面の最下行、カーソルが点滅するログウィンドウの隅に、極小のテキストが連続で刻まれ続けていることに気づいた。

[PID: 0000] Ping -> Yui_Console... ACK (0.1ms)

[PID: 0000] Ping -> Yui_Console... ACK (0.1ms)

送信元:Unknown Process。

 

結衣が呼び出していないはずの最上位システム権限(PID: 0)から、絶え間なく送られてくる微弱な生存確認のシグナル。

まるで――荒波に呑まれかける結衣のコンソールを、システム監視の闇の中からじっと見つめ、見守っているかのように。

 

「……誰? 誰が私のログを見てるの……?」

 

だが、結衣に迷っている暇はなかった。すべての仕込みを終わらせなければ、明日の監査で全てが終わる。

 

「……まあいいわ。今は通信が繋がっていることが最優先よ」

 

カタ、と最後のエンターキーを静かに叩いた。

すべての仕込みが完了した。

 

結衣は椅子の背もたれに深く体を預け、天井を見上げた。

自分の手元にあるカードはすべて伏せ終えた。あとは明日、金曜日の決戦を迎えるだけだ。

 

「私の完璧なデータモデルをバグ扱いしたこと……ボーナスと有休を脅かしたこと……」

 

暗いオフィスに、結衣の低く、冷ややかな声が響く。

 

「地獄の果てまで、後悔させてあげるわ……クソ運営(システム監査機構)」

 

決戦の金曜日――世界のフォーマットと、権限凍結のカウントダウンが、静かに刻限を進めていた。

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