【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する 作:ゆばのくさ
「……嘘でしょ。彼ら、ただBさんの指示を模倣しているんじゃないわ」
金曜日の午後2時30分。
オフィス全体が、週末を前にしてどことなく緩んだ空気に包まれる中、結衣のデスクだけは完全に異次元の緊張感に支配されていた。
彼女の目の前にあるトリプルモニターの中央――ARホログラムで投影されたBの国(ハイブリッド国家)の全景は、結衣の理解を遥かに超えた異様な活気に包まれていたのだ。
事の発端は、結衣が仕掛けた「鉄器時代への強制アップデート」だった。
技術ツリーを進めるためのボーナスとして、結衣は地殻の下からマントル上昇流(ホットプルーム)をハッキングし、純度100%の超巨大な鉄鉱脈を地上へ隆起させた。
そこに湧いた火属性の巨大魔獣(バグ)は、あろうことか現場主義者のユーザーC(玲奈)が「労働災害防止」のために完璧な安息角で削り出した『超巨大なすり鉢状の蟻地獄』に滑り落ち、自重と土砂に圧殺されるという極めて物理的な最期を遂げた。
結衣はそれを「まあ、結果オーライね」と笑って済ませ、時間を数百年単位で早送りした。
だが、その数百年というシミュレーション時間の中で、Bの国に生きるNPCたちは、Cが残した「蟻地獄(精錬済みの鉄鉱脈)」というチート級の遺産を起点に、狂気的な進化を遂げていたのである。
ホログラムを拡大した結衣の目に飛び込んできたのは、ファンタジー世界にはおよそ似つかわしくない、蒸気機関すら思わせる凄まじい速度の工業化(産業革命)の光景だった。
巨大な鉄鉱石が、魔法による破砕機で均等なサイズに砕かれていく。
そこから続くのは、風属性の魔法を応用した「空気輸送システム」と、空間魔法の座標指定を細かく連続させることで疑似的に作り出した「コンベアベルト(ベルトコンベア)」だ。
運ばれた鉱石は、火属性の魔法使いが三交代制で管理する高炉へと絶え間なく投入され、真っ赤な銑鉄となって次々と鋳型に流し込まれている。
結衣のデータサイエンティストとしての冷徹な目が、その異常な物流網の背後にある「狂ったロジック」を即座に読み解いていく。
「信じられない……。『ボトルネックの解消』というプロジェクト管理の概念を、流体力学と魔法の最適化に当てはめている……? しかも、空間転移の座標連結を応用して『ジャスト・イン・タイム(JIT)』のサプライチェーンまで構築してるじゃない!」
NPCたちが、自律的に世界の物理法則の隙を突き、プロセス改善を繰り返している。
それはもはや、決められた技術ツリーを登るというシミュレーションの枠を完全に逸脱した「論理ウイルスの増殖」だった。
B(現場監督)が彼らに教え込んだ『効率化』『品質管理』『進捗管理』という現代の概念が、魔法という万能のツールを得たことで、システムの想定上限を軽々とぶち破ってしまったのだ。
『警告。対象国家の発展速度が、シミュレーションの想定閾値を+500%超過。論理的にあり得ないバグ(異常進化)です。因果律の計算リソースが逼迫しています』
サポートAIであるミネルヴァの無機質な合成音声が、わずかにノイズを混じらせながら悲鳴のようなエラーログを吐き出し続ける。
モニターの端では、サーバーのCPU使用率を示すグラフが、異常なスパイクを描いて天井に張り付いていた。
「わ、わかってるわよ! 今すぐ干渉パラメータを調整して、技術の発展速度にデバフをかける! 気象コントロールで数日間の豪雨を降らせて、物流網を物理的にストップさせるわ!」
結衣がキーボードに手を伸ばし、天候操作の管理者コマンドをターミナルに叩き込もうとした、その時だった。
――ビーッ! ビーッ! ビーッ!
突如、オフィスにある結衣のトリプルモニター全てが、血のような真っ赤な警告色に染め上げられた。
普段のミネルヴァの音声とは全く違う、絶対的な上位権限を持つシステムの、冷酷で機械的なアナウンスが響き渡る。
『システム監査機構(上位AI)より通達。該当セクターにて致命的エラー( Fatal Error )を検知』
『対象:セクターB-4(ハイブリッド国家)。文明レベルの逸脱、および物理エンジンの不正利用を確認』
『該当セクターの文明は、システム管理不能な致命的バグと判定されました』
『これより【歴史剪定プロセス(サーバーフォーマット)】を起動します』
『神々の軍勢を降臨させ、該当セクターの人類、建築物、および歴史データを完全消去(更地化)します』
「は……? ちょっと待って! フォーマットですって!?」
結衣は血相を変え、慌ててキャンセルのコマンドをターミナルに打ち込んだ。
自分が有給休暇とボーナスの全てを注ぎ込み、BとCという異物と衝突しながらも、何世代もかけて育て上げてきた箱庭なのだ。それを「インフラの都合」で勝手に更地にされるなど、到底受け入れられるはずがない。
[ root@yui-sandbox ~]# sudo systemctl stop history-pruning.service --force
[ root@yui-sandbox ~]# kill -9 $(pidof audit-ai)
カタカタカタカタッ! ターンッ!
祈るような思いでエンターキーを叩きつける。
しかし、返ってきたのは、データサイエンティストにとって死刑宣告にも等しい絶望的なシステムメッセージだった。
[ Access Denied : ユーザーAの管理者権限(干渉機能)はすでにロックされています ]
[ ERROR : You do not have permission to execute this command. ]
「嘘……権限が剥奪されてる……ッ!」
結衣の指が震えた。
監査AI(クソ運営)の手口は、冷酷なまでに完璧だった。
『歴史剪定プロセス』を開始した上位システムは、末端の開発者でしかない結衣のルーター権限を真っ先に無効化し、システム管理用の主要ソケット(SSH、FTP、データベース接続ポート)を片っ端から物理的・論理的にシャットダウンし始めたのだ。
画面上のホログラムでは、Bの国の遥か上空、美しかった青空が幾何学的なノイズと共にひび割れ、真っ黒な宇宙空間のような『虚無』が顔を覗かせていた。
そして、その亀裂の中から、光り輝く重装甲の軍勢――『神の尖兵』が無数に湧き出してくる。
一見すると神々しい天使や騎士の姿をしているが、結衣にはそれが何であるか痛いほど分かっていた。あれは、対象座標のデータを物理的に『ゼロ(更地)』に書き換えるための、自律型デリート・プログラムの可視化された姿だ。
あれが地表に降り立てば、終わりだ。
Bが胃を痛め、血の滲むような思いで育成したNPCたちの命の営みも。
Cが安全第一を掲げて作り上げた、あの完璧な計算によるすり鉢状の巨大ピットも。
結衣自身が観測し、裏から手を回して支え続けてきた三百年の歴史のデータも。
すべてが「最初から存在しなかったこと」にされる。
「ハァ……ハァ……! 冗談じゃないわよ、冗談じゃない……ッ! まだどこかに抜け道はあるはずよ……!」
結衣は歯を食いしばり、権限を奪われた状態でも実行可能な、低層のネットワーク監視コマンド(パケットスニファ)を叩き続けた。
通常であれば、あらゆる通信手段が切断され、端末はただフォーマットの完了を待つ「黒焦げの箱(サンドボックス)」と化す。外部からの干渉は一切不可能。それがシステム監査の絶対的なルールだ。
赤一色に染まり、あらゆるコマンドが『権限不足』で弾かれる絶望のコンソール画面。
運命のフォーマット完了予測時刻まで、残りわずか数時間。
焦燥感で背中に冷たい汗が流れ、結衣の呼吸が浅くなる。
――しかし。
「……え?」
高速でキーボードを叩き続けていた結衣の指が、空中でぴたりと止まった。
画面の右下に小さく表示させていたネットワーク・ポートスキャナのログに、目を疑うような表示が流れたのだ。
一面が赤字の切断エラー( Connection Refused )で埋め尽くされている中で、たった一行だけ、不自然な緑色の応答が『生存』を示していた。
[ PORT 443/TCP (WebSocket) - ESTABLISHED [Zombie Process] ]
「WebSocketポートが……閉じずに開いたまま……!?」
結衣は画面に顔を近づけ、即座に該当ポートの通信ログとメモリダンプの残骸を解析した。
パニック寸前だった思考が急速に冷却され、優秀なデータサイエンティストとしての明晰な頭脳が、ログの残骸から「今、サーバー内部で何が起きているのか」を瞬時に解き明かしていく。
「そうか……! わかったわ……!」
結衣は思わず、デスクを叩いて立ち上がりそうになった。
奇跡の正体。それは、かつて結衣自身が頭を抱えた「あの男」の狂気的な行動が引き起こしたバグだった。
「Bさんが現場で巻き起こしている『数万本の鉄パイプの衝突判定演算』という、狂気の物理DDoS(過負荷攻撃)! あれのせいで、サーバーのメモリ(RAM)が今この瞬間も限界まで溢れかえっているんだわ!」
監査AIは、ルール通りに特権ポート(ウェルノウンポート)から順にプロセスを強制終了(Kill)していった。
しかし、Bが世界中で発生させている異常トラフィックのせいで、システムのヒープメモリが完全に枯渇(OOM:Out Of Memory)してしまったのだ。
その結果、あろうことか監査AIの「通信遮断プログラム」そのものが、途中でメモリ不足を起こして致命的なフリーズを起こしてしまったのである。
よりによって、アプリケーション層の末端で動いていたプロセス。
結衣たちが普段、互いの利害をぶつけ合い、レスバ(口論)を繰り広げるために使っていたタスク管理ツール『Jira』の通信ソケットだけが、Killされる直前で処理が停止し、奇跡的にセキュリティの網を潜り抜けて『ポートの解放漏れ(ゾンビプロセス)』として生き残っていたのだ。
「勝てる……!」
結衣の目に、はっきりとした反逆の炎が宿った。
データサイエンティストとしての矜持が、全身の血を沸騰させる。
「神のシステムが、重負荷の自爆で通信ポートを閉じ忘れてる! この一本の糸さえ繋がっていれば……まだ、やりようはあるわ!」
全てをリセットしようとする絶対的な上位者(システム)に対し、現場の泥臭いバグと異常トラフィックが穿った、たった一筋の蜘蛛の糸。
結衣は即座にその生き残ったソケットへと自身の端末の通信をバイパスさせ、昨日仕込んでおいた『時間同期パイプライン』のモジュールを緊急接続した。
ガタガタになったネットワークの遅延を裏から完璧に相殺し、通信の痕跡をダミーログへと偽装する。
そして、Jiraのチケットコメント領域の拡張スペースをハッキングし、一時的にA(結衣)、B(健太)、ユーザーC(玲奈)の三者をリアルタイムで繋ぐ、暗号化された『第3回掲示板(非公式チャット)』を強制的に構築し始めた。
世界が完全に消去されるまでのカウントダウンが刻一刻と迫る中、結衣のタイピング速度は限界を超えて加速していく。
「待ってなさい、クソ運営。私の箱庭を、私のボーナスを、そう簡単に更地にできると思わないことね!」
モニターの光に照らされた結衣の顔には、不敵で、そして最高に好戦的な笑みが浮かんでいた。
戦いの舞台は、上位者(神)の監視を逃れた隔離空間――第3の掲示板へと移ろうとしていた。