【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する   作:ゆばのくさ

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第3話をお開きいただきありがとうございます。

マイナス40度の大寒波という過酷なイベントに対し、有能な社畜・結衣が物理演算の暴力で殴り合います。お楽しみください。


第3話:間引きイベントと、数万回のモンテカルロ法

『――システム警告。フェーズ1規定サイクル到達に伴い、環境負荷テスト(ストレステスト)を実行します。対象エリア、セクターB全域にマイナス四十度の大寒波(ヴュルム氷期)をシミュレート』

 

「ちょっと待てコラアアアアアアアア!!!!」

 

脳髄を直接引っ掻き回すような真っ赤な警告灯(レッド・アラート)が、暗い六畳間の仮想空間を埋め尽くした瞬間。私は喉が裂けんばかりの悲鳴をあげ、デスクに突っ伏しそうになった。

 

目の前のホログラム地球儀が、みるみるうちに禍々しい純白へと凍りついていく。

視界の端に表示された人類NPCの生存予測曲線は、信じられない角度の垂直落下を始めていた。ド直角である。ゼロへ向かって、まるで重力加速度に従うかのように墜落している。

 

「はぁ!? マイナス四十度!? バカじゃないの!? なんで旧石器時代の初期テストで氷河期が来るのよ!?」

 

『回答。本環境シミュレーターがフェーズ1の規定稼働時間に到達しました。システムは人類NPCの環境適応および生存能力を測定するため、意図的に極端気象を発生させる【環境負荷テスト(ストレステスト)】へと自動移行しました』

 

「冗談じゃないわよ! チュートリアル直後にラスボスをぶつけるような鬼畜仕様じゃない! これじゃ今期の納期に間に合わない! ここで全滅したらまた最初からやり直し(リロード)で、私の週末の休みが無くなっちゃうじゃない!」

 

私は狂ったように自身のショートヘアを掻きむしった。

せっかく完璧な農耕モデルの基礎を築き、あの大変素晴らしい組織論で動く超AI(推し)の部族を見つけたというのに。ここで氷漬けにされてリセットなどされれば、私の費やした残業時間がすべて水の泡である。

 

『ユーザーA、心拍数の急上昇を確認。現実世界のデスク上の液体カフェイン兵器(ブラックコーヒー)による一時的なバフは、のちの最大級の頭痛(デバフ)として返ってきます。ログアウトして睡眠を推奨します』

 

「うるさいミネルヴァ! 週末の休みを守るためなら、心臓の二、三個くれてやるわ! 開発者モード、強制展開!」

 

私は現実世界の手元にある、泥のように濃いトリプルショットのコーヒーを胃袋に流し込み、空中にデバッグ用の仮想キーボードを召喚した。十指をホームポジションに置くと同時に、ホログラム空間に無数のコンソール画面が展開される。

 

気象データを読み込んだ私の顔から、スッと血の気が引いた。

 

「……最悪。非線形流体力学(大気循環モデル)のエラーね。大寒波の風向予測が、カオス理論で完全に発散(オーバーフロー)してる」

 

気象というのは、極めて複雑な流体力学の産物だ。

ナビエ・ストークス方程式と呼ばれる流体の運動方程式があるが、これは少しの初期値のズレが、結果に天と地ほどの差を生む。いわゆるバタフライ・エフェクトだ。

マイナス四十度の暴風がどこから吹き下ろし、どのように地形を舐め、どこを凍らせるのか。もはや通常の線形予測では計算不可能だった。システム自身でさえ、どこが安全地帯になるのか予測できていない。

 

「システム権限で、この大寒波そのものを消去(デリート)することはできないの!?」

 

『不可能です。この定期イベントはメインサーバーのコアプロセスに直結しています。下請け権限であるユーザーAに、イベント自体のキャンセル権限は付与されていません』

 

「っ……! 権限もないのに丸投げとか、これだから元請けの仕様書はクソなのよ……!」

 

文句を言っている間にも、ホログラム上の白い死の領域は、私のお気に入りであるセクターB―4の部族へとジワジワと迫りつつある。

 

正面からぶつかれば、彼らは一瞬で凍死するだろう。毛皮の服すらないのだから。

大寒波そのものを消せないのなら、どうするか。

 

答えは一つ。大寒波の進路を計算し尽くし、ほんの僅かな「安全地帯」を意図的に作り出すことだ。

データサイエンティストのやり方で、この理不尽な確率の暴走を力技でねじ伏せるしかない。

 

「試行回数(n)をまずは十万回に設定! アンサンブル予報(モンテカルロ・シミュレーション)を開始!」

 

私の両手が虚空のキーボードを激しく叩く。

モンテカルロ法――乱数を用いて無数のシミュレーションを繰り返し、その結果の平均をとることで近似解を得る手法。乱数(カオス)の暴走を、圧倒的な計算量による大数の法則で塗り潰し、確率分布のブレを中央値(期待値)へと強制収束(コンバージェンス)させる荒業だ。

 

ホログラムの地球儀の上に、幾重もの気流のシミュレーションラインが重なっては消えていく。

 

『シミュレーション第一陣、完了。……対象エリアの生存率、〇パーセント』

「クソッ、風が回り込んでる! パラメータ調整、地形の摩擦係数を再入力! 試行回数を五十万回へ引き上げ!」

『シミュレーション第二陣、完了。……対象エリアの生存率、〇・二パーセント』

「まだ足りない! 乱数のシード値を変更して並列処理!」

 

キーボードを叩く指が残像を描く。

だが、どれだけ計算させても、セクターB―4を極寒の風から守り切れるルートが見つからない。平坦な地形では、容赦なく吹き荒れる冷気を防ぐ壁がないのだ。

 

「壁……防風の壁……そうだ!」

 

私はハッと息を呑み、第2話で自分が苦し紛れに配置したマップオブジェクトのデータを引っ張り出した。

あの有能な部族(推し)を北の寒風から守り、安全に定住させるために、私が依怙贔屓(えこひいき)で意図的に隆起させた不自然な地形。

 

「私が置いた防風山脈! あの山脈の地形データと、高度による滑降風(カタバティック・ウインド)の温度変化をシミュレーションに組み込んで!」

 

『了解。地形データ(山脈)を環境変数へ統合。……しかしユーザーA、現在の演算リソースでは処理が追いつきません』

 

「だったら回しなさいよ! 試行回数(n)を一千万回へ拡張! 私の全端末のリソースを突っ込んでいい! この山脈の風下に、絶対に死角が存在するはずよ!」

 

『……了解。論理クロックを限界まで引き上げます。――全並列演算コア、定格不問(オーバークロック)始動』

 

ミネルヴァが口では冷徹に突っ込みつつも、バックグラウンド処理の最適化を全力で手伝ってくれる。

ホログラム上に無数に展開された非線形偏微分方程式の光の羅列が、ミネルヴァのオーバークロックによって超高速で処理され、幾筋もの太い光の柱となって仮想の大陸へと突き刺さっていった。

 

現実世界の東の空が白み始めていた。

私の頭痛はすでに限界を迎え、胃の奥からは不快な酸の匂いがせり上がってきている。孤独な徹夜デスマーチ。それでも、指だけは止めなかった。

 

数万、数十万、数百万回。

確率の濁流を力技で濾過(ろか)していく、執念の演算。

 

そして夜明け前。ついに、その瞬間は訪れた。

 

『演算完了。……シミュレーション結果が、単一の解へ収束しました』

 

アラートの赤光が消え、ホログラムが落ち着いた青緑色へと切り替わる。

私は充血した目で、空中に浮かび上がった等圧線と温度分布のグラフを睨みつけた。

 

私が配置した、あの巨大な防風山脈。

その南側のふもとにだけ、極寒の寒気が奇跡的に回り込まず、上空をすり抜けていく極小の温暖な気流のポケット(セーフティ・シェルター)が発生する確率分布が、鮮明に描出されていた。

山脈が北風を完全にブロックし、さらに気圧の谷間が生じることで、その一点だけがマイナス四十度の世界の中でプラス五度を維持する計算になっている。

 

「……勝った」

 

私はカチャリ、と最後のエンターキーを叩き、深く背もたれに寄りかかった。

 

「この山脈の風下、座標X:144、Y:209のポケット。ここに寒波が到達する直前に気象誘導をかければ、あの有能な部族は生き残れる。完璧な気象モデル。完璧なデータサイエンスよ」

 

『肯定します。生存予測率、九九・八パーセントへと上昇しました。ユーザーAの異常な執念に、システムの論理演算が敗北した形となります』

 

「ふふふ……言うじゃない、ミネルヴァ。これで私の週末の休みは完全に守られたのよ……!」

 

目の下にクマを作った私は、勝利を確信した邪悪な社畜スマイルを浮かべた。

これで終わりだ。あとは時間を進めて、彼らが生き延びるのを見届けるだけである。




第3話をお読みいただきありがとうございました。

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