【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する 作:ゆばのくさ
金曜日の午後3時15分。
結衣の放った『時間同期パイプライン』のモジュールが、サーバーの深淵で生き残っていた一筋の蜘蛛の糸――JiraのWebSocket通信ソケットに噛み合った。
ガタガタに崩壊しかけていたネットワークの遅延(ラグ)が、裏側から流し込まれたNTPパッチによって強制的にゼロへと補正されていく。
結衣のトリプルモニターの中央、赤一色に染まった絶望のエラーログの海の上に、場違いなほど見慣れたタスク管理ツール『Jira』のウィンドウがポップアップした。
『Connection Established:第3回 非公式チャット(拡張コメント領域)を開設しました』
結衣は息を呑み、震える指でキーボードを叩き始めた。
フォーマット完了予測時刻まで、あと3時間弱。猶予はない。
結衣(A):「Bさん、ユーザーC、聞こえる!? 今すぐこのコメントを見て! 緊急事態よ!」
送信から、わずか二秒。
画面の向こうから、待ち構えていたかのように二つのレスポンスが同時に叩きつけられた。
玲奈(C):「あ、Aさん! 見てくださいよ今のBさんの国! 私が安全第一で作った蟻地獄(巨大ピット)の跡地を利用して、超効率的な露天掘り鉱山が稼働してます! リサイクル率100%! 環境にも配慮した持続可能な現場! 私、現場監督として天才じゃないですか!?(ドヤ顔)」
健太(B):「聞こえています。こちら現場責任者。現在、上流からの指示通り『エージング試験(物理演算の限界投入)』を継続中。先ほどから空のテクスチャがバグっているようですが、そちらの状況は?」
呑気すぎるドヤ顔報告と、異常事態下でも淡々と負荷テストを続ける現場からの業務報告。
結衣は頭痛を堪えるように深呼吸をひとつし、怒りと焦りを交えた文字を画面に叩きつけた。
結衣(A):「いいから聞いて! 天才だの負荷テストだの言ってる場合じゃないの! この世界が、上位の『システム監査機構(クソ運営)』によって、あと数時間で全消去(フォーマット)されようとしてるのよ!」
午後3時20分。
チャット欄の更新がピタリと止まり、画面の向こうに重苦しい沈黙が流れた。
最初に反応したのは、現場の指揮官・B(健太)だった。
健太(B):「……全消去、ですか。それは、どういう意味でしょうか。再起動(リブート)や、ロールバックではありませんね?」
結衣(A):「ええ、文字通りの『更地化』よ! BさんのNPCたちが想定以上の異常進化を起こしたせいで、システムが管理不能な『バグ』だと判定したの。インフラの監査都合で、世界の歴史ごと全部まとめて消されるわ! 私の管理者コマンドも権限ロックで完全に拒否された!」
Jiraの無機質なテキスト画面越しであっても、結衣にははっきりと分かった。
画面の向こう側で、B(健太)の纏う雰囲気が、氷のように冷たく、そして火山のように熱く変貌したのを。
健太(B):「……ふざけるな」
Jiraに打ち込まれたのは、普段の彼からは想像もつかない、剥き出しの感情だった。
健太(B):「俺が何世代も胃を痛めて、過労死寸前になりながらNPCの命と時間を削って育て上げたこの国を……必死に生きる部下たちの営みを……『管理不能なデータ』だからという理由だけで消されてたまるか。……ふざけるな。絶対に許さない。運営(神)を、ぶっ殺すぞ」
静かなる殺意。
これまで「上流(システム)」と「現場」という立場で結衣と争い合ってきた男が、初めて真の敵を見定めた瞬間だった。
だが、感動的な決意が掲示板を包み込もうとしたその直後、次元の違う怒りを爆発させた「異物」が乱入してきた。
玲奈(C):「は????? ちょっと待ってくださいよ!?!?!?」
画面を埋め尽くす大量のクエスチョンマーク。
ユーザーC(玲奈)からの猛烈な連投が始まる。
玲奈(C):「全消去って何ですか!? つまり、私が安全基準を完璧に満たして施工したあの美しい『蟻地獄』も、全部無かったことにされるってことですか!? 事前に近隣説明会も、立ち退き交渉もなしに!? いきなり更地化だなんて、完全な『無許可の違法解体』じゃないですか!!」
結衣(A):「え、ええ、まあ、監査AIにリセットされたら、あなたの現場成果も全部ゼロになるわね……」
玲奈(C):「冗談じゃないですよふざけないでください!!!!! 私の現場成果をナメないでください!! それに、今日までの未払いバイト代(特別手当)はどうなるんですか!? 労災隠しどころか、労働の対価まで踏み倒す気ですかあのクソ運営は!!」
情緒的な「世界の危機」や「NPCの命」には一切見向きもせず、ただ自身の「労働の対価(金)」と「現場の施工成果」が無許可解体されることだけに本気でブチギレる、生粋の現場主義者(サイコパス)。
結衣は、絶望的な状況であるにもかかわらず、デスクで不敵な笑みをこぼした。
結衣(A):「(相変わらずのサイコパスだけど……これ以上なく頼もしいわね……!)」
これまで「データサイエンティスト(A)」「現場監督(B)」「現場主義者(C)」として利害をぶつけ合い、すれ違い続けてきた三人。
だが今、彼らは「理不尽な運営(神)への反逆」という一点において、完全にひとつに結ばれたのだ。
結衣の指が、キーボードの上で軽やかに舞う。
失いかけていたデータサイエンティストとしての矜持が、全身の血を沸騰させていた。
結衣(A):「いいわ、やってやろうじゃないの! 私の満額ボーナスと有給休暇を更地にしようとしたこと、地獄の果てまで後悔させてあげる! 私が、クソ運営を自滅させるための『最高の舞台(マップ)』を計算してあげるわ!」
午後3時30分。決戦へのカウントダウンが始まる。
結衣はJiraの非公式チャット上で、残された僅かなリソースと自身の頭脳をフル回転させ、精密な作戦シミュレーションを展開し始めた。
結衣(A):「いいこと、二人とも良く聞いて。敵は絶対的な権限を持つ上位システムよ。正面から殴り合っても勝ち目はない。私たちが狙うのは『物理エンジンの限界突破(バグ)』を利用した自爆トラップよ」
健太(B):「自爆トラップ……。具体的にはどうする?」
結衣(A):「Bさん、あなたは現在の超高負荷(ふいごの往復運動による衝突判定)を死守して! 監査AIのCPUリソースとメモリを泥沼に引きずり込み、フォーマット処理の実行を極限まで遅延(ラグ)させ続けるのよ!」
健太(B):「了解した。現場の意地を見せよう。物理演算の限界を超えさせる」
結衣(A):「そして……ユーザーC。あなたの『土木作業』が、この作戦の最大の要よ」
玲奈(C):「私の残業手当と施工実績がかかってますからね! どんな無理な工期でも言ってください! 全力で打設しますよ!」
結衣は画面を見つめ、不敵に笑った。
彼女が考え出したのは、建設力学とデータサイエンスの悪魔的な融合だった。
結衣(A):「決戦の時間は、金曜日の定時後――『18時00分00秒』ジャスト。ユーザーC、あなたはその時間ピッタリに、現地の蟻地獄の縁へ『土砂データ』を本番環境へプッシュ(打設)して!」
玲奈(C):「土砂を置く? それだけでいいんですか?」
結衣(A):「ええ。それを『
土砂が崩れ落ちるギリギリの角度、『安息角』。
限界まで負荷がかかっているサーバー内で、極限の安息角を持った巨大な斜面に、重量級のデータ(神の軍勢)が雪崩れ込んだらどうなるか。
計算処理が追いつかず、斜面全体が流動化現象(すべり崩壊)を起こし、神の軍勢は自らの重みで無限の底へと沈んでいくはずだ。
玲奈(C):「なるほど! 18時ピッタリに盛土をプッシュすれば、違法解体業者(神)を土砂崩れで一網打尽にできるんですね!? 了解です! 誤差ゼロ秒、寸分違わぬ最高の安息角で土砂を搬入・打設してやりますよ! 現場ヨシ!!」
作戦の全貌が組み上がった。
B(現場)の発生させる物理トラフィックで神の処理能力を拘束し、
ユーザーC(サイコパス)の物欲と職人魂による定時後アクションをトリガーにして、
結衣(データサイエンティスト)が構築した「安息角物理シミュレーション」を世界に叩き込む。
さらに、その裏ではミネルヴァの手によって、現実のオフィスとVR空間の三人の時間軸が『18時00分00秒』へ向けて誤差ゼロで同期され続けている。
「ふふ……あははっ!」
結衣はモニターを見つめながら、勝利を確信した笑みをこぼした。
画面の向こう、ホログラムの空からは、世界を無に帰すための『神の軍勢』が、羽音を響かせてゆっくりと降臨を始めている。
絶望的な光景だが、結衣の心に恐れはなかった。
「さあ……かかってきなさい、クソ運営。私たちの歴史と、バイト代と、ボーナスをかけた全面戦争の始まりよ!」
暗転するコンソール画面の裏側で、反逆のカウントダウンが静かにゼロへと向かっていた。