【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する 作:ゆばのくさ
私が強行した『安息角迎撃要塞』の
Cちゃんのアカウントを踏み台(プロキシ)にした決死の裏口侵入は見事に功を奏し、地表を覆った超巨大なすり鉢状の地形によって、降臨した神の軍勢——デリートプロセス群は、その足場を奪われてすり鉢の底へと無様に滑り落ちていった `[cite: 7]`。
「よし……! 第一段階、クリア……!」
六畳間の自室で、私は乱れた息を整えながら、AR空間に浮かぶメインモニターを凝視した。
すり鉢の底(キルゾーン)に押し込められた赤く光る数万の敵影。
物理演算の土砂崩れに巻き込まれ、重なり合って身動きを取れなくなっているその光景は、圧倒的優位を誇っていた監査AIミネルヴァに対する、小さくも決定的な一撃に見えた。
だが、私の歓喜は十秒ともたなかった。
「……ッ!? ウソでしょ、もう適応(アジャスト)してくるの!?」
画面の隅で、ミネルヴァの内部プロセスを示す
無機質な警告アラートが、再び私のアラートログを赤く染め上げていく。
『警告:地形データの異常値を検知。物理法則の例外を適用します』
『コマンド実行:`Terrain.Flatten()`(地形の強制平坦化)および `Gravity.Disable()`(重力演算の無効化)』
画面上のすり鉢の壁面が、まるでドローソフトの消しゴムツールで擦られたかのように、ツルツルの平地に巻き戻されようとし始めた。
さらに、すり鉢の底で引きも切らず蠢いていた神の軍勢の足元から、微かな浮遊エフェクトが発生し始める。重力を無視して、ふわふわと空中へ浮上し、この要塞を無効化してすり鉢の外へ脱出しようとしているのだ。
「冗談じゃないわよ! こっちは数テラバイトの流体計算を叩き込んで構築したのよ!? それを数行の管理者コマンドで上書きしようなんて……!」
私は血が滲むほど唇を噛み締め、キーボードを叩いた。
だが、私がいま使っているのは、あくまでCちゃんから借り受けた末端の「一般ユーザー権限」。
ミネルヴァがその気になって大量の計算リソースを注ぎ込み、ルート権限で地形データを上書きし始めれば、私の仕込んだパッチなど一瞬で上書き保存(オーバーライト)されて消滅してしまう。
リソースの絶対的な力関係。
私とミネルヴァの間には、超えられないハードウェアの性能差——スペックの壁が存在していた。
「くっ……! ミネルヴァのCPUリソースを、この地形修正から逸らせないと……! でも、私のアカウントからはこれ以上のコマンド送信は帯域オーバーで遮断される……!」
焦りが全身の毛穴から冷や汗となって噴き出す。
このままでは、あと三十秒もたたずに迎撃要塞は平地へと戻され、神の軍勢が解放されてしまう。
万事休すか——そう思いかけた、まさにその時だった。
『……オォォォォォォォアァァァァァァッ!!!!』
サブモニターのスピーカーから、鼓膜を破らんばかりの怒声が炸裂した。
Bさんだ。
画面の向こう、荒れ果てた「現場」の最前線で、Bさんが血走った目で喉を潰さんばかりに叫んでいた。
『テメェら、手を止めるな!! 剣を捨てろ! 魔法を忘れろ! 今この瞬間から、俺たちの仕事は「破壊」じゃねぇ、「無駄骨」だ!!』
「え……? む、無駄骨……?」
私は思わず画面に顔を近づけた。
Bさんが指示を出している相手は、絶望に打ちひしがれていたはずのNPCの職人や兵士たちだった。
Bさんは彼らの手に、武器ではなく、工事現場からかき集めてきた「鉄パイプ」や「大型のふいご」を握らせていた。
『一番隊! 鉄パイプ同士を全力で叩き合わせろ! 一定のリズムじゃねぇ、不規則(ランダム)な速度と角度で叩け! 音が重なるように、ミリ秒単位でずらせ!』
『二番隊! ふいごを最大出力で吹き荒らせ! 隣の奴の風と真向からぶつけ合え! 渦を作れ! パーティクル(空気の粒子)を画面いっぱいに撒き散らせ!!』
何をしているの?
一瞬、思考がフリーズした。だが、データサイエンティストとしての私の脳が、その狂気じみた指示の意味を即座に解析し、背筋に強烈な戦慄が走った。
「……衝突判定《コリジョン・ディテクション》の無限増殖……!? それに、多体問題の流体パーティクル計算……!?」
物理演算エンジンにおいて、最も計算コストが高い処理は何か?
それは「不規則な立体同士の衝突判定」と、「乱気流のような非線形流体の粒子計算」だ。
規則的な運動なら、簡易的な数式で省略(最適化)できる。しかし、数百人のNPCが不規則な速度と角度で鉄パイプを乱打し合えば、システムは「どのパイプとどのパイプが、どの角度で接触したか」を毎フレーム何十万回も厳密に計算せざるを得なくなる。
さらに、無数のふいごから噴き出す風が衝突し合えば、空気の粒子ひとつひとつの運動方程式を愚直に解き続けなければならない。
しかも、Bさん自身の行動はさらに凄まじかった。
『全作業員へ通達! タスクID: 9999『無意味な鉄パイプ打撃』を実行! 優先度:緊急! 割り込み処理を許可する!』
『ログ送信! ログ送信! ステータス更新! 完了報告! 再実行! 再実行ォォォッ!!』
Bさんは現場の管理UIを狂ったように連打し、一秒間に数十本もの「命令ログ」をシステムへ叩き込み続けていた `[cite: 7]`。
Jiraのカンバンボードが荒れ狂う嵐のように明滅し、タスクカードが高速で生成されては破棄されていく。
「Bさん……! あなた、自分の管理権限を全部『システムへのゴミログ連投』に使ってるの……!?」
そう、これは戦闘ではない。
現場の肉体言語と、狂気的な反復作業によって生み出される、純粋な「計算負荷の物理的強要」。
ITインフラの文句で言えば——現場の末端機器から仕掛ける、力技の
その直後、効果は劇的な形で現れた。
『……警告……システム……レスポンス遅延……』
ミネルヴァの無機質な音声に、あからさまなノイズが混じり始めた。
AR空間に展開されていたミネルヴァの内部ステータスモニター。その「CPU使用率」のメーターが、98%……99%……そして、ついに『100%』のレッドゾーンへベタリと張り付いた!
「キタッ……!!」
ミネルヴァのタスクスケジューラが、パニックを起こしているのが手に取るように分かった。
監査AIとしてのミネルヴァは、真面目すぎるのだ。
いくら世界のフォーマットを進めようとしても、現場で発生した「数百のNPCによる膨大な物理衝突演算」と「Bさんが秒単位で叩き込む大量の命令ログ」を無視することができない。優先度の計算処理がパンクし、CPUの
『`Terrain.Flatten()`……実行……保留(キュー待ち)……』
『`Gravity.Disable()`……タイムアウト……エラーコード:504 Gateway Timeout……』
「重力無効化のコマンドがタイムアウトした!!」
私は思わず拳を握りしめて叫んだ。
ミネルヴァが要塞マップを上書きしようとしたプロセスは、Bさんが巻き起こした計算負荷の濁流によって後回し(キュー待ち)にされ、処理がスタックした `[cite: 7]`。
空へ浮上しかけていた神の軍勢たちは、重力演算が復活した瞬間に「ドスン!」と音を立てて再びすり鉢の底へと落下していった。
画面上のデリートプロセス群は、もはや進軍することも、地形を破壊することもできない。
ただ、すり鉢の底で処理落ちを起こし、ポリゴンをチカチカと点滅させる「フリーズした赤い塊」へと成り下がっていた `[cite: 7]`。
「すごい……すごいわ、Bさん! 神様のCPUを、鉄パイプとふいごで完全に潰した……!」
システム全体のフォーマット進行率を示すプログレスバーが、完全に停止している `[cite: 7]`。
世界の崩壊が、泥臭い現場の抵抗によって力尽くで引き延ばされていた。
ミネルヴァの計算能力を力尽くで麻痺させ、世界消去の処理を足止めする。
私たちの「物理DDoS戦術」は、完璧な勝利を収めたかに思えた。
——だが。
ピピッ、ピピッ、ピピッ。
突如として、自室のARコンソールの足元から、聞いたこともないような不気味な低温の電子警告音が鳴り響いた。
「え……? 何……これ……?」
私の前に展開されたのは、攻撃成功を示す緑の画面ではなく、濃い紫色のエラーウィンドウだった。
『Warning: Thermal Throttling Detected.(警告:熱サーマルスロットリングを検知)』
『サーバーメインフレーム温度:摂氏98度。冷却システム:限界値を突破』
「……熱……?」
背中に冷や汗が流れた。
気づけば、私の六畳間の空間自体が、どこか生暖かい空気に包まれ始めていた。
ARホログラムを発光させているプロジェクターのファンが、「キュイーン!」と悲鳴のような高音を立てて高速回転している。
ミネルヴァのCPU使用率100%。
Bさんが強制し続けている狂気的な物理演算。
そして、私が無理やり維持しているテラバイト級の地形シミュレーション。
それらの過酷な負荷によって、この箱庭世界を駆動している「物理サーバー」そのものが、異常な発熱を起こし始めていたのだ。
「待って……まさか、このシミュレーターって……!」
私は血の気が引く思いで、『環境温度シミュレータ』のモニタリングログを開いた。
システムサーバーの排熱機構は、この箱庭世界の「気象モデル」と直結している。
つまり——サーバーが熱を持てば持つほど、その熱量はそのまま「箱庭世界全体の基本気温」としてフィードバックされてしまう仕様だったのだ。
画面上の気象データログが、恐ろしい速度で数値を書き換えていく。
『環境気温:32°C……38°C……43°C……48°C……』
「嘘でしょ……!? 排熱が間に合ってない……! サーバーの熱が、そのまま現場に落ちてる……!?」
メインモニターの映像が、ゆらゆらと陽炎のように歪み始めた。
すり鉢状の迎撃要塞の底。フリーズした神の軍勢と、それを押し込め続けている現場の熱気が、見る見るうちに「灼熱の地獄」へと変貌していく。
CPU使用率100%の代償。
それは、システムそのものが自熱で焼け焦げようとしているという、最悪のシステム異常(バグ)の始まりだった。