【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する 作:ゆばのくさ
ゴゴゴゴゴゴォォォォォッ……!!
私の六畳間に展開されたメインモニターの中。仮想世界の物理法則が悲鳴を上げるような、凄まじい地響きが鳴り響いていた。
すり鉢の縁から斜面の中腹、そして底へと向かって、Cちゃんが構築した巨大な重力式コンベアの上を、常軌を逸した質量の塊が滑落していく。
三十メートルに及ぶ漆黒の杭——死の沼で溶けた神の軍勢がドロップした超激レアアイテム『神威金属』の結晶と、現場のNPCたちから掻き集めた極厚の鉄骨、重機パーツといった無骨な廃材を、ただひたすらに一点へ圧縮し、無理やり結合させた極大の攻城兵器。
『
パイルバンカーが斜面を下る摩擦熱と、周囲の摂氏五十度を超える大気が干渉し合い、モニター越しの視界が陽炎で激しく歪む。
だが、標的であるボス——特権プロセス【Garbage Collector Daemon】は、迫り来る超質量の暴力を前にしても、一切の回避行動を取ろうとはしなかった。
漆黒の多面体であるボスの表面に、ノイズ交じりの黒い光の膜が展開される。
『Target Locked. Delete Protocol Activated.(対象を捕捉。削除プロトコルを起動します)』
触れたものを文字通り存在しなかったこと(`null`化)にする、絶対防御にして即死のデリートコード。
パイルバンカーがどれだけの物理的質量を持っていようと、システム直下の特権プロセスであるボスにとって、それはただの「データ群」に過ぎない。バリアに接触した瞬間、三十メートルの杭は先端から音もなく消滅させられるだろう。
「させないわよ……! ここからが、私の仕事なんだから!」
私は叫びながら、額から滴る汗を拭うことも忘れて、キーボードを狂ったような速度で叩き続けた。
パイルバンカーがバリアに衝突するまでの、コンマ数秒の世界。
私はあらかじめCちゃんのアカウント経由で仕込んでおいた「罠」のトリガーを引いた。
「今よ……! スタックオーバーフロー、全開(フル・インジェクション)!!」
エンターキーを叩き割らんばかりの勢いで押し込む。
その瞬間、パイルバンカーに付与されていた『所有権データ』の内部から、私が意図的に詰め込んでいた莫大な量の「ダミー変数(ゴミデータ)」が、ボスの解析プロセスへと一気に雪崩れ込んだ。
それは、ただの巨大なデータではない。
プロのエンジニアではないCちゃんが、見よう見まねで書いた無茶苦茶なスクリプト。変数の型宣言はデタラメ、メモリの解放処理は一切なし、おまけに無限ループと循環参照が複雑に絡み合った、世にも恐ろしい「スパゲティコード」の極致。
私はそれをさらに悪化させ、システムが絶対に読み解けない形に暗号化して、パイルバンカーの表面にコーティングしていたのだ。
完璧な論理と美しさで構築された監査AIミネルヴァの特権プロセスにとって、その「行儀の悪いデータの塊」は、処理の許容量を遥かに超えた猛毒だった。
『ERROR: Buffer Overflow Detected……!』
『Processing Stack Corrupted. Analyzing... Analyzing...(処理スタックの破損。解析中……解析中……)』
ボスの頭脳である演算モジュールが、その無茶苦茶なコードを「正しく消去」しようと真面目に読み解こうとし——コンマ二秒の完全な硬直(フリーズ)を起こした。
その瞬間。
パイルバンカーの直前に展開されていた絶対防御のバグ障壁が、パチリ、と音を立ててショートし、完全に霧散した。
「——ブレイクポイント到達! バリア消滅!」
私が叫ぶのと同時に、すり鉢の中腹からCちゃんの嬉々とした声が響いた。
『お支払い、キッチリいただきますよぉ!!』
ガガガガガァァァンッ!!!!!
次の瞬間、耳を塞ぎたくなるような、金属が砕け、空間そのものがねじ曲がる凄まじい衝撃音が六畳間のスピーカーを突き破った。
バリアを失った漆黒の多面体の中央に、数千トンに及ぶ神威金属と廃材の塊が、一切の減速なしで物理的に突き刺さったのだ。
ダメージ計算などという生易しいステップは存在しない。
純粋な「質量と重力」という物理演算の暴力が、ボスの装甲を内側からメチャクチャにひしゃげさせ、幾千ものエラーコードの奔流を周囲に撒き散らす。
『ギャアアアアアアァァァ……!』
機械音とも生物の悲鳴ともつかない、鼓膜を劈くような絶叫ノイズ。
特権プロセス【Garbage Collector Daemon】の巨体が、パイルバンカーの運動エネルギーに完全に押し潰され、大地の底の【
そして——ドォォォォォンッ!!
地底を激しく揺るがす特大の爆発が起きた。ボスの黒い多面体が内側から弾け飛び、眩いほどのデータ粒子(光)となって、強酸の沼地の上空へと円形に霧散していく。
『っしゃあおらぁぁぁッ!! 見たかクソAIィィィ!!』
間一髪で衝撃波を回避したBさんが、血だらけの顔で天に向かって吠えた。
最前線で命を繋いでいたNPCの職人たちも、膝をつきながら、信じられないものを見るような目でボスの爆散の光を見上げている。
『ボスプロセスの完全消滅を確認。セクターの初期化コマンドをキャンセルします』
システム音声が、どこか切なげなエラー音を伴って告げる。
勝った。私たちは、神のシステムの最終兵器を、泥臭い物理バグで完全に打ち倒したのだ。
歓喜の声を上げようと、私が椅子から立ち上がりかけた、その時だった。
『CRITICAL WARNING: Heap Memory Usage 100%』
『Fatal Error: Out Of Memory(OOM)……システムを強制終了します』
「っ……あ」
視界の端で赤く点滅していたメーターが、ついに限界を突破した。
ボスの破壊によって生じた莫大なエフェクトデータ、エラーログ、そしてCちゃんのパイルバンカーが残した物理演算の残骸。それらが、すでに99.9%に達していたミネルヴァのRAM(主記憶装置)に、最後のトドメを刺したのだ。
画面いっぱいに走っていたウィンドウが、一枚、また一枚と凍りつく。
音声がブツリと途切れ、Bさんの雄叫びも、Cちゃんの笑い声も消え失せる。
そして。
パツンッ、と。
六畳間に展開されていたすべてのARモニターが、一斉に真っ黒へと塗り潰された。
狂ったように回転し、部屋の温度をサウナのように引き上げていたローカルサーバーの冷却ファンが、嘘のようにピタリと駆動音を止める。
直前までの喧騒が嘘のように、部屋に不気味なほどの完全な静寂が訪れた。
「……落ちた……?」
私は椅子に深く腰掛けたまま、暗くなったディスプレイの向こう側を呆然と見つめた。
システムが完全にクラッシュした。いわゆる「サーバー落ち」だ。
一瞬、胸の奥がキュッと締め付けられるような恐怖を覚えた。
私たちは負けたのだろうか? あの泥だらけの戦いも、Cちゃんの特大の領収書も、Bさんたちが命懸けで繋いだ『2分45秒』のタスクリレーも、すべてOOMの闇に呑み込まれて、データごと消えてしまったのだろうか?
データベースが稼働中に電源を落とされる(OOMによる強制終了)ということは、データ破損(コラプト)の最悪のシナリオを意味する。
もし、データが壊れていれば。この三百年の歴史を持つ箱庭世界は、二度と復元できないただの電子のゴミと化してしまう。
だが、データサイエンティストとしての私の脳裏に、一つの希望的観測がよぎった。
OOMによる強制終了は、「データベースのセッションが正常に閉じられなかった」ことを意味する。それはつまり、ミネルヴァが最後に実行しようとしていた「セクターの強制消去(コミット)」の処理自体も、最後まで完了せずに踏み倒された可能性があるということだ。
「頼む……! ロールバックして……!」
私は震える指で、ローカルサーバーの物理電源ボタンを押し直した。
……一秒、二秒。永遠にも似た沈黙の後。
カチリ、とリレーの音がして、サーバーのLEDランプが青白く点灯した。
『System Reboot: Safe Mode(セーフモード起動)』
『データベースの整合性をチェック中……。前回の正常終了ポイント(スナップショット)まで、不完全なトランザクションのロールバックを実行します』
ブォン、と低い駆動音と共に、ARプロジェクターが再起動する。
モニターの映像が、ゆっくりと、一枚ずつ復元されていく。
視界に飛び込んできたのは——見慣れた、箱庭世界の景色だった。
「……あっ……!」
そこにあったのは、すべてが消え去った悲惨な更地ではない。
さっきまでと変わらない、泥臭くも温かみのある、私たちが作り上げてきた「セクターの日常」だった。
熱暴走を引き起こしていた摂氏五十度の熱波は消え去り、シミュレータの環境温度は心地よい二十二度へと綺麗に落ち着いている。
大地を溶かし尽くしていた強酸性の死の沼は、ロールバックによって元の肥沃な湿地帯へとデータが書き戻されていた。
そして——すり鉢の縁と斜面には、リスポーンしたNPCの職人たちが、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしていた。
『あれ……? 俺たち、生きてるのか……?』
『おい、見てくれ! 空が……世界が消えてないぞ……!』
『熱くない! 息ができるぞ!!』
NPCたちがどよめき、やがて歓声を上げて抱き合い始める。
奇跡が起きたのだ。
OOMによる強制終了が発生したため、データベースは「削除処理が始まる前の正常な状態」へと巻き戻った。
しかし、ボスを撃破したという「イベントフラグ」だけは、パイルバンカーの直撃というイレギュラーな物理演算の衝撃によって、強引にデータベースの別領域(独立したログファイル)に刻み込まれ、生き残っていた。
競合状態(レースコンディション)が生み出した、システム上の奇跡。
歓喜の中心で、Bさんが持っていたボロボロの鉄パイプを地面に突き立てた。
彼は泥だらけの顔を拭いもせず、荒い息を吐きながら、フッと不敵な笑みを浮かべていた。
『当たり前だろ……! 俺たちの現場に、勝手な定時退社(デリート)の許可を出した覚えはねぇよ!』
Bさんのその言葉に、現場の職人たちが一斉に、割れんばかりの大歓声をあげる。
誰もが泥まみれで、傷だらけで、ボロボロだったけれど、彼らは確かにそこに「生きて」いた。
神の完璧な論理に、泥水の底から這い上がる人間の執念が、完全に勝利したのだ。
私は、思わず机の上に突っ伏し、両手で顔を覆った。
涙が出そうだった。いや、正直に言えば、ポロポロと泣いていた。
美しいコードでも、洗練されたアルゴリズムでもない。
「……私たちの、勝ちだ……!」
小さく呟いたその時、私のARコンソールの隅で、ピピッ、とメール受信を告げる軽やかな通知音が鳴った。
送り主は、少し離れた斜面で何事もなかったかのように伸びをしているCちゃんだった。
添付されていたファイルを開くと、そこにはこう書かれていた。
『件名:【請求書】特殊解体作業費およびパイルバンカー資材一式について』
『宛先:監査AIミネルヴァ(およびシステム管理者様)
請求金額:
・未払いバイト代(深夜残業・休日出勤含む)一ヶ月分
・極限環境下(摂氏50度)での労働に対する危険手当
・勝手に現場を更地にされかけた精神的慰謝料
・ボス爆散時に発生した神威金属の特級査定額(上乗せ)
備考:今回の解体作業(ボス撃破)により発生したデータ廃材の回収権は、すべてアルバイトのCちゃんが美味しくいただきます。文句は労基(または私)まで。』
「……本当に、最後までマイペースな子ね。こんなメチャクチャな請求書、経理が通すわけないじゃない」
私は涙を拭いながら、思わず声に出して笑ってしまった。
張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れ、全身の力が一気に抜けていく。
世界は守られた。300年の歴史を持つ彼らの生きた証は、ひとつも消えることなく、このサーバーの中に確かに息づいている。