【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する   作:ゆばのくさ

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第4話をお開きいただきありがとうございます。

一千万回のモンテカルロ法という「物量」で理不尽な寒波をねじ伏せ、勝利を確信した結衣。
しかし、システム開発において「完璧」という言葉ほど信用できないものはありません。
牙を剥く仕様の穴。社畜が味わう真の絶望が、ここから始まります。


第4話:サイレント・リビルド

徹夜。デスマーチ。孤独なトリプルショット・コーヒーによるドーピング。そのすべてが、この一瞬のためにあった。

私は一切の疑いを持たず、ドヤ顔で白目を剥きかけながら、空中ディスプレイの特等席に浮かぶ【時間進行(シミュレート実行)】のボタンを高らかにクリックした。

 

カチャリ、と小気味よい電子音が六畳間の狭い空間に響く。

直後、完全に停止していた仮想世界のマスタクロックが、凄まじい勢いで回り始めた。

 

一秒、一分、一時間。

シミュレーター内の論理時間が高速で順行し、ホログラムの地球儀の上に描かれた気象レイヤーが躍動を始める。

 

「――環境負荷テスト、タイムライン順行。マイナス四十度の大寒波、ファーストウェーブがセクターBに到達します」

 

ミネルヴァの淡々としたアナウンスと同時に、視界の端で激しく波打つ人類NPCの生存予測曲線を見つめる。

曲線は、私がボタンを押す直前まで示していた「ゼロへの垂直落下」を綺麗に拒絶し、高高度の水平線を維持していた。

 

『九九・八パーセント』

 

美しい。データサイエンティストとして、これほど脳汁が出る数字が他にあるだろうか。一千万回の並列演算によって泥泥に濾過された確率分布の勝利宣言。これこそが私の、血と汗とカフェインの結晶だ。

 

ホログラムをピンチアウトし、お気に入りの「セクターB―4」の部族へズームインする。

私の仕込んだ完璧な気象誘導(風向の超微調整)を肌で察知したのか、あるいは彼らの持つ超AI(推しスペック)が最適解を導き出したのか、原始人たちは不自然なほど迅速に行動を開始していた。

 

彼らは住み慣れた河畔の平原を迷わず捨て、北風の吹き下ろす大平原を縦断。そして、私が彼らのために配置してあげた巨大なマップオブジェクト――防風山脈のふもとへと、吹き荒れる前衛の寒気を切り裂くかのような、一糸乱れぬ見事なV字の隊列(フォーメーション)を組んで大移動を行っていた。

 

「へぇ、鳥の渡りじゃあるまいし、前方からの空気抵抗を減らすための行軍陣形ね。効率的なマネジメントだわ、さすが私の推し!」

 

目指す先は、座標X:144、Y:209。

山脈が北からの極寒を完全にブロックし、さらに気圧の谷間が生じることで、周囲がマイナス四十度の死の世界に変わる中で唯一プラス五度を維持する、奇跡の絶対安全領域(セーフティ・シェルター)だ。

 

「よしよし、いい子たちね! そこよ、その山の南側に入り込みなさい! そこに入れば、マンモスの毛皮がなくても冬を越せるわ!」

 

すっかり推しの過保護な保護者面になりながら、私は泥のように濃いブラックコーヒーの残りを胃袋へ流し込んだ。

カフェインという名の液体兵器(一時的バフ)が脳を無理やり覚醒させているが、あと数時間もすれば猛烈な頭痛(デバフ)となって返ってくることは分かっている。だが、そんなものはどうでもいい。クリア報酬は週末の平穏だ。土曜日は携帯の電源を切り、泥のように眠ってやるのだから。

 

「ミネルヴァ、対象部族の避難完了率は?」

 

『回答。対象部族のシェルターへのチェックイン完了率は八五パーセント。大寒波の本隊がセクターBを完全直撃するまで、残り十分。現在の気象モデルを維持できれば、フェーズ1のクリアは確定事項です』

 

「完璧。完璧すぎて怖いわ。やっぱりデータは嘘をつかないわね」

 

私は深く背もたれに寄りかかり、両手を頭の後ろで組んだ。

終わった。これで私のデスマーチは――

 

ブブーッ!!!!

 

突如、鼓膜を直接針で刺すような、不快極まりない重低音のエラー音が鳴り響いた。

 

「な、何っ!?」

 

心臓が跳ね上がる。

目の前のホログラムディスプレイが一斉に激しく明滅し始めた。だが、おかしい。さっきまで鳴り響いていた気象災害のアラート(レッド・アラート)ではない。

六畳間の仮想空間を埋め尽くしたのは、見たこともない、禍々しい深紫色のシステム警告(システム・エラー)だった。

 

コンソール画面の文字が、制御を失ったように超高速でスクロールしていく。

 

[CRITICAL] Topology Conflict Detected

[ERROR] Layer: Shared-Map-03 / Temporal Delay Inversion

[STATUS] Origin Thread: Unknown / Executing Force-Sync...

 

「トポロジー・コンフリクト……!? 共有マップの、トポロジー衝突だって!?」

 

背筋に氷水を流し込まれたような戦慄が走った。

ITエンジニア、とりわけ複数人でソースコードを管理する開発者が、人生で最も恐れる言葉。それがコンフリクト(他人の干渉)だ。

自分がローカル環境で完璧に書き上げ、テストもすべてパスした成果物に対し、上流のメインサーバーから「お前のデータは、他人が更新したデータと矛盾しているから受け付けない」と強制リジェクトを喰らう、あの悪夢。

 

「バカな! ここは私のローカル・シミュレート空間よ!? なんで共有データのコンフリクトが発生するのよ!?」

 

『警告。非同期セクター――すなわち、同一サーバー内の別レイヤーを担当する他ユーザーの領域において、上位レイヤー《過去時間軸》での大規模な【物理的質量欠損】を検知しました』

 

ミネルヴァのアナウンスが、いつもの冷徹なトノサマモードをさらに超え、完全に感情を排した機械音声へと切り替わる。

 

『本システムはマルチレイヤー型環境シミュレーターです。過去時間軸における地形変化は、因果律の整合性を保つため、現在時刻の地形データへ強制的に遅延反映されます。マスタデータとの整合性を保つため、現在時刻のトポロジーを強制上書き――【強制上書き同期(サイレント・リビルド)】を実行します』

 

「他ユーザー? 過去時間軸の質量欠損!? 意味がわからないわよ! ここは旧石器時代の初期テスト環境なのよ!? 隕石でも落ちたっていうの!?」

 

私は叫びながら、狂ったようにキーボードを叩いて紫色のシステムログを解析しようとした。だが、私の下請け権限(ユーザー権限)では、上流から降ってくる強制プッシュ(Force Push)の波を止めることなど不可能だった。

 

「ミネルヴァ! 隕石の衝突シミュレーションなら、熱反応のデータが残っているはずでしょ! どこが出所なのよ!?」

 

『否定。隕石衝突による熱反応、および衝撃波ログは一切検出されません。……該当エリアの地下構造データをスキャン。――解析完了。該当エリアの地下支持層が、何らかの外部干渉によって人為的に破壊され、自重に耐えきれなくなった山塊全体が、土質力学的な限界を超えて一気に崩壊したと推測されます。現象名、【大規模陥没《シンクホール化》】』

 

「地下支持層の人為的破壊ィ!?」

 

私はひっくり返った声をあげた。

シンクホール。都市部で地下水を抜きすぎたり、地下工事の手落ちで道路が丸ごと陥没する、あの恐ろしい土木災害だ。

 

「なんで山脈がシンクホールになるのよ! ここは数万年前の未開の大地よ!? 誰が地下を掘削してダイナマイトを発破したっていうのよ! どんな原始人よそれ!!」

 

『分かりません。しかし、上流サーバーのマスタデータは「過去において山が崩壊した」という事実を確定させました。これより、現在時刻のトポロジーを書き換えます』

 

「待って、やめて! 今上書きされたら、私の一千万回の計算が――!」

 

私の悲痛な懇願など、無慈悲なプログラムには届かない。

 

ズズズ……と、ホログラムのスピーカーから、大地が底から崩れていくような不気味な環境音が響く。

そして、私の目の前で、信じられない光景が繰り広げられた。

 

セクターB―4の北側にそびえ立ち、極寒の暴風をその巨大な身躯で受け止めていた、あの雄大な防風山脈。

そのグラフィックが、激しいデジタルの砂嵐(ノイズ)を吹き出し、ポリゴンがボロボロと剥がれ落ちるように崩壊していった。

ワイヤーフレームの骨組みが剥き出しになり、テクスチャが反転し、まるで空間そのものが底からペシャンコに潰れるように――山脈が、スゥッと消滅した。

 

いや、消滅しただけではない。

山が立っていたはずのその場所は、真逆の形へと変貌していた。

直径数キロメートル。滑らかな曲線を描き、大地の底に向かって垂直に穿たれた、不自然なほど巨大な大穴が、そこに口を開けていた。

 

「…………は?」

 

私は完全に硬直した。

開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。手元で掲げていたコーヒーカップが、小刻みに震える。

 

山が、消えた。

私が環境負荷を遮断するために依怙贔屓でわざわざ隆起させてあげた、あの完璧な防風壁が。

そして、一千万回のモンテカルロ法を回し、流体力学の方程式を解くための絶対的な前提条件として設定した、私の計算の背骨が。

 

跡形もなく、ただの巨大なボウル型の大穴に書き換えられていた。

 

「な、ななな……」

 

直後、私の脳内を埋め尽くしていた美しいナビエ・ストークス方程式の数式が、一斉に真っ赤なエラー文字へと反転した。

 

物理演算の世界において、最もやってはいけないタブー。

それは、計算の途中で境界条件(マトリクス)を勝手に書き換えることだ。

 

風の進路を遮る巨大な壁(境界条件)を前提に組み立てられた私の完璧な気象モデル。それが、突如として巨大な大穴(気圧の谷)に書き換わったのだ。どうなるか。データサイエンティストでなくても、結果は火を見るより明らかだった。

 

北から吹き下ろすマイナス四十度の暴風。それを防ぐ盾は、もうどこにもない。

それどころか、突如として現れた広大な陥没穴によって大気の流動バランスが根本から崩壊。寒気は等圧線を無視してクレーターの底へと怒涛の勢いで雪崩れ込み、大気の渦を巻き起こしながら、周囲の気圧配置を爆発的に狂わせ始めた。

 

カオス理論のシミュレーションすらも遥かに振り切り、コンソール上の全パラメータが、計算不能を示す限界値へと一気に跳ね上がる。

 

発散(オーバーフロー)してる……。大気循環モデルが、完全に発散しちゃってるじゃないのよぉぉぉぉぉ!!」

 

私はディスプレイに掴みかかり、ショートヘアを振り乱して絶叫した。

視界の端に表示されていた、あの美しい「九九・八パーセント」の生存予測曲線。それはド直角の垂直落下どころではない。

バグを起こしたインジケータが狂ったように明滅したのち、無慈悲な文字列を吐き出した。

 

ERROR: DATA NULL

 

計算不能。つまり、全員死亡(全滅)の確率があまりにも確実すぎて、システムが計算を放棄したのだ。

 

「というか何よこの穴!! 誰がこんなとこ爆破したのよォォォ!! 私が一千万回も徹夜で回した計算を、前提条件(マップ)ごと root権限で消すやつがあるかァァァァァァァ仕様書を読め仕様書をォォォォ!!」

 

画面の向こうでは、奇跡のシェルター(だった場所)に避難完了しつつあった「セクターB―4」の有能な原始人たちが、突如として頭上から山が消え、代わりに現れた巨大な大穴と、そこから吹き荒れる狂ったような暴風を前に、「えぇ……」と言わんばかりに呆然と立ち尽くしている姿がドット絵で描かれていた。ごめん。ごめんねみんな。神様(社畜)の計算が、上流のバカのせいで全部台無しになっちゃったの。

 

ブブーッ、とミネルヴァの無慈悲なシステム音が、私の現実の心臓を容赦なくえぐる。

 

環境負荷テスト(大寒波)の到達まで、残り三〇〇秒。風向・風速は当初の予測から四〇〇パーセント発散。……ユーザーA、有給休暇の完全な喪失を確認しました。液体カフェイン兵器の追加投入、および、デスマーチの再開を推奨します』

 

「ミネルヴァァァァァ! 頼むからその冷徹な正論で私のトドメを刺さないでぇぇぇぇ!!」

 

私は涙目で再びキーボードへと指を叩きつける。

だが、計算の狂いは「寒気」だけでは収まらなかった。ホログラムの地球儀に、さらなる絶望の予兆が浮かび上がる。

 

「……嘘でしょ」

 

あの大穴(気圧の谷)に向かって、私が設定した南からの熱塩循環(暖気)までもが、等圧線を無視して猛烈な勢いで吸い寄せられていくのが見えたのだ。

極寒のマイナス四十度と、南からの湿った暖気。

それらが、巨大な大穴の上空で正面衝突(コンフリクト)した時、気象学的に何が起きるか。

 

『警告。極端な温度差による大気不安定状態を確認。局地的な超巨大積乱雲――【大豪雨(スーパーセル)】の形成を検知』

 

「寒波どころか、世界を沈める大洪水になるじゃないのォォ!!」

 

現実世界の東の空から、無慈悲な朝の太陽光が六畳間に差し込んでくる。

私の週末の休みは、山脈とともに綺麗さっぱり消滅した。

胃の激痛と、脳を叩き割るような頭痛の予兆を感じながら、私は絶望の第2ラウンド――大豪雨との死闘へと突入していくのだった。




第4話をお読みいただきありがとうございました。

データサイエンティストが一番絶望するのは、自分の計算が間違っていたときではなく、「前提条件のデータそのもの」を他人に勝手に書き換えられたときです。

面白いと思ってくださった方は、ぜひ評価やブックマークで応援していただけると、結衣の有給休暇の足しになります!
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