【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する 作:ゆばのくさ
上位権限の理不尽な仕様変更により、局地性超巨大積乱雲【スーパーセル】が爆誕。下請け権限の悲しさ、リアルタイムでの天候デバッグを全て弾かれた結衣は、濁流に飲み込まれゆく原始人(推し)たちを前に絶望します。
「……ちょっと待って。嘘でしょ。あいつら、何やってんの?」
天宮結衣は、液晶グラスの向こうで繰り広げられるドット絵の光景に、開いた口が塞がらなくなっていた。
毎秒数百立方メートルという、物理演算サーバーが悲鳴を上げるほどの濁流が、クレーターの斜面を伝って一気に底部へと押し寄せている。水深インジケーターは
打つ手なし。システム的な書き込み権限はすべて元請けのマスターサーバーにロックされ、結衣にできるのは休暇の消滅と推したちの全滅ログをただ見届けることだけ――のはずだった。
しかし、画面の向こうの原始人たちは、バラバラに逃げ惑うのをピタリとやめていた。
それどころか、泥水に足を取られながらも、族長と思われる一際巨大なドットを中心に、まるで一糸乱れぬ軍勢のようにスクラムを組み始めたのだ。
それも、ただ集まっているのではない。彼らが泥まみれのグラウンドに形成したのは、押し寄せる濁流のベクトルに対して真っ向から楔を打ち込むような、美しいV字の陣形だった。
「ミネルヴァ! すかさず該当セクターの
『了解。
結衣が叫ぶのと同時に、空中ディスプレイの視界が切り替わる。
濁流の3Dモデルの上に、リアルタイムで計算された圧力の強弱を示すグラデーションカラーと、水の流れる方向を示す無数の
その画面を見た瞬間、結衣の脳内にデータサイエンティストとしての、そして流体力学オタクとしての脳汁が津波のように溢れ出した。徹夜の疲労で限界を迎えていたはずのニューロンが、凄まじい速度で過電圧気味に発火を始める。
「ビンゴ……! 完璧、完璧すぎるわ! 完全に
結衣は空中ディスプレイに顔を擦り付けんばかりに身を乗り出した。興奮のあまり、ヘッドセットのノイズキャンセラーが彼女のハァハァという荒い息遣いを拾ってシステムが警告を発するが、そんなものは無視だ。
「見てよミネルヴァ! 濁流の直撃を正面から受けるウェッジの頂点――族長の周囲だけ、圧力インジケーターが真っ赤に跳ね上がっているわ。だけど、彼の強靭な肉体が文字通り流線を左右に綺麗に剥離させている! 結果として、V字の内側にいる後続の原始人たちは、完全にその背後に生まれた
あまりの感動に、結衣の脳裏を一瞬、時速三百キロメートルで走る新幹線のロングノーズがよぎった。だが、彼女の凶暴な理系脳は即座にそれを
「渡り鳥が数千キロメートルをノンストップで旅するための
結衣が狂ったようにキーボードの縁を叩いて大興奮する中、ヘッドセットからは、いつもの冷徹で、かつどこか哀れみの混じったミネルヴァの音声が流れてきた。
『……オペレーター。該当セクターの原始人個体のバイタルデータ、および行動ログの統計的解析を完了しました。結論を報告します』
「なによ、この美を前にしてまだ何か不確定要素でもあるわけ?」
『単に、部族の中で最も身体がデカくて頑丈な族長を盾にするために、他の個体が恐怖によってその後ろへ一斉に隠れようとした結果、押し合いへし合いになって左右に溢れ、物理的にこのような形状に落ち着いた形跡しか見られません』
「違うわ! ミネルヴァ、あなたにはデータの本質が見えていないのよ!」
結衣は空中ディスプレイをビシッと指差した。
「恐怖という
『(※ただビビってデカい奴の後ろに隠れているだけです)』
ミネルヴァの無慈悲なテキスト注釈が画面の隅にポップアップするが、結衣のフィルターはすでにそれすらも好意的に解釈していた。
画面の向こうでは、凄まじい水しぶきを上げて濁流がV字の肉壁ダムに衝突し続けている。泥水は族長の胸元で激しく割れ、彼の強靭な足腰によって左右へと受け流されていた。後続の原始人たちも、前の人間の腰や肩をガッシリと掴み、お互いの質量を
だが、結衣の観察眼は、彼らのさらなる変態的挙動を捉えていた。
「待って……先頭の族長だけじゃない。後続の個体たち、時折足元を泥の中に猛烈に蹴り込んで、川底の形状をあえてデコボコに変形させてない?」
画面を最大までズームインする。確かに、原始人たちは濁流に足を取られそうになりながらも、足元を激しく踏み荒らし、泥を前方や側方へと蹴り出していた。
それを見た結衣は、ゴクリと息を呑み、全身に鳥肌を立てた。
「嘘でしょ……
『はい?』
流石の人工知能も、今度ばかりは呆れたような音を漏らした。
「ゴルフボールよ、ミネルヴァ! ボールの表面にあえて無数の凸凹(ディンプル)を作ることで、表面の空気摩擦を意図的に増やして境界層を乱流化させる。そうすることで、気流がボールの表面に長く付着し続け、結果としてボールの真後ろに発生する巨大な
結衣の脳内ディスプレイには、ゴルフボールの周囲を流れるスタイリッシュな空気のシミュレーション図が鮮明に浮かび上がっていた。そして、それと完全に重なるように、画面の向こうで「おほーっ! 滑る! 死ぬ!」と必死の形相で泥を蹴りまくり、ジタバタと足場を固めようとしている原始人のマヌケなドット絵が、見事に
「彼らは足元の泥をあえて荒らすことで、川底の境界レイヤーをコントロールしているのよ! 泥水の流れをあえて微細な乱流に変化させることで、自分たちの肉壁の背後に発生する周期的なバグ――すなわち、物体の背後に交互に発生して構造物を激しく振動させる
『(※ただ足元が泥でめちゃくちゃ滑るため、生存本能でジタバタと足場を固めようとしているだけです)』
「黙りなさいミネルヴァ! 私は今、人類の夜明けの瞬間に立ち会っているのよ!」
原始人たちの必死のジタバタ(結衣に言わせれば超高度な流体制御)により、画面上の彼らのスタミナゲージの減少速度は劇的に緩やかになっていた。激流の中に毅然と立つ人間のV字。それはまさに、自然の不条理(バグ)に対する、理性の反逆のように見えた。
「いける……! このまま耐えきれば、スーパーセルの第一波をやり過ごせる! 私の休日は、推したちの野生の知恵によって守られたのよ!」
結衣は思わずデスクから立ち上がり、小さな六畳間で勝利のガッツポーズを掲げた。
しかし。
世界は、そして元請けの用意したシステムは、そこまで甘くはなかった。
『警告』
ミネルヴァの音声が、それまでのトノサマモードから、一転してシステム全体の危機を知らせる重苦しい低音へと切り替わった。
『上流陥没クレーターの広大な集水域における降水強度が、さらに三十パーセント上昇。地形レイヤーからの
「……え?」
結衣がハッとして画面を見戻した瞬間、透過型グラスに映し出されていた世界が一変した。
それまで、原始人たちのV字陣形に沿って、美しく、整然と、流体力学の方程式(Navier-Stokes)に従って青く輝いていた
それが突如、狂ったように激しく明滅し始めたかと思うと、次の瞬間、不規則にのたうつ真っ赤な蛇の群れのような、おぞましいカオス流へと変色していったのだ。
「な、何これ……流線が、計算を拒否してる……!?」
画面の隅で、
乱流の非線形カオスを解こうとした
近似解の計算が
「もうロジックが機能してない……! 流体そのものが、ただの質量の暴力として牙を剥いたわ! 物理エンジンが悲鳴を上げてる!」
『レイノルズ数がシステム閾値を完全超過しました』
ミネルヴァのアナウンスが、無慈悲なシステムホラーの宣告として響く。
『流速、および流体規模の積が臨界点を突破。流体の特性が、制御可能な層流から、予測不能かつ破壊的な完全乱流へと移行しました。もはや、いかなる陣形による抵抗の分散も意味をなしません』
画面の向こう、真っ赤な蛇の群れと化した濁流は、原始人たちのV字の先端を無慈悲に叩き潰しにかかっていた。
先頭に立つ族長のスタミナゲージが、さながらデバッグモードでオブジェクトを消去していくかのように、凄まじい速度で「ミリ単位」で削り取られていく。後ろの原始人たちのスクラムが、流体の圧倒的な破壊力によって物理的にミシミシと軋み、今にも決壊しそうに歪んでいく。
「嘘……嘘でしょ……!
『残り六十秒。
「嫌だ、嫌だ嫌だ! 誰か、誰かこのクソ仕様変更を止めてえええええ!!」
結衣が髪を振り乱して空中ディスプレイのロックされたコードに向かって爪を立てるようにキーボードを叩いた、まさにその時。
チカッ、と彼女の視界の最上層に、一筋の不穏な「システム割り込みログ」が走った。
[INTERRUPT] Priority 0: Upstream Legacy Object Syncing...
「……割り込み? 上流サーバーから、何かオブジェクトが流れてくる……? このタイミングで、一体何が――」
激流の彼方、クレーターの上流から、不規則に回転しながら濁流に乗って凄まじい速度で迫り来る、巨大な“格子状の影”。
過去の時間軸において、かつての上位権限が遺した、グラフィックデータが読み込まれる不気味なシグナルを見せながら、画面が暗転した。
第6話をお読みいただきありがとうございました。
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