【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する 作:ゆばのくさ
スーパーセルによる完全乱流(レイノルズ数の暴走)という、物理演算サーバー泣かせの災害が直撃。すべての演算リソースが食い潰され、結衣のデバッグ作業はついに「ハングアップ寸前」の限界領域に達し、今、データサイエンティストと原始人の熱い協力プレイ(?)が開幕します!
激流の彼方から回転しながら迫っていた巨大な格子状の影が、原始人たちのV字陣形のすぐ手前、激流のど真ん中に向かって質量を持った弾丸のように突っ込んできた。
――ズドォォォォン!!!
鼓膜を破らんばかりの衝撃音と共に、泥水の爆発が起きる。数十メートルにわたって跳ね上がった水しぶきが、天宮結衣の液晶グラスの向こうでドットの霧となって舞い散った。
「な、何!? 衝突判定!? ログを見せて、上位レイヤーから降ってきたの何なのよ!?」
結衣は乱れた髪を掻きむしりながら、透過型グラスのコンソールに向かって絶叫した。画面の隅では、全滅までのカウントダウンが無情に明滅している。
『警告。非同期セクター――すなわち、同一サーバー内の別レイヤーを担当する他ユーザーの領域において、
人工知能ミネルヴァの音声は、どこまでも冷徹だった。
結衣の視界の隅では、数式をリアルタイムで処理していた
レイノルズ数がシステムの閾値を完全超過した結果、流体の特性は、予測可能で美しかった層流から、カオスで破壊的な完全乱流へと移行してしまっていた。
「嫌だ、嫌だ嫌だ! 誰か、このクソ仕様変更を止めてええええ!!」
結衣が慌てて画面の霧をワイプする。
泥水と水草を全身に纏い、激流の中にどっしりと鎮座したその「ナニカ」のグラフィックがクリアになった瞬間、結衣は開いた口が塞がらなくなった。
それは、神々しい輝きを放つ聖遺物の類では断じてなかった。
太い丸太をいくつも無造作に三角錐の形に組み上げ、それをゴツゴツとした荒縄で何重にも縛り付けただけの、あまりにも無骨で不格好な木枠だった。中には重石として、そこら辺の河原から拾ってきたような泥まみれの巨石が詰め込まれている。
事実、画面の向こうの原始人たちは、突如として上流から降ってきたその泥だらけの「巨大なゴミ」を見て完全に困惑し、怯えながらジリジリと後ずさり始めている。
「……
結衣は空中ディスプレイに顔を擦り付けんばかりに身を乗り出した。
「見た目は泥と縄のゴミかもしれない。でも、この形状こそが、激流をいなすための究極の機能美なのよ! 巨大なダムで水をせき止めるのではなく、あえて隙間を設けて流し、その通過過程で水の運動エネルギーを強制的に散らす……! 設計思想が……芸術的すぎるわ!」
結衣はコンソールに表示されたオブジェクトのプロパティログを見て息を呑んだ。
『Warning:別権限テスター(ID: User-C)による、時空間を無視した無許可オブジェクトの
「……User-C? 誰よそれ!? 私の担当セクターに、別権限のテスターが勝手に干渉してるってこと!?」
顔も目的も分からない、謎のユーザー。
おそらく、この大豪雨を引き起こした山脈の陥没バグも、そいつの仕業だ。別のクエストか何かでこの時代にポップし、無茶苦茶な地形破壊をやらかした挙句、なぜかこんな『高度な治水オブジェクト(聖牛)』だけを無造作にポン置きして、別レイヤーへ去っていったのだろう。
環境をスクラップ&ビルドして去っていく神出鬼没のサイコ・テスター。だけど……このレガシーな土木工学のセンスだけは、悔しいけど常軌を逸してるわ!
この聖牛は、名も知らぬCが残していった悪質な不法投棄ゴミであり、同時に、この大水害を鎮めるポテンシャルを秘めた極めて高度な治水インフラだったのだ。
それが上位レイヤーでの生成を経て、この氾濫のどさくさに紛れて下流へ押し流され、奇跡的に私の担当する決戦の地に
「ミネルヴァ、該当オブジェクトの座標を特定! 私の権限で、この
『警告。未認可の外部共有ライブラリ(Object: Seigyu)への
「うるさいわね!!」
結衣はキーボードを叩き折りそうな勢いで怒鳴った。
「そもそもこんな神出鬼没の干渉バグを許してる、元請けのザルなセキュリティが問題なんでしょ!」
結衣が猛烈な勢いでタイピングを始める。
確かに気象制御のようなシステム上位権限は弾かれた。だが、この聖牛は、どこぞの
正規のシステムオブジェクトではない以上、元請けの監視の目が届かない古い共通ライブラリの脆弱性を突けば、結衣のローカル権限でも
「顔も知らない赤の他人だろうと、
カチ、と小気味よい打鍵音が響き、聖牛のプロパティが書き換わった。
しかし――。
「ダメだ、物理的な座標はズレたけど、ここからどう指示を出す……? 原始人たちに直接声を届けるマイクなんて、このシミュレーション環境には実装されてない……!」
結衣の喉から焦りの声が漏れる。声は届かない。彼らは結衣の存在を知らない。
だが、その時、結衣の目が画面上のUIツールバーに止まった。
「……あった。
結衣は、
空から降り注ぐ電気の柱ではない。地面を指し示す、システムUI上の『
「ミネルヴァ!
『了解。落雷を偽装した視覚的ビーコンを展開します』
画面の向こう、濁流のど真ん中に、バチバチと音を立てる青白い光の柱が突き刺さった。
「族長! そこよ、そこへその木枠を押し込みなさい!」
結衣が祈るような気持ちで叫んだ、その瞬間だった。
画面の中の族長が、その「光の柱」を視界に入れた瞬間、迷うことなど一切なく、その場所へと一直線に
原始人たちが戸惑う中、彼は部族を統率し、まるで
「……えっ?」
結衣の思考が停止した。
今、彼がとった行動は、野生の勘などという曖昧なものではない。最適座標を理解し、最短ルートで移動し、陣形を再構築する……あまりにもゲーム慣れした指示への応答。
「私が立てた
確信に近い戦慄が結衣の背筋を走る。
だが、感動に浸る暇などない。
『これよ! 巨大な乱流エネルギーを微細な渦へと砕き、粘性散逸で強制的に減衰させる
CPU使用率100%でスタックしていた
「イテレーションが収束した! 乱流が散らされてレイノルズ数が急速に低下しているわ!」
画面の向こう、
顔も知らぬ
結衣がリアルタイムの流体力学解析で導き出した、最適座標の『
そして、システムUIを完璧に理解して立ち回った、族長による『神がかった
3つの力が結合し、絶望的な豪雨の中で――かつて誰も見たことのない、奇妙な『歴史修復』の物語が、今、幕を開けた。
第7話をお読みいただきありがとうございました。
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